蓮のあるお堀には

パウレタ

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4.お堀の彼女と昼食へ

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 春から地元企業の契約社員となったわたしの日常は、判で押したような仕事を淡々とこなすものだった。週四日の仕事も徐々に慣れてきた梅雨の昼下がり、思いがけず午後の仕事がキャンセルとなったわたしは実家へ帰ってきた。誰もいなかった。三年前に亡くなった父の写真だけがわたしを迎えた。母に電話をしてみた。午前中で幼稚園がおわった娘を迎えにいき、帰りにファミレスで二人ランチをしているところだった。電話を切ったあと、わたしは歩いてお堀の家へ出かけた。もしかしたら彼女のつくるごはんにありつけるのではと、いやしくも思ったのだ。

 お堀の家が近づいてくると、むせるような蓮の花の香りがし始めた。夏の訪れを感じさせるこの香りは湿気とともにわたしへまとわりつく。もう少しで梅雨が明ける。このまちではそれが夏休み開始の知らせとよく重なった。小学生のころ、わたしの夏休みは蓮の花よりも墨汁がにおった。なんだろう、雑菌が混じったような、洗濯物生乾きのにおい。夏の暑さで腐ってしまったのだろうか。わたしがにおいを気にしすぎて字を書くことに集中できずにいると、彼女は自分のもっている、口にほうりこめるほどの小さな墨をくれた。これですずりをすれと。墨汁をつくれと。固形の墨は持つとわたしの手にすぐ馴染んだ。いいにおいがした。墨をすずりですり始めると、少しずつ、入れた水が黒くなった。でもなかなかわたしが思い描く濃い黒にはなってゆかない。五分くらいすり続けたあと、わたしは筆を自分のすった液体に浸し、字を書いてみた。まだ薄い。彼女もわたしの筆をとり、同じように字を書いた。なぜか彼女が書いた字は薄いのにもかかわらず、紙にふっと浮かんでくるような気がした。

 お堀の家は今、墨のにおいはしない。少しだけツーンとくる絵の具のにおいだけだ。今日も彼女はお堀を描いていた。昼ごはんもとらずに。ためらいのない手先から描かれる下絵は、線が少なく、狂わない。歌でいうとキーをはずさない、一発でぴたっとあわせることができる、そんな感じだろうか。字を書くことに照らし合わせると、それはどんな具合に表現することができるだろう。
「少しでも食べたほうがいいよ。外に行こう」
わたしが誘うと、彼女はおもむろに被りかけていた絵画用エプロンを脱ぎ、 
「そばなら食べる気になるかな」
と言いながら、靴下を履きはじめた。
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