夏の城

k.ii

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灰色世界Ⅰ

9.夏休みの前に

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 書庫に残されていた本は、一冊だけだった。あれからぼくは、同じように本棚と床の間に落ちている本がないかと、一つ一つ棚をまわったけど、見つからなかった。
 
 ぼくはそのことを、昼休みにカケラに説明した。屋上へ上がる前の階段で、しばらく話していた。それから、夏休みのあいだに、おじいちゃんの書庫の棚一つ分くらいは、本をいっきに読んでしまおうと思っていたことも、話した。
 
 でもそれももうできなくなった。
 
『おおきな うみの ゆうえんち』――残っているのは、うすっぺらな一冊の絵本だけ。うす暗がりのなかで、ぺらぺらとそれをめくってみたけど、文字はひとつも書かれていない。絵だけの絵本だった。よく見えなかったけど、たくさんの生きものや、海の植物がえがかれているようではあった。ページをめくるたびに、どんどん、どんどん青がふかくなっていって……最後のページは、まっ暗でなにも見えなかったのだと思う。
 
 屋上へ出たときにはもう、昼休みは十分も残っていなくて、急いで弁当箱を開けたけどあまり食欲はなかった。なぜか、カケラも、パンを半分くらい残した。
 
 チャイムが鳴りひびく屋上で、カケラは、ぼくに言った。
 
「おれ、それ見たいな」
 
「え……?」
 
「『おおきな うみの ゆうえんち』。
 な。いいだろう。今日、イキの家、行くよ」
 
 チャイムが鳴りおわった。
 
 今は、煙のなかから鳥が姿をあらわす様子もない。
 
「うん。見ようか、『おおきな うみの ゆうえんち』」
 
 最後に見る絵本だ、地下寮へ入る前に……。
 
 こうしてぼくらは屋上を下りた。
 
 
 ぼくらが教室へ戻ったとき、言い争いをしているのか、だれかがはげしく叫んでののしっていた。
 それはナチの声で、言い争っているのではない、ナチが一人で怒っているのだった。
 
「カケラ! それにイキも。おまえらは、やるよな? なあ。やるだろ、もちろん」
 
 なにを……ぼくは、顔をしかめるだけで、声にならなかった。ここにいあわせなかったぼくらに関係のあることで、なにか問題がおきているんだ。
 
「ナチ。説明してもらわないと、わからないよ。ミズノ、モモノ、どうなっているんだ?」
 
 ナチの前でうつむいているミズノと、モモノ。ミズノはポケットに手を入れて面倒くさそうにして、モモノはきまりのわるそうな顔をして、何も言わない。
 
「簡単なことだ」
 ナチが調子を変えないまま、どなるように言った。
「こいつら、今度の夏休みには、もうサッカーをやらないと言ったんだ」
 
「えっ」
 
 ぼくは思わず、ちいさく叫んだ。ぼくはカケラの方を見た。カケラ……今度はカケラが声を出せないで、ただ、驚いた表情でいる。どういうこと。カケラ、どうすればいいんだ。モモノはますますきまりのわるそうな顔になり、ミズノは横を向いてしまった。
 
「なんで……」
 
 ぼくが力なく言うと、
 
「それも簡単なことだ」
 と、うしろの席から声がした。
 
「勉強をするから、だ。おれたちはもう半年もすれば地下寮へ入る。厳しい勉強が待っている。今のうちに、今まで習ったところは完ぺきにして、できる限り予習もしておかないといけない」
 
 アシタだった。アシタは昼休みも勉強していたのか、何冊もの教科書が机に置かれていた。
 
「アシタ、おまえも?」
 ナチにまた、怒りの表情がもどりかけたが、力をなくしたようにうなだれてしまった。
 
「おれは、こないだの体育の授業でけりをつけたんだ。おまえたちだって……」
 
 始業のチャイムが鳴った。
 
「ほら、もう、授業がはじまる」
 
 アシタの言葉には、もう何の抑揚もなかった。周りに集まっていた他の生徒たちも、席へ戻りはじめる。
 
「おれ、サッカーのことばかりで、みんなよりずっと勉強が遅れてたんだ。最後の夏休みの前になって、みんなもっと集中し出したし、急にこわくなって……だって、地下寮での勉強についていけなくなったら」
 
 モモノはそこで言葉をにごして、暗い表情のままアシタのうしろの席へかけていった。ミズノも、窓際の席に戻って、ひじをついて外をながめていた。
 
 ガタッ、と音がして、先生が入ってくる。
 
 ぼくはその音にも一瞬驚いてしまった。なんだか、急なできごとに、頭がぼうっとしてしまっていたんだ。最後の夏休み。さっき、ミズノが言った言葉。最後の夏休みに、ぼくらは……
 
 カケラが、ぼくの手を引いた。
 
「おいイキ。今は席に着こう」
 
 先生が、めがねの奥から、いぶかしそうにぼくらの方をにらんでいる。
 
「すいません」
 カケラが先生に言って、同じくまだ立ったままのナチの肩をたたいた。
 
「アシタ!」
 
 ぼくはまた驚いた。
 
「アシタ。なんでだ!」
 ナチがアシタの席までかけよって、机をばしん、と手でうち、大声で叫んでいた。
「最後の夏休み! 最後、最後の夏休みなんだ……地下寮なんかに行けば、もうサッカーはできなくなる。なんの楽しみも」
 
 守衛が二人、教室に入ってきて、無言で、無表情で、ナチを両脇からつかみかかえると、すぐに教室を出て行った。
 
 カケラにうながされて、ぼくは席に着いた。
 
 すぐに、授業がはじまった。
 
 最後の夏休み。その言葉が、ずっとぼくの頭のなかから消えずに繰り返されていた……
 
 最後の…… 夏休み……
 
 最後の…… 夏休みに……
 
 ……ぼくはどうすればいいの。
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