夏の城

k.ii

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 わたしは、高い高い塔のてっぺんに立っている。
 
 もちろん、わたしのいるこの場所の下に、ひまわりの咲く原っぱなんてないことはわかっている。
 
 目を開けてしまえば、灰色の雲がどこまでも広がっていて、ところどころ、その切れめに、同じような色の建てものが集まっているのが見えるだけ。
 
 わたしはただ、思い浮かべていた。
 
 そんな灰色世界を見下ろす瞬間に、きつく目を閉じて。
 
 そのとき、わたしはすべてを忘れる。
 
 ……ここは、どこなの。……わたしは、一体、だれなの……
 
 すると、わたしの眼下に、広がる。灰色の雲がちぎれて、とぎれて、流れて、一面に。あのいつものひまわり畑が、広がる。
 
 そしてわたしは思う。
 
 その人が、だれだかわからない。
 
 だけど、わたしより少しおおきい、男の子。わたしもそこでは、まだ少女になる前の、ほんのちいさな女の子。
 
 わたしは、しろいワンピースをきて、深い麦わら帽子をかぶって、顔は見えない。
 
 男の子は、わたしの名前を呼ぶ。
 
 わたしの名は、マナツ。
 
 だけど、その男の子は、きっと本当はわたしの名前を知らない。思い出せない。
 
 でもわたしは……その一瞬、本当にわたしの名前がこの世界のどこかで呼ばれた気がして、そこでいつもふっとさめる。
 
 わたしは、この塔のてっぺんにいる。
 
 そして、厚い雲の合い間をぬって、男の子がわたしを迎えにやって来る気がする。気が、するだけ。
 
 ひまわり……
 
 もちろん、そんな花は、実在しない。
 
 わたしが作ったにせものの花。
 
 その花はどうやって作り出したか……
 
 真下には、灰色の雲と、灰色の世界が広がっているけれど……わたしの頭上に、おおきく、まるく、果てしなく輝くものがある。
 
 下の世界からは決して見えない。
 
 ここは、高い高い塔の上。
 
 選ばれた者だけが、この塔に上れる。
 
 わたしは、詩を詠い、また歌を唄うために、幼い頃、祖父に教育を受けこの塔へ連れて来られた。わたしは、いつも、ここで物語を作り、この世界を管理する限られた人だけのために、それを聴かせる。
 
 空想された物語は、だれのためにもある、というわけではない。
 
 ……
 
 
 ……
 
 ……それでもわたしは思うことがある、ときどき……わたしの名前を呼んだあの男の子が、本当にわたしをここから連れ出してくれて、わたしがあの灰色の世界で、すべての人のために物語を読んだなら、どんなにすばらしいことだろうと……
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