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第45話 粋と野暮
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奈良屋茂左衛門は、几帳の勘通り、几帳に心奪われていた。まさに傾城の美女である。
年甲斐もなく、娘ほどの年齢である几帳のことばかりで仕事が手に付かない。几帳が紀伊国屋九万兵衛に抱かれていることを想像すると心がひっくり返りそうだ。
最初は熊吉に嫉妬させてやろうという意地悪心でしかなかったが、まさか自分が遊女に心を奪われるとは思っても見なかった。相手は売り物、買い物である。どうにかして、自分の馴染みの女にしたい。
紀伊国屋の真似をしてお座敷遊びをしていたものの、高級遊女を惚れさせる方法が分からない。
そこで、心やすい番頭を呼んで話を聞いた。
「なるほど旦那さまは、その太夫の心を射止めたい分けですな」
「そうだ。しかし、あの紀九万の女なのだ。どうにかならないか」
番頭も熊吉の名を聞いて唸った。この奈良屋の旦那の遊び方では女は振り向くまい。やはり紀伊国屋のように粋に遊ばないといけない。
番頭は頭を捻って考え応えた。
「旦那さま。吉原での遊びは金を湯水のように使って、粋に遊ばなくてはいけません。例えば、太夫の好きなものを贈るとかそういうのはどうでしょう」
それに奈良茂は手を打つ。
「そうか! そう言えば蕎麦が大好物と言っていたぞ!」
「蕎麦ですかい? それは安い好物ですな。他には──」
「いや、いい方法がある」
「それはどんな?」
奈良茂はニヤリと笑った。
几帳は三浦屋の部屋の中で、三味線の稽古をしていた。その傍ら禿に読み書きの勉強を教えてやる。その時、使用人に客だと言われて入り口まで来てみると、知らない男であった。
「主様はどちらさまでありんすか?」
「へへ。あっしは奈良屋の使用人で平吉と申しやす」
「その平吉さんが、なんの御用でありんす?」
「ウチの主人、奈良屋茂左衛門さまからお届けものでありんす」
そういって木箱のおかもちから出したのは、汁蕎麦が二杯。蕎麦が好物の几帳は、差し入れだと喜んだ。
「あら、粋なお差し入れでありんす。帰ったらご主人によろしく言ってくださんせ」
「へへ。これはただの蕎麦ではありませんぞ」
ただの蕎麦ではない。一体どう言うことかと几帳はたずねた。
「実は旦那はこの江戸の町の蕎麦を全部買いとったのです。ですから今日、江戸で蕎麦を食べれるのは几帳太夫。あなた一人なのですぞ!」
「へぇ……。それはそれは。ありがとうでありんすゥ」
そういってやると、使用人平吉はニコニコ笑って帰って行った。
江戸中の蕎麦の買い占め。なんと粋なことであろう。しかし答えを言ってしまってはダメだ。奈良茂は平吉にそれも伝えるように言付けたのであろう。几帳はなんて野暮なのだろうとため息をついた。
そこに、三浦屋の入り口に大男が立つ。身を縮めて体をぶつけないように注意して入って来た。
「九万ちゃん……」
「よう几帳。今日は江戸に全く蕎麦がねぇんだ。土産に買ってきてやろうと思ったがな。代わりに蕎麦饅頭を買ってきたぞ」
大きな熊吉の体を見上げると、黒紋付きの右肩に手拭いを何重にも重ねて、その上に三層の蒸籠を乗せていた。
蒸籠はまだ湯気を上げており、蒸したてであることが分かった。
熊吉は三浦屋に響くような大声を上げる。
「おおい! みんな出てきな。八に饅頭食え。蒸したてで温かいぞ!」
八とは、今で言う十五時。つまりおやつである。時計の針が八を指している時間なのでこういった。
甘いものはご馳走であるのは今も昔も変わりない。しかも蒸したての饅頭とはさらに味わいがあるものだ。
熊吉の声に、女たちは歓声を上げて出て来た。熊吉はたすきを巻くと蒸したての熱々を一人一人に手渡してやった。
几帳はそんな熊吉にやはり心が蕩けさせられる。熊吉は、余った饅頭を抱えて道行く遊女にも配って、嬌声を背中に受けながら戻ってきた。
「几帳。後は俺とお前と禿の分だ。部屋で一緒に食うぞ! なんだそこに蕎麦があるな。おあつらえ向きに二杯もある。それも一緒に喰うか」
「うん。一緒に食べよう」
几帳は、蕎麦や饅頭を禿たちに運ばせて自分は熊吉に寄り添うように腕を組んで部屋へと向かっていった。
さて、上座に熊吉と几帳、下座に几帳の禿が二人。八の饅頭を旨そうに頬張っていた。しかしこのことを三浦屋の主人は用事に出ていて知らなかった。
しばらくして戻ってくると、手代のような男が待っているので聞いてみる。すると、奈良屋の手代である。主人の茂左衛門さまが本日座敷を取ったので、几帳太夫に来て欲しいとのことであった。
そういって十五両渡されると、三浦屋の主人はすぐに几帳に準備をさせますと返事をした。
主人が几帳の部屋に来ると、すでに几帳は襦袢姿で熊吉は褌一つ。その姿で尻相撲の遊びをしていた。几帳は恥ずかしそうにしゃがみ込んだが、熊吉は大口を開けて笑い出した。
「おう、すまん。主人。いなかったから勝手に上がったぞ。饅頭食ったか?」
「え? お饅頭ですか?」
「差し入れにみんなに買ってきたんだ。紙に包んであるから、誰かに聞け」
そういって、几帳から渡されたキセルをぷかり。主人は真っ青になった。まさか熊吉がすでに床入れの準備までしているとは思わなかったのだ。
「どうした。そこに突っ立ちやがって。二人の睦み合いに野暮だぞ?」
そう熊吉に言われて、その場に土下座してしまった。
「いいい、すいません! 旦那が来ているのを知らなかったもので、奈良屋の旦那の座敷に几帳を向かわせる約束をしてしまいました!」
そういって謝る主人。怖がる几帳。しかし熊吉は平気な顔してキセルをふかした。
「なんだそんなことけィ。今日の几帳は貸し切りだ。吉原では振られるなんてよくある話じゃねぇか。俺が奈良茂によく言って聞かせてやるよ」
吉原で振られるとは呼んだ遊女がこないこと。金を払い女が来ないでは男は布団にくるまって寝るという侘しい夜を送ることとなる。しかしそれが決まりとなっていた。熊吉はそれがよくあることだから奈良茂も諦めるのが礼儀であるという理屈である。
熊吉は立ち上がると袂から三十両取り出して主人の手に握らせた。奈良屋の倍である。しかも、先方に言って聞かせてくれる。これには主人とて気持ちが大きくなって大笑いした。
主人のほうでも商売であるから、使いをやって几帳が都合が悪くなったと奈良茂に断りに出させた。
だが奈良茂はカンカンである。一目几帳会いたさに吉原に来て十五両払って都合が悪い。金は返金されたものの納得は行かなかったので、再び使いを出した。それも腕に自信のあるものである。
途端に三浦屋は騒々しくなった。わぁわぁとのクレームである。三浦屋の主人は体格のいい男二人に責められている。それが二階にいる熊吉と几帳の耳にも届いていた。
二人は先ほどの格好のまま酒を飲んでいたが、階下がうるさい。
熊吉は褌のまま立ち上がって部屋から出ていき、階段の上からクレーマーたちに叫んだ。
「なんの騒ぎだ!」
奈良屋の人間は用心棒の剣客であったが、声のほうを見上げて驚いた。かなりの大男で腕っぷしの強い吉原の有名人、あれは紀九万であると、二歩ほどずり下がった。
都合が悪いと聞いただけで、紀九万がいるとは聞いていなかったので、真っ青になってしまった。だがそう簡単には引けない。絞り出すように熊吉へと抗議した。
「き、紀伊国屋の親分。な、奈良屋の旦那は金を払って几帳を予約したんでィ……。それを反故にさせるたァ、ヒデェじゃねぇか……」
「かっかっか。それじゃ奈良茂に伝えろ。郭主は悪くない。俺が勝手に几帳の部屋で遊んでたのを知らなかったのよ。だが今日の几帳はもう貸し切りになった。天子さまや将軍さまでも他のことなら譲れるが几帳は譲れん。また後日遊べとな」
そう凄まれた。天皇や将軍にも譲れないと熊吉にいわれると、本気の度合いがわかる。怖いやら恐ろしいやら。剣客たちは「分かった」とつぶやくと早々に去って行った。
年甲斐もなく、娘ほどの年齢である几帳のことばかりで仕事が手に付かない。几帳が紀伊国屋九万兵衛に抱かれていることを想像すると心がひっくり返りそうだ。
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紀伊国屋の真似をしてお座敷遊びをしていたものの、高級遊女を惚れさせる方法が分からない。
そこで、心やすい番頭を呼んで話を聞いた。
「なるほど旦那さまは、その太夫の心を射止めたい分けですな」
「そうだ。しかし、あの紀九万の女なのだ。どうにかならないか」
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それに奈良茂は手を打つ。
「そうか! そう言えば蕎麦が大好物と言っていたぞ!」
「蕎麦ですかい? それは安い好物ですな。他には──」
「いや、いい方法がある」
「それはどんな?」
奈良茂はニヤリと笑った。
几帳は三浦屋の部屋の中で、三味線の稽古をしていた。その傍ら禿に読み書きの勉強を教えてやる。その時、使用人に客だと言われて入り口まで来てみると、知らない男であった。
「主様はどちらさまでありんすか?」
「へへ。あっしは奈良屋の使用人で平吉と申しやす」
「その平吉さんが、なんの御用でありんす?」
「ウチの主人、奈良屋茂左衛門さまからお届けものでありんす」
そういって木箱のおかもちから出したのは、汁蕎麦が二杯。蕎麦が好物の几帳は、差し入れだと喜んだ。
「あら、粋なお差し入れでありんす。帰ったらご主人によろしく言ってくださんせ」
「へへ。これはただの蕎麦ではありませんぞ」
ただの蕎麦ではない。一体どう言うことかと几帳はたずねた。
「実は旦那はこの江戸の町の蕎麦を全部買いとったのです。ですから今日、江戸で蕎麦を食べれるのは几帳太夫。あなた一人なのですぞ!」
「へぇ……。それはそれは。ありがとうでありんすゥ」
そういってやると、使用人平吉はニコニコ笑って帰って行った。
江戸中の蕎麦の買い占め。なんと粋なことであろう。しかし答えを言ってしまってはダメだ。奈良茂は平吉にそれも伝えるように言付けたのであろう。几帳はなんて野暮なのだろうとため息をついた。
そこに、三浦屋の入り口に大男が立つ。身を縮めて体をぶつけないように注意して入って来た。
「九万ちゃん……」
「よう几帳。今日は江戸に全く蕎麦がねぇんだ。土産に買ってきてやろうと思ったがな。代わりに蕎麦饅頭を買ってきたぞ」
大きな熊吉の体を見上げると、黒紋付きの右肩に手拭いを何重にも重ねて、その上に三層の蒸籠を乗せていた。
蒸籠はまだ湯気を上げており、蒸したてであることが分かった。
熊吉は三浦屋に響くような大声を上げる。
「おおい! みんな出てきな。八に饅頭食え。蒸したてで温かいぞ!」
八とは、今で言う十五時。つまりおやつである。時計の針が八を指している時間なのでこういった。
甘いものはご馳走であるのは今も昔も変わりない。しかも蒸したての饅頭とはさらに味わいがあるものだ。
熊吉の声に、女たちは歓声を上げて出て来た。熊吉はたすきを巻くと蒸したての熱々を一人一人に手渡してやった。
几帳はそんな熊吉にやはり心が蕩けさせられる。熊吉は、余った饅頭を抱えて道行く遊女にも配って、嬌声を背中に受けながら戻ってきた。
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几帳は、蕎麦や饅頭を禿たちに運ばせて自分は熊吉に寄り添うように腕を組んで部屋へと向かっていった。
さて、上座に熊吉と几帳、下座に几帳の禿が二人。八の饅頭を旨そうに頬張っていた。しかしこのことを三浦屋の主人は用事に出ていて知らなかった。
しばらくして戻ってくると、手代のような男が待っているので聞いてみる。すると、奈良屋の手代である。主人の茂左衛門さまが本日座敷を取ったので、几帳太夫に来て欲しいとのことであった。
そういって十五両渡されると、三浦屋の主人はすぐに几帳に準備をさせますと返事をした。
主人が几帳の部屋に来ると、すでに几帳は襦袢姿で熊吉は褌一つ。その姿で尻相撲の遊びをしていた。几帳は恥ずかしそうにしゃがみ込んだが、熊吉は大口を開けて笑い出した。
「おう、すまん。主人。いなかったから勝手に上がったぞ。饅頭食ったか?」
「え? お饅頭ですか?」
「差し入れにみんなに買ってきたんだ。紙に包んであるから、誰かに聞け」
そういって、几帳から渡されたキセルをぷかり。主人は真っ青になった。まさか熊吉がすでに床入れの準備までしているとは思わなかったのだ。
「どうした。そこに突っ立ちやがって。二人の睦み合いに野暮だぞ?」
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そういって謝る主人。怖がる几帳。しかし熊吉は平気な顔してキセルをふかした。
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熊吉は立ち上がると袂から三十両取り出して主人の手に握らせた。奈良屋の倍である。しかも、先方に言って聞かせてくれる。これには主人とて気持ちが大きくなって大笑いした。
主人のほうでも商売であるから、使いをやって几帳が都合が悪くなったと奈良茂に断りに出させた。
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熊吉は褌のまま立ち上がって部屋から出ていき、階段の上からクレーマーたちに叫んだ。
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