わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!

ふみきり

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第一章 孤児院の少女

4 露店で買い物をいたしましたわ

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 アリツェが精霊教の孤児院に引き取られてから、一年が経過した。

 十一歳を迎えたアリツェは、毎日の生活にもすっかり慣れ、慎ましやかながらも楽しい日々を過ごしていた。

 平日は年下の孤児たちに簡単な読み書き計算を教え、休日はわずかにもらえる小遣いを手に、ささやかな買い物を楽しんだ。

 アリツェの傍らには、常に黒毛の子犬、ペスが寄り添っていた。

 不思議な話だが、ペスの外見は、一年前に路地裏で初めて出会った時から、何一つ変わっていなかった。本来、子犬が一年も過ごせば、大きく成長するはずであろうに。ペスの宿す霊素が影響しているのではないかと、孤児院の院長は見立てていた。

 実際に、霊素を浴びたと思われる野生動物の一部に、通常の動物とは違った成長を遂げるものが現れていた。そのなかでも、人間に悪影響を及ぼす変異を見せた動物は、特に『魔獣』と呼ばれるようになった。

 最近は、この魔獣によって、農村の人や家畜が襲われる事件が多発していた。魔獣は総じて、タフで、賢かった。

 農村の農夫が、戦闘訓練など受けた経験があるはずもない。魔獣の相手は酷だった。王都の騎士団クラスでないと敵わない程に手ごわい魔獣も、すでにいくつか報告されている。魔獣対策が領政の頭痛のタネになっていると、院長は言っていた。






 ある休日の昼下がり、アリツェはペスを伴い、露店巡りをしていた。

 露店街は、領都グリューンの中央通りをはさんでズラリと立ち並んでいた。グリューンの商人のみならず、プリンツ子爵領内の他の村々から特産品を持ち込んでいる人や、近隣貴族領の商人も、所狭しと商品を広げている。もちろん、隣国ヤゲルからの交易商もいた。

 異国情緒あふれる様子は、国境の街ならではだと、エマは言っていた。アリツェは子爵領どころか、領都グリューンですら、一歩も出た経験がない。なかなか触れる機会のない他国の物珍しい品を眺めるだけでも、一日たっぷりと時間を潰せた。

「お小遣いもだいぶたまりましたわ。予定どおり、今日は少し奮発しようかと思いますの。いかがかしら、ペス」

 肩から下げたポシェットを両手で抱えながら、アリツェはペスに笑いかけた。ペスは同意を示すかのように、元気よく吠えた。

 ふた月前から、無駄遣いをせずにコツコツとお金をためてきた。目的は、今日限定で出店する予定の、ヤゲル王国商人の露店だ。

 エマからの情報では、その露店は三か月に一回、一日だけグリューンに立ち寄り、珍しい装飾品を販売するとの話だった。しかも、珍しいうえに比較的お手ごろな価格で、アリツェのお小遣いでも、少し貯めれば何とか買えないことはない値段設定になっていた。

 鼻歌を歌いながら、目当ての露店を探した。たしか、中央噴水の近くだったはずだ、と。

 一年経ったとはいえ、いまだにプリンツ子爵家がアリツェの行方を追っている可能性があった。何の備えもなく出歩く真似は、さすがに控えている。

 人通りの多い場所へ出るときは、必ず変装をし、ペスを伴うようにと、エマと院長からきつく言われていた。

 今は長い金髪を頭上でまとめ、帽子で隠している。服装も少年の好む装いを選択しているので、よほど、アリツェ本人を探そうと注意深く目を凝らしでもしない限り、わからないだろう。少し中性的な雰囲気のする少年としか、見えないはずだ。

 アリツェ本人も、動きやすい変装時の格好を気に入っていた。だが、孤児院内で同じ格好をしていると、「貴族の令嬢が、はしたないですよ」と院長から注意されるので、基本的には外出するときにしか着られなかったのだが。






 噴水広場が近づいてきた。人通りもさらに増える。時には人をかき分け、進んだ。

 とその時、不意にペスがズボンのすそを咥え、横に引っ張った。

「あら、ペス。人ごみの中でいたずらだなんて、感心しませんことよ」

 腰をかがめ、やめさせようとペスに手を触れる。だが、ペスは一向にやめようとはせず、さらに勢いをつけて引っ張り、アリツェを路地裏へ引っ張り込もうとする。

 余裕のない様子のペスに、アリツェは眉を寄せ、顔をしかめた。まとわりつく空気が、途端にねばつく。なんだか、胃が重苦しい。

 胸騒ぎを覚えたアリツェは、ペスのなすがまま、路地裏に入った。

 何事かとペスに問おうとすると、ペスは必死に首を横に振った。しゃべるな、と言いたいのだろうかとアリツェは感じ、押し黙った。

 静かにペスの視線の先、中央通りを見つめると――。

(あ、あの殿方は……。もしかして……)

 見覚えのある男が、肩を怒らせながら歩いていた。

 ……そう、見覚えのある男だ。間違いない。一年前に、確かに見た。

(人さらい、ですわよね)

 握る掌が、べっとりと汗ばむ。早鳴る心臓の鼓動が、アリツェの薄い胸を激しく叩く。時間が永遠に感じられた。

(怖い、怖いですわ……)

 止まぬ震えに耐え切れず、アリツェはしゃがみこんだ。両手で頭を抱えこみ、中央通りを視界に入れないようにした。隣では、ペスが労わるようにのぞき込み、アリツェの腕をなめた。

「ありがとうございますわ、ペス。あなたがいてくださるおかげで、わたくしはどうにか、こうして正気を保てております……」

 そのまま、十五分はうずくまっていただろうか。

 べとべとにまとわりついていた不快な空気も去り、うるさく早鐘を打っていた心臓も、ようやく落ち着きを取り戻した。

 アリツェは意を決して、ゆっくりと顔を上げた。もう、男の姿はどこにも見えなかった。

「よく、あの男が近づいていることを知らせてくださいましたわ。本当に、助かりましたわ」

 ペスのお手柄をしっかりと褒め、ぎゅっと抱きしめた。ペスは嬉しそうに鳴き声を上げると、しっぽを振りながら、アリツェの胸元に小さな顔をぐりぐりと押し付けた。

 だがその時、アリツェはふと、気づいた。人さらいの顔を、ペスが知るはずもない事実に。

(どういうことでしょうか? ペスはあの人さらいの顔を、どこで知ったのでしょうか。でも確かに、ペスはわたくしをあの男から遠ざけようとしましたわ)

 時折、ペスは不思議なほど鋭い感覚を見せた。これもやはり、院長が言うように精霊の力なのだろうか。

「帰ったら、院長先生にお尋ねいたしましょう」

 気を取り直し、アリツェは中央通りへ出ると、再び噴水広場を目指した。






「いらっしゃい、どれもおすすめの逸品だよ」

 目当ての露店を見つけたアリツェは、大人が一抱えできる程度の大きさのテーブルが二つ横並びになった商品棚に、所狭しと並べられた装飾品の数々を眺めた。
 エマの言うとおり、確かに物珍しい品ばかりだった。ヤゲル王国産の特色であるカラフルな色遣いの指輪や腕輪、ネックレスなど、どれもこれも欲しいと思わせるだけの魅力に満ちていた。

 今回アリツェが買いたい品は三つ。いつも世話になっている院長とエマへのプレゼントと、自分へのご褒美だ。

「おじさま、すみません。こちらのデザインの腕輪を三つ、色違いで頂けるかしら」

 なぜだか一際目を引く腕輪を見つけた。デザインはごくごくシンプルな花模様だったが、不思議と心惹かれる感じがした。

「おぉ、坊ちゃん……。いや、もしかしてお嬢ちゃん、か? いいセンスしているね。これ、実はほーんのわずかだけれど、『霊素』ってやつが込められているんだぜ」

 意外な単語が商人の口からこぼれ出た。

「え? ということは、精霊様の力が込められているんですの?」

「詳しいねぇ、お嬢ちゃん。そうさ、『精霊具現化』っていうらしい。『霊素』を持った人間によって、この腕輪にも、ほんのわずかだけれど『精霊具現化』を施してもらっている」

 だから、強く興味をひかれたのだろうか。

「それなら、なぜ、この腕輪をこれほどの低価格で、お売りになっていらっしゃるの?」

 件の腕輪は、商品棚に置かれている他の腕輪と、大差のない価格設定だった。

「別に、何か特殊な効果が発揮されるわけでもなし、マジックアイテムでも無いただの腕輪だ。そんなにぼったくれはしないさ。『精霊具現化』も、オレの弟が手慰みにちょろっとかけただけだしな。多くの人は、『霊素』がまとわりついている事実さえ、気づかない。単なるまじないみたいなもんだ。だから、安い」

 安いぶんには、文句はなかった。アリツェは料金を支払うと、腕輪を三つ受け取った。

 院長とエマ、アリツェで、色違いのおそろいの腕輪だ。アリツェは青色の腕輪にした。

 目的を果たせたアリツェは、意気揚々と孤児院へと戻った。

 プレゼントを受け取ったエマと院長は、手をたたいて大喜びをした。特に、エマは目に涙を浮かべていた。

(娘さんを、思い出されたのでしょうか……)

 サプライズプレゼントが成功裏に終わり、アリツェはご機嫌だった。






 ――その夜。

 アリツェは不思議な夢を見た。

 どこだかわからない、見知らぬ塔。顔も知らない四人の若者。付き従うは、子猫、子犬、鳩、仔馬。

 アリツェは子犬が気になった。黒い毛並みの子犬だ。――ペスに、似ていた。

 順調に塔を登っていく若者たち。

 立ちふさがる巨大な獣を、次々と打倒していく。

 ペスに似た子犬を含めた動物たち四匹は、深緑のローブで身を包み、フードを目深にかぶった男の指示に、従っているように見えた。

 男がぼんやりと輝く光のようなものを動物たちに纏わせると、その動物たちは姿を変化させ、巨獣に襲い掛かった。

 戦闘が終わると、動物たちは男の周りに集まり、甘えるように頭を男の体に擦り付けていた。男は相当、動物からの信頼を集めているようだった。

 若者たちは、とうとう塔の最上部へと達した。そこには、巨大な扉が鎮座しており、行く手を阻んでいた。

 男が扉を開くと、若者たちは部屋の中へとなだれ込んだ。

 ――そこで、アリツェは目を覚ました。






(今のは、なんですの……。妙に具体的な夢だった気がしますわ。そして、なぜか、懐かしい感じが……)

 ありえないと思い、アリツェは首を左右に大きく振った。

 アリツェの様子がおかしいと気付いたのか、心配げにペスが寄ってくる。

「ペス、おはようございます。大丈夫ですわ。少し、夢見が悪かっただけですわ」

 夢に出てきた子犬は、ペスとうり二つだった。どういうことだろうか。

 それに、ペスらしき子犬と親しげに接していた、ローブの男は何者なのだろうか。見たこともない人物が夢の中へ、やけに具体的に、はっきりと登場していた。

 昨日の街中での出来事を思い出す。ペスはなぜか、知らないはずの人さらいの顔を知っていた。

 アリツェもペスも、知らないはずのものを、知っている。

「不思議なこともあるものですね、ペス」

 深く考えたところで、解答は導けそうになかった。小難しい思案は、寝起きの頭には厳しい。いくら、睡眠時間が短くても問題ない体質の、アリツェであっても。

 アリツェは大きく伸びをすると、ゆっくりとベッドから起き上がった。

 とりあえず、この疑問は忘れることにした。いつもの日常を送ろうと、アリツェは部屋を後にした。
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