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第六章 一人の少女と一匹の猫
13 マリエとの別れの時
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「マリエー、来たぞー」
ラディムは教会に入ると、いつものようにマリエを呼ぶ。
今の時間、礼拝堂にはまったく人がおらず、ラディムの声は大きく反響した。
午後二時過ぎで、日差しが一番強い時間帯だ。ステンドグラス越しに差し込まれる色とりどりの光が、礼拝堂を幻想的に彩っていた。
ラディムは顔を上げ、天井のステンドグラスに目を遣った。一人の老人が火山に飛び込もうとする場面をかたどったものだ。おとぎ話――世界再生教では聖典扱いされているが――にでてくる、荒ぶる火山を抑えるために一人の神官がいけにえになるシーン。その神官こそ、世界再生教の崇める神だ。
しばらくそのまま、ラディムは目を細めてその輝くステンドグラスを見つめた。
「あ、殿下!」
ほどなくして奥の扉が開き、マリエが顔を出した。息を弾ませ小走りで礼拝堂の入口までやってくる。
初めて会ったときは肩にかかるくらいだったマリエの黒髪も、今は腰のあたりまで伸ばされている。マリエの動きに合わせて、毛先がふわりと舞った。
「待たせたか?」
ラディムは傍までやってきたマリエを迎え、あいさつ代わりにマリエの頭をポンポンッと軽くたたく。
「い、いえ……、そんなことはないです」
マリエは少しうつむいた。顔が赤く染まっている……ような気がする。
「と言っていますが殿下、マリエ、一時間前からそわそわしっぱな――」
やはりいつもどおり裏から司祭が現れ、マリエをいじりだした。
「司祭様っ!!」
マリエは両手をあわあわと振り、慌てて司祭の言葉を遮る。
「ほらほらマリエ、ちゃんと今のうちから殿下に粉をかけておかないと、あとで後悔しますよ」
司祭はクスクス笑っている。完全にマリエをからかいに掛かっていた。
「ちがう! そんなんじゃない!」
ますます顔を紅潮させ、マリエは司祭に抗議の声を上げた。
「マリエ?」
「で、殿下! 違うんです! 違うんですったら!」
さらに勢いよく両手を振りながら、マリエは頭を振る。かなり必死だった。
「何が違うんだ?」
なんとなく察してはいるが、ラディムはとぼけた。
「とにかく! 違うんです!!」
あたふたするマリエに、ラディムは苦笑した。
「ま、まぁマリエがそう言うならいいが……」
このような様子を見ればさすがにラディムも気づく。マリエがラディムに特別な感情を抱いていることを。
最初は、行き倒れのところを救った恩からの感謝の念だと思っていた。だが、最近は会うたびにうつむいて赤面しているし、移動の際には必ず腕を絡めてくる。いくら何でもこのマリエの態度が、謝意からくる親愛の念だけとは思えない。
まだ初恋と呼べるような感情を抱いたことはなかったが、本好きのラディムだ、読書を通じて恋がどんなものなのかは何となく理解していた。マリエの様子は、どう見ても本で読んだ恋の現象に当てはまるように、ラディムは思える。これで何の感情も抱いていませんなんて言われたら、正直、女性不振になりそうだ。
ちなみに、ラディムがエリシュカに恋心を抱いている、ということもない。ラディムの無茶なわがままにも笑ってつきあってくれる、優しい年上のお姉さんといった感情だ。
「ほ、ほら殿下。先週の研究の続き、やりましょう」
話を無理やり遮るように、マリエはラディムの腕を取った。そのまま、教会奥のマリエの自室へと引っ張る。
ラディムも今はマリエにそういった感情を向けられても、応えられない。恋を知らないし、何より自身のプライベートが忙しすぎた。なので、ごまかすマリエに乗ることにした。
「そうだな、私も準成人になれば、毎週のようにここへ来られるとは限らないし」
初恋よりも、目下の問題は間近に控えた準成人の儀だ。ミュニホフの大勢の市民の前に姿をさらし、誓いの言葉を述べなければならない。ラディムの大衆の前でのお披露目は初となるので、たくさんの市民が詰めかけるのは想像に難くなかった。
この準成人の儀を持って、ラディムは多くの公務をベルナルドから与えられる。週一で教会に来る時間は、どう考えても取れないだろう。おそらくは、慣例どおり騎士団に入団し、その寮にしばらくは入ることになるはずだから。
「あ……」
マリエは悲嘆の声を上げ、がくりと頭を下げた。
「そんな顔をするな。できるだけ顔を見せるようにするさ。私もマリエと一緒に研究をすると、良い刺激がもらえるしな」
ラディムも寂しかった。毎週一回マリエと魔術談義をするのが習慣になっていたし、実際に、マリエのおかげで研究もはかどっていた。その頻度が下がるのはつらいものがあった。
「いえ、そうではないのです……。実は、私も準成人を迎えたら、フェイシア王国の王都へ行くことになっているんです」
マリエは力なく首を振る。
「え!?」
一瞬、マリエが何を言ったのかわからなかった。
悲しそうに目を潤ませるマリエを見て、ようやくラディムは現実を理解しだした。
「黙っていてすみません。殿下と過ごす時が楽しくて、なかなか言い出せなくって」
深々とマリエは頭を下げた。
「殿下、黙っていて申し訳ありませんでした。マリエにもギリギリまで言わないようにってお願いされていたものでして」
少し困ったような表情を顔に張り付けながら、司祭は頭を掻いた。
「司祭……。これはいったい? 確か私は、マリエを側近にしたいといったはずだ。他国に出してしまうとはどういうことだ?」
突然のマリエの告白で、ラディムは心に大きな穴が開いたように感じた。魔術の良きライバルとして、信頼できる護衛として、マリエとはこれからもよい関係でいられると思っていた矢先だ。いなくなられては、喪失感が大きい。
そもそも、マリエを教会に預ける際に、ラディムの側近にするからそのつもりで面倒を見てほしいと頼んだはずだ。それなのに、いったいなぜこんな事態になっているのだろうか。
ラディムは教会に入ると、いつものようにマリエを呼ぶ。
今の時間、礼拝堂にはまったく人がおらず、ラディムの声は大きく反響した。
午後二時過ぎで、日差しが一番強い時間帯だ。ステンドグラス越しに差し込まれる色とりどりの光が、礼拝堂を幻想的に彩っていた。
ラディムは顔を上げ、天井のステンドグラスに目を遣った。一人の老人が火山に飛び込もうとする場面をかたどったものだ。おとぎ話――世界再生教では聖典扱いされているが――にでてくる、荒ぶる火山を抑えるために一人の神官がいけにえになるシーン。その神官こそ、世界再生教の崇める神だ。
しばらくそのまま、ラディムは目を細めてその輝くステンドグラスを見つめた。
「あ、殿下!」
ほどなくして奥の扉が開き、マリエが顔を出した。息を弾ませ小走りで礼拝堂の入口までやってくる。
初めて会ったときは肩にかかるくらいだったマリエの黒髪も、今は腰のあたりまで伸ばされている。マリエの動きに合わせて、毛先がふわりと舞った。
「待たせたか?」
ラディムは傍までやってきたマリエを迎え、あいさつ代わりにマリエの頭をポンポンッと軽くたたく。
「い、いえ……、そんなことはないです」
マリエは少しうつむいた。顔が赤く染まっている……ような気がする。
「と言っていますが殿下、マリエ、一時間前からそわそわしっぱな――」
やはりいつもどおり裏から司祭が現れ、マリエをいじりだした。
「司祭様っ!!」
マリエは両手をあわあわと振り、慌てて司祭の言葉を遮る。
「ほらほらマリエ、ちゃんと今のうちから殿下に粉をかけておかないと、あとで後悔しますよ」
司祭はクスクス笑っている。完全にマリエをからかいに掛かっていた。
「ちがう! そんなんじゃない!」
ますます顔を紅潮させ、マリエは司祭に抗議の声を上げた。
「マリエ?」
「で、殿下! 違うんです! 違うんですったら!」
さらに勢いよく両手を振りながら、マリエは頭を振る。かなり必死だった。
「何が違うんだ?」
なんとなく察してはいるが、ラディムはとぼけた。
「とにかく! 違うんです!!」
あたふたするマリエに、ラディムは苦笑した。
「ま、まぁマリエがそう言うならいいが……」
このような様子を見ればさすがにラディムも気づく。マリエがラディムに特別な感情を抱いていることを。
最初は、行き倒れのところを救った恩からの感謝の念だと思っていた。だが、最近は会うたびにうつむいて赤面しているし、移動の際には必ず腕を絡めてくる。いくら何でもこのマリエの態度が、謝意からくる親愛の念だけとは思えない。
まだ初恋と呼べるような感情を抱いたことはなかったが、本好きのラディムだ、読書を通じて恋がどんなものなのかは何となく理解していた。マリエの様子は、どう見ても本で読んだ恋の現象に当てはまるように、ラディムは思える。これで何の感情も抱いていませんなんて言われたら、正直、女性不振になりそうだ。
ちなみに、ラディムがエリシュカに恋心を抱いている、ということもない。ラディムの無茶なわがままにも笑ってつきあってくれる、優しい年上のお姉さんといった感情だ。
「ほ、ほら殿下。先週の研究の続き、やりましょう」
話を無理やり遮るように、マリエはラディムの腕を取った。そのまま、教会奥のマリエの自室へと引っ張る。
ラディムも今はマリエにそういった感情を向けられても、応えられない。恋を知らないし、何より自身のプライベートが忙しすぎた。なので、ごまかすマリエに乗ることにした。
「そうだな、私も準成人になれば、毎週のようにここへ来られるとは限らないし」
初恋よりも、目下の問題は間近に控えた準成人の儀だ。ミュニホフの大勢の市民の前に姿をさらし、誓いの言葉を述べなければならない。ラディムの大衆の前でのお披露目は初となるので、たくさんの市民が詰めかけるのは想像に難くなかった。
この準成人の儀を持って、ラディムは多くの公務をベルナルドから与えられる。週一で教会に来る時間は、どう考えても取れないだろう。おそらくは、慣例どおり騎士団に入団し、その寮にしばらくは入ることになるはずだから。
「あ……」
マリエは悲嘆の声を上げ、がくりと頭を下げた。
「そんな顔をするな。できるだけ顔を見せるようにするさ。私もマリエと一緒に研究をすると、良い刺激がもらえるしな」
ラディムも寂しかった。毎週一回マリエと魔術談義をするのが習慣になっていたし、実際に、マリエのおかげで研究もはかどっていた。その頻度が下がるのはつらいものがあった。
「いえ、そうではないのです……。実は、私も準成人を迎えたら、フェイシア王国の王都へ行くことになっているんです」
マリエは力なく首を振る。
「え!?」
一瞬、マリエが何を言ったのかわからなかった。
悲しそうに目を潤ませるマリエを見て、ようやくラディムは現実を理解しだした。
「黙っていてすみません。殿下と過ごす時が楽しくて、なかなか言い出せなくって」
深々とマリエは頭を下げた。
「殿下、黙っていて申し訳ありませんでした。マリエにもギリギリまで言わないようにってお願いされていたものでして」
少し困ったような表情を顔に張り付けながら、司祭は頭を掻いた。
「司祭……。これはいったい? 確か私は、マリエを側近にしたいといったはずだ。他国に出してしまうとはどういうことだ?」
突然のマリエの告白で、ラディムは心に大きな穴が開いたように感じた。魔術の良きライバルとして、信頼できる護衛として、マリエとはこれからもよい関係でいられると思っていた矢先だ。いなくなられては、喪失感が大きい。
そもそも、マリエを教会に預ける際に、ラディムの側近にするからそのつもりで面倒を見てほしいと頼んだはずだ。それなのに、いったいなぜこんな事態になっているのだろうか。
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