70 / 272
第七章 封じられた記憶
7 優里菜を信じ切ってもいいのか?
しおりを挟む
「明日、母上と話すにあたって、あなたに言っておきたいのだが」
これまでのやり取りで、ラディムが感じた優里菜の性格。精神面が不安定な母にそのまま相対させるのは、正直不安だった。
優里菜は少し、自由奔放なきらいがあるとラディムは見ていた。不用意な発言が飛び出しかねない。
(あー、ラディム君。そんなにかしこまらなくてもいいよ。確かに私はあなたの母だけれど、歳も近いんだし、もっと砕けて話してほしいかな)
ラディムがずっと他人行儀な喋り方をしていたのが、優里菜の気に障ったのだろうか。
「じゃあ、優里菜、でいいか?」
ラディムとしてもそれほど抵抗のある提案ではなかったので、素直に応じた。
(うん、それでオッケー)
少しうれしげな声を優里菜はあげる。
「で、明日なんだが、私が母上と話している間、割り込んで表にでしゃばるような真似はしないでほしい」
言い含めるように、ラディムは少し強めの声を上げた。
(別に、そんなつもりはもともとないよ?)
少し不満げに優里菜は答える。
「それならばよいのだが……。間違っても精霊を肯定するような言動を、母上の前でするわけにはいかなくてな」
母に激昂されて話がこじれると困る。
(それほど、あなたのお母さんは精霊を憎んでいるの?)
少し困ったように優里菜は尋ねた。
「亡くなった夫の敵とすら思っている。下手に藪をつつくと、まぁとんでもないことになるよ」
(くれぐれも気を付けるわ……)
優里菜は「怖い怖い」と、声を震わせる。
(私、前の世界の記憶があるから、どうしても精霊に否定的な立場はとれないんだよね。あなたのシステム上の父だったカレルなんて、世界一の精霊使いとまで呼ばれた人だったから、余計に、ね)
少し懐かしさと愛しさを含ませた声で、優里菜はつぶやいた。
わざわざ自らの転生素体の父に選んだ男だ。優里菜はそのカレル・プリンツという男に恋い焦がれていたのだろう、とラディムは思った。
「しかし、優里菜やヴァーツラフが精霊を善と考えている点が、私にはいまだに信じられない。まったく逆の話を、幼いころから延々と聞かされてきたからな」
ラディムはため息を漏らす。
ザハリアーシュら教育係から散々教えられてきた邪教としての精霊教。帝国としても精霊教の排除に掛かっている。優里菜の話を頭から信じろと言われても、ラディムの心の奥深いところで、否定しようとする気持ちが渦巻く。
(今、無理に飲み込もうとしなくてもいいよ。徐々に、分かり合いましょう?)
「そうだ、な……」
優里菜の言葉にラディムは首肯した。だが胸中では、本当に分かり合えるのだろうかという不安がうごめいていた。
その夜――。
優里菜の人格は完全に眠りについていた。一人、ラディムは考える。
(優里菜からは徐々に分かり合おうといわれたが、今までの母上のことを思うと……)
今の母の支えは、夫カレル・プリンツの唯一の忘れ形見、ラディムだ。そのラディムが、母の憎む精霊教に肯定的な態度を取れば、いったいどうなるだろうか。
母の心は、完全に折れてしまうのではないか?
(私は母上を裏切ることはできない。精霊教を認めることができない)
発狂する母を、見たくはなかった。
(ギーゼブレヒト家の人間として、帝国臣民の上に立つものとして、精霊を認めるわけにはいかないのだ)
ベルナルドやミュニホフの市民の前でも宣言をしたばかりだ。精霊教をこの世界からなくし、世界の崩壊を防ぐ、と。
帝国臣民はみな、精霊が世界を崩壊させると信じている。そこにラディムが、実際は違うと言い出したところで、ただ乱心したと思われるのが関の山。最悪、辺境伯家の血筋という事実から、フェイシア王国のスパイだと糾弾もされかねない。
(このまま、優里菜の話に耳を傾け続けてもいいのだろうか……)
ラディムは、このままでは身の破滅を招きそうな予感がした。
(私は私で、今までコツコツと積み重ねてきた人生がある。私自身の思いに従って、行動すべきではないのか?)
ラディムの人格としては、やはり素直に精霊教を肯定できない。積み上げられてきた経験、知識、そのどれもが、世界再生教を善とし、精霊教を悪とするものだった。今までのラディムの全否定になる。
(二か月で、優里菜と人格がまじりあうと言っていた。それまでに、優里菜を説得して世界再生教の教義に納得してもらうべきではないか?)
ラディムが折れるのではなく、優里菜が世界再生教側に歩み寄る方がよいのではないか、と思い始めていた。
それですべては今までどおりだ、丸く収まる。帝国の人間として、ギーゼブレヒト家の一員として今後も生きていくためには、それ以外ないのではないか。
優里菜の記憶の知識自体は有益だ。ラディムの知らない貴重なものがたくさんあった。なので、優里菜の人格を全否定するのも、それはそれで損だ。うまく優里菜を乗せて、誘導すべきだ。
(宗教は大きな問題だ。このまま優里菜と意見を異にしたままで、果たして私は優里菜とうまく一つになれるのか?)
人格を形成する上で大きな影響を与え得るであろう宗教心の部分で、お互いに反目しあっていては、とても人格の統合など果たされるとは思えなかった。
であるならば、ラディムの臨む形で人格統合をなすためにも、当面は優里菜の説得にも力を裂かねばならないと、ラディムは心に刻んだ。
(まぁ、何はともあれ、まずは明日の母上との話し合いだな)
ラディムは一つ大きく深呼吸をし、ベッドにもぐりこんだ。
これまでのやり取りで、ラディムが感じた優里菜の性格。精神面が不安定な母にそのまま相対させるのは、正直不安だった。
優里菜は少し、自由奔放なきらいがあるとラディムは見ていた。不用意な発言が飛び出しかねない。
(あー、ラディム君。そんなにかしこまらなくてもいいよ。確かに私はあなたの母だけれど、歳も近いんだし、もっと砕けて話してほしいかな)
ラディムがずっと他人行儀な喋り方をしていたのが、優里菜の気に障ったのだろうか。
「じゃあ、優里菜、でいいか?」
ラディムとしてもそれほど抵抗のある提案ではなかったので、素直に応じた。
(うん、それでオッケー)
少しうれしげな声を優里菜はあげる。
「で、明日なんだが、私が母上と話している間、割り込んで表にでしゃばるような真似はしないでほしい」
言い含めるように、ラディムは少し強めの声を上げた。
(別に、そんなつもりはもともとないよ?)
少し不満げに優里菜は答える。
「それならばよいのだが……。間違っても精霊を肯定するような言動を、母上の前でするわけにはいかなくてな」
母に激昂されて話がこじれると困る。
(それほど、あなたのお母さんは精霊を憎んでいるの?)
少し困ったように優里菜は尋ねた。
「亡くなった夫の敵とすら思っている。下手に藪をつつくと、まぁとんでもないことになるよ」
(くれぐれも気を付けるわ……)
優里菜は「怖い怖い」と、声を震わせる。
(私、前の世界の記憶があるから、どうしても精霊に否定的な立場はとれないんだよね。あなたのシステム上の父だったカレルなんて、世界一の精霊使いとまで呼ばれた人だったから、余計に、ね)
少し懐かしさと愛しさを含ませた声で、優里菜はつぶやいた。
わざわざ自らの転生素体の父に選んだ男だ。優里菜はそのカレル・プリンツという男に恋い焦がれていたのだろう、とラディムは思った。
「しかし、優里菜やヴァーツラフが精霊を善と考えている点が、私にはいまだに信じられない。まったく逆の話を、幼いころから延々と聞かされてきたからな」
ラディムはため息を漏らす。
ザハリアーシュら教育係から散々教えられてきた邪教としての精霊教。帝国としても精霊教の排除に掛かっている。優里菜の話を頭から信じろと言われても、ラディムの心の奥深いところで、否定しようとする気持ちが渦巻く。
(今、無理に飲み込もうとしなくてもいいよ。徐々に、分かり合いましょう?)
「そうだ、な……」
優里菜の言葉にラディムは首肯した。だが胸中では、本当に分かり合えるのだろうかという不安がうごめいていた。
その夜――。
優里菜の人格は完全に眠りについていた。一人、ラディムは考える。
(優里菜からは徐々に分かり合おうといわれたが、今までの母上のことを思うと……)
今の母の支えは、夫カレル・プリンツの唯一の忘れ形見、ラディムだ。そのラディムが、母の憎む精霊教に肯定的な態度を取れば、いったいどうなるだろうか。
母の心は、完全に折れてしまうのではないか?
(私は母上を裏切ることはできない。精霊教を認めることができない)
発狂する母を、見たくはなかった。
(ギーゼブレヒト家の人間として、帝国臣民の上に立つものとして、精霊を認めるわけにはいかないのだ)
ベルナルドやミュニホフの市民の前でも宣言をしたばかりだ。精霊教をこの世界からなくし、世界の崩壊を防ぐ、と。
帝国臣民はみな、精霊が世界を崩壊させると信じている。そこにラディムが、実際は違うと言い出したところで、ただ乱心したと思われるのが関の山。最悪、辺境伯家の血筋という事実から、フェイシア王国のスパイだと糾弾もされかねない。
(このまま、優里菜の話に耳を傾け続けてもいいのだろうか……)
ラディムは、このままでは身の破滅を招きそうな予感がした。
(私は私で、今までコツコツと積み重ねてきた人生がある。私自身の思いに従って、行動すべきではないのか?)
ラディムの人格としては、やはり素直に精霊教を肯定できない。積み上げられてきた経験、知識、そのどれもが、世界再生教を善とし、精霊教を悪とするものだった。今までのラディムの全否定になる。
(二か月で、優里菜と人格がまじりあうと言っていた。それまでに、優里菜を説得して世界再生教の教義に納得してもらうべきではないか?)
ラディムが折れるのではなく、優里菜が世界再生教側に歩み寄る方がよいのではないか、と思い始めていた。
それですべては今までどおりだ、丸く収まる。帝国の人間として、ギーゼブレヒト家の一員として今後も生きていくためには、それ以外ないのではないか。
優里菜の記憶の知識自体は有益だ。ラディムの知らない貴重なものがたくさんあった。なので、優里菜の人格を全否定するのも、それはそれで損だ。うまく優里菜を乗せて、誘導すべきだ。
(宗教は大きな問題だ。このまま優里菜と意見を異にしたままで、果たして私は優里菜とうまく一つになれるのか?)
人格を形成する上で大きな影響を与え得るであろう宗教心の部分で、お互いに反目しあっていては、とても人格の統合など果たされるとは思えなかった。
であるならば、ラディムの臨む形で人格統合をなすためにも、当面は優里菜の説得にも力を裂かねばならないと、ラディムは心に刻んだ。
(まぁ、何はともあれ、まずは明日の母上との話し合いだな)
ラディムは一つ大きく深呼吸をし、ベッドにもぐりこんだ。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる