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第七章 封じられた記憶
8 母上に相談をせねば
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翌日、ラディムは母の私室を訪ねた。
皇族の私室は宮殿の二階に設けられている。だが、母の私室だけは宮殿の離れの一角にあった。母にはかわいそうな話だが、急に錯乱されても大変だとの配慮からだと、ザハリアーシュからは聞いていた。
事前に母付きの侍女に訪問を告げておいたので、ラディムは離れに着くやすぐに母の私室内へと案内された。
「母上、突然の訪問申し訳ありません」
ラディムは深々と一礼した。
「何を言っているの、ラディム。あなたは私の息子、いつだって歓迎いたします」
母は両手を広げ、にこやかに笑って迎え入れた。
母の私室まで来るのは、実に何年ぶりだろうか。大抵の要件は食事で顔を合わせた際に済ませてしまうので、私室でゆっくり、といった機会がなかった。
ラディム自身、母のことを愛してはいたが、どこか腫れ物に触れるような扱いをしていた部分も、ないとは言えなかった。
「それで、今日はわざわざどうしたのかしら?」
声に少しだけ棘が含まれているように感じられたのは、ラディムの気のせいだろうか。
ここ最近は、準成人の儀の準備などもあり、食事の時でさえあまり会話をしていなかった。ラディムに放置され気味だった点を、怒っているのかもしれない。
「実は……、私の父上のことを聞きたいのです」
母の眉がぴくっと動いた。ラディムの心臓が早鐘を打つ。
周囲の空気が凍り付いた気がした。やはり、父の話も地雷だったのだろうか。
「……聞いて、どうするのかしら? ラディム」
母は冷ややかな声を上げた。
ラディムは背筋が凍るように感じる。先を続けてよいものかと、わずかに躊躇する。
「……私は、自分の出生の真実が知りたいのです。私の父は、確かにカレル・プリンツ前辺境伯なんですよね?」
ラディムは意を決し、母の瞳を直視しながら問うた。
「ザハリアーシュから講義を受けたのでしょう? 何の疑問があるのです」
母は相変わらず笑顔を浮かべている。だが、どこか寒々しさを感じる。
「それは……。本当に私の父が前辺境伯なのか、知りたく――」
「何をバカなことを言っているんですか! ラディム!!」
ラディムが核心を訪ねようとしたところで、母の怒鳴り声にさえぎられた。
ラディムは母の態度の急変に目を丸くした。
「は、母上……」
父の話題も地雷だろうと薄々は覚悟していたが、いざこうして血相を変えた母の顔を見ると、ラディムはいたたまれない気分になる。
「どこの誰です! 私のかわいいラディムに変な話を吹き込んだのは!」
母はますます激昂していった。
「ち、違うのです、母上」
母はラディムが誰かにそそのかされているのではないかと、勘違いしているようだ。
ラディムは別に、他人にそそのかされたわけではない。頭の中の優里菜は、ほかの誰でもなく、ある意味ではラディム自身ともいえる存在だ。
今ここで、母に犯人捜しをされては大変だ。魔女狩りのような悲惨な結果になりかねない。犯人などは存在しないのだから。
「何が違うのです! いいから、さっさとしゃべりなさい! 誰なんですか!」
「だ、だから違うのです母上! 私が、夢で見たのです」
今、優里菜の人格の話をしても、冷静でない母には通じないだろう。ラディムはとっさに夢だと弁明した。
「……夢?」
暴れ出そうとしていた母の動きが、ぴたりと止まった。
「はい……。夢の中で不思議な少女が私に言うのです。父の名は『カレル・プリンツ』だと」
どうやら聞く耳を持ってくれそうな母に、ラディムは安堵した。流されて、あのまま周りの物を壊し始めでもされたら、とても困るところだった。
優里菜の件については、少女とぼかして説明した。母と同じ名前だ、そのまま名を出してしまうと、余計な疑念を持たれかねない。
「ええ、あなたの実のお父様は、『カレル・プリンツ前辺境伯』よ。あなたはあの人の大事な忘れ形見……」
母はいとおし気にラディムを見つめる。
いつもこうした優し気な顔を浮かべていてくれれば、本当に素敵な母なのだが。
「……違うのです。その少女が言うには、同じ名前の全くの別人なのです」
「……続けなさい」
母がごくりとつばを飲み込む音が響く。ラディムへ向ける視線が、再び鋭くなった。
「彼女の言うカレル・プリンツは…………精霊使いなのです」
母はその場で卒倒し、椅子から転げ落ちた。
「は、母上!」
ラディムは慌てて椅子から立ち上がって駆け寄り、母を抱き起そうとする。
「ユリナ様! いかがなされましたか!」
母の悲鳴を聞きつけ、部屋の外で控えていた傍付きの侍女が、血相を変えて飛び込んできた。侍女は横目でラディムを恨めしそうに睨みつけている。余計な仕事を増やして、といった抗議の目だ。
「あ、ああ。大丈夫です。問題ありません」
侍女が母の肩を抱えて起き上がらせようとすると、母は片手で制し自分で椅子に座りなおした。
「しかし……」
戸惑い気味に侍女は母の姿を見つめる。
「私はまだ、ラディムに話があります。もうしばらく下がっていなさい」
侍女はしぶしぶといった表情を浮かべながら、部屋の外へと出て行った。
「ラディム……。それは、幻聴です。あなたのお父様が、憎き精霊使いのはずがありません」
咳ばらいを一つして、母はラディムに告げた。きっぱりと、断定口調で。
「しかし、夢の中の少女の話は、やけに具体的で――」
「だから! 幻聴だって言っているでしょう! 忘れなさい!」
ラディムが夢の話を蒸し返そうとすると、またも母は声を張り上げた。
「は、母上……」
先ほど卒倒した母を見たため、ラディムは慌てて口をつぐんだ。
「……ラディム、あなたは疲れているのです。準成人の儀を終えたばかりなのだから当然です。明日、もう一度ここに来なさい。疲労に効く良い薬を用意しておきますから」
母は立ち上がり、ラディムの肩をポンっと軽くたたいた。
「ですが、母上……」
「いいから! 今日はもう下がりなさい!」
ラディムはなおも食い下がろうとしたが、母付きの侍女に止められた。
皇族の私室は宮殿の二階に設けられている。だが、母の私室だけは宮殿の離れの一角にあった。母にはかわいそうな話だが、急に錯乱されても大変だとの配慮からだと、ザハリアーシュからは聞いていた。
事前に母付きの侍女に訪問を告げておいたので、ラディムは離れに着くやすぐに母の私室内へと案内された。
「母上、突然の訪問申し訳ありません」
ラディムは深々と一礼した。
「何を言っているの、ラディム。あなたは私の息子、いつだって歓迎いたします」
母は両手を広げ、にこやかに笑って迎え入れた。
母の私室まで来るのは、実に何年ぶりだろうか。大抵の要件は食事で顔を合わせた際に済ませてしまうので、私室でゆっくり、といった機会がなかった。
ラディム自身、母のことを愛してはいたが、どこか腫れ物に触れるような扱いをしていた部分も、ないとは言えなかった。
「それで、今日はわざわざどうしたのかしら?」
声に少しだけ棘が含まれているように感じられたのは、ラディムの気のせいだろうか。
ここ最近は、準成人の儀の準備などもあり、食事の時でさえあまり会話をしていなかった。ラディムに放置され気味だった点を、怒っているのかもしれない。
「実は……、私の父上のことを聞きたいのです」
母の眉がぴくっと動いた。ラディムの心臓が早鐘を打つ。
周囲の空気が凍り付いた気がした。やはり、父の話も地雷だったのだろうか。
「……聞いて、どうするのかしら? ラディム」
母は冷ややかな声を上げた。
ラディムは背筋が凍るように感じる。先を続けてよいものかと、わずかに躊躇する。
「……私は、自分の出生の真実が知りたいのです。私の父は、確かにカレル・プリンツ前辺境伯なんですよね?」
ラディムは意を決し、母の瞳を直視しながら問うた。
「ザハリアーシュから講義を受けたのでしょう? 何の疑問があるのです」
母は相変わらず笑顔を浮かべている。だが、どこか寒々しさを感じる。
「それは……。本当に私の父が前辺境伯なのか、知りたく――」
「何をバカなことを言っているんですか! ラディム!!」
ラディムが核心を訪ねようとしたところで、母の怒鳴り声にさえぎられた。
ラディムは母の態度の急変に目を丸くした。
「は、母上……」
父の話題も地雷だろうと薄々は覚悟していたが、いざこうして血相を変えた母の顔を見ると、ラディムはいたたまれない気分になる。
「どこの誰です! 私のかわいいラディムに変な話を吹き込んだのは!」
母はますます激昂していった。
「ち、違うのです、母上」
母はラディムが誰かにそそのかされているのではないかと、勘違いしているようだ。
ラディムは別に、他人にそそのかされたわけではない。頭の中の優里菜は、ほかの誰でもなく、ある意味ではラディム自身ともいえる存在だ。
今ここで、母に犯人捜しをされては大変だ。魔女狩りのような悲惨な結果になりかねない。犯人などは存在しないのだから。
「何が違うのです! いいから、さっさとしゃべりなさい! 誰なんですか!」
「だ、だから違うのです母上! 私が、夢で見たのです」
今、優里菜の人格の話をしても、冷静でない母には通じないだろう。ラディムはとっさに夢だと弁明した。
「……夢?」
暴れ出そうとしていた母の動きが、ぴたりと止まった。
「はい……。夢の中で不思議な少女が私に言うのです。父の名は『カレル・プリンツ』だと」
どうやら聞く耳を持ってくれそうな母に、ラディムは安堵した。流されて、あのまま周りの物を壊し始めでもされたら、とても困るところだった。
優里菜の件については、少女とぼかして説明した。母と同じ名前だ、そのまま名を出してしまうと、余計な疑念を持たれかねない。
「ええ、あなたの実のお父様は、『カレル・プリンツ前辺境伯』よ。あなたはあの人の大事な忘れ形見……」
母はいとおし気にラディムを見つめる。
いつもこうした優し気な顔を浮かべていてくれれば、本当に素敵な母なのだが。
「……違うのです。その少女が言うには、同じ名前の全くの別人なのです」
「……続けなさい」
母がごくりとつばを飲み込む音が響く。ラディムへ向ける視線が、再び鋭くなった。
「彼女の言うカレル・プリンツは…………精霊使いなのです」
母はその場で卒倒し、椅子から転げ落ちた。
「は、母上!」
ラディムは慌てて椅子から立ち上がって駆け寄り、母を抱き起そうとする。
「ユリナ様! いかがなされましたか!」
母の悲鳴を聞きつけ、部屋の外で控えていた傍付きの侍女が、血相を変えて飛び込んできた。侍女は横目でラディムを恨めしそうに睨みつけている。余計な仕事を増やして、といった抗議の目だ。
「あ、ああ。大丈夫です。問題ありません」
侍女が母の肩を抱えて起き上がらせようとすると、母は片手で制し自分で椅子に座りなおした。
「しかし……」
戸惑い気味に侍女は母の姿を見つめる。
「私はまだ、ラディムに話があります。もうしばらく下がっていなさい」
侍女はしぶしぶといった表情を浮かべながら、部屋の外へと出て行った。
「ラディム……。それは、幻聴です。あなたのお父様が、憎き精霊使いのはずがありません」
咳ばらいを一つして、母はラディムに告げた。きっぱりと、断定口調で。
「しかし、夢の中の少女の話は、やけに具体的で――」
「だから! 幻聴だって言っているでしょう! 忘れなさい!」
ラディムが夢の話を蒸し返そうとすると、またも母は声を張り上げた。
「は、母上……」
先ほど卒倒した母を見たため、ラディムは慌てて口をつぐんだ。
「……ラディム、あなたは疲れているのです。準成人の儀を終えたばかりなのだから当然です。明日、もう一度ここに来なさい。疲労に効く良い薬を用意しておきますから」
母は立ち上がり、ラディムの肩をポンっと軽くたたいた。
「ですが、母上……」
「いいから! 今日はもう下がりなさい!」
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