85 / 272
第八章 皇帝親征
9 ここが辺境伯領か
しおりを挟む
魔獣を討伐したのちは、順調な行軍が続いた。
辺境伯領に入ったが、領軍の姿はまだ見えない。戦力差を考慮して、領都オーミュッツに立てこもる作戦を取ったのだろうか。そのまま何ごともなく、日が暮れる前には国境の街にたどり着いた。
街を預かる代官は、抵抗することなく帝国軍の首脳陣を街に入れた。無血開城だ。あらかじめ、辺境伯から抵抗をしなくてもよいと言われていたのだろう。戦うそぶりは一切見せなかった。
代官の詰める役所で降伏文書の調印を済ませると、騎士団に街の外へ陣を張るようベルナルドは指示し、そのまま数名の副官とラディムを連れて街の様子の確認に出た。
ラディムは街のメインストリートに立ち、周囲を見回した。もうじき夕食時を迎えるとあって、買い物客でにぎわっている。帝国軍が街のすぐ外で陣を張っているにもかかわらず、街の人たちの生活は平穏そのものに見えた。
「戦争中の、しかも敵国に占領中の街とは思えない……」
「確かに、ラディムの言うとおりだな。どういったわけだ?」
誰に聞かせるともなく漏らしたラディムの言葉に、ベルナルドが頷いた。
邪教の支配する街にはとても見えない。さすがに戦争中とあって、不安げな顔を浮かべている者も多いが、表面上はいたってのどかな田舎町の風景だった。
「ラディム、私たちは先に宿に戻るが、お前はどうする?」
ラディムはもう少し街の様子を知りたかったので、ベルナルドに別行動をとると伝えた。
「お前の実力ならめったなことにはならないだろうが、くれぐれも気をつけろ。では先に宿に行っている」
ベルナルドは副官を引き連れて、今日確保した宿へと向かった。ラディムはその姿を見送ると、再びメイン通りの露店へ目を向ける。
(帝国の臣民と何ら変わらないように見える。皆、邪教の信者のはずなのに……)
「よっ、お坊ちゃん! 見かけない顔だね。どうだい、一つ買っていかないか?」
街の様子に戸惑いながらぼんやりと歩いていると、ふいに声をかけられた。
声は傍の露店主からだった。トゥルデニークと呼ばれるお菓子の屋台だ。
トゥルデニークは、薄く伸ばした小麦粉の生地を筒に巻いて焼き上げた、中空の棒状のお菓子だ。ここの露店のものは、表面上にナッツと粉砂糖をまぶしてある。大陸中央の伝統的菓子で、ラディムも好物だった。
「いい匂いだ……。うん、一つもらおうか」
「まいどありっ!」
店主からトゥルデニークを受け取ると、ラディムは大口を開けてひとくちほおばった。ナッツの歯ごたえがたまらなく心地よい。粉砂糖の甘い香りも口いっぱいに広がり、思わずラディムは頬を緩めた。
「あんた、もしかして、外の帝国軍の人間かい?」
訝しげな顔を浮かべ店主が尋ねた。
ラディムはどう答えようか迷った。正直に話して騒ぎになるのも不本意だ。だが、今この街にいるよそ者など、帝国軍関係者以外はあり得ないだろう。
「ああ、そんなに身構えなくてもいいよ。別に取って食おうってわけじゃない」
少し大げさにぶんぶんと店主は両手を振った。
「あんたたちが退治してくれたんだってな? 国境の魔獣を」
「そうだが、なぜ知っているんだ?」
店主はニッと笑いかけてくるが、疑問に思ったラディムは首をひねった。
魔獣退治の場面を辺境伯領の領兵に見られていたのだろうか。ラディムはあの場で、帝国軍以外の気配には気づかなかったが。
「そりゃ知っているさ。ここ二年ばかり、あの魔獣のせいでこの街は大分ひどい目にあわされてきたからなぁ。で、常に警戒をしていたわけだよ、国境の森を」
店主の話では、街の警備兵が国境周辺まで定期的に巡回に行っていたらしい。
「で、先日も魔獣の出没の報を聞いた警備兵が現場に駆けつけてみれば、帝国軍が魔獣にとどめを刺すところだったっていうじゃないか」
やはり現場を見られていた。傍まで来ていたのが少数の警備兵のみだったのだろう、ラディムは存在に気がつかなかった。
「我が領軍でも敵わなかったあの魔獣を倒しちまうなんて、帝国軍はすげえなって話になっててな」
敵国の軍隊なのに、なぜだか褒めちぎる店主。意味が分からず、ラディムは怪訝な顔をした。
「しかも、その帝国軍の中には、あのカレル様の忘れ形見がいらっしゃるっていうじゃないか。オレたち街のもんは、みな興奮しっぱなしさ」
思いがけない方向に話が進み始め、ラディムはぎょっとした。
店主の話すカレルの忘れ形見、どう考えてもラディムのことだ。いったいなぜ、そんな話が出回っているのだろうか。
(辺境伯家が流したのか? だが、どんな理由で?)
辺境伯家としては、身内が帝国の皇族になっていては外聞が悪いのではないだろうか。そもそも、この件は前辺境伯の妻とその子供に帝国へ逃げられたという、辺境伯家の醜聞だ。大っぴらに宣伝して回る代物ではないとラディムは思う。理解が追い付かず、ラディムは頭を抱えた。
「精霊教の司祭様のおっしゃるとおり、抵抗しなければ帝国軍は何もしてこなかったし、これも精霊王様のお導きの通りだ」
ラディムの様子に気づかず、店主はべらべらと一人でしゃべり続けている。平常心を失ったラディムは、それ以後の店主の話が全く耳に入っていなかった。
辺境伯領に入ったが、領軍の姿はまだ見えない。戦力差を考慮して、領都オーミュッツに立てこもる作戦を取ったのだろうか。そのまま何ごともなく、日が暮れる前には国境の街にたどり着いた。
街を預かる代官は、抵抗することなく帝国軍の首脳陣を街に入れた。無血開城だ。あらかじめ、辺境伯から抵抗をしなくてもよいと言われていたのだろう。戦うそぶりは一切見せなかった。
代官の詰める役所で降伏文書の調印を済ませると、騎士団に街の外へ陣を張るようベルナルドは指示し、そのまま数名の副官とラディムを連れて街の様子の確認に出た。
ラディムは街のメインストリートに立ち、周囲を見回した。もうじき夕食時を迎えるとあって、買い物客でにぎわっている。帝国軍が街のすぐ外で陣を張っているにもかかわらず、街の人たちの生活は平穏そのものに見えた。
「戦争中の、しかも敵国に占領中の街とは思えない……」
「確かに、ラディムの言うとおりだな。どういったわけだ?」
誰に聞かせるともなく漏らしたラディムの言葉に、ベルナルドが頷いた。
邪教の支配する街にはとても見えない。さすがに戦争中とあって、不安げな顔を浮かべている者も多いが、表面上はいたってのどかな田舎町の風景だった。
「ラディム、私たちは先に宿に戻るが、お前はどうする?」
ラディムはもう少し街の様子を知りたかったので、ベルナルドに別行動をとると伝えた。
「お前の実力ならめったなことにはならないだろうが、くれぐれも気をつけろ。では先に宿に行っている」
ベルナルドは副官を引き連れて、今日確保した宿へと向かった。ラディムはその姿を見送ると、再びメイン通りの露店へ目を向ける。
(帝国の臣民と何ら変わらないように見える。皆、邪教の信者のはずなのに……)
「よっ、お坊ちゃん! 見かけない顔だね。どうだい、一つ買っていかないか?」
街の様子に戸惑いながらぼんやりと歩いていると、ふいに声をかけられた。
声は傍の露店主からだった。トゥルデニークと呼ばれるお菓子の屋台だ。
トゥルデニークは、薄く伸ばした小麦粉の生地を筒に巻いて焼き上げた、中空の棒状のお菓子だ。ここの露店のものは、表面上にナッツと粉砂糖をまぶしてある。大陸中央の伝統的菓子で、ラディムも好物だった。
「いい匂いだ……。うん、一つもらおうか」
「まいどありっ!」
店主からトゥルデニークを受け取ると、ラディムは大口を開けてひとくちほおばった。ナッツの歯ごたえがたまらなく心地よい。粉砂糖の甘い香りも口いっぱいに広がり、思わずラディムは頬を緩めた。
「あんた、もしかして、外の帝国軍の人間かい?」
訝しげな顔を浮かべ店主が尋ねた。
ラディムはどう答えようか迷った。正直に話して騒ぎになるのも不本意だ。だが、今この街にいるよそ者など、帝国軍関係者以外はあり得ないだろう。
「ああ、そんなに身構えなくてもいいよ。別に取って食おうってわけじゃない」
少し大げさにぶんぶんと店主は両手を振った。
「あんたたちが退治してくれたんだってな? 国境の魔獣を」
「そうだが、なぜ知っているんだ?」
店主はニッと笑いかけてくるが、疑問に思ったラディムは首をひねった。
魔獣退治の場面を辺境伯領の領兵に見られていたのだろうか。ラディムはあの場で、帝国軍以外の気配には気づかなかったが。
「そりゃ知っているさ。ここ二年ばかり、あの魔獣のせいでこの街は大分ひどい目にあわされてきたからなぁ。で、常に警戒をしていたわけだよ、国境の森を」
店主の話では、街の警備兵が国境周辺まで定期的に巡回に行っていたらしい。
「で、先日も魔獣の出没の報を聞いた警備兵が現場に駆けつけてみれば、帝国軍が魔獣にとどめを刺すところだったっていうじゃないか」
やはり現場を見られていた。傍まで来ていたのが少数の警備兵のみだったのだろう、ラディムは存在に気がつかなかった。
「我が領軍でも敵わなかったあの魔獣を倒しちまうなんて、帝国軍はすげえなって話になっててな」
敵国の軍隊なのに、なぜだか褒めちぎる店主。意味が分からず、ラディムは怪訝な顔をした。
「しかも、その帝国軍の中には、あのカレル様の忘れ形見がいらっしゃるっていうじゃないか。オレたち街のもんは、みな興奮しっぱなしさ」
思いがけない方向に話が進み始め、ラディムはぎょっとした。
店主の話すカレルの忘れ形見、どう考えてもラディムのことだ。いったいなぜ、そんな話が出回っているのだろうか。
(辺境伯家が流したのか? だが、どんな理由で?)
辺境伯家としては、身内が帝国の皇族になっていては外聞が悪いのではないだろうか。そもそも、この件は前辺境伯の妻とその子供に帝国へ逃げられたという、辺境伯家の醜聞だ。大っぴらに宣伝して回る代物ではないとラディムは思う。理解が追い付かず、ラディムは頭を抱えた。
「精霊教の司祭様のおっしゃるとおり、抵抗しなければ帝国軍は何もしてこなかったし、これも精霊王様のお導きの通りだ」
ラディムの様子に気づかず、店主はべらべらと一人でしゃべり続けている。平常心を失ったラディムは、それ以後の店主の話が全く耳に入っていなかった。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる