3 / 102
第一章《出会いと別れと悲嘆》
【三】
しおりを挟む
入塾式当日、いつもの、少し裾の擦り切れた着物を着ている紅子を見咎めた梅夜と桃李は、
「折角なんだから他の服着なさいよ!」
と口を揃えて言った。
経験上、ここで反論しても言いくるめられるのは分かりきっている。
返事をする間もなく梅夜と桃李の部屋に連れ込まれ、紅子は二人の着物を合わせる着せ替え人形と化した。
「──よし、できた」
梅夜が自分の箪笥から引っ張り出して着せた、梅が描かれた淡い桃色の着物は、可愛らしい顔立ちの紅子によく似合っていた。
梅夜は満足気に、紅子に巻いた紅色の帯を丁寧に結んでいく。
やっと終わった、と部屋を出ていこうとする紅子に、
「あら、まだ駄目よ。お化粧もちゃんとなさい」
と、五つ年上の桃李はにこりと微笑んだ。
「さっお紅ちゃん!いつもの倍可愛くしてあげるわ」
頬を引き攣らせる紅子に、桃李は紅筆を片手にニヤリと目を弓なりに細めた。
***
いつもよりも目元をくっきりとさせた紅子を前にして、滋宇は「おつかれ」と肩に手を置いた。
「あぁもう……別におめかしなんてしなくて良かったのに」
テカテカする唇を気にしながら紅子は頬を染めた。
「何言ってるの。そろそろ相手見つけなきゃでしょう」
「それは…………」
滋宇の指摘に紅子は言葉を詰まらせた。
結婚なんて、できないと思うけれど。
その言葉を喉に押し込める。
「さ、行きましょ」
そう言った滋宇の爪がいつもより整っている。
「そうね」
そう呟きながら、紅子は滋宇の爪からそっと目を逸らした。
この街では、塾というのは珍しくはないが通う者は多くはない。理由はたいてい御家のお手伝いが理由だ。農家の子たちは金不足というところも多い。
国の定めた学校は、紅子たちの暮らすところからだいぶ遠い。学校よりも塾のほうが身近な存在となっている。
「塾に、格好いい方いればいいけれど」
滋宇はそう言って紅子を振り向いた。
「お紅ちゃんは、どういう方がいいの?」
まいったな、と紅子は口元に笑みを浮かべながら思う。
そんな人を一度も考えたことがないと言えば嘘になる。だが、義父の監視下にあるこの状況では意中の相手と結ばれるのは難しい。
そんな紅子の考えをお見通しのように滋宇は眉をきつく寄せた。
「お紅ちゃん。本当に好きな人と両想いになれたら、相手の方からお声がかかるわよ。御館様だってきっと……喜ぶんじゃない?塾に通うだけのお金持ちなら、御館様のだぁい好きなお金ががっぽり手に入るんだもの」
大袈裟に手を大きく広げてみせる滋宇の仕草に、紅子は手を口元によせてクスクスと笑った。
「そうかも。ありがとう、滋宇」
笑顔になった紅子に、滋宇は優しい表情を返した。
その時、ドシャッと大きな音がした。
「……なにかしら」
二人が辺りを見回すと、大きな家の塀の近くに渋い緑の着物を着た男子が座り込んでいた。
辺りは砂埃がまっている。
何が起きた、と二人は目を合わせた。
「大丈夫ですか」
紅子が駆け寄ると、それに滋宇もつづいた。
「いてて……平気です。すみません、驚かせて」
「良ろしければ、これ」
そう言って木綿のハンカチをそっと差し出す。
「いや、汚れますし」
「安物ですので、お気になさらず」
紅子は「失礼します」と男子の前髪をさらりと流して泥を拭った。
「あ、やっぱり血が……ちょっと待ってください」
紅子は持っていた鞄から小さな箱を取りだした。
「それは?」
「救急箱です。滋宇……私の友人がよく怪我をするもので」
消毒液をハンカチに染み込ませて額を撫でる。
きゅっと目を瞑る彼の様子に、紅子はクスリと笑った。
「何があったんです」
紅子が心配そうに尋ねると、少年は恥ずかしそうに上を指した。
「猫が木から降りれなくなっていたので」
「まぁ」
と紅子が上を見ると、もう既に猫はいない。
「助けようとした時に、ヤツ、俺のこと踏み台にして降りていったんですよ」
少ししょげてみせる少年の話し方に、紅子は好感を覚えた。
面白いな、この人。
「それは、災難でしたね」
そう言いながらも、思わず笑いが込み上げてきてしまう。
「お紅ちゃん、遅れちゃう」
滋宇に指摘され、紅子は慌てて立ち上がった。
「ごめんなさい。私行かないと」
ジャリッと砂を踏み、滋宇のほうへと体を向ける。
「あの、これ──」
少年は紅子のハンカチを手にして声を上げた。
「差し上げます。要らなかったら、捨ててください」
紅子は肩越しに振り返って応える。
二人並んで塾へ向かう途中、紅子は滋宇との会話にあまり集中できなかった。
「名前、聞いておけばよかったわ」
ポツリと呟いた紅子に、滋宇は一瞬目を丸くしてニヤニヤとした。
「気になるの?」
「そんなんじゃないわよ。ただ……優しい方だなって。あと、話し方がいいなってだけよ」
ふーん、と滋宇は手を口元に当てた。
「案外、それが初恋になるかもね」
まさか、と紅子は笑って返しながら、紅子は首元を少し弛めた。
「折角なんだから他の服着なさいよ!」
と口を揃えて言った。
経験上、ここで反論しても言いくるめられるのは分かりきっている。
返事をする間もなく梅夜と桃李の部屋に連れ込まれ、紅子は二人の着物を合わせる着せ替え人形と化した。
「──よし、できた」
梅夜が自分の箪笥から引っ張り出して着せた、梅が描かれた淡い桃色の着物は、可愛らしい顔立ちの紅子によく似合っていた。
梅夜は満足気に、紅子に巻いた紅色の帯を丁寧に結んでいく。
やっと終わった、と部屋を出ていこうとする紅子に、
「あら、まだ駄目よ。お化粧もちゃんとなさい」
と、五つ年上の桃李はにこりと微笑んだ。
「さっお紅ちゃん!いつもの倍可愛くしてあげるわ」
頬を引き攣らせる紅子に、桃李は紅筆を片手にニヤリと目を弓なりに細めた。
***
いつもよりも目元をくっきりとさせた紅子を前にして、滋宇は「おつかれ」と肩に手を置いた。
「あぁもう……別におめかしなんてしなくて良かったのに」
テカテカする唇を気にしながら紅子は頬を染めた。
「何言ってるの。そろそろ相手見つけなきゃでしょう」
「それは…………」
滋宇の指摘に紅子は言葉を詰まらせた。
結婚なんて、できないと思うけれど。
その言葉を喉に押し込める。
「さ、行きましょ」
そう言った滋宇の爪がいつもより整っている。
「そうね」
そう呟きながら、紅子は滋宇の爪からそっと目を逸らした。
この街では、塾というのは珍しくはないが通う者は多くはない。理由はたいてい御家のお手伝いが理由だ。農家の子たちは金不足というところも多い。
国の定めた学校は、紅子たちの暮らすところからだいぶ遠い。学校よりも塾のほうが身近な存在となっている。
「塾に、格好いい方いればいいけれど」
滋宇はそう言って紅子を振り向いた。
「お紅ちゃんは、どういう方がいいの?」
まいったな、と紅子は口元に笑みを浮かべながら思う。
そんな人を一度も考えたことがないと言えば嘘になる。だが、義父の監視下にあるこの状況では意中の相手と結ばれるのは難しい。
そんな紅子の考えをお見通しのように滋宇は眉をきつく寄せた。
「お紅ちゃん。本当に好きな人と両想いになれたら、相手の方からお声がかかるわよ。御館様だってきっと……喜ぶんじゃない?塾に通うだけのお金持ちなら、御館様のだぁい好きなお金ががっぽり手に入るんだもの」
大袈裟に手を大きく広げてみせる滋宇の仕草に、紅子は手を口元によせてクスクスと笑った。
「そうかも。ありがとう、滋宇」
笑顔になった紅子に、滋宇は優しい表情を返した。
その時、ドシャッと大きな音がした。
「……なにかしら」
二人が辺りを見回すと、大きな家の塀の近くに渋い緑の着物を着た男子が座り込んでいた。
辺りは砂埃がまっている。
何が起きた、と二人は目を合わせた。
「大丈夫ですか」
紅子が駆け寄ると、それに滋宇もつづいた。
「いてて……平気です。すみません、驚かせて」
「良ろしければ、これ」
そう言って木綿のハンカチをそっと差し出す。
「いや、汚れますし」
「安物ですので、お気になさらず」
紅子は「失礼します」と男子の前髪をさらりと流して泥を拭った。
「あ、やっぱり血が……ちょっと待ってください」
紅子は持っていた鞄から小さな箱を取りだした。
「それは?」
「救急箱です。滋宇……私の友人がよく怪我をするもので」
消毒液をハンカチに染み込ませて額を撫でる。
きゅっと目を瞑る彼の様子に、紅子はクスリと笑った。
「何があったんです」
紅子が心配そうに尋ねると、少年は恥ずかしそうに上を指した。
「猫が木から降りれなくなっていたので」
「まぁ」
と紅子が上を見ると、もう既に猫はいない。
「助けようとした時に、ヤツ、俺のこと踏み台にして降りていったんですよ」
少ししょげてみせる少年の話し方に、紅子は好感を覚えた。
面白いな、この人。
「それは、災難でしたね」
そう言いながらも、思わず笑いが込み上げてきてしまう。
「お紅ちゃん、遅れちゃう」
滋宇に指摘され、紅子は慌てて立ち上がった。
「ごめんなさい。私行かないと」
ジャリッと砂を踏み、滋宇のほうへと体を向ける。
「あの、これ──」
少年は紅子のハンカチを手にして声を上げた。
「差し上げます。要らなかったら、捨ててください」
紅子は肩越しに振り返って応える。
二人並んで塾へ向かう途中、紅子は滋宇との会話にあまり集中できなかった。
「名前、聞いておけばよかったわ」
ポツリと呟いた紅子に、滋宇は一瞬目を丸くしてニヤニヤとした。
「気になるの?」
「そんなんじゃないわよ。ただ……優しい方だなって。あと、話し方がいいなってだけよ」
ふーん、と滋宇は手を口元に当てた。
「案外、それが初恋になるかもね」
まさか、と紅子は笑って返しながら、紅子は首元を少し弛めた。
0
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。
ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。
王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。
そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。
「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる