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第一章《出会いと別れと悲嘆》
【五】
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二人は何事も無かったかのようにして庭へと戻った。
庭から、陽茉と名乗った少女が笑顔で駆け寄ってきた。
「お紅ちゃん、もうそろそろ中へ入りましょ」
先程話していた女子たちが集団を作り、おしゃべりをしながら廊下を渡っていく。
それに、紅子と陽茉は続いた。
紅子はそっと手を見下ろした。
気味の悪い、自分の手を。
彼女の変わった能力。それは、植物に生気を与えるというもの。だが、それだけではない。人の怪我や病気の治療も出来てしまう、いわゆる治癒力を人に対して使える、というものだ。
本来人間はかすり傷などをつけても数日経てば治るだろう。だがそれを他の人間に意図的に施そうと思っても無理な話だ。まして、一瞬にして傷や病気を治すなんて無理な話だ。
だが、それがこの娘には出来てしまうのだ。
彼女の母の、そのまた母親である祖母の祖先から代々受け継がれてきているものらしい。
この能力は、勿論代償が伴う。
植物に生気を与えるのは、実は能力を使った本人の体力を奪うだけだ。だが、治癒ともなると。
「皆さん、こんにちは」
教室に入ってきた男性の声にはっとする。
丸い黒縁の眼鏡をかけた、温和そうな人だ。
「こんにちは」
皆口々に挨拶を返す。
「ここは所謂、書物の読み書きや、十露盤を教えたりします。ここでは、男尊女卑は無しです。よろしいですね」
「はい」
皆の返事に、先生はにこりと笑って頷いた。
「ここでは男女平等に教えていますが、ほかの塾ではそうはいかないでしょう。おそらく寺子屋でも女子の皆さんは少ないかと思われます。理由は経済的なもの、というのは勿論ありますが、女性が教育を受けるということが疑問視されているからなのです。何故、私の塾では女子大歓迎、というようなことを申し上げたのかと言いますと、私の姉が、学びたい、と言ったことが主な理由なのです。私の家は裕福な方でした。ですが、父親は伝統を重んじる、言ってしまえば、世間体を気にする人でした。そのため、姉が勉強をしたいと言うと、猛反対したのです。結局、姉は勉強を許されずに嫁に出されてしまいました。そこで、私は思ったのです。姉のような娘もいるのではないか、と。それが、この塾を開いたきっかけです。どうか皆さん、存分に学んでくださいね」
温かく、ふわふわとした喋り方なのに、どこか信念を持っているような、そんな威圧にも似た空気を感じさせた。
「では皆さん、一人一人の知識量を確認致しますので、紙と墨をご用意ください。分からないものは空白で構いません」
先生の指示に従って、言われたことをこなしていく。
「──以上で、調査は終わりとします。ご協力ありがとうございました。明日の十三時にまたお集まりください」
礼をして、先生が教室を出ると、皆思い思いに立ち上がり帰り始めた。
「お紅ちゃん、帰りましょ」
滋宇が鞄を肩にかけて紅子の正面に立っていた。
「ええ」
と、紅子が立ち上がろうとすると、
「あ、紅子ちゃん」
と昭平が声をかけた。
紅子が視線だけを寄越すと、
「また明日」
と彼は笑いかけた。
「……ええ」
紅子はぎこちない笑みを返して、そそくさと教室を出た。
「……どうかしたの?」
帰路を辿っている途中、滋宇は髪の毛を弄りながら話しかけた。
「え、何が?」
「とぼけなくっていいのに。えーと……さっきの男の子と、何かあったんでしょ」
滋宇の指摘に、紅子は思わず足を止めた。
俯いて表情を曇らせる紅子に、「いいのよ」と滋宇は苦笑した。
「別に無理して言う必要なんてないのよ。話したかったら話せばいいってだけなんだから」
「滋宇…………」
親友の気遣いに、胸が熱くなった。
「うん。……少し落ち着いたら、話すね」
「気長に待つわ」
くすっと二人は笑い合い、肩を並べて宿屋の戸をカラカラと開け、中へ入っていった。
***
その日の夜、本邸では、七兵衛とその他の男が数人部屋で晩酌をしていた。
「やっぱり、酒はこの地のやつがうめぇなぁ」
一人の男が、お猪口をくっと上げてくぅと息を吐く。
「いやいや、そちらの地のものも美味いでしょうに」
七兵衛ははっはっと笑って、自身の空いた猪口に酒を注ぐ。
「それよか、七兵衛さんは婿をとるのか?それとも、嫁がせるのか?」
「一人は嫁がせて、一人は婿入りさせるさ」
とくとくと何杯目かの酒を注ぎながら七兵衛は唇を歪に曲げた。
「ああ、例の。器量の良うない言ってた先妻の子か」
「可愛い子は手元にってか。なかなか嫌な奴だねぇ」
そう言った男もニヤニヤとしている。
「後妻との子、俺の息子の嫁にしねぇかい」
「駄目駄目。アイツはなかなか上物なんだから、そこいらの奴にはやれねぇよ」
七兵衛は機嫌よく笑い、猪口に残った僅かな量の酒をくっと飲み干した。
星が雲に隠れ、いつもよりも暗い夜だった。
庭から、陽茉と名乗った少女が笑顔で駆け寄ってきた。
「お紅ちゃん、もうそろそろ中へ入りましょ」
先程話していた女子たちが集団を作り、おしゃべりをしながら廊下を渡っていく。
それに、紅子と陽茉は続いた。
紅子はそっと手を見下ろした。
気味の悪い、自分の手を。
彼女の変わった能力。それは、植物に生気を与えるというもの。だが、それだけではない。人の怪我や病気の治療も出来てしまう、いわゆる治癒力を人に対して使える、というものだ。
本来人間はかすり傷などをつけても数日経てば治るだろう。だがそれを他の人間に意図的に施そうと思っても無理な話だ。まして、一瞬にして傷や病気を治すなんて無理な話だ。
だが、それがこの娘には出来てしまうのだ。
彼女の母の、そのまた母親である祖母の祖先から代々受け継がれてきているものらしい。
この能力は、勿論代償が伴う。
植物に生気を与えるのは、実は能力を使った本人の体力を奪うだけだ。だが、治癒ともなると。
「皆さん、こんにちは」
教室に入ってきた男性の声にはっとする。
丸い黒縁の眼鏡をかけた、温和そうな人だ。
「こんにちは」
皆口々に挨拶を返す。
「ここは所謂、書物の読み書きや、十露盤を教えたりします。ここでは、男尊女卑は無しです。よろしいですね」
「はい」
皆の返事に、先生はにこりと笑って頷いた。
「ここでは男女平等に教えていますが、ほかの塾ではそうはいかないでしょう。おそらく寺子屋でも女子の皆さんは少ないかと思われます。理由は経済的なもの、というのは勿論ありますが、女性が教育を受けるということが疑問視されているからなのです。何故、私の塾では女子大歓迎、というようなことを申し上げたのかと言いますと、私の姉が、学びたい、と言ったことが主な理由なのです。私の家は裕福な方でした。ですが、父親は伝統を重んじる、言ってしまえば、世間体を気にする人でした。そのため、姉が勉強をしたいと言うと、猛反対したのです。結局、姉は勉強を許されずに嫁に出されてしまいました。そこで、私は思ったのです。姉のような娘もいるのではないか、と。それが、この塾を開いたきっかけです。どうか皆さん、存分に学んでくださいね」
温かく、ふわふわとした喋り方なのに、どこか信念を持っているような、そんな威圧にも似た空気を感じさせた。
「では皆さん、一人一人の知識量を確認致しますので、紙と墨をご用意ください。分からないものは空白で構いません」
先生の指示に従って、言われたことをこなしていく。
「──以上で、調査は終わりとします。ご協力ありがとうございました。明日の十三時にまたお集まりください」
礼をして、先生が教室を出ると、皆思い思いに立ち上がり帰り始めた。
「お紅ちゃん、帰りましょ」
滋宇が鞄を肩にかけて紅子の正面に立っていた。
「ええ」
と、紅子が立ち上がろうとすると、
「あ、紅子ちゃん」
と昭平が声をかけた。
紅子が視線だけを寄越すと、
「また明日」
と彼は笑いかけた。
「……ええ」
紅子はぎこちない笑みを返して、そそくさと教室を出た。
「……どうかしたの?」
帰路を辿っている途中、滋宇は髪の毛を弄りながら話しかけた。
「え、何が?」
「とぼけなくっていいのに。えーと……さっきの男の子と、何かあったんでしょ」
滋宇の指摘に、紅子は思わず足を止めた。
俯いて表情を曇らせる紅子に、「いいのよ」と滋宇は苦笑した。
「別に無理して言う必要なんてないのよ。話したかったら話せばいいってだけなんだから」
「滋宇…………」
親友の気遣いに、胸が熱くなった。
「うん。……少し落ち着いたら、話すね」
「気長に待つわ」
くすっと二人は笑い合い、肩を並べて宿屋の戸をカラカラと開け、中へ入っていった。
***
その日の夜、本邸では、七兵衛とその他の男が数人部屋で晩酌をしていた。
「やっぱり、酒はこの地のやつがうめぇなぁ」
一人の男が、お猪口をくっと上げてくぅと息を吐く。
「いやいや、そちらの地のものも美味いでしょうに」
七兵衛ははっはっと笑って、自身の空いた猪口に酒を注ぐ。
「それよか、七兵衛さんは婿をとるのか?それとも、嫁がせるのか?」
「一人は嫁がせて、一人は婿入りさせるさ」
とくとくと何杯目かの酒を注ぎながら七兵衛は唇を歪に曲げた。
「ああ、例の。器量の良うない言ってた先妻の子か」
「可愛い子は手元にってか。なかなか嫌な奴だねぇ」
そう言った男もニヤニヤとしている。
「後妻との子、俺の息子の嫁にしねぇかい」
「駄目駄目。アイツはなかなか上物なんだから、そこいらの奴にはやれねぇよ」
七兵衛は機嫌よく笑い、猪口に残った僅かな量の酒をくっと飲み干した。
星が雲に隠れ、いつもよりも暗い夜だった。
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