ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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第二章《突然の別れと思惑》

【八】

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 世が更け、次々と屋敷の人間が動き始める。
「……えと、本当にこの服を着るの?」
 戸惑いがちに尋ねる紅子に、ノアがにこりと無言で笑う。
「私は持ってきた服もあるのだけれど」
 と抵抗を見せると、ノアは笑顔で「何を仰ってるんです」とピシャリと言い放った。
「ご主人様の前に出るのですから、少しでも良い格好にしましょ。勿論そちらのお着物も素敵でいらっしゃいますが、こちらのお着物はご主人様がお選びになったものなのですよ。さ、お召し変え下さい」
 さぁさぁ、と寝巻きを解かれ、あっという間に着せ替えられてしまう。
 明るい赤が基調の、桜を金色で表現した着物は、なんともお祝いの時しか着そうにない代物だ。だが、高そうだったら何でもいい訳では無いだろう。
 赤い髪に赤い着物は、色がうるさい。
 ノアも着付け終えた後、笑顔のまま数秒停止していた。
「……お似合いですが、朝からこの格好では少々煌びやかで皆の注目を浴びてしまうやもしれませんね。あ、お外は少々冷えるようですので、黒の羽織をご用意しますわ」
 と早口で言うなり、無地の黒い羽織をさっと着せた。
「よくお似合いです」
 顔にははっきりと「よかった。なんとかなった」と書いてある。
「おはよーございま……ブッ!そ、その服……っ合わな!ノア、なんでこの服選んだの」
 と、滋宇は部屋に入るなり吹き出した。
「滋宇……?」
 昨日と様子が全く違う彼女に、紅子はぽかんとしている。
「あ、今は私お紅ちゃんの従者じゃないからお咎めなしよ」
 滋宇はそう言うなり、にっと以前のような悪戯っぽい笑いを浮かべた。
「私は秋桐様と契約したと以前言ったでしょう。私のはただのバイト・・・よ、バイト。私はお紅ちゃんの従者の仕事に就いたけど、それは朝九時から夜九時まで。だから今は従者じゃないのよ」
 と、得意げに言ってのける滋宇に、紅子は飛びついた。
 慌てて受け止める滋宇に、紅子は震える手で握り拳をつくった。
「何よ、言いなさいよ!私……私あなたが、あなたこそ約束・・を忘れたんだって……!私の気持ちなんか全然分かってないんだって!馬鹿!慈雨の……馬鹿……っ」
 目に涙を浮かべる紅子に、滋宇は「バカはそっちのくせに」と笑いかけた。
「お紅ちゃん、私はあなたの傍から離れないって約束したでしょう。お紅ちゃんが思ってくれてるのと同じくらい、私はお紅ちゃんのこと大好きなのよ。親友の座を、そう簡単に捨てるわけないでしょ」
 そう言って笑うと、帯に差してあった簪を手に取り、紅子に手渡した。
「これ、遅くなったけど皆から」
 派手な色ではないが、控えめながらも上品なエメラルド色の珠に硝子が埋め込まれていた。付いている金色のチェーンがゆらゆらと揺れている。
 壊れ物を扱うように両手で受け取り、きゅっと握りしめた。
「ありがとう」
 そう呟いた声は掠れていた。
「コホン」
 コホンコホンとわざとらしく咳をするノアは、細い目で滋宇を見ている。
「こちらのお着物は、ご主人様がご用意したものですよ。若奥様のために」
 口を慎め、と言いたげに眉を寄せるノアに、
「いや、違うでしょ」
 と滋宇は怯むことなく否定した。
「これ、お紅ちゃんのためっていうならこんな色のやつは選ばないわよ。それとも単に秋桐様のご趣味が悪いのかしら」
 クスッと笑う滋宇に、ノアはさっと顔を青くした。
「しっ失礼ですよ!なんてこと言うの!」
「じゃあこの着物を選んだご主人様は、吟味してらしたの?まったく……やるって決めたなら徹底的にしろっての」
 ぼそっと毒づく滋宇を「こら」と紅子は注意した。
「まぁでも、ノアさん。弥生様からなにか私についてお聞きになりました?」
「え……いえ」
 と眉をひそめるノアに、
「そう。ではお話しますわ」
 と紅子は溜息を吐いた。
 滋宇は紅子を一瞥したが、何も言わずに続きを促した。
「私と弥生様、会って間もないのです」
「へ?はぁ」
 紅子はその一瞬、ノアの目から緊張感が抜け出たように感じた。
「だからお互いの容姿も知らなかったし……趣向も知らないのです。だからこのお着物をお選びになったのかもしれないですわ。赤は多くの女子に好まれますし」
 と微笑んだ。
「あ、そう、だったのですね。どうりで……いえ、ではそろそろお時間ですので参りましょう」
 ノアは合点がいったように頷き、ドアに手をかけた。
「クロ様」
 ノアの呟き通り、扉のすぐ前にはクロが立っていた。
「おはようございます、若奥様。朝食の用意ができましたので参りました」
 にこりと笑ったクロに、ノアは動揺したように目を見開いた。
 そんなノアの反応に紅子は眉をひそめたが、クロが気にした様子はなかった。
「では参りましょう、若奥様」
 貼り付けたような笑顔に、「ええ」と応えるものの、ノアの反応が気になって悶々とした。
「……ああ、その着物にしたのですか。それは貴方には色が明るすぎましたね。改めて後日、贈らせてくださいね」
 着物を目にした弥生は苦笑を浮かべてそう言った。
「着物は自分のものが……」
 あるので大丈夫です、と言おうとすると、
「まぁ、それが宜しいですわ」
 弥生の傍に居た絹峰が、手をパチリと合わせて微笑んだ。
「では明日にでも裁縫師を呼びましょうね。あ、簪はもう贈られたのでしたっけ?」
 否、と弥生が首を振ると、「ではそちらも手配しましょう」と絹峰は他の女中と二言三言交わし、女中を外へ向かわせた。
「ああ、楽しみですわ」
 と、絹峰は機嫌良さそうに目を細めた。
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