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第八章《昭平と母国の画策》
【三】
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考えることを拒否したがる頭に手をやり、紅子は「ちょっとまってください」と半ば無意識に呟く。
「そもそもどうして昭平さんがそんなことをなさるのです?戦をしかけてなんの得になると──」
「そっか、紅子さんは知らないんだっけ。うちの家系──生田家は、代々花の都の領主を主君として動く家なんだよ」
言葉を被せて遮った昭平の目には光なんて映っていない。紅子の目には闇を体現した存在が喋っているようにすら感じられた。
「……それはつまり、花の都の領主様がそのような命令を下したと──」
「口を閉じた方がいいんじゃないか?もうその都に入っているよ」
レンの咎めに紅子はぐっと喉の奥に言葉を押し込み、呑んだ。
「では質問を変えます。春の宮様を殺さなかったのはなぜです?」
相手の思うつぼにだけはしてはいけない。今黙ってしまえば相手に屈したことになる。
──それだけは、避ける。
顎を引き目だけを真っ直ぐに向けてくる女に、昭平はポツリと呟くように声を漏らした。
「……だってあの場で彼女を殺したら、君は絶対付いてきてくれないだろ?」
「は?」
紅子の口から発せられた間抜けな声に、レンが盛大に「あっはっはっ」と声を上げて笑った。
「なんだいこのやり取りは。即興のコントでもしてるのか?おかしいったらないな」
くっくっと目に涙を溜めて笑うレンに睨みを効かせ、
「君と争うことは避けたかった。これが理由だよ」
やっぱり天然ジゴロなのでは、と紅子の警戒ますます強まる。
「あのですね、忘れちゃってるみたいなので言わせてもらいますけど、私は友人を傷つけられた時点で物凄く怒っています」
「知ってるよ。けど殺さないと約束すれば君は安全が確実な方を取るだろうことも知ってる」
「……っ」
言い返せない。
言われた通りの行動をしたのだから、ここでとやかく言ったところで必死に弁解してることにしかならないし、そんな議論は時間の無駄だ。
「……私も誰かさんみたいに人柄が変わっていれば、今回の作戦は失敗に終わったのでしょうね」
毒を含んだ言い回しに、昭平の眉がぴくりと揺れた。
だが「そうだね」と目を細めて笑い、次いで言葉を紡ごうとはしなかった。
静まり返った馬車の中、レンは我関せずといった具合に頬ずえをつく。外に視線を投げながら、彼女は低く呟く。
「ああ、見えてきた。美しき麗しき花の都だ」
***
見覚えのある道を辿った馬車は、懐かしさをより刺激する場所に紅子を降ろした。
桜はすっかり見る影もないが、そこは紛れもなく紅子が我が家同然に過ごした場所だった。
「実家に返してくれるなんて、随分お優しい誘拐ですこと」
「あはは そんなこと言うならわかってるんだろ?ちゃんと大人しくしててよ」
馬車を降りる際、昭平は先に飛び降りるなり紅子に手を差し伸べた。
「そしたら危害は加えないから」
闇夜を思わせる真っ黒な瞳。けれどいつの間にか現れていた星が映り込んだせいだろうか、数刻前の恐ろしさは感じられない。
「……結構です」
紅子は手すりを握ったかと思うと落ちるように地面に足をついた。
行き場をなくした手を下げながら、昭平は拗ねたように「つれないなあ」と口を尖らせる。
「私には婚約者がいますので、こういう場では誤解が生まれる相手に対しては慎むことが大事だと自負しております」
「馬車での乗り降りくらい、紳士としては普通なんじゃないの?」
「紳士じゃないから慎んだのですよ」
宿屋を振り返った紅子は、明かりを背後に隠した戸が開くのを見た。
そこから飛び出してきたのは──、
「梅ちゃん、桃ちゃん」
柔く暖かい感触に包まれた紅子は二人の名を呼ぶ。
懐かしいおしろいの香りに、紅子はふっと張り詰めていた緊張を解いた。
「……ただいま」
目を瞑り、抱きついてきた二人に腕を回す。
「「おかえり」」
異口同音に発せられた歓迎の言葉に、紅子は口元を綻ばせる。
「じゃ、中に入ろ」
梅夜に促された紅子は昭平を振り返ることなく宿屋に入っていった。
無情に閉められた戸を眺める昭平に、
「お久しぶりですね、生田様」
桃李がにっこりと笑みを浮かべながら話しかけた。
「……どこかでお会いしましたか?」
「あら忘れてしまったのですか?悲しい」
芝居がかった口調の桃李に、昭平は眉をひそめて「覚えてないですね」と言う。
「貴方が覚えていなくとも、私たちは覚えているのですよ」
くすりと微笑むものの、その目は少しも笑っていない。昭平からしてみれば、迫力なんてないただの小娘のはずだ。だがどうしたってこの女に背を向けることが許されない気がする。
──背を向けた瞬間、命が危ない気がする。
すぐさま顎を引く昭平に、
「やだそんなに警戒しないでくださいよぉ、しがない踊り子なんだから」
と掴みどころのない笑顔で桃李は言う。
「ただ……私たちを人質にしたつもりでしょうけれど、甘く見ないでくださいね」
それでは、と桃李は営業スマイルを残して宿に入っていった。
残された青年は宿屋に背を向けるなり両肩に己の手を回すと、
「…………怖っ」と短く呟いた。
「そもそもどうして昭平さんがそんなことをなさるのです?戦をしかけてなんの得になると──」
「そっか、紅子さんは知らないんだっけ。うちの家系──生田家は、代々花の都の領主を主君として動く家なんだよ」
言葉を被せて遮った昭平の目には光なんて映っていない。紅子の目には闇を体現した存在が喋っているようにすら感じられた。
「……それはつまり、花の都の領主様がそのような命令を下したと──」
「口を閉じた方がいいんじゃないか?もうその都に入っているよ」
レンの咎めに紅子はぐっと喉の奥に言葉を押し込み、呑んだ。
「では質問を変えます。春の宮様を殺さなかったのはなぜです?」
相手の思うつぼにだけはしてはいけない。今黙ってしまえば相手に屈したことになる。
──それだけは、避ける。
顎を引き目だけを真っ直ぐに向けてくる女に、昭平はポツリと呟くように声を漏らした。
「……だってあの場で彼女を殺したら、君は絶対付いてきてくれないだろ?」
「は?」
紅子の口から発せられた間抜けな声に、レンが盛大に「あっはっはっ」と声を上げて笑った。
「なんだいこのやり取りは。即興のコントでもしてるのか?おかしいったらないな」
くっくっと目に涙を溜めて笑うレンに睨みを効かせ、
「君と争うことは避けたかった。これが理由だよ」
やっぱり天然ジゴロなのでは、と紅子の警戒ますます強まる。
「あのですね、忘れちゃってるみたいなので言わせてもらいますけど、私は友人を傷つけられた時点で物凄く怒っています」
「知ってるよ。けど殺さないと約束すれば君は安全が確実な方を取るだろうことも知ってる」
「……っ」
言い返せない。
言われた通りの行動をしたのだから、ここでとやかく言ったところで必死に弁解してることにしかならないし、そんな議論は時間の無駄だ。
「……私も誰かさんみたいに人柄が変わっていれば、今回の作戦は失敗に終わったのでしょうね」
毒を含んだ言い回しに、昭平の眉がぴくりと揺れた。
だが「そうだね」と目を細めて笑い、次いで言葉を紡ごうとはしなかった。
静まり返った馬車の中、レンは我関せずといった具合に頬ずえをつく。外に視線を投げながら、彼女は低く呟く。
「ああ、見えてきた。美しき麗しき花の都だ」
***
見覚えのある道を辿った馬車は、懐かしさをより刺激する場所に紅子を降ろした。
桜はすっかり見る影もないが、そこは紛れもなく紅子が我が家同然に過ごした場所だった。
「実家に返してくれるなんて、随分お優しい誘拐ですこと」
「あはは そんなこと言うならわかってるんだろ?ちゃんと大人しくしててよ」
馬車を降りる際、昭平は先に飛び降りるなり紅子に手を差し伸べた。
「そしたら危害は加えないから」
闇夜を思わせる真っ黒な瞳。けれどいつの間にか現れていた星が映り込んだせいだろうか、数刻前の恐ろしさは感じられない。
「……結構です」
紅子は手すりを握ったかと思うと落ちるように地面に足をついた。
行き場をなくした手を下げながら、昭平は拗ねたように「つれないなあ」と口を尖らせる。
「私には婚約者がいますので、こういう場では誤解が生まれる相手に対しては慎むことが大事だと自負しております」
「馬車での乗り降りくらい、紳士としては普通なんじゃないの?」
「紳士じゃないから慎んだのですよ」
宿屋を振り返った紅子は、明かりを背後に隠した戸が開くのを見た。
そこから飛び出してきたのは──、
「梅ちゃん、桃ちゃん」
柔く暖かい感触に包まれた紅子は二人の名を呼ぶ。
懐かしいおしろいの香りに、紅子はふっと張り詰めていた緊張を解いた。
「……ただいま」
目を瞑り、抱きついてきた二人に腕を回す。
「「おかえり」」
異口同音に発せられた歓迎の言葉に、紅子は口元を綻ばせる。
「じゃ、中に入ろ」
梅夜に促された紅子は昭平を振り返ることなく宿屋に入っていった。
無情に閉められた戸を眺める昭平に、
「お久しぶりですね、生田様」
桃李がにっこりと笑みを浮かべながら話しかけた。
「……どこかでお会いしましたか?」
「あら忘れてしまったのですか?悲しい」
芝居がかった口調の桃李に、昭平は眉をひそめて「覚えてないですね」と言う。
「貴方が覚えていなくとも、私たちは覚えているのですよ」
くすりと微笑むものの、その目は少しも笑っていない。昭平からしてみれば、迫力なんてないただの小娘のはずだ。だがどうしたってこの女に背を向けることが許されない気がする。
──背を向けた瞬間、命が危ない気がする。
すぐさま顎を引く昭平に、
「やだそんなに警戒しないでくださいよぉ、しがない踊り子なんだから」
と掴みどころのない笑顔で桃李は言う。
「ただ……私たちを人質にしたつもりでしょうけれど、甘く見ないでくださいね」
それでは、と桃李は営業スマイルを残して宿に入っていった。
残された青年は宿屋に背を向けるなり両肩に己の手を回すと、
「…………怖っ」と短く呟いた。
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