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しおりを挟む──ずっと一緒にいると、約束した人がいた。
雨がサーッと静かに、だけど激しく降る今日の天気は、なんとも胸がスっとする。
雨は好きだ。晴れの日は好きではない。だけど彼女はそんな僕と正反対で、いつも晴れだったら良いのにと言っていた。
「智哉。先に出るわよ」
姉は早業で化粧を終えると、黒いお気に入りの鞄を手に玄関の扉を開けた。
教師の仕事をしている姉は、朝早く出勤して資料を作っているらしい。よく子どもの面倒を見れるよな、と僕は思ってしまう。
「あ、今日可燃ごみの日だから」
宜しく、とは言わずに、重い扉を閉めた。
姉のほうが居候なのだが、食と洗濯と掃除をしてもらっているので何も言えない。ゴミくらいは出しておかなければ説教が待っているだけだし。
可燃ごみを分別して袋にまとめ、ゴミ置き場に持っていく。近くだから傘はささずに出た。
やめておけばよかった。
近所の主婦たちがお喋りをする溜まり場が、今日は雨だからマンションの下に変わっていた。
手に傘を持たない僕を、あの人たちは奇異な目で見る。目ざとい観察眼をもち、少しでも弱みを見せたら高速マシンガンのようなお喋りをするのには辟易する。
雨に軽く濡れた髪の毛の雫がポタッと服に染みを作る。
あの人たちはそれさえも見逃さずに、話題を一気に転換していく。
「あら、やっぱり暗い顔」
「仕方ないわよ。まだ一年経ったかどうかですもの」
「お若いのに可哀想だわ」
興味、哀れみの目から逃げるように、足早にその場を通り過ぎた。
戸を閉めた廊下はしんと静まり返って、空気はひんやり冷たかった。今は誰もいないから、当然なのだろうけど。
自室に戻り、いつものように机の上にある写真を手に取る。
写真は、高校生の頃からの彼女と僕が、テーマパークのメリーゴーランドを背景に撮ったものだ。
ほんの、一年前の写真だ。
だけど彼女とはもう行けない。
快活な彼女に良く似合う栗色のショートヘアも、切りすぎた、と前髪を弄る手を握ることも、少し低めの声も、もう、何もかもが存在しない。
彼女は、去年の冬に死んだ。彼女の好きな、真っ白な雲がくっきりと青い空に浮かぶような快晴の日であった。
癌にかかっていたらしい。だけどそれが判明した時は、既に手遅れの状態までになってしまっていたという。医者でない僕は、ひたすら「何とかならないか」といっては医者を困らせた。
医療が発展してもなお、治らないものがある事実は受け入れがたく、僕は毎日仕事が終わるとすぐに病院へ向かっては医者と話をした。
幸い結婚資金にと少しずつ貯めていた金があったため、入院費と治療費は何とかなっていた。だけど彼女はえらく気にして「ごめん」と毎日のように謝っていた。
その「ごめん」に、別の意味が込められている気がしていた。
彼女はどんどん衰弱して、それにつれてやせ細っていった。
陸上部のエースと言われていた筋肉質の身体は病弱な少女に変わり果て、もはや別人だった。
「今日は気分もいいから散歩したい」
なんて、入院当初は笑っていたのに、数週間もするとめっきりそんなことを言わなくなった。
「私、いつでもいいからね」
林檎を向いていた時、彼女はか細い声でそう呟いた。
なんとなく顔を上げると、光に照らされて黄金色に光る瞳が僕を捉えていた。
「……プロポーズが?」
冗談めかして言ったつもりだった。
だけど彼女は、眉をきゅっと寄せて「馬鹿」と怒気のこもった声を出した。
「もういい。帰って」
と、追い出されるように病室を出た。
何に怒っているのか分からないほど鈍感ではなかった。
だけど、茶化すような言い方でしか、僕はあの雰囲気を壊せなかった。
彼女はプロポーズではなく、縁を切ることを望んでいたのだ。
精神状態がだんだん不安定になっていく彼女にしてやれることはなく、自分の無力さがただひたすら悔しかった。
病室を追い出されたその夜、忘れ物に気づいて病院へ戻った時だった。彼女の部屋の前がやけに騒がしく、看護師が走って出ていったり入ったりを繰り返していた。
震える足をなんとか動かして部屋を覗いた。
医者と看護師が早口で喋っては、緊迫した空気を醸し出していた。
ベッドに横たわっている彼女の口元は血まみれで、意識はないようだった。
だらんと垂れ下がった腕が、脳裏から離れてくれなかった。
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