一葉のコンチェルト

碧いろは

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星と太陽編1

【星と太陽編1】16:xx14年8月30日

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雨に濡れる慣れた道のり。
戸建てが並ぶ、穏やかな住宅街のこの道は、自分が小学生の頃から歩いてきた道だ。
少し速足になりそうになる足を抑えながら、静はましろの家へと向かっている。

先日、学会での発表が無事に終わった。
丸一日かけてのイベントは、自分の発表だけでなく、他者の発表を聞き、
そして夜には交流会が催され、多くの人と互いの研究について
語りあうことができた有意義なものだった。
帰宅したのは0時近くなり、翌朝は久方ぶりに寝坊した。

夏休みだと言うのに、
律儀に朝早い時間に起きていたらしい乃亜が用意してくれていた朝食をいただいたあと、
ずっと乃亜がなにかを言いだけにしていたので水を向ける。
乃亜はキッチンの後片付けをしながら、小さく、言った。

 「……その、兄さんは、このあとは、しばらく、時間が、出来るんですか?」

学会発表という山場が終わったことでの変化を尋ねているのだろうと思った。
だが残念ながら、まつたくの暇になるわけではない。

 「まぁ、以前ほどではないがな。
  学術雑誌に今回の論文を掲載してもらうつもりなんだ。
  締め切りというものはないが、年内にはそれを果たしたいから、
  まだしばらくは忙しい時間が続きそうだな」
 「そう、ですか……」

目を伏せる。
食器を片付け、手を拭いている乃亜は、目を泳がせ、迷っているような様子だ。
眉が下がり、何かあるのだと言うことはすぐに分かった。

 「どうしたんだ?」

乃亜はしばし黙する。
ダイニングに戻り、ダイニングチェアに座る自分の隣に腰かけた。

 「……私の、気のせい、かも、しれないんです」
 「ああ」
 「……その、ましろが、なにか……」
 「ましろ?」

その名前にどうしても反応は強くなる。
軽く首だけ向けていたが、その名前が出た時、身体こと乃亜に向き直る。
乃亜は膝の上に乗せた手を組んでいた。

 「うまく……言えません。
  ただ、その、様子がおかしいというか……。
  この間、電話をしたんです。
  でも、いつもみたいな様子ではなくて……
  私の気のせいかもしれませんし、たまたま、そういう時だったのかも……」
 「……分かった」

昨年知り合ってから、乃亜とましろは時折連絡を取り合っているようだった。
けれど今年に入ってから、明らかにその頻度は減ったらしいことは聞いていた。
ましろは突然、何の前触れもなく、誰かに冷たく接する人間ではない。
それは心から断言できる。

静は気づけば、自身も手を握り絞めていることに気付いた。

 「俺からも連絡してみる」
 「……すみません、私の勘違いかも、しれないんですが……」
 「いや、それならそれでいい。
  俺もどちらにしろ、学会が終わったら声をかけるつもりだったんだ」
 「はい……」

乃亜にはそう伝え、昼過ぎに大学に向かった。
電車に乗ったタイミングで、CORDでメッセージを送った。
最後のメッセージの履歴は、8/1。
学会が終わったら、会いに行く。
それに対する返信、「学会、頑張って。静なら大丈夫」それが最後だった。

会いに行く、それに対する返信はない。

 『無事に学会は終わった。まだ少し忙しいが、近々会いに行く』

しばらくして既読がついた。
しかしそれに対する返信がないまま、1時間半ほど経過して、大学についてしまった。
その後、大学での用事を終えて、
再びスマートフォンを確認したが特にメッセージはなかった。
翌日も、その次の日も。

そうして、8/30、今日。
ようやく時間を作ることができて、ましろの家に向かっているのが今だ。

傘にあたる雨音を聞きながら向かう道。
戸建ての並ぶ道のりを進み、
石垣の上からこちらを見下ろす背の高い向日葵の横を通り過ぎる。
見えてきた剣道場に隣接した家、このあたりでは古い家だ。

雪見、という標識の下にあるインターホンを鳴らす。

 「はい」
 「こんにちわ。静です」
 「ああ、静、今開ける」

全くの事前連絡なしだったが、特に問題はなかったようだ。
子供の頃から出向いていたため、どこか身内のような気安さが残っている。
少し礼を欠いていたろうか、と思わないでもないが、
そこまで咎められることもないだろうという信頼もあった。

玄関先まで歩いていく。
二重玄関となっている手前の引き戸の前で待っていると、
奥のドアが開いた。
顔を出してくれたのは、ましろの母の椿だった。

 「静、久しぶりだな。春以来だ」
 「こんにちわ。突然すみません」
 「いや、お前なら構わないよ。中に入りなさい」

相変わらず若々しくも凛とした立ち居振る舞いで椿はこちらを招いてくれた。
傘の雨粒を外で払い、玄関の中へと入る。
どこか室内はシンとしていた。
中に入ろうかと思ったが、その前に尋ねなければならないだろう。
玄関から室内に先に上がった椿の背中に、靴を履いたまま声をかける。

 「師範代、ましろはいますか?」
 「……ああ、あの子に用か。まぁ、そうだろうと思ったが」

椿の表情がどこか固くなったように見えた。
途端、常にあった懸念が大きく揺らいだ。

 「今は、道場だ。
  ……少し、一人になりたいと言ってね」
 「……春先以降、実際、どうなんですか?俺にはなんの連絡もありません」

それを聞いて、椿は少し驚いた様子を見せた。
肩から息を深く吐きだす。

 「あの子、お前にも連絡していなかったのか……」
 「……それは、どういう、意味ですか?」

声が震えそうになる。
静は必死にそれを押さえつけながら、椿に問う。
彼女は軽く両腕を組んだ。眉を寄せ、苦しそうに。
それがもう、静にとっては恐ろしかった。

 「4月に最初に発作を起こしてから、6月、7月、と繰り返している」
 「!!」

血の気が引いた。

 「今月に入って、いよいよ間隔が短くなってきてな。
  先週から、別の病院にもあたっているが……どこも同じような診断しか得られない。
  実は、さっきも行ってきたんだ。これで4か所目。
  が、……パニック障害、つまるところ、精神的なものでは、と言われてな」
 「そ、それは……!」
 「まぁ、そういう診断結果もあるだろう。
  医師としては、狭心症でないなら、ということで判断を下したのだろうし。
  とはいえ、ましろ自身、それにだいぶ堪えた様子だったようだ。
  分からないわけじゃない」
 「……っましろは、道場ですね?」
 「ああ。……行ってやってくれるか、静」

強く頷き、静は走るように玄関から飛び出した。
道場の場所はすぐ隣だ。
傘もささず、いったん自宅前を抜けて、隣にある道場への門を抜けて敷地に駆け込む。
道場の出入り口は誰かが出入りしたらしく人ひとり分ほど空いている。
砂利道に敷かれた飛び石の道を抜けて、その隙間の向こうに人影が見えたところで足を止めた。

黒い長い髪は隙間からの光にさえ艶を浮きだたせているが
その後ろ姿はいつになく力がない。

静は傘を持つ手に力がこもった。
傘を道場の柱に立てかけ、靴を脱ぎ、引き戸を開ける。

 「ましろ」

4月ぶりに見る彼女は、こちらの声におどろいたように身体を揺らし、
ゆっくりとこちらに振り向いた。

 「…静……っ」

この名を呼んだ途端に、ましろの瞳から涙がこぼれ落ちた。
たまらず駆け寄りその身体を抱きしめる。
それだけで分かった。痩せている。
剣道に邁進し、日々彼女はトレーニングも稽古もきちんとこなしていたはずだ。
健康的な筋肉と体型を常に維持していたはずだが、
抱き締める身体からそれはあまり感じられない。

ましろは力なく、背中に腕を回してきた。

 「……せ、い……、なんで……、ここに……」
 「CORDで伝えただろう。会いに行くと」
 「だっ、て、忙しい、って……」
 「関係ない。お前と自分の研究を天秤にかけたら、お前を取るに決まってる」

ぎゅっと服を掴む手に力がこもったように感じる。
けれどその力は、手にこもる力は、どこか弱弱しいような気がした。

 「ましろ、言ってくれ。なんでもいい。
  ここは、道場は、自分の心を映す鏡なんだろう?
  お前が今思ってること、感じていること、俺が受け止める。
  あの時のお前のように。
  だから、言ってくれ、ましろ……!」
 「……っ、静……」

外の雨音が強くなる。
けれど腕の中で涙を流すましろの声を聞き逃すことはしない。
大丈夫だと言うように、後頭部に添える手で髪を撫でる。

 「……、い、よ……静……」

ぽつり、とつぶやく声がした。

 「こわいよ……静……」

掠れた声が大きくなる。
よりつよく、背中の服を掴む手に力がこもる。

 「……怖いよ……自分に何が起きてるのか、分からない……!
  このまま、なにも、わからないまま……?治らないの……?」
 「……ましろ」
 「私、もう……っ、もう、生きられ、ないのかなぁ……!」

そう叫ぶように言ったのを最後に、ましろは声を上げて泣き始めた。
初めて聞く彼女の泣き声。
何もわからないのが怖い。
自分に何が起きているのか分からない。
不安で、怖くて、生きられるのかも、分からない。
今までこらえてきたのだろうそれらが噴き出していく。

太陽のように輝く彼女の光が、この数か月の間にかげっていたのだと
静はようやく、気づいた。
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