一葉のコンチェルト

碧いろは

文字の大きさ
21 / 56
星と太陽編1

【星と太陽編1】20:xx14年9月24日

しおりを挟む
中央先進医療研究センター。

先進医療の研究を主軸とする医療機関である。
特に難病指定された疾患の治療と研究に重点を置いており、
また、最新医療設備の実証実験や臨床試験を行う場でもあり、
開発されたばかりの革新的な医療技術をいち早く導入し、
その有効性と安全性を評価している。
これらの取り組みを通じて、新たな治療法の確立を目指しており、
さらに、センターに導入された最新の設備は、
患者の精密な検査と効果的な治療に活用され、質の高い医療を提供している。

静から聞かされた病院の概要をスマートフォンで確認しながら
ましろは車に揺られていた。
確かに、この文言に偽りはないような気がした。

今月の頭に、静にこの病院への伝手ができたと聞かされた。
後から詳しく聞けば、静が自身の研究を学会で発表した際に、
この病院に関係している教授と知り合ったのだと言う。
藁にも縋る思いで連絡をとったところ、ありがたいことに、
この病院へ繋いでくれたという。

ましろからしてみれば、あまりにも幸運過ぎて、本当にいいのかと聊か訝しむ気持ちが芽生えた。
しかし、静は笑って、「おそらく、俺にはっぱをかけているところもあるんだ」と言っていた。
ましろは静の研究内容について詳しく聞いてはいない。
しかし、それが、医療分野において、
躍進的な治療法が見いだせるかもしれないもの、というのはその言葉からして察した。

なにか静への不利益につながらないかとも思ったが
それには静は首を振った。
ただ、「恩に報いる為に、はやく一定の成果を出さないと」と笑うばかりだった。

その後、言われたように、今の病院から紹介状やレントゲンの画像データなどを貰い、
センターへ指定された電話番号宛てに電話した。
電話口ではすでに話が通されていたようで、すぐに初診の予約に進むことができた。
本来であれば、初診で1か月以上待たされることも少なくないらしい。
なにか裏口のようなものを通されているようで少し気がとがめられたものの
それは飲み込み、父の運転する車で約2時間ほどかけて向かった。

郊外にあるその場所は、あまりにも広大でとても清潔感のある綺麗な施設だった。
中に入り、予約を伝えるとすぐに個室の待合室に案内された。
スタッフも看護師も皆とても良い顔で、
自分たちの従事している業務に誇らしさを感じさせた。

やがて主治医となる医師に呼ばれた。

 「雪見ましろさんですね。
  私があなたの主治医となります、大島信一と申します」

四十代かそれより少し若いかくらいの男の医師は、穏やかな表情でそう言った。
ましろたちはそうとは知らないが、
この大島信一と名乗った医師は、静が連絡を取った大島教授の息子であった。

ましろは静からの諦めるなという言葉を胸に、
今までの経緯、自分の感じていた苦しみや痛みの印象を細かく伝えた。
以前の病院での問診では、どこか惰性的に伝えるだけだったが
其れとは比べ物にならないほどに細かく、不要と思えるかもしれないことも伝えた。
大島医師はひとつひとつに対して丁寧にうなずき、時に質問し、対応してくれた。
その後検査として、見たこともないような大掛かりな設備で検査を受けた。
ひとつひとつをざっくりとした説明を受けたものの、
正直よく理解はできなかったと思う。

検査結果は一週間後。
つまり、今日、その結果を聞くために、再度病院に赴いている。

父・八雲と母・椿にも付き添われ、先週と同じ個室に通された。
外の明るい中庭が見える個室。
三人は言葉少なに呼ばれるのを待った。

そして声をかけられ、診察室に通された。
大島医師は前回と同じように穏やかな表情をしていた。

 「その後、いかがですか?
  また発作は起きていますか?」
 「いえ、この一週間は特にありませんでした」
 「そうですか、よかったです。
  何事もないのが一番ですからね」

当たり前のようなことであるが、医師にそういわれるとほっとした。
そして検査結果の説明に入った。



 「……限局性自己免疫疾患?」

大島医師の説明にオウム返しに父がうなった。
聞いたこともない病名だった。
大島医師はましろのレントゲン写真をモニターに表示させた。
どこかピンボケしているような写真ではない。
より明確に写された心臓や骨、血管がはっきりと見て取れる。

大島医師がさらに手元のキーボードを操作すると、赤い線がびっしりと広がった。

 「こちらが血管だけをピックアップしたものです。
  この中で……、この太い血管が心臓につながる大動脈です。
  もう少し拡大しますが……、このあたり、分かりますか?」

医師はさらに倍率を上げて、大動脈を拡大した。
そして手元の指示棒で、拡大した一か所に、赤黒いなにかが映っていた。

 「これは腫瘍です。本当に小さい、サイズとしては、米粒の1/4くらいの大きさですが。
  これが良性か悪性か、という点は今時点では問題ではありません。
  先ほど申し上げた限局性自己免疫疾患は、この腫瘍に対して、
  身体が異常反応を示していることを差します。
  分かりやすく言えば、アレルギーのようなものです。
  身体の中にできた異物に対して、身体が過剰反応をしめしているのです」
 「過剰反応……それが、娘の発作につながると?」
 「はい。ましろさんの場合、腫瘍の位置が心臓のごく近くです。
  そのため、過剰反応が心臓にも影響を及ぼし、
  息苦しさや締め付けられるような痛みは、それが原因と思われます」
 「では、治療は……!」
 「腫瘍を取り除くことで、快癒する可能性が高いでしょう」

はぁ、と隣に座る母が深く安堵の息をこぼし、
後ろの父に肩を叩かれる。
まさかそんな、聞いたこともない病気だとは思ってもみなかった。

 「治療法としては二つです」

大島医師は安堵した自分たちを見て微笑んでいたが、
すぐに気を引き締めたように続けた。
こちらも背筋を伸ばし直した。

 「ひとつは投薬によって、腫瘍を小さくできないか試みることです。
  メリットとしてはましろさんへの負荷が軽いことが大きいことですね。
  自宅療養となりますから、定期的に通院していただくだけで問題ありません。
  ただデメリットとして、効果が薄い可能性があることです。
  この腫瘍はすでにごく小さい状態です。
  それでも身体の過剰反応はむしろ増えていることを考えるとと、
  どれだけ小さくなったとしても反応が消えるとは、申し上げにくいのです。
  また、もし消えなかった場合、もう一つの治療法になるわけですが、
  そちらでの成功率が下がることになります」

つまり負担が少ないが治る確証はない、ということだ。
そんなもの、ましろとしては選択肢といえない。

 「もうひとつは、手術で腫瘍を取り除くことです。
  メリットは原因そのものを取り除くので快癒の可能性が高いということです。
  ただ……、難易度の高い手術となります」

その言葉に肩に触れる父の手に力がこもったことに気付いた。

 「腫瘍のサイズが小さすぎることと、
  できている場所が大動脈、それも心臓のごく近くです。
  むろん万全を期しますが、万が一、という可能性も、ゼロとは言えません」

治る可能性は高い。
しかし、そのかわり、命を懸けなければならない。

 「いずれにしても早急に対処は必要です。
  過剰反応は心臓に負荷をかけています。
  長引けば心臓そのものに影響がでる恐れがあるでしょう」

そういった言葉で締めくくられ、大島医師はいったん退室を促した。
どのような治療をとるかを決めるようにという意図だった。

診察室を出て、中庭の見える個室に三人は戻った。
緑が見えるその場所は、患者の心を落ち着かせるためのものだろう。
しかし今のましろには、あまり効果はなかった。
椅子に腰掛けただ黙って膝の上の手を見ていた。

手を握りしめる。
以前に比べれば格段に弱くなった力。
後ろ向きになった気持ち。
変わってしまった日常。
それを戻したい、打開したいと思っていた。
けれど、もし、万が一のことがあったら。

 「……ましろ」

横に座っていた母がまっすぐにこちらを見ている。
母の青い目は強くまっすぐで、幼い頃から憧れていた眼差しだ。

母は強く美しい人だ。
長い青みのかかった髪、切れ長の涼しげな目元、
とても自分位の子供がいるとは思えない程若々しい。
家の中では穏やかで優しい、物静かな人だが、
今こちらをみる瞳は道場にいるときの、剣道に長く従事してきた師範代のそれだった。

 「どちらをとるか、お前が決めなさい。
  今まで病気に向き合い続けたのはお前だ。
  それとの戦い方、それもお前が自分で考えて決めるんだ」
 「……母さん」
 「どちらを選んでも、私はお前の選択を、お前の気持ちを信じるよ」

ふわりと最後はいつもの優しい笑みに戻った。
ふ、と笑った父も、ましろの前にしゃがみこみ、こちらの顔を仰ぐように見た。

 「ましろ、よく今まで頑張ってきたな」

大きな手が髪を撫でる。

 「ようやく一歩だ。
  そして次に踏み出す一歩は、今までのような見えない道じゃない。
  はっきりと見える二つの道だ。
  どちらに踏み出すのも、お前次第だ」
 「父さん……」
 「だが、決めるのはお前でも、歩くのはお前だけじゃない。
  俺たちも、お前の手を引いて一緒に歩くからな」

父は金色の瞳で笑う。
いつも、無闇に答えを与えることもしない。
背中を押すばかりで迷いの中にいても安易に手を出さない厳しさを持つ人だ。
けれど、背中を押すとき、ひどくやさしい言葉もくれる。
頼もしく強い父もまた、憧れだった。

ましろは一度目を閉じる。

思い出すのは、大事な友人たちと、そして。

   “ 俺は、お前を諦めない ”

あの人の、まっすぐな瞳。

 「手術する。もう、諦めない」

静がつないでくれた希望を、本物の光にしてみせる。




同日、夜。

 「本当ですか……?!」

乃亜が歓喜したような声色で、ソファで隣に座る静に言った。
静は笑みを浮かべたまま深く頷いた。

 「ああ。治療も方針も決まったらしい」
 「よかった……」

先ほどましろから検査結果について連絡を受けた静が、
乃亜にもそのことを伝えたのである。
心底安堵した様子の乃亜に、静もまた安堵を重ねる。
病名を聞いてもまったく聞いたことがないものだった。
本当に、いい病院へのつなぎを作ってもらえて助かった。
しかも原因が最新の設備でなければ分からないほどに小さな腫瘍。
地元の病院では分からないはずだ。

ただ、安心ばかりはしていられない。

 「とはいえ、大変なのはこれかららしい」
 「え……?」
 「手術することになる。
  それも、心臓に近い場所に対するものだ。
  手術自体も大掛かりで、かなり難易度も高いだろう。
  それだけじゃなく、事前に入院して、手術前の準備や体調管理もあるらしい」
 「そうなんですね……」

安堵と共に浮かんでいた笑みが陰る。
乃亜には申し訳ない気持ちもあるが、事実として、簡単な話ではない。

実際ましろから聞いたが、事前入院に関しては
手術当日までの二週間ほど、無菌室のような場所に入ることになるらしい。
ましろの症状は、つまるところ、免疫力の過剰反応だ。
心臓への負荷を考えると、それを低減させるための薬の投与があるらしく
結果自身の免疫力も低下する。
それによって別の病気にならないようにするための処置だそうだ。
話は分かる。
しかし、無菌室は極度に徹底管理された部屋で、
殆ど面会なども限られている。
会いに行きたくとも会いに行けない。
スマートフォンなどの持ち込みもできないらしく、連絡も気軽に取れない。

原因がわかるかも、と告げた時見せてくれた、
琥珀の瞳に輝いた光。あれがまた陰ることにならないか。
静はそれだけが心配だった。

 「ともかく、それでも一歩だ。
  手術の日は今、病院側で日程の調整などをしてくれているらしいが、
  遅くとも11月か12月には行われるらしい」
 「そうですか……」
 「入院に入ったら、気軽に連絡も出来なくなる。
  ……今のうちに、なにかあれば、伝えておいてやれ」

髪を撫でてくれる兄の顔を見れば、どこか辛そうに眉を寄せていた。


その後、ましろの病名が判明して十日ほど経った頃。
手術の日が11月14日に決まった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

愛してやまないこの想いを

さとう涼
恋愛
ある日、恋人でない男性から結婚を申し込まれてしまった。 「覚悟して。断られても何度でもプロポーズするよ」 その日から、わたしの毎日は甘くとろけていく。 ライティングデザイン会社勤務の平凡なOLと建設会社勤務のやり手の設計課長のあまあまなストーリーです。

叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する

花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家 結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。 愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。

イケメン副社長のターゲットは私!?~彼と秘密のルームシェア~

美和優希
恋愛
木下紗和は、務めていた会社を解雇されてから、再就職先が見つからずにいる。 貯蓄も底をつく中、兄の社宅に転がり込んでいたものの、頼りにしていた兄が突然転勤になり住む場所も失ってしまう。 そんな時、大手お菓子メーカーの副社長に救いの手を差しのべられた。 紗和は、副社長の秘書として働けることになったのだ。 そして不安一杯の中、提供された新しい住まいはなんと、副社長の自宅で……!? 突然始まった秘密のルームシェア。 日頃は優しくて紳士的なのに、時々意地悪にからかってくる副社長に気づいたときには惹かれていて──。 初回公開・完結*2017.12.21(他サイト) アルファポリスでの公開日*2020.02.16 *表紙画像は写真AC(かずなり777様)のフリー素材を使わせていただいてます。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」

処理中です...