一葉のコンチェルト

碧いろは

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星と太陽編1

【星と太陽編1】19:xx14年8月30日/9月6日

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【xx14年8月30日】
ひとしりき泣いたましろは、道場の床に座る。
抱きしめてくれていた静は、その手を背中に当ててくれていた。

ひとしきり泣いて、先ほどまでの葛藤や絶望感は、少し薄れたような気がする。
けれど一時のことだとそれもましろは察していた。
今は静が傍にいてくれる。
背中に添えられる手、横から感じるぬくもり、気づかわし気にこちらを見る瞳。
けれど今だけだ。
また自室で一人になったら、また同じことになる。
ましろは床についた手を握り、はまた溢れそうになる涙をこらえた。

背中に感じる大きな手は温かく、とても心地よかった。
抱きしめられたぬくもりも、力強さも、
何もかもが、ひどく頼もしくて、そして、うらやましささえ感じた。

彼の手のぬくもりから、あの夏の日を思い出した。
あれはもう、二年前の話だ。

 「……もう、いいよ、静」
 「……」
 「……返事、させてよ……」

言えなくなる前に言ってしまおう。
だって、自分はきっと。
しかし、静は首を振った。

 「言っただろう。高校になってからでいい」
 「……それじゃ、遅いかもしれないじゃないか」
 「馬鹿なことを言うな」

少し憤りを込めたような低い声だった。
ましろはぐっと両手を握りしめた。
その手にも力が入らない。

 「馬鹿なことじゃない。
  治るかどうかも分からない。そもそも原因も分からない。
  次発作が起きたら、今度こそ心臓が止まるかもしれない。
  そしたら、……っ、そし、たら……!」
 「ましろ、それ以上言うな!」

両肩を掴まれて正面を向けさせられた。
ここにきて、初めて彼がひどく辛そうな顔をしていることに気付いた。
苦しいのは自分なのに、彼の方が辛そうだ。
ましろは唇をかみしめて、俯いた。

 「俺は、お前を諦める気はない」
 「……っ、でも、私は……!」
 「どうしても不安で怖いなら、俺が傍にいる」

ぐっと肩を掴む手に力がこもった。

 「覚えてるか?子供の頃、俺はお前に随分と励まされた」

まだ二人とも子供だった時だ。
張り詰めた糸、ましろはそう言った。
けれど、それは静にとって決して無為にしていい言葉じゃなかった。

 「父親のことで周囲が敵ばかりだと感じていた頃も、
  乃亜のことで、疲弊していたあの時も、
  お前は俺の傍にいてくれた。
  あのころのお前は子供だったが、俺だって子供だった。
  本当に、嬉しかったし、今でも感謝しているんだ」
 「……」
 「だから、今度は俺がお前を支えさせてくれ」

まっすぐな瞳だった。
あのとき、告白してきたときと同じ、まっすぐな青緑色の瞳だ。
強く、射抜かれる瞳は、絶対にあきらめるなと訴えている。
ましろはややあって、頷いた。
静はもう一度、今度は優しく抱きしめてくれた。

 「不安で仕方がない時、恐怖を感じた時、泣きたい、泣きそうな時……、
  必ず連絡してくれ、今度こそ。
  頼むから、もう一人で、耐えようなんてするな」
 「……うん」
 「俺はお前を諦めない。だから、お前もあきらめるな」
 「……っ、う、ん」

その言葉に、もう一度、ましろは泣いた。



静はその後、ましろを連れて彼女の自宅へと戻った。
いくらか冷えてた彼女を自室へと連れていき、
ましろの母である椿に少し話を聞いた。

今まで通っていた病院と、その検査の内容、結果を聞くためだ。
最初は少し訝し気にしていたが、こちらが真剣だというのは理解してくれたのだろう。
血液検査の結果などは確認させてくれた。
いずれも正常な値の範囲で、おかしなところはなかった。

時刻も夜に差し掛かってきていたため、その日は帰宅することにした。
ましろに声をかけ、彼女は少し寂し気だったが、
家に帰ったら電話すると告げると少しホッとしたように見えた。

いつものましろには考えられないほどに弱っている。
それを否応なく感じ、いささか急いで自宅への道を急いだ。

帰宅すると、乃亜が夕食を用意して待ってくれていた。
こちらの様子を見て、なにかを察したのだろう。
乃亜はましろの様子を積極的に尋ねることはしなかった。
静もまた、はっきりと告げることば少しためらわれたが、
もともとましろの異変を感じ取っていたのは乃亜だ。
説明しないわけにはいかない。

夕食を言葉少なに食べ終えて、ソファに並んで座った。

 「ましろのことなんだが……」
 「……はい」
 「やはり、悪化しているようだった」

乃亜は予想はしていたようだったが、
それでも言葉として聞き、衝撃を受けた様子を見せた。
眉を寄せ、目を伏せる。
ぎゅっと膝の上に重ねた手が強く握られる。

 「……悪化と言うのは、発作が、増えてる、ということですか?」
 「そうらしい。
  狭心症……とのことだが、果たして、本当なのか」
 「……ましろは、ずっと、耐えていたんですね。
  ひとりで……私たちに、気遣って……」
 「ああ……」

静はぐっと手を握り絞めた。
肯定したが、おそらく、ましろが気遣っていたのは、自分に対してだと気づいたからだ。
学会の準備で多忙を極める自分に、余計なことを考えさせたくない、
そんな風に思ったのだろうと。

それに、腹が立った。
ましろがそう言った性格なのは知っていたはずだ。
なのに忙しさにかまけて、頻繁に連絡をとることを怠った。
もっとはやくに気付いていられたらという気持ちが募る。
今日のましろの様子は心底堪えた。

   "私、もう……っ、もう、生きられ、ないのかなぁ……!"

絞り出すように、かすれた声で叫んだ言葉が耳から離れない。

諦めるなと言った。
けれど、自分は医者ではない。
医療の専門家でもない。
自分のしている研究は、確かに医療にも関わることだ。
もしも、自分の研究が、理論が、現実となれば、
彼女の原因不明の病に関しても迅速に原因がつかめるだろう。
けれどそれはまだまだはるか遠い未来の話だ。

未来の見知らぬ誰かを救うことはできても、
今、愛する人を救うことはできない。

静は握りしめた手をソファにたたきつけそうになった。
代わりに、唇の裏を噛みしめ、間もなく、血の味が口の中に広がった。

学会に集中していた自分を殴りつけたい気にさえなった。
本人にも言ったが、ましろと自身の研究を天秤にかけて、
ましろを取らない理由はないのだ。
学会当日、成功したことや賞賛を得て、歓びを感じていた自分を恥じる。

だがその時、ふと、脳裏に浮かんだ人物がいた。

   "病に苦しむ人がいるのであれば、微力ながら手を貸そう"

社交辞令のようなものかもしれない。
その場限りの言葉だったのかもしれない。
しかし、それでも、今の自分にできるのはこれしかない。

静は勢いよく立ち上がった。

 「兄さん?」
 「乃亜、すまないな。ちょっと部屋に戻る」
 「は、はい……」

急に様子が変わったことに戸惑っている妹には申し訳ないが
静は速足で自室へと駆けこんだ。
あの時貰った名刺は大事にしまっている。
自室の机の中に片づけた資料と共に、ファイリングして滑り落ちないようにテープで留めて。

手早くそれを見つけ、パソコンを起動する。
メールソフトを起動させ、新規作成ボタンをクリックした。

宛先に、名刺に書かれたメールアドレス。
件名に、自身の名前と個人的な相談である旨を明記。
焦る気持ちを押さえつけながら、懇切丁寧に文面を考える。

先日の声かけの礼をまずしたため、続けて用件。
個人的な話だが、それでも、どうか力を貸してほしいことを切実に。

 『先日少しお話しました体調を崩している友人が、狭心症と診断を受けましたが
  悪化の一途をたどっており、発作につきましても、間隔が短くなっています。
  すでに4か所の病院を回っておりますが、いずれも同様です。
  血液検査の結果はいずれも正常値となっており、手立てがございません。
  どうぞ、お力を貸していただけないでしょうか。
  突然のお願いにて大変恐縮ですが、何卒、重ねて、お願い申し上げます』

敷島国際大学医学部教授、大島への繋がり。
これだけが、自分のできる唯一だ。


【xx14年9月6日】
ましろの病状を知ってから1週間。
静はあれほど注力していた論文の作成もほどほどに、ましろの家に毎日のように通った。
ましろは少し申し訳なさも見せていたが、それでも姿をみせれば安堵した様子だった。
途中、発作を起こしたこともあった。
苦しむましろの手を強く握り、震える彼女を抱きしめた。
そんな日々を1週間ほど続けていると、ましろもいくらか落ち着いたように思えた。

今日もましろの家に向かっている。
電車に揺られる中、スマートフォンでメールアプリを開いた。
受信トレイを確認する。
いつもこの時間は、目的のメールがないかを確認する時間になっていた。

 「……、っ!」

電車の中で叫びそうになったのをこらえた。

 『敷島国際大学 大島』

差出人の欄に書かれた表記。しかしまだだ。
静は自分に言い聞かせ、緊張をもってメールを開いた。

文面には静の研究に対する改めての評価と、学会での成功を祝う挨拶に始まった。
そしてすぐにこちらの用件についての返信があった。

 『その患者さんの名前を教えなさい。
  私から下記の病院に連絡をしておいてあげよう。
  3日後くらいに、患者さん本人やお身内の方から、病院に直接電話をするんだ。
  大島から連絡するように言われたとね。
  訪問時には、紹介状とレントゲン写真などをもっていくように。
  病院名:中央先進医療研究センター
  連絡先::○○-○○○-○○○』

考えうる最高の返答だ。
静は震える手でスマートフォンから返信の文面を作成しようとしたが
どうにも震えが収まらず、誤字脱字が起こりそうだったためやめた。
大きな恩を受けてしまった。
失礼があるわけにはいかない。

それより今はこのことをましろやましろの両親に伝えなければならない。
電車がちょうどましろの家の最寄りについた。

飛び出すように電車を降り、改札を抜けて彼女の家に走る。
はやる気持ちを抑えてインターホンを鳴らすと、いつものように椿が顔を出した。

 「静、今日は早いな」
 「師範代、ましろの通院している病院から、紹介状の類はもらえますか?!」
 「は?」

椿は目を瞬かせた。
突然そんなことを言えば無理もないと思うが、今はどうしても気持ちが急く。
どきどきと心臓が騒がしい。
静の必死な様子を見て、椿は一度中へ入れと言って、静を玄関先に招いた。
中に入り、後ろでに引き戸を閉めたところで、椿が改めて言った。

 「紹介状なら、頼めば貰えるが……どうした?」
 「先日の学会で、敷島大学の医学部の教授と繋がりました。
  それで」
 「静?」

続けようとしたところでましろが声を聞きつけたのか、姿を見せた。
よほどこちらが切羽詰まった顔をしていたのだろう。
ましろも椿同様、とまどった顔を見せている。

 「ましろ、今度こそ原因がわかるかもしれない」
 「え……っ」
 「中央先進医療研究センターへのツテができた。
  あの病院は、この国でも有数の、先進医療に関する研究、治療を行っている病院だ。
  症例の少ない難病や、一般的な病院でははっきりと分からない病気の特定を
  最新設備をつかって検査し、解明してきた実績もある!」

興奮して一気に話した言葉に、ましろも、椿も
最初唖然としていたがややあってその顔色を変え始めた。
頬が紅潮していく。
椿は両手を口元にあてがう。
ましろは瞳を大きく見開き、右手で自身の心臓あたりに触れぎゅっと服をつかんだ。
そして、泣きそうな顔で静に飛びついた。
静はしっかりとましろの体を抱き留める。

 「分かるの……?この、病気の、原因……」
 「ああ、きっと。少なくとも、今よりは確実に進展する」

ましろが恐怖して不安を抱いてたまらないのは、
なにも分からないことが一番の要因なのだ。
大島教授から紹介してもらえる病院であれば、確実とは言わないまでも、
一般的な病院よりはるかに詳細な検査が出来るのは間違いないのだ。

 「ましろ、もう一度言う。
  俺はお前を諦めない。だから、お前も諦めるな」

ましろはそれに顔を上げる。
静を見つめる瞳は、涙でぬれていた。
一度目を伏せ、かみしめるように、静の言葉を胸の内で繰り返している。
そして見上げた瞳、表情に、静ははっとした。

 「……諦めないよ。あなたが、繋いでくれたから」

陰っていたましろの光が、琥珀の瞳の中に戻っていた。


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