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第1話 魔王、公爵令嬢に転職する
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「――これで終わりだぁーーッ!!」
勇者の裂帛の気合いと共に、視界が白く染まる。
全身を焼き尽くすような聖なる光。魔族にとって猛毒であるその輝きを受け、私の意識は急速に崩落していった。
「ぐ、ぎゃぁぁぁ……ッ」
喉の奥から絞り出されたのは、無様な断末魔。
魔界の頂点に君臨する魔王アズラエルが、たかが人間に敗北した瞬間だった。
(……私が、負けた、だと?)
薄れゆく意識の中で、私はどこか他人事のようにそう思った。
悔しさがないわけではない。だが、それ以上に心を満たしていたのは、重苦しい鉛のような「諦め」だった。
私の自慢だった『魔帝四将軍』は討たれた。
手塩にかけて育てた精鋭部隊も、我先にと挑んで散っていった。
勇者一行がこの玉座の間に辿り着いた時点で、我が軍は壊滅状態。事実上の完全敗北だ。
正直に言えば、最後の部下が通信魔法で断末魔を上げた時点で、私の心は折れていた。
それでも私が玉座に座り続けていたのは、それが「魔王の仕事(タスク)」だったからに他ならない。
魔王とは、恐怖の象徴であらねばならない。
部下たちが命を賭して守ろうとしたこの威厳を、最期の瞬間まで保つこと。
それが、無能な上司であった私が彼らにしてやれる、唯一の手向けだったのだ。
(……はぁ。やっと、終わるのか)
来る日も来る日も、部族間の揉め事の仲裁、勇者対策の防衛費計上、人間界への侵攻スケジュールの管理……。
慢性的な胃痛と睡眠不足に耐え、ただひたすらに「魔王」を演じ続けてきた日々。
もう、誰の命も背負わなくていい。
誰からも畏怖されず、期待もされず。
(もし……この魔王にも、転生という慈悲があるのなら)
今度は何も背負いたくない。
ただの平凡な人間として、日向ぼっこでもしながら死ぬまで寝ていたい。
そんな叶わぬ願いを抱きながら、私の意識は暗闇へと沈ん――
だ、はずだった。
「……ん」
目が覚めた。
最初に視界に入ってきたのは、豪奢な天蓋(てんがい)と、見知らぬ天井だった。
背中には、雲の上にいるような柔らかい感触。魔王城の硬い玉座とは比べ物にならないほど寝心地が良いベッドだ。
「あ……! よかったぁ……お目覚めになられたのですね、お嬢様!」
突然、横から涙ぐんだ声が聞こえた。
ぎぎ、と錆びついたような動きで首を巡らせる。
そこには、モノトーンのメイド服に身を包んだ若い人間の女性がいた。泣き腫らした目で、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
(人間……? ここは、魔界の牢獄か?)
いや、状況が読めない。
勇者の聖剣で消し飛ばされたはずの私が、なぜ五体満足でここにいる?
私はゆっくりと体を起こし、自分の掌(てのひら)を見つめた。
白く、細く、折れそうなほど華奢な指。
かつて竜の鱗さえ引き裂いた剛腕の面影はどこにもない。
頬をつねってみる。……痛い。
夢ではない。私は、生きている。
嫌な予感が背筋を駆け上がった。
私はふらつく足取りでベッドから降りると、部屋の隅に置かれた姿見(すがたみ)の前へと立った。
「…………は?」
鏡の中にいたのは、魔王アズラエルではない。
紅茶色をした、ゆるいウェーブのかかったハーフアップの髪。
顔立ちは整っているものの、目尻の下がった大きな瞳(タレ目)のせいで、どこか頼りなく見える少女。
全体的に色素が薄く、いかにも「幸が薄そう」「押しに弱そう」な雰囲気を醸し出している。
かつて、睨むだけで歴戦の戦士を失禁させたあの凶悪な面構えは、見る影もなかった。
どちらかと言えば、小動物。守ってあげたくなるような、可愛らしいだけの弱者。
(これが、私……?)
鏡の中の少女が、信じられないという顔で自分の顔をぺたぺたと触る。
そして、改めて周囲を見渡した。
最高級の調度品。壁に飾られた紋章。侍るメイド。
この部屋の作り、そしてこの豪奢なドレスのような寝間着。
どう見ても、人間の高位貴族、あるいは王族のそれだ。
脳内に、この体の持ち主としての記憶がふわりと浮かび上がる。
エリシア・ヴァレンシュタイン。
この国の筆頭公爵家の令嬢。
「……はぁ」
思わず、深いため息がこぼれた。
公爵家だと?
それはつまり、派閥争い、社交界の付き合い、王家との駆け引き、領地経営の責任……そういう「面倒くさいこと」の山積みを意味しているのではないか。
鏡の中の、情けない顔をした元魔王――エリシアは、がっくりと肩を落とした。
どうやら私の第二の人生は、願っていた「退屈で平凡な日々」とは程遠いものになりそうだ。
ズキリ、と。
前世から持ち越した幻の胃痛が、さっそく痛み始めた気がした。
勇者の裂帛の気合いと共に、視界が白く染まる。
全身を焼き尽くすような聖なる光。魔族にとって猛毒であるその輝きを受け、私の意識は急速に崩落していった。
「ぐ、ぎゃぁぁぁ……ッ」
喉の奥から絞り出されたのは、無様な断末魔。
魔界の頂点に君臨する魔王アズラエルが、たかが人間に敗北した瞬間だった。
(……私が、負けた、だと?)
薄れゆく意識の中で、私はどこか他人事のようにそう思った。
悔しさがないわけではない。だが、それ以上に心を満たしていたのは、重苦しい鉛のような「諦め」だった。
私の自慢だった『魔帝四将軍』は討たれた。
手塩にかけて育てた精鋭部隊も、我先にと挑んで散っていった。
勇者一行がこの玉座の間に辿り着いた時点で、我が軍は壊滅状態。事実上の完全敗北だ。
正直に言えば、最後の部下が通信魔法で断末魔を上げた時点で、私の心は折れていた。
それでも私が玉座に座り続けていたのは、それが「魔王の仕事(タスク)」だったからに他ならない。
魔王とは、恐怖の象徴であらねばならない。
部下たちが命を賭して守ろうとしたこの威厳を、最期の瞬間まで保つこと。
それが、無能な上司であった私が彼らにしてやれる、唯一の手向けだったのだ。
(……はぁ。やっと、終わるのか)
来る日も来る日も、部族間の揉め事の仲裁、勇者対策の防衛費計上、人間界への侵攻スケジュールの管理……。
慢性的な胃痛と睡眠不足に耐え、ただひたすらに「魔王」を演じ続けてきた日々。
もう、誰の命も背負わなくていい。
誰からも畏怖されず、期待もされず。
(もし……この魔王にも、転生という慈悲があるのなら)
今度は何も背負いたくない。
ただの平凡な人間として、日向ぼっこでもしながら死ぬまで寝ていたい。
そんな叶わぬ願いを抱きながら、私の意識は暗闇へと沈ん――
だ、はずだった。
「……ん」
目が覚めた。
最初に視界に入ってきたのは、豪奢な天蓋(てんがい)と、見知らぬ天井だった。
背中には、雲の上にいるような柔らかい感触。魔王城の硬い玉座とは比べ物にならないほど寝心地が良いベッドだ。
「あ……! よかったぁ……お目覚めになられたのですね、お嬢様!」
突然、横から涙ぐんだ声が聞こえた。
ぎぎ、と錆びついたような動きで首を巡らせる。
そこには、モノトーンのメイド服に身を包んだ若い人間の女性がいた。泣き腫らした目で、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
(人間……? ここは、魔界の牢獄か?)
いや、状況が読めない。
勇者の聖剣で消し飛ばされたはずの私が、なぜ五体満足でここにいる?
私はゆっくりと体を起こし、自分の掌(てのひら)を見つめた。
白く、細く、折れそうなほど華奢な指。
かつて竜の鱗さえ引き裂いた剛腕の面影はどこにもない。
頬をつねってみる。……痛い。
夢ではない。私は、生きている。
嫌な予感が背筋を駆け上がった。
私はふらつく足取りでベッドから降りると、部屋の隅に置かれた姿見(すがたみ)の前へと立った。
「…………は?」
鏡の中にいたのは、魔王アズラエルではない。
紅茶色をした、ゆるいウェーブのかかったハーフアップの髪。
顔立ちは整っているものの、目尻の下がった大きな瞳(タレ目)のせいで、どこか頼りなく見える少女。
全体的に色素が薄く、いかにも「幸が薄そう」「押しに弱そう」な雰囲気を醸し出している。
かつて、睨むだけで歴戦の戦士を失禁させたあの凶悪な面構えは、見る影もなかった。
どちらかと言えば、小動物。守ってあげたくなるような、可愛らしいだけの弱者。
(これが、私……?)
鏡の中の少女が、信じられないという顔で自分の顔をぺたぺたと触る。
そして、改めて周囲を見渡した。
最高級の調度品。壁に飾られた紋章。侍るメイド。
この部屋の作り、そしてこの豪奢なドレスのような寝間着。
どう見ても、人間の高位貴族、あるいは王族のそれだ。
脳内に、この体の持ち主としての記憶がふわりと浮かび上がる。
エリシア・ヴァレンシュタイン。
この国の筆頭公爵家の令嬢。
「……はぁ」
思わず、深いため息がこぼれた。
公爵家だと?
それはつまり、派閥争い、社交界の付き合い、王家との駆け引き、領地経営の責任……そういう「面倒くさいこと」の山積みを意味しているのではないか。
鏡の中の、情けない顔をした元魔王――エリシアは、がっくりと肩を落とした。
どうやら私の第二の人生は、願っていた「退屈で平凡な日々」とは程遠いものになりそうだ。
ズキリ、と。
前世から持ち越した幻の胃痛が、さっそく痛み始めた気がした。
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