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第2話 心配性のメイド、エマと隠しきれない魔王の癖
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「ッ……!?」
不意に、脳天を割り箸で突き刺されたような鋭い痛みが走った。
ズキンッ、という衝撃と共に視界が揺らぐ。
私は堪えきれずに膝をつき、両手で頭を抱え込んだ。
「エリシア様!? 今お目覚めになったばかりで……あまりご無理をなさらないでください!」
私の異変に気づいた使用人の女性が、慌てた様子で駆け寄ってくる。
彼女の細腕に支えられ、私はなんとか体勢を立て直した。
「くっ……痛……」
(……なるほど。これは、情報の“統合”か)
推測するに、エリシアという少女の脳に、アズラエルとしての膨大な記憶と人格が一気に流れ込んだ負荷だろう。
魔族の頑強な肉体ならいざしらず、人間のか弱い神経回路では、些細な刺激でもバグを起こしかねない。
借り物の体だ、慎重に扱わねば……。
私は痛みを堪え、心配そうにこちらを覗き込む彼女に対し、努めて冷静に振る舞おうとした。
「案ずるな。……全く問題はない」
「……え? エリシア様?」
使用人の娘が、きょとんとした顔で瞬きをした。
その瞳に浮かんでいるのは、「本当に大丈夫?」という心配と、「今の喋り方は何?」という困惑。
(……あ、しまった)
やってしまった。
無意識のうちに、玉座の上で部下に下知を飛ばす時の口調が出てしまったようだ。
今の私は魔王ではない。深窓の令嬢だ。
見栄や威厳など張っている場合ではないし、何より不審がられては元も子もない。
(ええと、令嬢、令嬢の口調……こんな感じか?)
エリシアの残存記憶を総動員して、私は必死に言葉を紡いだ。
「い、いえ……なんでもないわ。ごめんなさいね。ありがとう、助かったわ……」
「は、はい……!」
慣れない口調のせいで、少し早口になってしまった気がするが、彼女は気にしていないようだ。
とりあえず誤魔化せたと判断し、私は一番の疑問を口にした。
「ところで……なぜ私はこの部屋で寝込んでいたのかしら? 少し記憶が曖昧で……目が覚める前の出来事を教えてくださらない?」
「えっと……実は、私も今朝聞いた程度で詳しくは存じ上げないのですが……」
彼女は申し訳無さそうに眉を下げ、説明してくれた。
「昨晩、屋敷の階段でエリシア様が足を滑らせて……そこで頭を強く打たれたのだと」
「……そう」
(なるほど。そのショックでエリシアの魂が抜け、代わりに私が入り込んだ……といったところか)
不慮の事故とはいえ、いたいけな少女の体を乗っ取ってしまった形になる。
少しの罪悪感と、不可解な運命の悪戯を感じながら、私は彼女に向き直った。
「それを知って、ここまで運んで看病してくれたのね。ありがとう。……えっと」
感謝の言葉を述べようとして、言葉が詰まる。
脳内にはエリシアの記憶があるはずなのだが、魔王の知識と混ざり合って混沌としており、とっさに目の前の人物の名前が出てこない。
知ったかぶりをしてボロを出すよりは、正直に聞くべきか。
「ごめんなさい、貴女の名前を教えてくださる? 頭を打ったせいで、記憶が少し混乱しているみたいで……」
「ッ……エ、エリシア、様……?」
名前を聞いた瞬間、彼女の顔がくしゃりと歪んだ。
大きな瞳に、じわりと涙が膜を張る。
「やはり……私の記憶が、消えてしまわれたのですか……?」
震える声は、今にも泣き出しそうだ。
魔王時代、私の前で泣く人間といえば「恐怖」か「絶望」によるものだけだった。
だが彼女の涙は違う。
これは純粋な、「私が忘れられて悲しい」という情愛によるものだ。
(な、泣かれるのは苦手だ……!)
「あ、あああ、泣かないで! 違うの、名前だけ! 名前だけ思い出せないの!」
私は慌てて両手を振り、必死に弁解した。
うろたえるその姿は、冷徹な魔王とは程遠いものだっただろう。
私の必死さが伝わったのか、彼女は涙を指先で拭うと、姿勢を正した。
「……失礼いたしました。では、改めまして」
彼女はスカートの裾を摘み、ふわりと優雅に膝を折った。
その所作は、まさに熟練の使用人そのものだ。
「ヴァレンシュタイン公爵家・筆頭使用人、エマと申します。……思い出していただけましたか?」
「……エマ」
名前を聞いた瞬間、霧が晴れるように記憶が繋がった。
ダークブラウンの、落ち着いたセミロングの髪。
一見、沈着冷静に見えるが、その実、誰よりも人情深く、涙脆い優しい女性。
幼い頃からエリシアの面倒を見てくれていた、姉のような存在。
彼女から漂う温かな雰囲気に、私の――いや、エリシアの心が安堵するのがわかった。
「ええ、思い出したわ。改めてよろしくね、エマ」
自然と笑みがこぼれた。
部下に囲まれていた時とは違う。畏怖も打算もない、柔らかな空気。
(……悪くないな)
胃痛のしない人間関係というのも、案外心地よいものかもしれない。
不意に、脳天を割り箸で突き刺されたような鋭い痛みが走った。
ズキンッ、という衝撃と共に視界が揺らぐ。
私は堪えきれずに膝をつき、両手で頭を抱え込んだ。
「エリシア様!? 今お目覚めになったばかりで……あまりご無理をなさらないでください!」
私の異変に気づいた使用人の女性が、慌てた様子で駆け寄ってくる。
彼女の細腕に支えられ、私はなんとか体勢を立て直した。
「くっ……痛……」
(……なるほど。これは、情報の“統合”か)
推測するに、エリシアという少女の脳に、アズラエルとしての膨大な記憶と人格が一気に流れ込んだ負荷だろう。
魔族の頑強な肉体ならいざしらず、人間のか弱い神経回路では、些細な刺激でもバグを起こしかねない。
借り物の体だ、慎重に扱わねば……。
私は痛みを堪え、心配そうにこちらを覗き込む彼女に対し、努めて冷静に振る舞おうとした。
「案ずるな。……全く問題はない」
「……え? エリシア様?」
使用人の娘が、きょとんとした顔で瞬きをした。
その瞳に浮かんでいるのは、「本当に大丈夫?」という心配と、「今の喋り方は何?」という困惑。
(……あ、しまった)
やってしまった。
無意識のうちに、玉座の上で部下に下知を飛ばす時の口調が出てしまったようだ。
今の私は魔王ではない。深窓の令嬢だ。
見栄や威厳など張っている場合ではないし、何より不審がられては元も子もない。
(ええと、令嬢、令嬢の口調……こんな感じか?)
エリシアの残存記憶を総動員して、私は必死に言葉を紡いだ。
「い、いえ……なんでもないわ。ごめんなさいね。ありがとう、助かったわ……」
「は、はい……!」
慣れない口調のせいで、少し早口になってしまった気がするが、彼女は気にしていないようだ。
とりあえず誤魔化せたと判断し、私は一番の疑問を口にした。
「ところで……なぜ私はこの部屋で寝込んでいたのかしら? 少し記憶が曖昧で……目が覚める前の出来事を教えてくださらない?」
「えっと……実は、私も今朝聞いた程度で詳しくは存じ上げないのですが……」
彼女は申し訳無さそうに眉を下げ、説明してくれた。
「昨晩、屋敷の階段でエリシア様が足を滑らせて……そこで頭を強く打たれたのだと」
「……そう」
(なるほど。そのショックでエリシアの魂が抜け、代わりに私が入り込んだ……といったところか)
不慮の事故とはいえ、いたいけな少女の体を乗っ取ってしまった形になる。
少しの罪悪感と、不可解な運命の悪戯を感じながら、私は彼女に向き直った。
「それを知って、ここまで運んで看病してくれたのね。ありがとう。……えっと」
感謝の言葉を述べようとして、言葉が詰まる。
脳内にはエリシアの記憶があるはずなのだが、魔王の知識と混ざり合って混沌としており、とっさに目の前の人物の名前が出てこない。
知ったかぶりをしてボロを出すよりは、正直に聞くべきか。
「ごめんなさい、貴女の名前を教えてくださる? 頭を打ったせいで、記憶が少し混乱しているみたいで……」
「ッ……エ、エリシア、様……?」
名前を聞いた瞬間、彼女の顔がくしゃりと歪んだ。
大きな瞳に、じわりと涙が膜を張る。
「やはり……私の記憶が、消えてしまわれたのですか……?」
震える声は、今にも泣き出しそうだ。
魔王時代、私の前で泣く人間といえば「恐怖」か「絶望」によるものだけだった。
だが彼女の涙は違う。
これは純粋な、「私が忘れられて悲しい」という情愛によるものだ。
(な、泣かれるのは苦手だ……!)
「あ、あああ、泣かないで! 違うの、名前だけ! 名前だけ思い出せないの!」
私は慌てて両手を振り、必死に弁解した。
うろたえるその姿は、冷徹な魔王とは程遠いものだっただろう。
私の必死さが伝わったのか、彼女は涙を指先で拭うと、姿勢を正した。
「……失礼いたしました。では、改めまして」
彼女はスカートの裾を摘み、ふわりと優雅に膝を折った。
その所作は、まさに熟練の使用人そのものだ。
「ヴァレンシュタイン公爵家・筆頭使用人、エマと申します。……思い出していただけましたか?」
「……エマ」
名前を聞いた瞬間、霧が晴れるように記憶が繋がった。
ダークブラウンの、落ち着いたセミロングの髪。
一見、沈着冷静に見えるが、その実、誰よりも人情深く、涙脆い優しい女性。
幼い頃からエリシアの面倒を見てくれていた、姉のような存在。
彼女から漂う温かな雰囲気に、私の――いや、エリシアの心が安堵するのがわかった。
「ええ、思い出したわ。改めてよろしくね、エマ」
自然と笑みがこぼれた。
部下に囲まれていた時とは違う。畏怖も打算もない、柔らかな空気。
(……悪くないな)
胃痛のしない人間関係というのも、案外心地よいものかもしれない。
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