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婚約破棄されて心臓発作で死んだ私は、成仏する為に復讐することにしました
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これは一体どういうことだ……?
確か私は死んだはず。
ぼんやりとした頭でそんなことを考えていた。
今いるこの場所は、生前に住んでいた家の自室だ。
そしてこの場で私は死んだのだ。
……侯爵家のクレス様に婚約破棄をされたのが原因で。
頭を整理するためにも、改めて一連の出来事を思い返すことにした。
私が死ぬことになる少し前。
夜も更けてきた頃だ。
扉がノックされ、出迎えるとそこには侯爵家のクレス様がいた。
「クレス様!」
歓喜で私の心は踊った。
こんな時間に突然どうしたのだろう。
「ミーナ、突然すまない。急ぎ伝えたい用件があったのだ」
そんな深刻そうな表情をしているクレス様は初めて見た。
今まで二人で会っていた時は、立場上色々と大変なこともあるだろうにツラそうな様子は見たことがなかった。
それ程までに緊急事態なのだろうか。
「中にお入りになって下さい」
室内に招き入れると、クレス様は「二人で話したい」と言ってきた。
「分かりました。ですが狭いですよ?」
「構わんよ」
私の家においでになられたのも初めてなのに、いきなり部屋で二人っきりなんて。
心臓の鼓動が増していくのを感じた。
リビングには両親もおり、二人共深々と頭を下げていた。
クレス様は突然の来訪を詫びると、私に続いて自室へと入った。
「お座りになって下さい」
椅子を勧めると断られてしまった。
立ったままクレス様はこちらを見つめてきた。
凛々しい顔立ち。
スラリとした身体。
改めてじっと見ると、こんな素敵な方となんで私なんかがお近づきになれたんだろうと思ってしまう。
そもそも出会ったきっかけは、町外れの川沿いでぼーっと日向ぼっこをしていたら、そこにクレス様が来られて話したのがきっかけだ。
どうやらクレス様も、一時でも日常を忘れられるこの場所がお気に入りとのことだった。
本当はこっそりと家を抜け出してきているらしく、そのお茶目さにも惹かれた。
と、そんなことを考えていたらクレス様が言葉を発した。
「時間がないので率直に言う。婚約を破棄させてくれ」
……え? 今なんて?
言われた言葉に耳を疑った。
「ミーナ、よく聞いてくれ。私は他の女性と婚約することになった。やはり身分は大事だということに気づいたんだ。すまないが私達の関係はこれで終いだ」
突然の出来事。
描いていた幸せの未来は一瞬で崩れ去った。
貧乏人とは幸せになれない。
つまりそういうことか。
婚約を迫ってきておいて、いきなりこんな仕打ちするの?
私は膝から崩れ落ちた。
「すまない」
それだけ言うとクレス様は出ていってしまった。
脳を支配する絶望、虚無感。
激しく脈打つ心臓。
ドクドクという音だけが頭に響いていた。
その瞬間、胸に強烈な激痛が走った。
「かっ……あぁ」
声にならない声が漏れる。
あまりの苦しみに倒れ込んでしまった。
私は元々心臓が弱い。
痛みに苦しむことも多々あった。
だけど今回のこれはその比じゃない。
息がまともに吸えない。
肺が、心臓が、潰れそうなほどに苦しい。
……死ぬ。
その言葉が脳によぎった瞬間、私の命はあっけなく絶えた。
婚約破棄をされて心臓発作で倒れた私。
あっさりと命は終わってしまったようだ。
だがあの世に行くことはなく、こうして自室で呆然と立ち尽くしていた。
幽霊……か。
なんとも言えない気持ちになった。
未練があるから成仏出来ないということなのだろうか。
死んでからどのくらい日数が経ったのだろう。
ここにいても何も状況は変わりそうにないので、とりあえず自室から出ることにした。
閉まっているドアの取手に手を伸ばしたが、その手はすり抜けてしまった。
「!?」
衝撃が全身を襲った。
本当に実体がないんだ。私。
改めてその事実を突きつけられた気がした。
じゃあ部屋から出るには……。
ドキドキしながらも、そのまま扉を突っ切ってみることにした。
するとあっさりと自室から出ることが出来た。
未知の体験に困惑が広がる。
ふと視界に人影を捉えた。
お母さんだ。
(お母さんっ!)
声の限り叫んだが、音になることはなかった。
言葉を発することが出来ない。
生きていた時は当たり前にしていたことが出来なくなる虚無感。
心臓が締め付けられそうになる。
……と思ったが、胸は痛まなかった。
実体がないからか。
なんと皮肉なことだろうか。
思わず乾いた笑いが出てしまった。
明かりもついていない薄暗い部屋の中、お母さんは椅子に座りうなだれていた。
見える横顔には生気がなく、頬もやつれているように見えた。
(ごめんね、お母さん)
悲しませてしまった。
料理したりお話したり、まだまだずっとあの笑顔を見ていたかったのに。
丸まったその背中に触れようとしても、空を切るだけだった。
(……全てはあの男のせいだ)
憎悪の炎が膨れ上がるのを感じながら、私は家を出た。
街の人混みの中を歩きながら、クレス様の屋敷へと向かった。
思わずすれ違う人々を避けてしまう。
そもそもすり抜けてしまうためその必要ないのだが。
空には綺麗な青空が広がっており、柔らかな日差しが降り注いでいる。
周囲の皆の表情がやたらと活き活きしているように見えた。
(元いた世界は、もう手の届かない存在になってしまった)
その事実が胸の内に影を落とした。
だからこそ。
こうされた原因に復讐しなければ。
私の心はその思いで満たされていた。
一心不乱に歩いていくと、やがてクレス様の屋敷にたどり着いた。
平民とは比べようにならないほどの立派な造りだ。
門は閉ざされていたがそんな物、私には関係ない。
ずんずんと突き進み、屋敷内部へと入った。
不法侵入だが、バレなければ問題ないだろう。
いつの間にか性格までも悪に染まってきている。
そんなことを感じた。
(さて。クレス様はいるのだろうか)
周りを見渡す。
とその時、運がついているのかクレス様の背中が廊下の先に見えた。
もちろん、こちらの姿に気づくことなどなく、そのまま部屋に入っていった。
あの部屋か。
私はゆっくりと歩いていった。
だがここでふと思う。
部屋に入って何をすればいいのだろうか。
復讐したいとは思うものの、どうしたいのだろうか。
思いに突き動かされるまま来てしまったが、急に戸惑いの心が芽生えた。
(とりあえず入ってみよう)
そう思い私はクレス様がいる部屋に入っていった。
その部屋は思っていたよりもさっぱりとしていた。
もっとこう、なんというか、豪華な家具とか置物とかがあるものだと思っていた。
部屋の窓際には机があり、クレス様は椅子に座って両肘をつき頭を抱えていた。
(どうしたのだろう?)
久しぶりに姿を見たというのに、何故か憎しみどころが心配する気持ちが勝ってしまった。
ゆっくりと近づくと、クレス様が呟く声が聞こえてきた。
「ミーナ……」
名前を呼ばれてドキッとした。
どうして? 私の名前を?
続くクレス様の言葉に私は衝撃を受けた。
「ミーナ、愛している……」
!?
愛している?
どういうこと?
婚約破棄してきたのに?
頭が混乱してきた。
言葉の真意を知りたい。
(どういうことなの? 教えて!)
必死に声を出そうとしたが、やはり届くことはなかった。
ふとその時、クレス様がこちらを振り返った。
だがすぐにまた机に視線を落とした。
何か感じたのだろうか。
疑問に思っていると再び声が聞こえた。
「父さえいなければ。あの父さえいなければ私はミーナと結婚出来たのに……」
言葉の最後の方には嗚咽が混じっていた。
クレス様は泣いていた。
私と結婚したかった? 本当に?
更に困惑がしてしまった。
『父さえいなければ』
その言葉の意味を考えた。
もしかしたらクレス様は私を本当に愛していた?
だけれどもお父様の反対でそれは破棄された。
推測だが、威厳を保つために同等の身分の者と結婚するように迫られ、私との婚約を破棄するしかなかった。
そういうことだろうか?
考えすぎだろうか……と思った時、扉がノックされた。
入ってきたのは年配の男性だった。
見るからに質の良い服を身に纏っている。
「……父さん」
この方がお父様か。
面影はどことなく似ているような気がする。
「クレス。まだあの女のことを考えているのか。既に死んだのだろう? 今更意味のないことだ」
温度を感じさせない声でそう告げた。
私が死んだことはクレス様にも伝わっていたようだ。
対するクレス様は怒りの表情でお父様を睨みつけ、椅子から立ち上がった。
「彼女を侮辱するな! あんたのせいで……」
怒っている顔は初めて見た。
言っても無駄だと思ったのか、クレス様はお父様の横を通り過ぎ部屋を出ていった。
私も慌てて追いかけようと走り出して部屋を出る瞬間。
「私に従っていればいいものを」
というお父様の声が背後から聞こえた。
あなたのせいで……。
恨むのはあの男だ。
そう思ったが、今はクレス様を追いかけよう。
さもなくばきっと後悔する。
そんな気がした。
屋敷を出ると、すっかり暗くなっていた。
前を走るクレス様の背中を見失わないように必死だった。
一体どこに向かっているのだろう。
息を切らしながら私も走り続けた。
あれからどのくらい経っただろう。
やがてたどり着いた場所は馴染みの所だった。
町外れの川沿いだ。
クレス様は座り込み、苦しそうに息をしていた。
同じく呼吸するのがツラい。
よく走ったものだと自画自賛した。
少し経ち呼吸が落ち着いてきた頃、私はクレス様の隣に静かに座った。
顔を覗き込むと明らかに疲れの色が見て取れた。
目の下にはクマが出来ている。
(眠れていないのだろうか)
頭上を見上げるとそこには星空が広がっている。
この景色を見るのが好きだった。
クレス様もそう言っていたのを思い出す。
二人で見ていると更に輝いて見えた。
恋をしているからだ。
当時そう私は思った。
人々の喧騒から離れたこの場所には、静けさが満ちている。
(好きだったなぁ。この場所も。クレス様も)
と想った時だ。
「ミーナ、愛している」
寂しそうに呟く声がした。
「私のせいで死なせてしまってすまない。婚約破棄をしてしまいすまない。何もかも私のせいだ」
きっとこれは本音で言っているのだ。なぜだかそう思えた。
(こんなにも私を想ってくれていたんだ……)
嬉しかった。
幸せだ。
復讐するために幽霊になってこうして現世に留まっているのかと思ったが、違ったらしい。
なぜ成仏できないのか。
今その理由が分かった。
私はクレス様に向かい、心を整えるように息を吸った。
そして、告げた。
声は届かないかもしれない。
でも奇跡が起きたっていいじゃないか。
そう願いながら。
「クレス様、悲しまないで下さい」
奇跡が起こった。
クレス様は驚きの表情でこちらを向いた。
「ミーナ? ミーナ! いるのか!?」
必死になって私の名前を呼んでくださるクレス様。
その声も姿も、愛おしくて、胸が切なくなって抱きしめたくなった。
でもそれは出来ない。
私はもうこの世にはいない。
変えようのない事実なのだ。
「返事をしてくれ! ミーナ!」
クレス様は私のことを必死に探してくれていた。
だけれども、もう……。
その時だった。
私の身体に淡い光が宿った。
「ミーナ!」
クレス様が私を抱きしめた。
温もりを感じる。
神様が最期に情けをくれたのだろうか。
またこうしてクレス様と触れ合うことが出来た。
「クレス様……」
「ミーナ、すまなかった! すまなかった……」
泣いているクレス様。
私はそんな悲しい姿を見るためにこの世に留まっているのではない。
「クレス様。私は笑ってほしいのです。あの笑顔をまた見たいのです」
充血して真っ赤な瞳でまっすぐにこちらを見つめてきた。
その姿に心が痛んだ。
「私は怒っていません。真実を知りましたから。だからこそ後悔してほしくないのです。立ち止まってほしくないのです。……幸せになってほしいのです」
頬を涙が伝うのを感じた。
本当はクレス様と幸せになりたかった。
でももうそれは叶わぬ夢。
だからこそ。
クレス様にはこの先、幸せになってほしい。
「ミーナ、私のせいでこんなことに」
クレス様は謝罪の言葉を何度も繰り返した。
違う。
謝ってほしいんじゃない。
私は……。
「クレス様。私は幸せでした。少しの間でもあなたといられて」
そして私は、ずっと伝えたかった言葉を紡いだ。
「愛しています。クレス様」
生前、クレス様に『愛している』という言葉を直接伝えることが出来なかった。
何度も言おうと思ったが言えなかった。
……恥ずかしかったのだ。
クレス様を目の前にすると緊張して喉が詰まり、どうしても想いを伝えられなかった。
だけれども、今こうして伝えられた。
言い終えた瞬間、私を包んでいた光は急激に眩しさを増し、段々と意識が朦朧としてきた。
「ミーナ!」
叫ぶ声が聞こえる。
ああ、愛しいクレス様。
生まれ変わったらきっとまた一緒に……。
薄れゆく意識の中、私はそう思った。
最期に会えて良かった。
私の意識はここで途絶えた。
確か私は死んだはず。
ぼんやりとした頭でそんなことを考えていた。
今いるこの場所は、生前に住んでいた家の自室だ。
そしてこの場で私は死んだのだ。
……侯爵家のクレス様に婚約破棄をされたのが原因で。
頭を整理するためにも、改めて一連の出来事を思い返すことにした。
私が死ぬことになる少し前。
夜も更けてきた頃だ。
扉がノックされ、出迎えるとそこには侯爵家のクレス様がいた。
「クレス様!」
歓喜で私の心は踊った。
こんな時間に突然どうしたのだろう。
「ミーナ、突然すまない。急ぎ伝えたい用件があったのだ」
そんな深刻そうな表情をしているクレス様は初めて見た。
今まで二人で会っていた時は、立場上色々と大変なこともあるだろうにツラそうな様子は見たことがなかった。
それ程までに緊急事態なのだろうか。
「中にお入りになって下さい」
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「分かりました。ですが狭いですよ?」
「構わんよ」
私の家においでになられたのも初めてなのに、いきなり部屋で二人っきりなんて。
心臓の鼓動が増していくのを感じた。
リビングには両親もおり、二人共深々と頭を下げていた。
クレス様は突然の来訪を詫びると、私に続いて自室へと入った。
「お座りになって下さい」
椅子を勧めると断られてしまった。
立ったままクレス様はこちらを見つめてきた。
凛々しい顔立ち。
スラリとした身体。
改めてじっと見ると、こんな素敵な方となんで私なんかがお近づきになれたんだろうと思ってしまう。
そもそも出会ったきっかけは、町外れの川沿いでぼーっと日向ぼっこをしていたら、そこにクレス様が来られて話したのがきっかけだ。
どうやらクレス様も、一時でも日常を忘れられるこの場所がお気に入りとのことだった。
本当はこっそりと家を抜け出してきているらしく、そのお茶目さにも惹かれた。
と、そんなことを考えていたらクレス様が言葉を発した。
「時間がないので率直に言う。婚約を破棄させてくれ」
……え? 今なんて?
言われた言葉に耳を疑った。
「ミーナ、よく聞いてくれ。私は他の女性と婚約することになった。やはり身分は大事だということに気づいたんだ。すまないが私達の関係はこれで終いだ」
突然の出来事。
描いていた幸せの未来は一瞬で崩れ去った。
貧乏人とは幸せになれない。
つまりそういうことか。
婚約を迫ってきておいて、いきなりこんな仕打ちするの?
私は膝から崩れ落ちた。
「すまない」
それだけ言うとクレス様は出ていってしまった。
脳を支配する絶望、虚無感。
激しく脈打つ心臓。
ドクドクという音だけが頭に響いていた。
その瞬間、胸に強烈な激痛が走った。
「かっ……あぁ」
声にならない声が漏れる。
あまりの苦しみに倒れ込んでしまった。
私は元々心臓が弱い。
痛みに苦しむことも多々あった。
だけど今回のこれはその比じゃない。
息がまともに吸えない。
肺が、心臓が、潰れそうなほどに苦しい。
……死ぬ。
その言葉が脳によぎった瞬間、私の命はあっけなく絶えた。
婚約破棄をされて心臓発作で倒れた私。
あっさりと命は終わってしまったようだ。
だがあの世に行くことはなく、こうして自室で呆然と立ち尽くしていた。
幽霊……か。
なんとも言えない気持ちになった。
未練があるから成仏出来ないということなのだろうか。
死んでからどのくらい日数が経ったのだろう。
ここにいても何も状況は変わりそうにないので、とりあえず自室から出ることにした。
閉まっているドアの取手に手を伸ばしたが、その手はすり抜けてしまった。
「!?」
衝撃が全身を襲った。
本当に実体がないんだ。私。
改めてその事実を突きつけられた気がした。
じゃあ部屋から出るには……。
ドキドキしながらも、そのまま扉を突っ切ってみることにした。
するとあっさりと自室から出ることが出来た。
未知の体験に困惑が広がる。
ふと視界に人影を捉えた。
お母さんだ。
(お母さんっ!)
声の限り叫んだが、音になることはなかった。
言葉を発することが出来ない。
生きていた時は当たり前にしていたことが出来なくなる虚無感。
心臓が締め付けられそうになる。
……と思ったが、胸は痛まなかった。
実体がないからか。
なんと皮肉なことだろうか。
思わず乾いた笑いが出てしまった。
明かりもついていない薄暗い部屋の中、お母さんは椅子に座りうなだれていた。
見える横顔には生気がなく、頬もやつれているように見えた。
(ごめんね、お母さん)
悲しませてしまった。
料理したりお話したり、まだまだずっとあの笑顔を見ていたかったのに。
丸まったその背中に触れようとしても、空を切るだけだった。
(……全てはあの男のせいだ)
憎悪の炎が膨れ上がるのを感じながら、私は家を出た。
街の人混みの中を歩きながら、クレス様の屋敷へと向かった。
思わずすれ違う人々を避けてしまう。
そもそもすり抜けてしまうためその必要ないのだが。
空には綺麗な青空が広がっており、柔らかな日差しが降り注いでいる。
周囲の皆の表情がやたらと活き活きしているように見えた。
(元いた世界は、もう手の届かない存在になってしまった)
その事実が胸の内に影を落とした。
だからこそ。
こうされた原因に復讐しなければ。
私の心はその思いで満たされていた。
一心不乱に歩いていくと、やがてクレス様の屋敷にたどり着いた。
平民とは比べようにならないほどの立派な造りだ。
門は閉ざされていたがそんな物、私には関係ない。
ずんずんと突き進み、屋敷内部へと入った。
不法侵入だが、バレなければ問題ないだろう。
いつの間にか性格までも悪に染まってきている。
そんなことを感じた。
(さて。クレス様はいるのだろうか)
周りを見渡す。
とその時、運がついているのかクレス様の背中が廊下の先に見えた。
もちろん、こちらの姿に気づくことなどなく、そのまま部屋に入っていった。
あの部屋か。
私はゆっくりと歩いていった。
だがここでふと思う。
部屋に入って何をすればいいのだろうか。
復讐したいとは思うものの、どうしたいのだろうか。
思いに突き動かされるまま来てしまったが、急に戸惑いの心が芽生えた。
(とりあえず入ってみよう)
そう思い私はクレス様がいる部屋に入っていった。
その部屋は思っていたよりもさっぱりとしていた。
もっとこう、なんというか、豪華な家具とか置物とかがあるものだと思っていた。
部屋の窓際には机があり、クレス様は椅子に座って両肘をつき頭を抱えていた。
(どうしたのだろう?)
久しぶりに姿を見たというのに、何故か憎しみどころが心配する気持ちが勝ってしまった。
ゆっくりと近づくと、クレス様が呟く声が聞こえてきた。
「ミーナ……」
名前を呼ばれてドキッとした。
どうして? 私の名前を?
続くクレス様の言葉に私は衝撃を受けた。
「ミーナ、愛している……」
!?
愛している?
どういうこと?
婚約破棄してきたのに?
頭が混乱してきた。
言葉の真意を知りたい。
(どういうことなの? 教えて!)
必死に声を出そうとしたが、やはり届くことはなかった。
ふとその時、クレス様がこちらを振り返った。
だがすぐにまた机に視線を落とした。
何か感じたのだろうか。
疑問に思っていると再び声が聞こえた。
「父さえいなければ。あの父さえいなければ私はミーナと結婚出来たのに……」
言葉の最後の方には嗚咽が混じっていた。
クレス様は泣いていた。
私と結婚したかった? 本当に?
更に困惑がしてしまった。
『父さえいなければ』
その言葉の意味を考えた。
もしかしたらクレス様は私を本当に愛していた?
だけれどもお父様の反対でそれは破棄された。
推測だが、威厳を保つために同等の身分の者と結婚するように迫られ、私との婚約を破棄するしかなかった。
そういうことだろうか?
考えすぎだろうか……と思った時、扉がノックされた。
入ってきたのは年配の男性だった。
見るからに質の良い服を身に纏っている。
「……父さん」
この方がお父様か。
面影はどことなく似ているような気がする。
「クレス。まだあの女のことを考えているのか。既に死んだのだろう? 今更意味のないことだ」
温度を感じさせない声でそう告げた。
私が死んだことはクレス様にも伝わっていたようだ。
対するクレス様は怒りの表情でお父様を睨みつけ、椅子から立ち上がった。
「彼女を侮辱するな! あんたのせいで……」
怒っている顔は初めて見た。
言っても無駄だと思ったのか、クレス様はお父様の横を通り過ぎ部屋を出ていった。
私も慌てて追いかけようと走り出して部屋を出る瞬間。
「私に従っていればいいものを」
というお父様の声が背後から聞こえた。
あなたのせいで……。
恨むのはあの男だ。
そう思ったが、今はクレス様を追いかけよう。
さもなくばきっと後悔する。
そんな気がした。
屋敷を出ると、すっかり暗くなっていた。
前を走るクレス様の背中を見失わないように必死だった。
一体どこに向かっているのだろう。
息を切らしながら私も走り続けた。
あれからどのくらい経っただろう。
やがてたどり着いた場所は馴染みの所だった。
町外れの川沿いだ。
クレス様は座り込み、苦しそうに息をしていた。
同じく呼吸するのがツラい。
よく走ったものだと自画自賛した。
少し経ち呼吸が落ち着いてきた頃、私はクレス様の隣に静かに座った。
顔を覗き込むと明らかに疲れの色が見て取れた。
目の下にはクマが出来ている。
(眠れていないのだろうか)
頭上を見上げるとそこには星空が広がっている。
この景色を見るのが好きだった。
クレス様もそう言っていたのを思い出す。
二人で見ていると更に輝いて見えた。
恋をしているからだ。
当時そう私は思った。
人々の喧騒から離れたこの場所には、静けさが満ちている。
(好きだったなぁ。この場所も。クレス様も)
と想った時だ。
「ミーナ、愛している」
寂しそうに呟く声がした。
「私のせいで死なせてしまってすまない。婚約破棄をしてしまいすまない。何もかも私のせいだ」
きっとこれは本音で言っているのだ。なぜだかそう思えた。
(こんなにも私を想ってくれていたんだ……)
嬉しかった。
幸せだ。
復讐するために幽霊になってこうして現世に留まっているのかと思ったが、違ったらしい。
なぜ成仏できないのか。
今その理由が分かった。
私はクレス様に向かい、心を整えるように息を吸った。
そして、告げた。
声は届かないかもしれない。
でも奇跡が起きたっていいじゃないか。
そう願いながら。
「クレス様、悲しまないで下さい」
奇跡が起こった。
クレス様は驚きの表情でこちらを向いた。
「ミーナ? ミーナ! いるのか!?」
必死になって私の名前を呼んでくださるクレス様。
その声も姿も、愛おしくて、胸が切なくなって抱きしめたくなった。
でもそれは出来ない。
私はもうこの世にはいない。
変えようのない事実なのだ。
「返事をしてくれ! ミーナ!」
クレス様は私のことを必死に探してくれていた。
だけれども、もう……。
その時だった。
私の身体に淡い光が宿った。
「ミーナ!」
クレス様が私を抱きしめた。
温もりを感じる。
神様が最期に情けをくれたのだろうか。
またこうしてクレス様と触れ合うことが出来た。
「クレス様……」
「ミーナ、すまなかった! すまなかった……」
泣いているクレス様。
私はそんな悲しい姿を見るためにこの世に留まっているのではない。
「クレス様。私は笑ってほしいのです。あの笑顔をまた見たいのです」
充血して真っ赤な瞳でまっすぐにこちらを見つめてきた。
その姿に心が痛んだ。
「私は怒っていません。真実を知りましたから。だからこそ後悔してほしくないのです。立ち止まってほしくないのです。……幸せになってほしいのです」
頬を涙が伝うのを感じた。
本当はクレス様と幸せになりたかった。
でももうそれは叶わぬ夢。
だからこそ。
クレス様にはこの先、幸せになってほしい。
「ミーナ、私のせいでこんなことに」
クレス様は謝罪の言葉を何度も繰り返した。
違う。
謝ってほしいんじゃない。
私は……。
「クレス様。私は幸せでした。少しの間でもあなたといられて」
そして私は、ずっと伝えたかった言葉を紡いだ。
「愛しています。クレス様」
生前、クレス様に『愛している』という言葉を直接伝えることが出来なかった。
何度も言おうと思ったが言えなかった。
……恥ずかしかったのだ。
クレス様を目の前にすると緊張して喉が詰まり、どうしても想いを伝えられなかった。
だけれども、今こうして伝えられた。
言い終えた瞬間、私を包んでいた光は急激に眩しさを増し、段々と意識が朦朧としてきた。
「ミーナ!」
叫ぶ声が聞こえる。
ああ、愛しいクレス様。
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公爵令嬢は、第一王子から理不尽な言いがかりをつけられていた。
男爵家の庶子と懇ろになった王子はその醜態を学園内に晒し続けている。
その状況を打破したのは、僅か3歳の王女殿下だった。
カテゴリーは悩みましたが、一応5歳児と3歳児のほのぼのカップルがいるので恋愛ということで(;^ω^)
ほんの思い付きの1場面的な小噺。
王女以外の固有名詞を無くしました。
元ネタをご存じの方にはご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。
創作SNSでの、ジャンル外での配慮に欠けておりました。
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