喪女の夢のような契約婚。

紫倉 紫

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シーズン2

第四十話

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 蓮水から「そちらへ向かう」と連絡が来たのは、20時前だった。
 ちょうど、ほとんどの調理が終わったところだった。
 会社からはタクシーであれば10分もかからないはずだ。
 凡子は食卓に料理を並べ始めた。
 豆腐ハンバーグはなかなか良い色に仕上がった。醤油ベースのソースをかけて、大根おろしをのせ、細切りの大葉を散らす。ほうれん草のおひたしも添えた。
 野菜は多めで、たんぱく質も十分取れるけれど、あっさりしすぎている気がしたので、汁物は豚汁にした。他にも、鉄分を取れるように、ひじきの煮物も作った。
 インターホンがなった。画面に蓮水が映っている。凡子は少し不思議な感じがして、すぐには応答しなかった。
 もう一度、なった。慌ててボタンを押す。
〈俺だ〉
 凡子はオートロックを解錠した。
 昨日、一緒に来た時も緊張したけれど、『迎える』というのはまた別の気恥ずかしさがある。
 お茶を用意しているうちに、部屋のチャイムがなった。
 凡子は玄関へ向かった。
 ドアを開けて、「おかえりなさい」と言いそうになったが、口にする前に間違いに気づいた。
「いらっしゃいませ」
 蓮水が「うーん」と、眉を顰めたあとに、「ここだと、そうか」と、言った。
「どうぞ、中へ」
 残業中にそうゆっくりもできないだろう。蓮水から上着を預かって、手を洗ってもらう。
 蓮水はダイニングに入ると「今日の料理も美味そうだ」と言った。
 凡子はその言葉を聞いて、軽く胸が締め付けられた。

ーー蓮水さんは推しだから、些細な一言に、いちいちときめいてしまう。
 蓮水は早速食卓についた。凡子は急須と湯呑みを取りに行く。すぐに戻り、凡子も席についた。蓮水は待ってくれていたらしい。
「いただきます」と、手を合わせてから、箸を持った。
 まずは、豚汁を口にした。凡子は食べ始めずに、蓮水を見つめてしまっていた。
「美味いよ、食べないのか?」
 凡子は声をかけられ、慌てて箸をとった。
 蓮水から「このハンバーグは何でできてるんだ?」と、訊かれた。
「豆腐です」
「これが豆腐のハンバーグなのか。なかなかいける」
 凡子は蓮水が豆腐ハンバーグを食べたことがなかったと知り「庶民的すぎましたか?」と、思わず聞いていた。
「たまたま食べる機会がなかっただけだ」
 いつ、一人暮らしを始めたかは知らないが、それまでは社長宅でそれこそ料理人のような腕を持つ家政婦の作った料理を当たり前に口にしてきただろう。一人暮らしを始めてからは、外食ばかりで、それこそプロの料理ばかりを食べてきたはずだ。
 凡子はつい、いつもの感覚で用意してしまった。蓮水の健康を考えて作った料理ではあるが、よく見ると質素すぎる。
「私の感覚だと、つましい食事になってしまうので、蓮水さんから、リクエストいただくとありがたいのですが……」
 蓮水から「なみこ」と呼ばれた。少し、怒ったような表情をしている。
「家では『蓮水』は禁止だ」
 そう言ったあと、蓮水は表情を緩め「なみこの作るものなら、なんでも美味いから、なみこが食べたいものを作ってくれればいい」と言った。
 凡子はまた、胸が締め付けられた。

 途端に、食欲がなくなる。手を止めて、蓮水の皿を見る。順調に減っていく。きっと、空腹だったのだろうと凡子は思った。
「お昼は何を食べたんですか?」
 気になって訊いてみた。
「内緒」
 予想外の回答に凡子は思わず「なんと!」と、声に出していた。
 蓮水は素知らぬ顔で食べ続けている。
「シュークリームだけってことはないですよね?」
 凡子は心配になり確認した。
「さすがに、それはない」
 多分、空腹を満たすだけの何かを食べたに違いない。早く泉堂に店を紹介していかなければと凡子は思った。
「樹さんの充実した昼食のために、泉堂さんにお店を紹介しておきます」
 蓮水が箸を置いた。
「泉堂とは、どんな話を?」
 凡子はどう説明したら良いのか咄嗟にわからなかった。
「俺と会った感想はどう答えた?」
「それは訊かないでくれたので、答えてません」
 蓮水は訝しげに首を傾げた。
「どういう流れで、そうなるのかわからないな」
「泉堂さんが私が話したがってないのを察してくれたんです」
 凡子は、ありのままを話した。蓮水はまだ納得できていない様子だ。
「泉堂とはまだランチの約束があるのか?」
 凡子はそのまま答えていいのか迷った。

 凡子が言葉にする前に「行っても、構わないんだが」と、蓮水が付け足した。
 契約の時から、問題ないと言われていた。
「時々、ご一緒する約束はあります」
「泉堂から誘われたのか?」
 凡子は、首を傾げながら、どういう流れだったかを思い返した。
「泉堂さんが、また樹さんも誘って三人でランチでもとおっしゃったので、お断りをしたんですが……」
「断ったんだ」
「はい、緊張で料理の味もわからなくなると……」
 凡子は答えながら、恥ずかしくなってきた。
「俺抜きでまたランチへ一緒に行く流れになったのか?」
「泉堂さんの中では、私と定期的にランチへ行くのは、決まっていたみたいです」
「で、断りきれなかったと?」
 凡子は、自分の説明が下手で、蓮水が誤解してしまったと慌てた。バディである泉堂が強引に受付係を誘っているとなると、蓮水も困るかもしれない。
「強引にとか、そういうのではなかったです。私も、泉堂さんとランチに行きたいと思ったんです」
「そうか」
 蓮水は納得したのか、箸を取って食事の続きをはじめた。さっきより、食べるスピードが速い。仕事の途中で抜けて来ているから、早く戻りたいのだろう。
 平日、まともに取れるのが夕食だけだと、やはりバランスが崩れてしまう。
「樹さんにお願いがあるんですが……」
「泉堂のことで?」
「泉堂さんのことでもお願いはありますが、まずは別のことです」
「聞くだけは聞く」
 蓮水は早く仕事に戻りたいのだろう。声が、冷たかった。

 凡子は蓮水が夕食を食べ終わるまでに、できる限り、明日以降どうしていくかを話し合う必要がある。
「お願いについてですが、軽くで良いので、朝食をとっていただきたいです」
「わかった」
 あっさり承諾してもらえた喜びで凡子は思わず「ありがとうございます」と、笑顔になった。
「で、泉堂の方は?」
「それはですね。忙しいとは思いますが、できるだけ泉堂さんとお昼ご飯を食べに行っていただきたいんです」
 蓮水が目を瞬かせた。
「俺も含めて三人でランチにいくのは嫌で、自分は泉堂と二人で時々食事をして、俺には泉堂と食事に行ってほしいということか?」
 凡子は、蓮水の言葉に、少し棘を感じた。言ってる内容に間違いはないので、凡子は肯定した。
「泉堂と昼食をとるのは、全く問題ないが、なみこから頼まれる理由がわからない」
 凡子は「あっ、それなら説明します」と、言った。
「樹さんの健康のためです」
 蓮水がわかりやすく不思議そうな顔をした。
「泉堂と食事に行くと、健康になれるのか?」
「はい! 私が泉堂さんに、ヘルシーなランチを紹介していきますので」
 凡子は自信満々で言った。
「うーん、なんとなく話は読めて来たが、どうしてそうする必要があるかわからないな」

「必要に決まってます! 恋様の健康のためなんだから」
 蓮水は「そこじゃない」と、呆れた様子で顔を横にふった。凡子は、一体どこがおかしいのかと気になった。
「ヘルシーなランチを俺に直接教えれば済むだろう」
 凡子は「あっ」と声を出して固まった。
 泉堂が凡子の紹介した店に蓮水を誘うと言い出したから、他の店も紹介すれば行ってもらえると考えた。
「泉堂は、俺たちが一緒に暮らしてると知らないからな」
「当然です」
 それにしても、確かに蓮水に直接店を教えればすんだ。なぜそういう流れになったのかを、凡子は思い出した。
「蓮水さんが、苛立ちをおさえられないほど疲れていたと泉堂さんから聞いたんです。だから、食事は栄養のあるものをと思って……」
 結局、蓮水に直接言えば済む。どちらかといえば、泉堂から定期的に、仕事中の蓮水の様子を仕入れたかったのだ。
「蓮水は禁止だ」
「樹さん、でしたね」
 蓮水を名前で呼ぶのは、なかなか慣れない。慣れたら慣れたで、同僚の前で言ってしまいそうで不安だった。
「なみこの方は、だいたい理解できた。ただ、泉堂がどういうつもりなのかは、わからないな」
「それは、私の紹介するお店が美味しいからだと」
 蓮水が笑みを浮かべ「そういうことにしとくか」と言った。
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