喪女の夢のような契約婚。

紫倉 紫

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シーズン2

第四十一話

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 蓮水が含みのある言い方をした。気にはなったが今のうちに聞いておきたいことがある。
 凡子は「明日は、こちらに泊まりますか?」と、訊いた。
「は?」
 蓮水が驚いている。
「冗談だったんですか? 樹さんが仕事に戻ったあとに、あちらに移動して、また明日の朝にはこちらに来てと考えると、お泊まりいただいた方が何かと効率よく感じましたので」
「その件は、冗談ではなく本気だ。ただ、話が急に飛んで驚いただけだ」
「先に話しておかないと思ったので」
 蓮水が「たしかに、明日からこちらに泊まれるなら、何かと楽だ」と頷いた。
 蓮水は「どうするのが良いかな」と、言ったあと、お椀を手に取って豚汁を飲んだ。黙々と食事を続ける。手順を考えているのだろう。
 凡子も、気分が落ち着いて、食欲が湧いてきた。
 食べ終わり、箸を置くと、蓮水が話しかけてきた。
「今夜は、このままこちらで過ごすといい」と、言った。
「良いんですか?」
「だめだな」
 蓮水の返事に凡子は困惑した。
「新妻の反応として間違っている」
 凡子は「に、新妻……」と、呟いた。単に妻というより、生々しい響きだ。
「普通は、もっと寂しがるものだろう」
 実際に新婚ならそうかもしれない。
「わかりました。常に、練習しておかなければいけないということですね」
 凡子は気合いを入れて「とても寂しいです」と、言った。

 蓮水がため息をついた。
「かなり、練習が必要だな」
 凡子は練習しても無駄になる気がすると思った。
 蓮水は「仕事に戻る」と言って、凡子の家を後にした。
 明日の朝には、今週分の着替えを運んでくると言っていた。せっかく時間ができたので、蓮水に使ってもらう部屋の整理をしておく。
 朝、こちらに来てもらえるなら、朝食を作るのも楽だ。
 明日から蓮水に泊まってもらうための準備をすませた。次は、就寝へ向けての準備だ。
 入浴も、蓮水の家でするより、ずっとリラックスできた。
 寝る前に、『五十嵐室長はテクニシャン』の再読をする。
 ベッドのそばに置いてある香水の蓋を開けて、そっと鼻を近づける。
「良い香り」
 凡子は、今夜は良い夢を見られそうだと思いながら早めに眠りについた。
 
 凡子は、五十嵐室長の部下になっていた。
「今日中に、この資料をまとめておくように」
 室長に指示をされ、凡子は「かしこまりました」と、張り切った。
 ところが、束になった資料を手に取りめくると、白紙だった。たまたまかと考え何枚もめくっていく。すべて白紙だ。
 室長に報告するため、席を立った。
 部署内を見回すが、見当たらない。凡子は室長を探すため部署から外に出た。すると今度は、歩いても歩いてもひたすら廊下が続いた。
 やっと室長を見つけ駆け寄ると、そこにいたのは蓮水だった。
「あっ、蓮水さん」
「だめだ。やり直し」
 それから、廊下にドアベルの音が鳴り響いた。
 凡子はベルの音を止めようと、あたりを探す。
ーー違う。本当になってる!
 慌てて飛び起きた。
 時間は、23時をすぎたばかりだった。
 遅い時間に誰だろうと、インターホンのモニターを見ると、蓮水が映っていた。

「今、開けますね」
 凡子は慌ててオートロックを解錠した。なにか忘れ物をしたのだろうかと心配になる。玄関ドアをすぐ開けられるよう、近くで待っていた。
 しばらくして、ドアの外で人の気配がしたので、鍵を開けた。ドアを少し引くと隙間から蓮水が見えた。スーツではなく普段着なので、一度家に帰った後らしい。
「どうなさいました?」
 蓮水は、凡子の質問には答えずに、「今、ドアスコープを確認しなかっただろう」と言った。
「はい……見ませんでした」
「俺じゃなかったらどうするつもりだった」
 蓮水の口調がかなりきつめだ。さっきマンションの下にいたのを知っているのだから、蓮水以外が上がってくるなど考えられない。それに凡子には一応、合気道の心得もある。しかし、蓮水が心配してくれているのだと受け取り「不用心でした。すみません」と、返した。
「今のは、俺だとわかっていたからだと思うが、いつでもそうなら気をつけた方がいい」
 凡子は、普段は誰も来ないから心配ないと思った。
「以後、気をつけます」
「いや、急にドアが開いたことに驚いて、過剰に反応してしまって悪かった」
 その後で蓮水が「中に入れてもらえないか」と控えめに言った。
 ドアを全開にして「どうぞ、どうぞ」と招き入れる。よく見ると、蓮水は大きなスーツケースを持っている。
「出張……ではないですね?」
「そうだな」
 明日の朝、荷物を運んでくる予定だったはずだ。
「朝は、道が混むかもしれないから、夜のうちに移動した方が確実だと気づいた」
 蓮水の言うとおりだとは思う。しかし、急に予定を変更されると、心の準備が整わない。
「ショートメッセージを送っておいたが、気づかなかったんだな」
「連絡いただいてたんですね……」
 最新話の読み返しの時は気づかなかった。凡子がすでに寝た後の連絡だったのかもしれない。来客用の寝室の用意は済ませてあるので、今夜から泊まってもらうのは構わなかった。
「スーツがしわにならないうちに、かけましょう」
 凡子は、蓮水を寝室へ案内した。

 蓮水は、大きなスーツケースを持ち上げて家に運び込んだ。床が汚れないように気を遣っているのがわかり、凡子は「雑巾をとってきます」と、洗面所に急いだ。
 濡れ雑巾を持って戻ると、蓮水が「ありがとう」
と言った。凡子はしゃがんで、キャスターの汚れを拭き取った。しかし、蓮水は結局スーツケースを床に置かなかった。
「重くないんですか?」
「まあ、軽くはないが転がすには時間が遅いからな」
 凡子は蓮水の言う通りだと思った。一度寝ていたせいで頭が回っていない。
 リビングに入った時点で、蓮水にスーツケースをおろしてもらった。
「中身を運ぶのを手伝います」
 スーツケースを開けると、五着のスーツが入っていた。この程度なら、客間のクローゼットに全てかけられる。
「残りは休みの日に運んでくる」
「あと、どのくらいあります?」
「二十はないかな」
 全て運んでくるとなると、両親の部屋のウォークインクローゼットを使う必要がある。
「後、五着もあればしばらくは困らないだろう」
 考えてみると、蓮水は完全にこちらへ引っ越してくるわけではないのだ。
 とりあえず、スーツケースの中身は片付けられた。空のスーツケースは、ウォークインクローゼットにしまう。
「樹さん、お風呂は済んでるんですか?」
「家でシャワーを浴びてきた」
 あとは寝るだけのようだ。
「シーツは変えておきました。一応、布団乾燥機もかけてあります」
 蓮水は「そうか」と、言った。
「私が敷きましょうか?」
「いや、必要ない」
 凡子は「わかりました。それでは、おやすみなさい」と挨拶をして、部屋を出た。
 なぜか蓮水がついてくる。
「あっ、歯磨きですか?」
「それも家で済ませた」
 凡子は、お手洗いかと思った。
「それでは」
 もう一度挨拶をして自室へ向かう。まだ蓮水がついてくる。
「えっと、こっちは私の部屋です」
「わかっている。今日はなみこの部屋で寝るんだろ?」
 

 凡子は首を傾げ、まさか本気じゃあるまいと思いながら「私は自室で寝ますが……」と、返した。
「夫婦は一緒に寝るものだと昨日説明したはずだ」
「樹さんの家に寝具が一つしかなかったから、同じベッドを使うしかなかっただけじゃ……」
 蓮水は顔を左右に動かした。
「それだけじゃない」
 冗談ではなさそうだ。
 蓮水の家では仕方なかった。今は、来客用の布団も用意してあるのだ。しかも凡子のベッドはシングルで狭い。
 凡子はなんとしても断りたかった。ベッドの幅から考えて、かなり密着して寝ることになってしまう。
「一緒に寝る必要はないと思うのですが……」
 蓮水はすかさず、話し始めた。
「平日は、朝、せいぜい1時間程度一緒にいて、夕食時に顔を合わせて、その後は、俺の帰宅後、寝るまでの1時間から2時間ほどを共に過ごす。そんな程度の交流で、叔父に会う日までに、恋愛結婚をした雰囲気を醸し出せると思うか?」
 凡子は、無理だと思った。しかし、頷かなかった。
「寝る時間は7時間近い」
「だけど、寝てるんですよね」
「寝ていたとしても、他人の体温と匂いがずっと隣にあるのだから、脳が自然と、相手を身近な存在と認識するようになるはずだ」
「睡眠学習というわけですね……」
 凡子は、蓮水からからかわれているのではと、少し疑っていた。
 ただ、考えようによっては、隣で寝ているだけで、距離が近いことに慣れるなら、楽だ。
 起きている時に蓮水がそばに寄ってくると心臓が破裂するかと思うくらいドキドキしてしまう。
「狭いですよ?」
「構わない」
 二人でベッドに入り、なんとなく背中合わせになった。
 壁に額がつくくらい、壁側につめたけれど、どうしても背中同士が触れる。凡子は、背中から鼓動が伝わってしまうんじゃないかと心配していた。
ーー樹さん、体温高い。
 湯船に浸かっているような心地よさがあった。
 凡子は、このまま眠れそうな気になってきた。
 うとうとしていると、蓮水が突然起き上がった。
「このベッドで二人が寝るのは無理だな」
 凡子が呆気に取られている間に、蓮水はさっさと部屋を出ていった。

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