喪女の夢のような契約婚。

紫倉 紫

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シーズン2

第四十八話前

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 凡子は夢を見た。
 正面に蓮水が二人並び、隣にも蓮水がいる中、質問攻めにあう夢だった。
 目覚めても「夢で良かった」とは喜べなかった。
 金曜の夜にも受け答えの特訓がおこなわれ、土曜日には、蓮水と一緒に、当日の衣装を買いに出かけた。
 蓮水が選んでくれたピンクベージュのワンピースは、色形は控えめな印象だが、値段が凡子の月給より高かった。靴やバッグまで合わせると凡子が目眩を起こす金額になった。
 昨日の買い物の中で、一番凡子を憂鬱にさせたのは、結婚指輪だった。
「サイズ調節なしに、今日、持って帰れるもので」
 宝石店の店員は、デザインや素材について説明しようとしたが、蓮水は「今すぐ持って帰れること以外に拘りはない」と一蹴した。
 凡子と蓮水の左手薬指に合うサイズで揃っている結婚指輪は結構あったのだが、蓮水は「一番高い物で」の一言で済ませた。
 凡子と蓮水の婚姻にリアリティを持たせるためだけの小道具なのだ。一番安い物にして欲しいとまでは思わないが、せめて、ワンピースと同じくらいの値段までに抑えて欲しかった。
 宝石店で蓮水は、ワンピースにあったデザインのネックレスとイヤリングまで買った。
 凡子は店を出る頃には、いつになく落ち込んでいた。
 蓮水が浪費したことが不満なのではなかった。
 自分が高級品を身につけなければならないことを、負担に感じたのだ。
 

 社長夫婦との顔合わせは、昼食後、14時からの約束だ。
 凡子は朝食も昼食も用意をしただけで、ほとんど喉を通らなかった。
「どうして良いかわからない時は、恥ずかしそうに俯けばなんとかなる」
 蓮水としては無理して訳のわからない言葉を発するよりは、収集をつけやすいのだろう。助け舟を出してもらえるなら心強い。
 身なりを整えた後で、蓮水の作ってくれた台本に目を通した。
 蓮水は、スーツに着替えていた。考えるのが面倒だったらしい。凡子は、蓮水にとっては実家へ顔を出すのに近いと考えていたので、もう少し軽装で行くのかと思い込んでいた。
 スーツの色は、凡子の服装とのバランスも取れている。凡子が全く気の回らない部分も、蓮水はいろいろ考えていたのがわかる。
 とうとう、社長宅へ向かう時間になってしまった。
 蓮水はいつもと変わらない様子だ。凡子は、すでに吐いてしまいそうなほど緊張していた。
 タクシーの中で、凡子は思考停止に陥っていた。タクシーに乗ってから、どのくらい経ったのか、わからなかった。隣に座っている蓮水が、凡子の頭に手のひらを載せた。
「叔父が想定外の質問をしてきたら、俺がなんとかするから、大丈夫だ」
 タクシーが止まった。
 社長宅に着いたらしい。

 タクシー内で緊張しすぎて、外の風景を、全く見ていなかった。
 降りると、大きな木製の門が見えた。
「門に屋根がついてる……」
 蓮水が「フッ」と声に出したあと、拳で口元を押さえた。
 凡子は、早速失敗してしまったと思い、直立不動のまま目を見開いた。
「俺も流石に緊張していたが、今ので少しほぐれた」
「それは、何よりです」
「なみこは、ガッチガチだな」
 実際、そうなので否定できない。
「いざとなったら、落ち着きがないところを好きになったと説明するから、そこまで気負うことはない」
――落ち着きのないところを気にいったなんて……、絶対、偽装結婚だとバレてしまう。
 凡子は、絶対しくじるわけにはいかないと、拳を握りしめた。
 蓮水が門に近づき、インターホンを押した。するとすぐに門が開いた。
 中から、和服姿の年配の女性が出てきた。
「樹坊ちゃま、お待ちしておりました」
「たきのさん、久しぶり」
 凡子は、蓮水を坊ちゃまと呼ぶあたりから、女性の立場を、家政婦だと予想した。
――私の目指すべき存在の方。いろいろ学ばねば。
「こちらの方が、奥様ですね。素敵な方ですね」
 女性が微笑みかけてきた。
 凡子はいきなり、練習していないケースにでくわし、半パニックになった。

「なみこ、こちらは野宮たきのさん。一条家で長年家政婦をされてる」 
 蓮水がなみこの背中を軽く手のひらで押した。
「当然、二人は『はじめまして』だよな」
 凡子は、蓮水が何をしろと言っているのか、ようやく気づいた。
「はじめまして、凡子と申します」
 凡子は深々と頭を下げた。
「なみこ、そこまでかしこまる必要はないよ」
 凡子は、わからない時は恥ずかしそうにしておけばいいことを思い出した。
「ごめんなさい」と、俯き加減で口元を隠した。
「緊張なさるのも無理はございませんよ。旦那様も奥様もお優しいので、ご安心ください」
 女性の声は柔らかで、凡子は少し落ち着きを取り戻した。
「お二人がお待ちです。中にお入りください」
 門をくぐると石畳が敷いてあった。脇には庭木が植えてあり、どれも綺麗に剪定されている。
 民家というより、老舗旅館の佇まいだ。
 女性が、大きな引き戸を開けると、カラカラと軽快な音が聞こえてきた。
「お二人は、応接間でお待ちです」
「あの部屋にしたんだ」
 蓮水には、勝手がわかっているが、凡子は案内されるままついていくしかない。

 玄関がちょっとした部屋くらいの広さだった。その先に伸びる廊下も長い。玄関で、用意されていたスリッパに履き替えたのだが、ストッキングが滑って、歩きづらかった。
 足音が出ないように、足に神経を集中しながら、蓮水のすぐ後ろを歩く。
 突然、蓮水が立ち止まった。危うくぶつかるところだった。
 部屋の中に通された。
 八畳ほどでそれほど広くはないが、中央には、見るからに高級な応接セットがある。天井近くまである大きな窓から、光が差し込み明るかった。
 すでに、社長夫婦は中にいた。ソファから立ち上がって振り向いた。 
 社長の顔は以前から知ってはいた。社長は蓮水よりもだいぶふくよかなため気づいていなかったが、親族だと知ってみると、目元など似ていた。
 簡単な挨拶をすませ、促されてソファに座った。
 蓮水から、どんな顔をしたら良いかわからない時は、受付に立っている顔でいいと言われていたので、わずかに微笑んだ顔をキープしている。
「突然、来てもらって悪かったね。樹が選んだ方に一日も早くお会いしたかったものだから」
 社長は、笑顔でそう言った。
「本当に可愛らしい方で、お会いできて嬉しいわ」
 凡子は社長夫人の放つ気品に、見とれてしまった。
「なみこは少しあがり症だから、慣れるまで反応が鈍いかもしれない」
 凡子が何も言わずにぼーっとしていたので、蓮水がフォローをいれた。凡子は我にかえり「社長の奥様があまりに美しく、つい目を奪われておりました」と、言った。
「まあ」
 社長夫人は、嬉しそうにしている。
「社長かあ……たしか、なみこさんはうちのグループ会社で勤めているんだったね」
 この質問は練習済みだったので、凡子は堂々と返した。
「ただ、今は社長として会ってるんではないから……お義父さんと呼んでくれたらいいよ」
 凡子は、想定外のことを言われ、固まった。
「お義父さんでなく……叔父さん、または一条さんが正しいのでは?」
 蓮水が代わりに返してくれた。
「俺たちは樹を実の子供と思っているんだから、これを機会に、樹からも『おとうさん』と呼ばれたい」


「その話は、別の機会にしてほしい」
 蓮水の提案はすぐに受け入れられた。
 ノックの音が聞こえた。社長夫人は「あなた、お茶が入ったみたい」と、隣にいる社長に声をかけた。
「入ってくれ」
 社長がドアの方に向かって声をかけた。
 女性が、ワゴンを押しながら入ってきた。ワゴンの上にはケーキスタンドとティーセッがトが載っている。
――これは、アフタヌーンティーというやつでは!
「少しお時間は早いけれど、なみこさんはお若いから食べられるでしょう?」
 ケーキスタンドに並んでいる焼き菓子やケーキは、色鮮やかでどれも美味しそうではあった。しかし、凡子は緊張で食欲がない。だからといって断れるはずもなく「はい、いただきます」と、返した。
 蓮水が「やればできるじゃないか」と、小声で言った。
 ティーポットからカップへと紅茶が注がれる音が優雅だった。白磁のティーカップが紅茶の色を際立たせている。
「お砂糖とミルクはどうなさいますか?」
 社長夫妻はもちろん、蓮水の好みも把握しているようで、凡子にだけ尋ねてきた。
「ありがとうございます。このままで大丈夫です」
 蓮水はずいぶんたくさんの質問パターンを用意してくれたが、今の所、ほとんど違う質問ばかりだ。
 とりあえず、仕事中と同じように、無難な回答を選べばいい。

「なみこさん、遠慮せずに食べてね」
 社長夫人にお菓子をすすめられた。
 蓮水が「なみこ、どれがいい」と訊いてきた。
「自分で……」
 凡子はそう言って手を伸ばした。すると、蓮水が凡子の手を握って止めた。
 あまりの驚きに、凡子は息を止めて蓮水を見た。
「俺が取るよ」
 蓮水が、意味のない行動を取るはずがない。
――お二人に、妻を大事にしている姿を見せようとしているんだわ。
「お願いし……ようかな」
 つい、敬語が出そうになったが、誤魔化せた。
 蓮水が、凡子の手を放すときに、「手が、震えてた」と、小さな声で教えてくれた。
 自分では気づいていなかった。もし、知らずに菓子を取っていたら、確実に、トングか菓子を落としていた。粗相をしたら狼狽えてさらに何かを起こしていたかもしれない。
 凡子は、心を落ち着かせようと、意識してゆっくり呼吸した。
――社長も奥様も、意地悪な質問をするようなお人柄ではないし、樹さんも助けてくれる。きっと、大丈夫。
 落ち着いてくると、部屋の内装が目に入ってきた。
――高級ホテル、いや、外国の宮殿のお部屋みたい。
 壁紙は植物を模した紋様柄でふんだんに金箔が施されている。しかし、ベースが深い青なのでけばけばしくない。ソファも落ち着いた色ながら、光沢がある。
 足元に目を向けると絨毯まで芸術品のようだった。
「なみこ」
 蓮水に声をかけられて我に返った。
「内装やインテリアがあまりに素晴らしくつい……」
 凡子は、無言で部屋を見回していたことを謝った。
「妻がこだわってつくった部屋だから、気に入ってもらえたなら、嬉しいよ」
「本当に、嬉しいわ」
 凡子は、二人の寛容さに「私も嬉しいです」と、満面の笑みで応えた。

 紅茶は、『ルフナ』という銘柄で、香り高く渋みが少ない。菓子ともよく合うと夫人が説明してくれた。ケーキスタンドには小さめのケーキがいろいろ用意されている。
 蓮水が、「なみこのイメージに近い」と、半円のオレンジのスライスが載ったカップケーキをとってくれた。
 凡子は早速、フォークを手に取った。口に入れてすぐに「あっ」と言いながら、目を見開いた。
「美味しいです。バターがふんだんに使われていてすごく濃厚なんですけど、オレンジの香りが後味を軽くしてくれています。甘味は控えめですが物足りなくはないラインを保てていて、すごいバランスですね」
「そんなに美味いんだ。俺も食べてみよう」
 蓮水がケーキスタンドからカップケーキをとった。
「俺も食べてみたいな」
 この場には二つしかなかった。蓮水が、自分の皿に載せたカップケーキを社長に渡した。
「なみこに分けてもらう」
 社長と夫人も分け合っていた。
 凡子は蓮水が選んでくれたものを次々と食べた。
 色とりどりのベリーが載ったタルトや、ほろ苦いザッハトルテ、爽やかなレモンケーキ、口の中でとろけるチーズケーキ、どれも絶品だった。
 凡子は、その度に食レポを求められ、持てる語彙を駆使して、お菓子の美味しさを伝えた。
 お菓子を食べながら、雑談をするだけで、質問らしい質問はあまりなくここまできた。
 社長夫妻が楽しそうにしてくれるので、凡子の緊張もずいぶんましになっていた。
「せっかくだから、樹の子供の頃の話をしてあげよう」
 社長の言葉に凡子は「い、樹さんの子供の頃のお話が聞けるのですか!」と、つい、身を乗り出した。

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