喪女の夢のような契約婚。

紫倉 紫

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シーズン2

第四十八話後

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「面白い話はないはずだが?」
 蓮水が少し不機嫌そうな声を出した。
「あら、あなたにとっては大した話でもなくても、なみこさんにしてみれば、愛する人の幼い頃のエピソードですもの。どんな些細なことでも興味があるんじゃないかしら」
――あ、愛する人……。
 結婚したのだから、そう思われて当然だ。
 蓮水は『愛する人』ではないが、『推し』なのだ。貴重な幼少期の様子を知る機会を逃すわけにはいかない。
 凡子はできるだけ必死さが表に出ないよう、ゆっくり頷いた。
「小学校に上がる前から本をいつも読んでたわ」
「そうなんですね」
 幼い頃から読書量が多かったから、文章が上手いのかと思い、口に出してしまいそうになった。
 凡子は「だから、語彙が豊富なんですね」と、続けた。
「語彙なら、なみこさんも豊富よね」
「私はそれほどでも」
 凡子が否定すると蓮水が「俺も、豊富だと思う」と言った。
「二人は、本当にお似合いだなあ」
 社長がしみじみと言う。凡子は、どう反応すれば良いかわからず、恥ずかしいそぶりで俯いた。
「うちには、樹と同じ年の息子がいるんだが、幼い頃から樹の読書の邪魔をして、怒らせてた」
 蓮水には同じ年の従兄弟と、三つ下の従姉妹がいると聞いていた。
「和人はぷくぷくしていたから、樹の動きについていけなくてよく泣かされていたわ」
「あれは、勝手に和人が転んで泣いていたんだ」
 凡子は、幼い蓮水と、少し太めの従兄弟が戯れあう様子を想像して「か、可愛すぎる……」と、口にしてしまった。

「そう、とっても可愛かったのよ」
 夫人が次はアルバムを見せてくれると言った。
「ところで、一つ気になっていることがあるの」
 夫人は凡子を見ている。
「なんでしょうか?」
「二人が入籍を急いだ理由は……」
 蓮水の用意した質問には含まれていなかった。凡子は上手く答えられるか心配で、膝の上に置いた手を握りしめた。
「新しい家族が増えるからかしら?」
 凡子は一瞬意味がわからず首を傾げた。そしてすぐに『授かり婚』だと思われていると気づいた。
 夫人の目は、期待に満ちているように見える。
 しかし凡子は、未経験なのに妊娠を疑われていることに動揺し、思わず「違います」と、強く否定してしまった。
「なみこはまだ若いから、急いでないんだ」
 蓮水がフォローを入れてくれた。
「叔父さん、叔母さんに伝えてなかったのか?」
 社長には、入籍を急いだ理由を、事前に話しておいたらしい。凡子はどう説明してあるのか知らない。
「あっ、忘れていた」
「あなたったら」
 社長が夫人に耳打ちした。すると夫人は「まあ」と、嬉しそうに口元に手を当てた。
 この場で、凡子だけが蓮水の決めた『入籍を急いだ理由』を知らないことになる。
――樹さんが考えた裏設定を知りたい。
 凡子は隣にいる蓮水を見た。視線に気づいたのか蓮水が凡子に顔を向けてくれた。
 凡子は自分にも教えて欲しいと、目で訴えた。
 蓮水の唇が『あとで』と、動いた。
 
 その後も、大きなミスをおかすことなく、二時間ほどで蓮水の親族との初顔合わせは終わった。
 契約婚の期間中に、まだ会う機会はありそうだ。次はいつになるかわからないが、アルバムを見せてもらえるのでそれほど憂鬱には感じない。 
 ホッとはしているが、まだ油断できないことはわかっている。タクシーで一条邸を離れるまでは、仕事モードを保つつもりでいた。
見送ってくれた家政婦に、蓮水がお礼を言い、凡子も頭を下げた。
 その時「樹!」と、蓮水を呼ぶ男性の声が聞こえた。凡子のイケボセンサーが作動した。少し鼻にかかった低めの声で、かなりの美声だ。声の主が気になり、咄嗟に、聞こえた方に顔を向けた。
 時間が、止まった。
 この世界で、声の主だけが、光って見えた。凡子は、突然自分が夢を見始めたのかと思った。
 男性は、玄関の引き戸を開け、出てきたところだった。背が蓮水より高そうだ。黒いカラーシャツのボタンは三つほど外され、Vの字に開いたえり元から覗く首筋がなんともいえず美しい。
 細身のジーンズが長い足を際立たせていた。
 顔は、蓮水とよく似ている。しかし髪型の雰囲気が、違った。染めてこそいないが、微妙にアシンメトリーで少し長めで、ウェーブもかかっている。
「五十嵐、室長……」
 男性は首を傾げ、「どこかでお会いしましたか?」と言った。
「初対面だ」と、蓮水が答えた。
「そうだよな。樹が結婚相手を連れてくるって聞いて、久しぶりに実家に顔を出したんだ。間に合って良かった」
 男性は蓮水とよく似ているが、随分表情が豊かだ。
 凡子は、男性から目が離せなかった。心臓がありえないほど早鐘を打っている。
「初めまして、樹の従兄弟の和人です」
 従兄弟は太めだと思い込んでいた。蓮水と同様に、均整のとれたスタイルだ。
「初めまして……」
『妻の』とは名乗れず、「なみこですと、返した。
「悪いな和人、用事があるから急ぎで帰るところだ」
 凡子が聞かされていない用事があるらしい。凡子はもっと和人を見ていたかった。
「樹から、僕の話を聞いてたんだね」
「は……い……」
 確かに、従兄弟がいることは聞いていた。
「なみこ」
 蓮水から、肩を引き寄せられた。
「帰ろう」
「はい……」
 今まで、蓮水のことを『五十嵐室長の化身』と思っていた。しかし、間違いだった。和人こそが、真の『五十嵐室長の化身』だ。
「あの……、また、お会いできますか……」
 凡子は和人を見つめ、問いかけた。
 和人は少し驚いた顔を見せ、それから微笑んだ。
「僕も、君に興味がある」
「和人、なみこは俺の妻だ」
「知ってるよ。樹が心配しているような興味じゃないから」
 凡子は、二人のやり取りがまともに頭に入ってこない状態だ。ただ、目の前で動く、五十嵐室長を目で追っていた。
 和人が、「急ぎなのはわかってるけど、少し待ってて」と、言い残して家の中に戻っていった。
 凡子は、和人を最初に見た瞬間を思い返していた。これだけイメージが重なるということは……。
「和人さんが、五十嵐室長のモデルですか?」
 蓮水の方は見ずに、疑問を口にした。蓮水の返事はない。
 和人は戻ってきてすぐ、凡子に名刺を差し出した。
 受け取る。
 国内で結構知名度のある化粧品会社名が書かれている。そして……。
『広報室 室長
 五十嵐 和人』
「本当の、五十嵐室長なんですか?」
 凡子の問いに、和人は首を傾げた。
「和人は、仕事のときは叔母さんの旧姓を使ってるんだ」
 蓮水が代わりに説明してくれた。

「そうなんですね」
 蓮水から「とにかく帰ろう」と、言われた。
 凡子は、まだ和人から離れたくなかったが、言い出せるわけはない。受け取った名刺に視線を落とした。
――五十嵐室長が、実在していたなんて……。
「樹、今度、時間を作ってくれよ」
「は? 10年近く会わずにいて何も問題なかっただろう」
「直接、彼女を誘っても構わないのか?」
「それは、絶対にダメだ」
「来週はどうだ?」
 蓮水は「今は忙しいから、落ち着いたら連絡する」と返した。
 凡子は、そのうち和人に会えるとわかり、嬉しくなった。
「行こう」
 蓮水が凡子の肩をさらに引き寄せ、門の方へと歩き始めた。凡子は顔だけ和人に向けて「失礼します」と会釈した。
 和人が手を振ってきた。
――五十嵐室長が、手を振ってくださった。
 門の外に出ると、タクシーが待っていた。蓮水は急いでいると言っていただけあって、すぐに乗り込んだ。
 タクシーのドアが閉まると、ようやく初顔合わせのミッションが完了したと思えた。凡子はフーッと息を吐き出した。
 凡子は蓮水にいろいろ聞きたかったが、何から切り出せば良いかわからなかった。
『五十嵐室長はテクニシャン』に、室長のフルネームは出てきていない。それでも、和人をモデルにしているとしか、考えられない。容姿だけでなく、醸し出す雰囲気が、そのものなのだ。
「さすが恋様、見事な描写力……」
 脳内で『五十嵐室長はテクニシャン』の様々な場面が、和人主演で映像化されていく。
「五十嵐室長、カッコいい……」
 蓮水のため息が聞こえてきた。
「さっきの質問だが、半分イエスで、半分ノーだ。理由は、いつか話す」
 和人が五十嵐室長のモデルかを尋ねたことへの回答だろう。
 和人に対する蓮水の態度は、他の人に対するものと少し違う気がした。二人の間には何かあるのかもしれない。
「契約期間中でも、恋愛は自由にして良いと言ったが、和人だけは、やめてほしい」
 蓮水の表情は、やけに切実に見えた。
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