54 / 59
シーズン2
第四十九話後
しおりを挟む
10年近く会っていないと言っていた。社会人になってからは会っていないのかもしれない。
凡子は蓮水に訊いてみた。
「和人は就職した時点で一人暮らしをはじめて、家に寄りつかなくなった。俺が避けていたのもあってずっと会っていなかった」
和人の近況は、社長夫妻の愚痴からある程度把握しているという。
今日、和人が実家に戻っていたのは、蓮水にとっても想定外の出来事だったらしい。
凡子は二人の間には何かがありそうだと察した。土足で踏み込んではいけない領域に思えて、それ以上は訊かないことにした。
グラスを持ち上げ、シャルドネサワーを口にした。
「はじめて飲みました。飲みやすいです」
「パッケージで何となく選んだが、気に入ったなら良かった」
確かに、淡いグリーンをしたブドウがキラキラと輝いていて美しいパッケージだ。
「ところで樹さんにご相談が……」
「なんだ?」
「今日、和人さんからいただいたお名刺ですが、裏に電話番号が書かれていました」
「突然名刺を渡す意味がわからなかったが、そういうことか」
「私から連絡が欲しいという意味に捉えたのですが、樹さんから、どういった用件があるのか訊いていただけますか?」
蓮水が、渋い顔をした。
「無視すればいいんじゃないか?」
「無視は失礼かなと思いまして」
「構わないよ。あいつは女に全く困っていないから、なみこがわざわざ罠にかかりに行く必要はない」
蓮水の和人に対する評価が伺えた。和人と恋愛をする気はないが、会いたかった。
「樹さんの仕事が落ち着いたら、和人さんに会わせていただけますよね?」
蓮水がわかりやすく不快感を示した。
「仕事がどんなに暇になっても、和人と連絡を取る気はない」
一蹴された。
「そんな……」
凡子はショックで項垂れた。
「なぜ、そこまで会いたがるんだ」
――訊かなくてもわかってるはずなのに……。
「だって、和人さんはリアル五十嵐室長なんですよ……」
「そうだとしても、会ってどうするつもりだ」
「お顔を眺めたり、声を聴いたり、香りを……」
考えただけでときめいてしまう。
「話したり、一緒に出かけたりしたいわけではないんだな……」
「話せなくてもいいです。ちょっと離れたところから眺めるだけでも……あっ! 樹さんと和人さんがお話ししてるところが見られたら、それが一番です!」
玄関先でバッタリあって立ち話をする感じではなく、向かい合って座り、コーヒーを飲みながら談笑する二人を想像した。
――作者と主人公の夢の共演!! 最高すぎる!
凡子は、グラスを持つと、一人で乾杯のポーズをとった。
「樹さんと和人さんのツーショットが手に入ったら、大きく引き伸ばして飾ります」
蓮水から「なみこ」と呼ばれた。
「なんでございましょうか」
「一口飲んだだけで、酔ったのか?」
凡子は手を顔の前で振りながら「まさか、そこまで弱くはないですよ」と、笑った。
「グラスに残った分だけでやめておいた方が良さそうだ」
蓮水は、凡子の前にあった缶を自分の方に引き寄せた。
「和人のことは後にして、叔父たちとの顔合わせの反省から始めよう」
和人の登場で、二人の印象は薄まったが、十分に素敵な夫婦だった。
「最初のうちは緊張していましたが、お二人とも優しかったので、途中からはリラックスできました」
蓮水が頷きながら「結構、なみこらしさを残したままで落ち着いて話せていた」と、言った。
凡子は笑顔を浮かべながら、一口、シャルドネサワーを飲んだ。やはりスッキリした味わいだ。
蓮水が、凡子から取り上げた缶を持ち上げた。
「新しいグラスをお持ちします」
「このままで構わないよ」
蓮水は缶に残った分を一気に飲んだ。
「思っていたほど甘くない」
「後味がスッキリしてますよね」
蓮水が、テーブルの端に空になった缶を置いたあと、「なみこに、謝らなければ」と言った。
「私が謝るのなら、わかるんですが……」
「叔母が、なみこが妊娠しているのかと訊ねただろう」
凡子は「そういえば、そんなことが……」と頷いた。
「そうだ! 社長には入籍を急いだ理由をなんと伝えてあったんですか?!」
「あー、それか」
蓮水は顔を顰めてから、グラスのハイボールを飲み始めた。喉が動いている。
飲みきり、あと空になったグラスを一瞬眺めたあと、継ぎ足した。
またグビグビと、グラスの半分まで飲んだ。
「ペース、早いですね……」
「イラついてるからな」
「私が何か失礼なことを、しましたか?」
「なみこには別に……和人に関すること以外は、問題なかった」
社長夫妻のどちらかが蓮水の不機嫌の原因らしい。
「実は俺も、お叔父さんがどう説明したかを知らない」
凡子は蓮水の言葉の意味がわからず、目をしばたたかせた。
「俺が叔父さんに伝えていた内容で、あの表情はありえない」
「つまり、社長がご夫人に、嘘の情報を伝えたということですね」
――そもそも、樹さんが伝えた内容も事実ではないけれど……。
「樹さんは、社長になんと説明していたんです?」
「急な入籍に感じただろうが、一年以上かけて関係を深めた末、叔父さんに反対する隙を与えないよう、先に入籍を済ませたと伝えた」
凡子は少し考えて「先に報告すると反対されそうだから、事後報告にしたって説明ですね?」と返した。
「まあ、そんなところだ」
「私なんかを先に紹介したら、やめとけって言われますよね」
「そういう意味ではない」
蓮水から、強めの口調で否定された。
「あまりに見合い話を持ってこられるから、政略結婚を選べと言われるんじゃないかと危機感があったと説明しておいた」
凡子は「その説明をそのまま聞かせて、夫人のあの反応はないですね」と、納得した。
「俺の予想だと、『早く一緒に暮らしたくて』か、俺が『なみこを誰かにとられないかと焦って』か、そんな類の説明かな」
「そんな現実味のない説明……」
「現実味はある。早く一緒に暮らしたかったのも、誰かにとられたくなかったのも、事実だしな」
凡子は、心拍が上がり頬も熱くなった。
『一緒に暮らしたい』『誰かにとられたくない』
他の誰かの口から出たのであれば、凡子でも勘違いしてしまいそうな言葉だ。
「お任せください。恋様ファンを代表して、生活面をサポートいたします……それに、他の作家さんに推し変もいたしません」
凡子は誤解していないことをアピールした。
「さすが、なみこだな」
蓮水が、グラスのハイボールを飲みきった。すぐに缶をグラスの上で傾けたがあまり残っておらず、次の缶を開けた。
「酒が足りない……」
両親が置いていったウイスキーは飲めるかわからない。凡子は閃いた。
「料理酒があります! あっ、料理酒と言っても、純米酒ですし、紙パックで売ってる安価なものではなく、一升瓶で。高級というほどではありませんがそれなりに値もはりましたし、ちゃんと冷蔵庫で保管しています」
「なみこの料理が美味いのは、そういうこだわりがあるからなんだな」
蓮水が微笑んだ。胸が締めつけられる。
「これからも恋様のために精進いたします」
凡子は嬉しくなり、サワーを二口ほど飲んだ。
――少しフワフワしてきた。心拍数も多くなってる気がする。
凡子は幸福感に包まれていた。
蓮水のことをずっと『五十嵐室長のようだ』と思ってきたが、そうでなくても、十二分に素敵な男性だと思える。おまけに、文章力と表現力、ユーモアまでも持ち合わせている。
「恋様……いえ、樹さんは、ほんと唯一無二の存在ですね」
蓮水は「そう言ってくれるのは、なみこだけだ」と、目を細めた。
「そんなはずはありません!」
蓮水が寂しげに笑っている。
――樹さんは、酔うと自己肯定感が下がるタイプなの!?
「あっ、わかりました! あれですよね、優秀な人の周りには優秀な人ばかりいるから、自分がたいしたことないように思えるやつ」
「なみこには絶対わからないから、そういうことにしておく」
言い方に含みがあり気になったが、触れられたくないから話を終わらせたのだろう。
「和人にはそのうち会わせる」
蓮水が少し不機嫌そうな顔をしながらそう言った。
「本当にいいんですか? でも、樹さんが嫌なら……」
我慢できると凡子は思った。
蓮水は和人を嫌っているようなので、余計なストレスで執筆に影響が出てしまうかもしれない。凡子にとっては、そちらの方が困ることだ。
「俺と一緒なら、問題ない。だから絶対に、二人きりで会わないでくれ」
「もちろんです。二人きりなんて、私だって無理ですから」
そのうち和人に会えることになり、凡子は喜びを隠しきれなかった。緩んでしまう頬を隠すために、俯いた。
和人の表情豊かな顔や、独特な響きを持つ声を思い出す。
「大事なことだから、もう一度、言っておく。和人とは二人きりで会うな」
「はい、わかってますよ」
蓮水は怒ったような表情になり「和人はとにかく手が早かった。学生時代には、声をかけて、断られたことはほとんどないと言っていた。今は落ち着いているかもしれないが、なみこのように耐性のないタイプが二人きりで会うのは危険だ」と、言った。
「和人さんは、五十嵐室長が、ものすごく悪い男になった感じなんですね!」
蓮水の表情は険しいままだ。
「自分は大丈夫だと思っているんだろうが、目の前にいない時なら理性的でいられても、目の前にいたら、どうしようもなく惹かれてしまうこともある」
「どうしようもなく惹かれてしまう……」
「そう、それが『恋に落ちる』ってことだろう?」
――恋様が『恋』について語ってらっしゃる。
凡子は「『恋』について他にはどのような特徴がありますか? あっ、執筆するとき恋をどう描くか、教えていただけたら嬉しいです」と、身を乗り出して質問した。
「『恋に落ちた』『恋をした』と書かずに、恋のはじまりの状態を伝える方法か?」
凡子は「はい!」と、力強く頷いた。
「見かけただけで心拍数が上がり、つい、目で追ってしまう。そばにいなくても、相手のことばかり考えてしまったり、理由もなく会いたくなったり、相手のことを思い出すだけで胸が締め付けられるような感覚があったり……」
凡子は蓮水の言葉を真剣に聞いていた。そして、つい最近、自分にも似た現象が起こったと気づいた。
「相手のことをよく知らなくても、恋はできますかね?」
「逆に、知らないからこそ恋に落ち、もっと知りたいと切実に思うんじゃないか?」
「そんなもんです……よね……」
凡子は、和人に会った時の自分の状態を思い返した。
「恋に落ちたら、すぐにわかります?」
「わかるというより、それが恋だと気づいた時から、恋になるんじゃないかな」
「恋だと、気づくと恋にな……る?」
凡子は首を傾げた。
「友人だと思っていた相手が恋人として夢に出てきてはじめて、自分の恋心に気づくって感じのエピソードがあるだろう?」
「あっ、ありますね……」
――和人さんが夢に出てこなければ……大丈夫……かしら……?
五十嵐室長のモデルだからといって小説の中の五十嵐室長そのものではない。それに、五十嵐室長そのものだったとしても、恋愛関係になりたいとは思わない。
凡子は、自分が和人に恋をするわけがないと、自分に言い聞かせた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シーズン2終わり
凡子は蓮水に訊いてみた。
「和人は就職した時点で一人暮らしをはじめて、家に寄りつかなくなった。俺が避けていたのもあってずっと会っていなかった」
和人の近況は、社長夫妻の愚痴からある程度把握しているという。
今日、和人が実家に戻っていたのは、蓮水にとっても想定外の出来事だったらしい。
凡子は二人の間には何かがありそうだと察した。土足で踏み込んではいけない領域に思えて、それ以上は訊かないことにした。
グラスを持ち上げ、シャルドネサワーを口にした。
「はじめて飲みました。飲みやすいです」
「パッケージで何となく選んだが、気に入ったなら良かった」
確かに、淡いグリーンをしたブドウがキラキラと輝いていて美しいパッケージだ。
「ところで樹さんにご相談が……」
「なんだ?」
「今日、和人さんからいただいたお名刺ですが、裏に電話番号が書かれていました」
「突然名刺を渡す意味がわからなかったが、そういうことか」
「私から連絡が欲しいという意味に捉えたのですが、樹さんから、どういった用件があるのか訊いていただけますか?」
蓮水が、渋い顔をした。
「無視すればいいんじゃないか?」
「無視は失礼かなと思いまして」
「構わないよ。あいつは女に全く困っていないから、なみこがわざわざ罠にかかりに行く必要はない」
蓮水の和人に対する評価が伺えた。和人と恋愛をする気はないが、会いたかった。
「樹さんの仕事が落ち着いたら、和人さんに会わせていただけますよね?」
蓮水がわかりやすく不快感を示した。
「仕事がどんなに暇になっても、和人と連絡を取る気はない」
一蹴された。
「そんな……」
凡子はショックで項垂れた。
「なぜ、そこまで会いたがるんだ」
――訊かなくてもわかってるはずなのに……。
「だって、和人さんはリアル五十嵐室長なんですよ……」
「そうだとしても、会ってどうするつもりだ」
「お顔を眺めたり、声を聴いたり、香りを……」
考えただけでときめいてしまう。
「話したり、一緒に出かけたりしたいわけではないんだな……」
「話せなくてもいいです。ちょっと離れたところから眺めるだけでも……あっ! 樹さんと和人さんがお話ししてるところが見られたら、それが一番です!」
玄関先でバッタリあって立ち話をする感じではなく、向かい合って座り、コーヒーを飲みながら談笑する二人を想像した。
――作者と主人公の夢の共演!! 最高すぎる!
凡子は、グラスを持つと、一人で乾杯のポーズをとった。
「樹さんと和人さんのツーショットが手に入ったら、大きく引き伸ばして飾ります」
蓮水から「なみこ」と呼ばれた。
「なんでございましょうか」
「一口飲んだだけで、酔ったのか?」
凡子は手を顔の前で振りながら「まさか、そこまで弱くはないですよ」と、笑った。
「グラスに残った分だけでやめておいた方が良さそうだ」
蓮水は、凡子の前にあった缶を自分の方に引き寄せた。
「和人のことは後にして、叔父たちとの顔合わせの反省から始めよう」
和人の登場で、二人の印象は薄まったが、十分に素敵な夫婦だった。
「最初のうちは緊張していましたが、お二人とも優しかったので、途中からはリラックスできました」
蓮水が頷きながら「結構、なみこらしさを残したままで落ち着いて話せていた」と、言った。
凡子は笑顔を浮かべながら、一口、シャルドネサワーを飲んだ。やはりスッキリした味わいだ。
蓮水が、凡子から取り上げた缶を持ち上げた。
「新しいグラスをお持ちします」
「このままで構わないよ」
蓮水は缶に残った分を一気に飲んだ。
「思っていたほど甘くない」
「後味がスッキリしてますよね」
蓮水が、テーブルの端に空になった缶を置いたあと、「なみこに、謝らなければ」と言った。
「私が謝るのなら、わかるんですが……」
「叔母が、なみこが妊娠しているのかと訊ねただろう」
凡子は「そういえば、そんなことが……」と頷いた。
「そうだ! 社長には入籍を急いだ理由をなんと伝えてあったんですか?!」
「あー、それか」
蓮水は顔を顰めてから、グラスのハイボールを飲み始めた。喉が動いている。
飲みきり、あと空になったグラスを一瞬眺めたあと、継ぎ足した。
またグビグビと、グラスの半分まで飲んだ。
「ペース、早いですね……」
「イラついてるからな」
「私が何か失礼なことを、しましたか?」
「なみこには別に……和人に関すること以外は、問題なかった」
社長夫妻のどちらかが蓮水の不機嫌の原因らしい。
「実は俺も、お叔父さんがどう説明したかを知らない」
凡子は蓮水の言葉の意味がわからず、目をしばたたかせた。
「俺が叔父さんに伝えていた内容で、あの表情はありえない」
「つまり、社長がご夫人に、嘘の情報を伝えたということですね」
――そもそも、樹さんが伝えた内容も事実ではないけれど……。
「樹さんは、社長になんと説明していたんです?」
「急な入籍に感じただろうが、一年以上かけて関係を深めた末、叔父さんに反対する隙を与えないよう、先に入籍を済ませたと伝えた」
凡子は少し考えて「先に報告すると反対されそうだから、事後報告にしたって説明ですね?」と返した。
「まあ、そんなところだ」
「私なんかを先に紹介したら、やめとけって言われますよね」
「そういう意味ではない」
蓮水から、強めの口調で否定された。
「あまりに見合い話を持ってこられるから、政略結婚を選べと言われるんじゃないかと危機感があったと説明しておいた」
凡子は「その説明をそのまま聞かせて、夫人のあの反応はないですね」と、納得した。
「俺の予想だと、『早く一緒に暮らしたくて』か、俺が『なみこを誰かにとられないかと焦って』か、そんな類の説明かな」
「そんな現実味のない説明……」
「現実味はある。早く一緒に暮らしたかったのも、誰かにとられたくなかったのも、事実だしな」
凡子は、心拍が上がり頬も熱くなった。
『一緒に暮らしたい』『誰かにとられたくない』
他の誰かの口から出たのであれば、凡子でも勘違いしてしまいそうな言葉だ。
「お任せください。恋様ファンを代表して、生活面をサポートいたします……それに、他の作家さんに推し変もいたしません」
凡子は誤解していないことをアピールした。
「さすが、なみこだな」
蓮水が、グラスのハイボールを飲みきった。すぐに缶をグラスの上で傾けたがあまり残っておらず、次の缶を開けた。
「酒が足りない……」
両親が置いていったウイスキーは飲めるかわからない。凡子は閃いた。
「料理酒があります! あっ、料理酒と言っても、純米酒ですし、紙パックで売ってる安価なものではなく、一升瓶で。高級というほどではありませんがそれなりに値もはりましたし、ちゃんと冷蔵庫で保管しています」
「なみこの料理が美味いのは、そういうこだわりがあるからなんだな」
蓮水が微笑んだ。胸が締めつけられる。
「これからも恋様のために精進いたします」
凡子は嬉しくなり、サワーを二口ほど飲んだ。
――少しフワフワしてきた。心拍数も多くなってる気がする。
凡子は幸福感に包まれていた。
蓮水のことをずっと『五十嵐室長のようだ』と思ってきたが、そうでなくても、十二分に素敵な男性だと思える。おまけに、文章力と表現力、ユーモアまでも持ち合わせている。
「恋様……いえ、樹さんは、ほんと唯一無二の存在ですね」
蓮水は「そう言ってくれるのは、なみこだけだ」と、目を細めた。
「そんなはずはありません!」
蓮水が寂しげに笑っている。
――樹さんは、酔うと自己肯定感が下がるタイプなの!?
「あっ、わかりました! あれですよね、優秀な人の周りには優秀な人ばかりいるから、自分がたいしたことないように思えるやつ」
「なみこには絶対わからないから、そういうことにしておく」
言い方に含みがあり気になったが、触れられたくないから話を終わらせたのだろう。
「和人にはそのうち会わせる」
蓮水が少し不機嫌そうな顔をしながらそう言った。
「本当にいいんですか? でも、樹さんが嫌なら……」
我慢できると凡子は思った。
蓮水は和人を嫌っているようなので、余計なストレスで執筆に影響が出てしまうかもしれない。凡子にとっては、そちらの方が困ることだ。
「俺と一緒なら、問題ない。だから絶対に、二人きりで会わないでくれ」
「もちろんです。二人きりなんて、私だって無理ですから」
そのうち和人に会えることになり、凡子は喜びを隠しきれなかった。緩んでしまう頬を隠すために、俯いた。
和人の表情豊かな顔や、独特な響きを持つ声を思い出す。
「大事なことだから、もう一度、言っておく。和人とは二人きりで会うな」
「はい、わかってますよ」
蓮水は怒ったような表情になり「和人はとにかく手が早かった。学生時代には、声をかけて、断られたことはほとんどないと言っていた。今は落ち着いているかもしれないが、なみこのように耐性のないタイプが二人きりで会うのは危険だ」と、言った。
「和人さんは、五十嵐室長が、ものすごく悪い男になった感じなんですね!」
蓮水の表情は険しいままだ。
「自分は大丈夫だと思っているんだろうが、目の前にいない時なら理性的でいられても、目の前にいたら、どうしようもなく惹かれてしまうこともある」
「どうしようもなく惹かれてしまう……」
「そう、それが『恋に落ちる』ってことだろう?」
――恋様が『恋』について語ってらっしゃる。
凡子は「『恋』について他にはどのような特徴がありますか? あっ、執筆するとき恋をどう描くか、教えていただけたら嬉しいです」と、身を乗り出して質問した。
「『恋に落ちた』『恋をした』と書かずに、恋のはじまりの状態を伝える方法か?」
凡子は「はい!」と、力強く頷いた。
「見かけただけで心拍数が上がり、つい、目で追ってしまう。そばにいなくても、相手のことばかり考えてしまったり、理由もなく会いたくなったり、相手のことを思い出すだけで胸が締め付けられるような感覚があったり……」
凡子は蓮水の言葉を真剣に聞いていた。そして、つい最近、自分にも似た現象が起こったと気づいた。
「相手のことをよく知らなくても、恋はできますかね?」
「逆に、知らないからこそ恋に落ち、もっと知りたいと切実に思うんじゃないか?」
「そんなもんです……よね……」
凡子は、和人に会った時の自分の状態を思い返した。
「恋に落ちたら、すぐにわかります?」
「わかるというより、それが恋だと気づいた時から、恋になるんじゃないかな」
「恋だと、気づくと恋にな……る?」
凡子は首を傾げた。
「友人だと思っていた相手が恋人として夢に出てきてはじめて、自分の恋心に気づくって感じのエピソードがあるだろう?」
「あっ、ありますね……」
――和人さんが夢に出てこなければ……大丈夫……かしら……?
五十嵐室長のモデルだからといって小説の中の五十嵐室長そのものではない。それに、五十嵐室長そのものだったとしても、恋愛関係になりたいとは思わない。
凡子は、自分が和人に恋をするわけがないと、自分に言い聞かせた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シーズン2終わり
1
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
侯爵様の懺悔
宇野 肇
恋愛
女好きの侯爵様は一年ごとにうら若き貴族の女性を妻に迎えている。
そのどれもが困窮した家へ援助する条件で迫るという手法で、実際に縁づいてから領地経営も上手く回っていくため誰も苦言を呈せない。
侯爵様は一年ごとにとっかえひっかえするだけで、侯爵様は決して貴族法に違反する行為はしていないからだ。
その上、離縁をする際にも夫人となった女性の希望を可能な限り聞いたうえで、新たな縁を取り持ったり、寄付金とともに修道院へ出家させたりするそうなのだ。
おかげで不気味がっているのは娘を差し出さねばならない困窮した貴族の家々ばかりで、平民たちは呑気にも次に来る奥さんは何を希望して次の場所へ行くのか賭けるほどだった。
――では、侯爵様の次の奥様は一体誰になるのだろうか。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる