喪女の夢のような契約婚。

紫倉 紫

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シーズン2

第四十六話後

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 とりあえず、区役所辺りまで戻った。
「せっかくだからお濠側を歩こうよ」
 泉堂に誘われ、横断歩道を渡る。皇居のお濠側の歩道は、狭くなっていた。縦に並んで歩こうとしたが、泉堂が凡子に合わせてゆっくり歩くので、どうしても横並びになる。腕が触れそうなほど近かった。
 凡子の両親が日本にいた頃は、休みの日には夫婦で散歩に出掛けていた。よく皇居に行っていた。たしかに、景色もよく、散歩にはうってつけだ。
 今日は特に、天気が良く気温もちょうど良い。
 木々の鮮やかな色をした葉が、そよ風に揺れている。お濠を見ると、水面に新緑が映っていた。
「この辺り、まともに歩くの初めてかもしれない」
 泉堂が話しかけてきた。
 凡子は家が近いだけに何度か通ったことがある。ただ、文字通り通っただけだった。
 こうやって、景色を眺めながら歩くのは初めてだ。
「心地よいですね」
「ほんとに」
 凡子はふと、蓮水を誘ったら一緒に歩いてくれるだろうかと考えた。
 父親が休みの日に母親を連れ出していた理由は、デスクワークがほとんどで運動不足を心配していたからだ。
「あのー、泉堂さんと蓮水さんは、基本デスクワークですね?」
「今はそうだね」
「やはり、そうですか」
 凡子も誘い出したいところだが、休みの日に一緒にいるところを見られるのは、まずい気がする。
 こうして今、泉堂と歩いているところも、知り合いに見られるのは困る。
 泉堂は『ランチ友達』と言い訳できる。蓮水とはどうだろうか。偶然あったとしても、共に行動することがおかしいのだから、誤魔化しようがない。
――樹さんと出かけるのは無理そう。
 散歩をするとアイデアが湧くと何かで読んだことがある。休みの日に、気分転換のために一人で散歩へ出てもらうのが良いかもしれない。

 
 出勤時間まで、まだ1時間30分程ある。会社には徒歩でも、20分もかからずにたどり着く。
 泉堂と並んで、ゆっくりとお濠の脇を歩く。
 ふとそよいだ風に乗って、泉堂香水の香りが鼻腔に届いた。
――やっぱり、素敵な香り。
 泉堂は景色を楽しんでいるのか、さっきから黙っている。
――五十嵐室長と散歩を楽しんでいる妄想でもしようかな。
 凡子はそっと目を閉じて、鼻から空気を吸い込んだ。
――隣にいるのは五十嵐室長。隣にいるのは五十嵐室長。
 考えただけで、ドキドキしてきた。五十嵐室長ともし会話をするとしたら、話題はなにがいいだろう。作中には出てきていない、五十嵐室長の好みなどを、質問したい。
「お好きな小説は何かとか?」
「えっ? 小説? 僕に訊いたの?」
 凡子は声に出してしまっていたらしい。言い訳しようがないので、「なんとなく、気になったので」と、言った。
「好きというか、学生時代に蓮水からすすめられて読んだ『アウトサイダー』は、面白かったかな」
 凡子は思わず「アウトサイダー未読です!」と、食いついた。
「蓮水が絡むと、わかりやすく喜ぶね」
 泉堂が肩をすくめた。
「推しですから」
「家にあるから、貸そうか?」
 凡子は「ぜひ!」と言いかけて、思いとどまった。蓮水本人から借りれば済む。だからといって、泉堂にありのままを言うわけにはいかない。
「やっぱり、自分で買います」
「遠慮しなくていいのに」
「読むのに汚したらと、心配になるので」
「そっか……同じタイトルの別の小説があるから、作者が『コリン・ウィルソン』の方ね」
「コリンですね」
 忘れてしまったら、蓮水に訊けば良い。

 お濠に沿ってしばらく歩いたあと、カフェを探すためにビル側に渡った。
「このビルの中にカフェがあるって」
 泉堂がいつのまにか調べていたので驚いた。さりげなくこなしていくから、蓮水に頼りにされるのだろう。
 カフェに入った。軽食があるらしくランチの時間帯なのもあって、結構混み合っている。ただ、座席数が多いので店内で飲めそうだ。夕方からは酒類の提供がある。
 カウンター席に並んで座った。座席と座席の間が狭い。泉堂から少し体を離すと、見知らぬスーツ姿の男性に近づいてしまったので、元に戻す。
 メニューを手に取った。
 クリームがたっぷり入ったラテがおすすめらしく、写真が大きい。季節限定で桜味のラテがある。気になるが、今はまだ満腹なので諦めた。
 桜風味のミルクティーがあったので、そちらを選んだ。泉堂は、凡子が選べなかったラテを選んだ。
「初めて来たけど、パスタも美味しそうだよね」
 凡子もランチメニューが気になっていた。しかし、仕事の日に来るには少し距離がある。
――休みの日は、樹さんに栄養をとってもらわないといけないから。
 これから先の休日について凡子は思いを巡らせた。蓮水をサポートし、水樹恋としての執筆活動に専念してもらう。そうすれば『五十嵐室長はテクニシャン』の続きが定期的に読めるようになる。
「浅香さん?」
 泉堂に名前を呼ばれて我に返った。
「返事は?」
 凡子は何に対する返事かわからないまま「はい」と、返した。
「いつにする?」
 一体、何の予定についてなのか、見当がつかない。
「えっとすみません。ボーッとしていたので、何についてなのかが、わかりません」
 凡子は正直に謝った。
「聞いてなかったからって、もう、承諾の返事をもらったんだから、撤回はなしね」
 泉堂は何かを教えてくれる前にそう言った。
「話を聞いていなかった私が悪いのですが、できないこともあります……」
 凡子は困っていた。泉堂は、「そこまで心配するようなことじゃないよ」と言って、笑顔をこぼした。
 何かを教えてもらえると思った矢先、ドリンクが運ばれてきた。
「うわ、美味しそう」
 泉堂の視線は、桜味のラテに向けられた。たしかに写真でみるよりさらに美味しそうだ。
「良いですね。もう少し時間が経っていたら、そちらを頼んでました」
 家からそう遠くないので、蓮水のサポートの合間に飲みに来ようかと凡子は考えた。
「まだ、お腹いっぱいなんだ」
 凡子は頷いた。
「それなら……」
 泉堂が、凡子の前にラテの入ったグラスを置いた。
「少し、飲んでみたら?」
 凡子は思わず「え?」と言いながら、泉堂の顔を見た。
「気になるんでしょう?」

 たしかに気にはなっているが、食べ物をシェアするのと、他人のグラスに口をつけるのは似て非なる行為だ。
「せっかくですけど、遠慮いたします」
 泉堂がグラスを指で軽く弾いた。
「本当に良いの? 僕は気にしないよ」
 泉堂は、少女漫画によく出てくる、誰のペットボトルにでも平気で口をつけ、間接キスを大盤振る舞いするタイプらしい。
「私は気になるので」
「それは、僕を意識してくれてるって意味?」
「はひ?」
――い、意識?! そういう問題じゃ……。
 凡子は心の中で否定しながら、頬が熱くなっているのを感じていた。
「ごめんごめん、違うのわかってるから」
 泉堂はグラスを自分の前に戻した。心なしか表情が暗い。
「泉堂さんだから嫌なわけじゃないですよ」
 大人になってからは、両親とも飲み物を同じグラスで共有した覚えはない。
「蓮水でも?」
「あ、当たり前じゃないですか!」
 一緒に暮らし始めた蓮水相手でも、もちろん抵抗がある。
――でも、本当の夫婦なら、飲み物の共有くらいはするものかしら?
 凡子は両親のことを思い浮かべた。母が飲み残したワインを、父が飲み干したことがあった。
 気を取り直して、それぞれ自分が頼んだ飲み物に口をつけた。
 濃厚なミルクティーにほんのり桜の香りがする。
「美味しい」
 泉堂も「うん、こっちも美味しい。わらび餅が入ってて食感も面白い」
「わらび餅!!」
 泉堂が、「次、一緒に来たときに頼めば?」と言った。
「次……ですか?」
「さっき、承諾したでしょ。内容も知らないまま」
 凡子は「ああ」と、俯いた。
「桜のラテを飲むなら、早めでないとね」
「しばらく、休みの日には予定が入ってます」
 蓮水の親族に会うまでの特訓と、本番が待っている。
「じゃあ、仕事の後は?」
「泉堂さん、遅くなるでしょう?」
「一日くらい、早く帰らせてもらえる」
 無理だと気づいてもらう作戦は失敗に終わった。
「家に帰ってから、いろいろすることがあるので難しいです……」
 仕事の後は、蓮水のための夕飯を作るので忙しい。

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