片隅の天使

mizuho

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第一章

リリーのために

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 あの後、重苦しい空気の中でサンドウィッチを食べた。こんな事なら、食べてから話をすれば良かったと後悔した。

 ミクラスは静かなキッチンで一人食器を片付ける。
 シイナは先に仕事に戻ると言い、さっき出て行ったばかりだ。さぼる事の多いシイナらしくない。
 食器を拭きながら、先程までの話を思い返す。

 シェリアは最後にこんな話をしていった。
 先月、国境近い最北端にある村へと続く山道で、大きな事故があった。
 村人達を乗せた古い小型バスが崖下へ転落したという。十メートル以上転がり落ちたバス、生存者はいないのではないかと思われた。

 しかし――

 その場にいた全員が無傷だった。
 バスは原型を留めておらず、村人達の服もぼろぼろ。しかし死亡者はいないどころか、全員、傷一つない。
 救助隊が到着すると、皆意識を失っていたが、意識を取り戻した数名が妙な事を口走っていたという。

 天使が現れた――と。

 バスに乗っていたのは、五名の大人と二人の子供。
 その場にいた全員とは、五名の大人達の事であり、子供二人はいまだ行方不明だった。

 つまり、乗っていた全員が無事だったわけではない。

 体重の軽い子供達は、転落の際に車外へ放り出されたのではないかと、現場周辺が捜索されたが発見されず、このまま見つからなければ認定死亡となるだろう。

 だが、シェリアはいなくなったこの二人こそが、天使だったのではないかと考えているようだ。
 もしそうだとしたら、アスティ・ロイスが見逃すわけがない。早急に保護しなければいけないだろう。

「でも、どうしてその子達は、姿を消したんだろう」

 国に保護された方が、色々と楽だろうに。
 広いリビングをぼんやりと眺めながら、ミクラスは一人呟いた。
 しかし今は、それよりもシイナの事が気がかりだった。

 ――また一人で全部抱え込まないといいけど。

 エプロンを外すと、仕事へ戻る為にミクラスは部屋を出た。


 シェリアの訪問の翌日、例のバス事故で助かった村人達に、詳しい話を聞きにいくという連絡があった。何か分かり次第、こちらにも報告があるだろう。

 リビングの窓際に腰掛け、シイナは少し欠けた月の昇った空を眺めている。もうすぐで満月だ。
 シイナの様子を気にしながらも、ミクラスは夕飯の準備に忙しい。
 あの日からシイナは、表面上はいつもと変わらなく見えるが、一人考え込む時間が増えた。

 事件に巻き込まれ、脳死状態で突然姿を消した婚約者が、どんな状態であれまだこの世に存在しているかもしれない。そしてその存在が、たくさんの罪のない子供達を苦しめているかもしれない。

「――お前が一番嫌がりそうな事だな」

 シイナが呟くと、「何か言いました?」とキッチンから声が飛ぶ。
 「いや――」と首を振り、シイナは腰を上げた。
 キッチンから肉の焼ける香ばしい匂いがした。

 正直、シェリアの話を聞き、だからどうしろというのだという思いがあった。
 いまや、国立書物館で働くただの男だ。何の力も持たない自分に何が出来るというのか。
 しかし。

 ――お前が嫌がる事なら……。

 シイナの心の中で、何かが定まった。
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