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第1章:即時徴収と絶望の始まり
第1話:英雄の凱旋
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王宮大広間に満ちる空気は、高価な香油と勝利の熱狂が混ざり合い、呼吸するだけで肺が焼けるように熱い。
天井から吊るされた無数の水晶シャンデリアが放つ光を浴びて、男は燦然と輝いていた。カシアン・ド・グランバリュ公爵令息。魔王の首を撥ね、王国に平和をもたらした若き英雄。
その髪は、まるで神に祝福されたかのように眩い金糸を編んだ輝きを放ち、軍服の上からでも判る隆起した筋肉は、大岩をも砕く剛腕を誇示している。
「カシアン様、おめでとうございます……!」
「ああ。すべては、僕を支えてくれた皆のおかげだ」
猫撫で声で擦り寄る令嬢たちに、カシアンは涼やかな微笑を振りまく。その視線の先には、純白のドレスに身を包んだ「聖女」レティシアが、愛おしげに彼の腕に指を絡めていた。
その喧騒から遠く離れた壁際。
エレナ・フォン・ラングリス伯爵令嬢は、影に溶けるように立ち尽くしていた。
十年前の婚約以来、彼女は己の魔力を、生命力を、そして若さそのものを「贈与」という形でカシアンに捧げ続けてきた。その結果、今の彼女は二十代半ばという実年齢に反して、肌は血色を失い、髪は艶のない枯草色にまで衰えている。着古した灰色のドレスは、この煌びやかな夜会では、まるで場違いな汚れのように浮いていた。
(……限界だわ。私の愛も、魔力の貯金も)
心臓が不規則に脈打つ。彼に与え続けてきた魔力の奔流が、いまや枯れた井戸の底を浚うような痛みを伴っていた。
その時、群衆を割ってカシアンがエレナの方へと歩み寄ってきた。レティシアを伴ったその足取りは堂々としており、床に敷かれた真紅の絨毯を力強く踏みしめる。
「エレナ。一つ、言っておかなければならないことがある」
カシアンの声が、広間に響き渡る。音楽が止み、嘲笑と好奇に満ちた視線がエレナに集中した。カシアンはエレナの目の前で立ち止まると、それまでの穏やかな仮面を剥ぎ取り、冷酷な光を宿した瞳で彼女を見下ろした。
「君との婚約を破棄する。君を愛することなど、ただの一度もなかった」
周囲から短い悲鳴と、それに続く囁き声が漏れる。カシアンはレティシアの肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように告げた。
「僕の隣にふさわしいのは、共に魔王軍と戦い、民を救った聖女レティシアだ。お前のような地味で老け込んだ女が、英雄の妻になれると思ったのか? この結婚は、僕が真の力を手に入れ、英雄になるための踏み台に過ぎなかったんだよ」
カシアンの言葉は、まるで鋭利な刃物のように空気を切り裂く。レティシアはわざとらしくエレナを哀れむような視線を送り、カシアンの逞しい胸に顔を埋めた。
エレナは、震える指先をそっと胸元に当てた。
カシアンの金髪が輝いているのは、彼女が光の魔力を流し込み続けているからだ。
彼が魔王の巨体を切り伏せられたのは、彼女が身体強化の魔力を上乗せし続けたからだ。
今、彼が抱きしめているその女にまで、エレナの魔力が「加護」として流れ込んでいる。
「……本気で、おっしゃっているのですか? カシアン様」
エレナの声は、驚くほど静かだった。
「当たり前だ。お前との時間は苦痛でしかなかった。薄汚い伯爵令嬢め、二度と僕の前に姿を現すな!」
カシアンが吐き捨てるように言い、背を向けようとしたその時。
エレナは、ドレスの隠しポケットから一枚の古い羊皮紙を取り出した。
それは、微かに脈動するような赤い文字で綴られた、女神の契約書。
「左様ですか。……では契約に基づき、滞納分を含めた全魔力を、今この場で徴収(差し押さえ)いたします。」
エレナの瞳に、初めて冷徹な光が宿った。
天井から吊るされた無数の水晶シャンデリアが放つ光を浴びて、男は燦然と輝いていた。カシアン・ド・グランバリュ公爵令息。魔王の首を撥ね、王国に平和をもたらした若き英雄。
その髪は、まるで神に祝福されたかのように眩い金糸を編んだ輝きを放ち、軍服の上からでも判る隆起した筋肉は、大岩をも砕く剛腕を誇示している。
「カシアン様、おめでとうございます……!」
「ああ。すべては、僕を支えてくれた皆のおかげだ」
猫撫で声で擦り寄る令嬢たちに、カシアンは涼やかな微笑を振りまく。その視線の先には、純白のドレスに身を包んだ「聖女」レティシアが、愛おしげに彼の腕に指を絡めていた。
その喧騒から遠く離れた壁際。
エレナ・フォン・ラングリス伯爵令嬢は、影に溶けるように立ち尽くしていた。
十年前の婚約以来、彼女は己の魔力を、生命力を、そして若さそのものを「贈与」という形でカシアンに捧げ続けてきた。その結果、今の彼女は二十代半ばという実年齢に反して、肌は血色を失い、髪は艶のない枯草色にまで衰えている。着古した灰色のドレスは、この煌びやかな夜会では、まるで場違いな汚れのように浮いていた。
(……限界だわ。私の愛も、魔力の貯金も)
心臓が不規則に脈打つ。彼に与え続けてきた魔力の奔流が、いまや枯れた井戸の底を浚うような痛みを伴っていた。
その時、群衆を割ってカシアンがエレナの方へと歩み寄ってきた。レティシアを伴ったその足取りは堂々としており、床に敷かれた真紅の絨毯を力強く踏みしめる。
「エレナ。一つ、言っておかなければならないことがある」
カシアンの声が、広間に響き渡る。音楽が止み、嘲笑と好奇に満ちた視線がエレナに集中した。カシアンはエレナの目の前で立ち止まると、それまでの穏やかな仮面を剥ぎ取り、冷酷な光を宿した瞳で彼女を見下ろした。
「君との婚約を破棄する。君を愛することなど、ただの一度もなかった」
周囲から短い悲鳴と、それに続く囁き声が漏れる。カシアンはレティシアの肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように告げた。
「僕の隣にふさわしいのは、共に魔王軍と戦い、民を救った聖女レティシアだ。お前のような地味で老け込んだ女が、英雄の妻になれると思ったのか? この結婚は、僕が真の力を手に入れ、英雄になるための踏み台に過ぎなかったんだよ」
カシアンの言葉は、まるで鋭利な刃物のように空気を切り裂く。レティシアはわざとらしくエレナを哀れむような視線を送り、カシアンの逞しい胸に顔を埋めた。
エレナは、震える指先をそっと胸元に当てた。
カシアンの金髪が輝いているのは、彼女が光の魔力を流し込み続けているからだ。
彼が魔王の巨体を切り伏せられたのは、彼女が身体強化の魔力を上乗せし続けたからだ。
今、彼が抱きしめているその女にまで、エレナの魔力が「加護」として流れ込んでいる。
「……本気で、おっしゃっているのですか? カシアン様」
エレナの声は、驚くほど静かだった。
「当たり前だ。お前との時間は苦痛でしかなかった。薄汚い伯爵令嬢め、二度と僕の前に姿を現すな!」
カシアンが吐き捨てるように言い、背を向けようとしたその時。
エレナは、ドレスの隠しポケットから一枚の古い羊皮紙を取り出した。
それは、微かに脈動するような赤い文字で綴られた、女神の契約書。
「左様ですか。……では契約に基づき、滞納分を含めた全魔力を、今この場で徴収(差し押さえ)いたします。」
エレナの瞳に、初めて冷徹な光が宿った。
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