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第一章:氷に閉ざされた愛
第4話:最後の晩餐
婚約夜会を翌日に控えた、最後の夜。
私はレオンを、シルフォード伯爵邸の小さな別邸へと招いた。
ここは、彼がまだ騎士見習いだった頃、訓練の合間に立ち寄っては二人で将来を語り合った思い出の場所だ。
かつての私にとっては聖域のような場所だったけれど、今の私にとっては、単なる「片付けの終わっていない物置」に過ぎない。
「アリア、急にどうしたんだい? 明日は夜会だ、早く休んだ方がいい」
部屋に入ってきたレオンは、少しだけ顔を顰めていた。
その顔色は、心なしか昨日よりも少しだけ青白い。加護を引き剥がした影響が、早くも肉体に現れ始めている証拠だ。
「申し訳ありません。でも、明日の夜会の前にお話ししておきたいことがあって……。それに、貴方の大好きなシチューを作ったのですわ」
私は、努めて以前通りの「健気なアリア」を演じながら微笑んだ。
テーブルの上には、彼が好きだと言っていた、牛肉と冬野菜をじっくり煮込んだシチューが並んでいる。
私が何時間もかけて灰を掬い、火加減を調整し、彼のために心を込めて作ってきた料理だ。
「……ふん、まあいい。ちょうど腹が減っていたんだ。明日の夜会では君をエスコートしなきゃならないからな、栄養はつけておかないと」
レオンは傲慢に椅子を引き、乱暴に腰を下ろした。
かつての私は、そんな彼の不遜な態度さえ「騎士様らしい男らしさ」だと脳内で変換していたのだから、初恋という病は恐ろしい。
彼はスプーンを手に取り、一口シチューを運んだ。
「……あ……」
一瞬、レオンの手が止まる。
彼の瞳が大きく見開かれ、驚きに揺れた。
「どうしたのですか? お口に合いませんでしたか?」
「いや、そうじゃない。……なんだ、これは。いつもより、ずっと……」
言葉を濁しながらも、彼は無我夢中でシチューを口に運び始めた。
それもそのはずだ。
今日のシチューには、私が回収したばかりの純度の高い魔力を、極微量だけ調味料として混ぜてある。
それは食べた者の魂を震わせ、細胞一つ一つに染み渡るような、至高の味わいをもたらす。
聖女の加護を直接「味」として享受する――これ以上の贅沢はこの世に存在しない。
「美味しい、だろう。こんなもの、二度と食えないかもしれないからな」
レオンは下品に笑いながら、皿を空にしていった。
その笑顔を見ながら、私は心の中で静かに答える。
(ええ、その通りですわ。貴方がこれを口にするのは、これが最後。一生、二度と味わうことは叶いません)
食後、彼は満足げに背もたれに寄りかかった。
魔力入りの食事を摂ったことで、一時的に彼の体調は回復しているように見える。だが、それは麻薬のようなものだ。効果が切れた時、彼は前以上の絶望的な倦怠感に襲われることになる。
「アリア。明日の夜会だが、ドレスは用意してあるんだろうな? 僕の隣に立つんだ、恥をかかせないでくれよ」
「もちろんですわ。最高に……貴方の印象に残る装いを用意しております」
「ならいい。……あ、それと、あの指輪はどうした? つけていないじゃないか」
レオンが、私の左手を見て不機嫌そうに目を細めた。
昨日私が砕き、暖炉で焼き尽くした、三銅貨の石ころ。
「大切なものですから、明日のために磨きに出しておりますの。……レオン様、あの指輪は本当に、貴方が私のために選んでくださったものなのですか?」
私は、最後にもう一度だけ彼にチャンスを与えた。
もしここで、彼が本当のことを言って謝ってくれたなら。
もしここで、「あれは冗談だったんだ」と、わずかでも悔いる素振りを見せてくれたなら。
だが。
「……当然だろう。あんなに素晴らしい水晶、探すのに苦労したんだ。君に似合うと思ってね」
レオンは、微塵も罪悪感のない顔で、さらりと嘘を吐いた。
その瞳の奥には、私を馬鹿にするような光が透けて見えた。
ああ、本当に。
この男に捧げる慈悲など、私の心にはもう一滴も残っていない。
「……そうですか。ありがとうございます、レオン様」
私は、深々と頭を下げた。
それが彼への忠誠ではなく、彼への決別の礼であることに、愚かな英雄は気づかない。
「では、私は明日の準備がありますので、これで失礼いたします。……レオン様、明日の夜会、楽しみにしていますね」
「ああ、任せておけ。お前の人生で、一番忘れられない夜にしてやるよ」
レオンは勝ち誇った顔で、別邸を後にした。
彼が去った後の部屋には、冷えたシチューの残り香だけが漂っている。
私はゆっくりと、彼が座っていた椅子を見つめた。
明日、彼は私を「辺境へ追い出す」ための舞台を整えているのだろう。
カトリーヌ令嬢の前で私を笑いものにし、婚約破棄を突きつける。
それが、彼が描いた「ゲーム」の結末。
「ええ、本当に。忘れられない夜になりますわ。……私ではなく、貴方にとっての、ね」
私は、彼が使ったスプーンを、汚物を扱うように布に包んでゴミ箱へ捨てた。
そして、執事のセバスに合図を送る。
「セバス、荷物の積み込みは?」
「すべて完了しております、お嬢様。夜会が終わり次第、いつでも国境へ向かえます」
「ありがとう。……さあ、アリア・シルフォードとしての、最後の夜を過ごしましょうか」
私は窓の外を見上げた。
満月の光が、銀色に輝いている。
その光は、かつての私の初恋のように清らかで、けれど今は、氷のように冷たく、私の行く先を照らしていた。
私はレオンを、シルフォード伯爵邸の小さな別邸へと招いた。
ここは、彼がまだ騎士見習いだった頃、訓練の合間に立ち寄っては二人で将来を語り合った思い出の場所だ。
かつての私にとっては聖域のような場所だったけれど、今の私にとっては、単なる「片付けの終わっていない物置」に過ぎない。
「アリア、急にどうしたんだい? 明日は夜会だ、早く休んだ方がいい」
部屋に入ってきたレオンは、少しだけ顔を顰めていた。
その顔色は、心なしか昨日よりも少しだけ青白い。加護を引き剥がした影響が、早くも肉体に現れ始めている証拠だ。
「申し訳ありません。でも、明日の夜会の前にお話ししておきたいことがあって……。それに、貴方の大好きなシチューを作ったのですわ」
私は、努めて以前通りの「健気なアリア」を演じながら微笑んだ。
テーブルの上には、彼が好きだと言っていた、牛肉と冬野菜をじっくり煮込んだシチューが並んでいる。
私が何時間もかけて灰を掬い、火加減を調整し、彼のために心を込めて作ってきた料理だ。
「……ふん、まあいい。ちょうど腹が減っていたんだ。明日の夜会では君をエスコートしなきゃならないからな、栄養はつけておかないと」
レオンは傲慢に椅子を引き、乱暴に腰を下ろした。
かつての私は、そんな彼の不遜な態度さえ「騎士様らしい男らしさ」だと脳内で変換していたのだから、初恋という病は恐ろしい。
彼はスプーンを手に取り、一口シチューを運んだ。
「……あ……」
一瞬、レオンの手が止まる。
彼の瞳が大きく見開かれ、驚きに揺れた。
「どうしたのですか? お口に合いませんでしたか?」
「いや、そうじゃない。……なんだ、これは。いつもより、ずっと……」
言葉を濁しながらも、彼は無我夢中でシチューを口に運び始めた。
それもそのはずだ。
今日のシチューには、私が回収したばかりの純度の高い魔力を、極微量だけ調味料として混ぜてある。
それは食べた者の魂を震わせ、細胞一つ一つに染み渡るような、至高の味わいをもたらす。
聖女の加護を直接「味」として享受する――これ以上の贅沢はこの世に存在しない。
「美味しい、だろう。こんなもの、二度と食えないかもしれないからな」
レオンは下品に笑いながら、皿を空にしていった。
その笑顔を見ながら、私は心の中で静かに答える。
(ええ、その通りですわ。貴方がこれを口にするのは、これが最後。一生、二度と味わうことは叶いません)
食後、彼は満足げに背もたれに寄りかかった。
魔力入りの食事を摂ったことで、一時的に彼の体調は回復しているように見える。だが、それは麻薬のようなものだ。効果が切れた時、彼は前以上の絶望的な倦怠感に襲われることになる。
「アリア。明日の夜会だが、ドレスは用意してあるんだろうな? 僕の隣に立つんだ、恥をかかせないでくれよ」
「もちろんですわ。最高に……貴方の印象に残る装いを用意しております」
「ならいい。……あ、それと、あの指輪はどうした? つけていないじゃないか」
レオンが、私の左手を見て不機嫌そうに目を細めた。
昨日私が砕き、暖炉で焼き尽くした、三銅貨の石ころ。
「大切なものですから、明日のために磨きに出しておりますの。……レオン様、あの指輪は本当に、貴方が私のために選んでくださったものなのですか?」
私は、最後にもう一度だけ彼にチャンスを与えた。
もしここで、彼が本当のことを言って謝ってくれたなら。
もしここで、「あれは冗談だったんだ」と、わずかでも悔いる素振りを見せてくれたなら。
だが。
「……当然だろう。あんなに素晴らしい水晶、探すのに苦労したんだ。君に似合うと思ってね」
レオンは、微塵も罪悪感のない顔で、さらりと嘘を吐いた。
その瞳の奥には、私を馬鹿にするような光が透けて見えた。
ああ、本当に。
この男に捧げる慈悲など、私の心にはもう一滴も残っていない。
「……そうですか。ありがとうございます、レオン様」
私は、深々と頭を下げた。
それが彼への忠誠ではなく、彼への決別の礼であることに、愚かな英雄は気づかない。
「では、私は明日の準備がありますので、これで失礼いたします。……レオン様、明日の夜会、楽しみにしていますね」
「ああ、任せておけ。お前の人生で、一番忘れられない夜にしてやるよ」
レオンは勝ち誇った顔で、別邸を後にした。
彼が去った後の部屋には、冷えたシチューの残り香だけが漂っている。
私はゆっくりと、彼が座っていた椅子を見つめた。
明日、彼は私を「辺境へ追い出す」ための舞台を整えているのだろう。
カトリーヌ令嬢の前で私を笑いものにし、婚約破棄を突きつける。
それが、彼が描いた「ゲーム」の結末。
「ええ、本当に。忘れられない夜になりますわ。……私ではなく、貴方にとっての、ね」
私は、彼が使ったスプーンを、汚物を扱うように布に包んでゴミ箱へ捨てた。
そして、執事のセバスに合図を送る。
「セバス、荷物の積み込みは?」
「すべて完了しております、お嬢様。夜会が終わり次第、いつでも国境へ向かえます」
「ありがとう。……さあ、アリア・シルフォードとしての、最後の夜を過ごしましょうか」
私は窓の外を見上げた。
満月の光が、銀色に輝いている。
その光は、かつての私の初恋のように清らかで、けれど今は、氷のように冷たく、私の行く先を照らしていた。
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