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最終話:黄金の未来、泥濘の絶望
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ルナリア聖教国の王都は、今日、建国以来の熱狂的な祝祭ムードに包まれていた。
空はどこまでも高く澄み渡り、吹き抜ける風は祝祭の旗を誇らしげに揺らしている。石畳が敷き詰められた大通りには、溢れんばかりの人々が肩を寄せ合い、笑顔で歓声を上げていた。あちこちから焼き立てのパンや香ばしい肉の匂いが漂い、吟遊詩人たちが奏でる陽気なリュートの音色が、人々の笑い声に溶け込んでいく。
かつて「王国からの亡命者」として、傷つき、すべてを奪われただ一人この地を踏んだ少女、エルゼ・フォン・ルナリア。彼女がこの国の王妃として即位して数年の月日が流れていた。
彼女がもたらしたものは、単なる美貌や愛嬌ではない。王国で奴隷のように培わされた知識、冷徹なまでの計算能力、そして「二度と誰にも奪わせない」という強靭な意志だった。彼女が主導した新しい農地改革は枯れた大地を黄金の麦畑に変え、治水工事は毎年の水害を過去のものにした。彼女の知恵と、国王シオンの圧倒的な統率力が噛み合った結果、ルナリアは今や大陸一の強国へと押し上げられていたのである。
王宮の最上階。柔らかな陽光がたっぷりと差し込む豪奢な私室で、エルゼは磨き上げられた姿見の前に立ち、そこに映る自分自身を静かに見つめていた。
彼女が纏っているのは、隣国から巨額の富を投じて呼び寄せた数名の最高の織り手たちが、数年の歳月をかけて織り上げた黄金の絹ドレスだ。歩くたびに光を反射し、まるで彼女自身が太陽の欠片を身に纏っているかのように輝く。繊細なレースには極小の真珠が縫い込まれ、彼女の透き通るような白い肌をさらに際立たせていた。
そして胸元には、国王シオンから即位の折に贈られた、海のように深い青を湛えた「皇帝の涙」と呼ばれる大粒のサファイアが、確かな重みを持って輝いている。
「……お母様、とってもお綺麗!」
鈴を転がすような無邪気な声に、エルゼはふっと瞳を和らげた。
ドレスの裾を小さな手で掴んで見上げているのは、エルゼのプラチナブロンドの髪と面影を色濃く受け継いだ第一王女だった。彼女の瞳には、母親への無条件の賛美と憧れがキラキラと輝いている。その後ろでは、シオンにそっくりの凛々しい目元と意志の強さを感じさせる第一王子が、小さな木剣を恭しく侍従に預け、まるで一人前の騎士のように誇らしげに胸を張って立っていた。
「ありがとう。あなたたちも、今日は特別おめかしをしていて素敵よ」
エルゼがそっと微笑みかけたその時、重厚なオーク材の扉が開いた。
「エルゼ。準備はいいかい? 愛する民たちが、今か今かと君を待っている」
部屋に入ってきたのは、国王シオンだった。豪奢な王衣を纏い、王としての圧倒的な威厳に満ちている彼だが、エルゼに向ける眼差しだけは違った。出会ったあの日——エルゼがボロボロの姿で彼を見上げたあの瞬間から何一つ変わらぬ、熱く甘い、そして深い独占欲を孕んだ光がそこにはあった。
彼は子供たちの頭を優しく撫でた後、エルゼの傍らに立ち、その細い腰を力強い腕で引き寄せた。そして、彼女の耳元に唇を寄せ、低く甘い声で囁く。
「君をあの泥沼のような王国から救い出したのは、私の人生において唯一にして、最高の功績だったよ。君がいない世界など、もはや想像すらできない」
「いいえ、シオン様」
エルゼはシオンの首にそっと腕を回し、その深い琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「私を救ったのは間違いなく貴方ですが、その手を取ると決め、貴方を選んだのは私自身ですわ。私たちは、互いが互いを救ったのです」
二人は微笑み合い、しっかりと手を取り合って、陽光が降り注ぐ広大なバルコニーへと歩み出た。
彼らが姿を見せた瞬間、眼下に広がる広場を埋め尽くした数万の民衆から、地響きのような大歓声が沸き起こった。「エルゼ様!」「我らが光!」——彼女を慈母と仰ぐ人々の声が、ルナリアの青空へと吸い込まれていく。
◆
一方、その華やかな歓声さえ絶対に届かぬほど遠く、荒れ果てた王国の場末。
かつて「公爵」と呼ばれ、富と権力の頂点に立っていた男は、腐臭を放つゴミの山に背を預け、ガタガタと震える手で地面に出来た泥水の溜まった水たまりを掬っていた。
「……寒い……。……お腹が、空いた……」
ひび割れた唇から漏れる声は、もはや人間のそれではなく、死にかけの獣のようだった。
彼の指先は、長年の過酷な強制労働と不衛生な環境により凍傷と壊死を繰り返し、既に半分近くが欠け落ちていた。泥水を掬っても、指の隙間からポロポロとこぼれ落ちてしまう。
彼がかつて溺愛していた家族は、もう誰もいない。
長男のディートリヒは、国家機密漏洩という大罪のスケープゴートにされ、最悪の環境と呼ばれる北部の鉱山へと送られた。そこで過労で倒れ、最後は落盤事故に巻き込まれて、満足な埋葬すらされずに土に還った。
妻のマリアは、その美貌だけを頼りに生き延びようと、場末の街娼にまで身を落とした。しかし、過酷な生活と劣悪な客たちに虐げられるうちに精神を病み、最後は梅毒に侵され、全身に膿を浮かべながらどこかの路地裏で孤独に息絶えたという噂を、風の便りに聞いた。
公爵家としての絶対的な誇り。毎日テーブルに並んでいた、食べきれないほどの贅を尽くした食事。そして、何を言っても逆らわずに黙々と従い続けていた、あの「便利な」娘。
そのすべてが、今となっては遠い前世の夢のように思える。
「……エルゼ……。……ああ、エルゼ……」
濁った父の脳裏に、あの日、最後に見たエルゼの姿が鮮明に浮かび上がった。
自分たちを「赤の他人」として切り捨て、一切の感情を排した、あの冷たく、けれどあまりにも美しく気高かった瞳。
(……もし。もしあの日、あの子をただの『道具』だと思わず、一人の娘として扱っていれば。……あの子が深夜まで冷たい部屋で公爵家の帳簿をつけていた時、せめて一杯の暖かいお茶でも差し出していれば。……あの子の誕生日に、一つでも、道端に咲く花一つでも贈っていれば……!)
どろどろに溶けた心に押し寄せてくるのは、鋭いナイフで心臓を微塵に刻まれるような、耐え難い後悔の念だった。
彼らが何の罪悪感もなく踏みにじり、笑いながら才能を搾取し続けていたのは、単なる「便利な娘」ではなかったのだ。自分たちを没落から救い、黄金の未来へと導いてくれるはずだった、たった一つの、そして絶対的な希望だったのだ。
自分たちが長年かけてエルゼに与え続けた「孤独」と「絶望」。
それは今、何万倍、何億倍もの重い呪いとなって返ってきて、自分たちの悲惨な余生を容赦なく押し潰している。
「……すま、なかった……。……エルゼ、私を、許して……くれ……」
父は、最期の力を振り絞り、かつての娘がいるであろう隣国の空へと、欠け落ちた指を伸ばした。
だが、その指が掴んだのは、容赦なく吹き付ける冷たい冬の風だけだった。看取る者など誰もいない。看取られる価値さえないまま、かつての栄華を極めた公爵は、薄汚れた泥濘の中で静かに、そして惨めにその生涯を閉じた。
彼の死を悲しむ者は、この広い世界のどこにも、一人として存在しなかった。
◆
再び、ルナリアの夜。
建国祭のフィナーレを飾る大輪の花火が、夜空を眩しいほどに彩っていた。赤、青、黄金の光が空に弾けるたび、人々の歓声が遠く聞こえてくる。
王宮のバルコニーで、エルゼはシオンの広くて温かい胸にそっと寄り添い、静かに目を閉じた。
かつて自分を虐げた王国の滅亡や、元家族たちが辿った悲惨な末路。
諜報部隊から上がってくるそんなニュースは、もはや彼女の耳に届いたとしても、彼女の心の水面をほんの僅かに揺らすことさえない。
彼女にとって、彼らは既に何年も前に「死んだ」存在であり、記憶のゴミ箱の奥底に捨てられた、ただの無価値な残骸に過ぎないからだ。
「エルゼ。明日は、新しく作った北の開拓村の視察に行こう。君が孤児院から助け出したあの子供たちが、今では立派にクワを持ち、畑を耕しているそうだ」
シオンの優しく力強い声が、エルゼの意識を心地よい現実へと引き戻す。
「ええ、喜んで。シオン様。きっと素晴らしい麦が育っているはずですわ」
エルゼは、シオンの大きな手に自分の手を重ねた。
前世で、無実の罪を着せられ断頭台に散ったあの時、頬に落ちた冷たい雪の感触。
そして今世で、数々の絶望を乗り越えた末に手に入れた、この陽だまりのような暖かさと確かな愛。
復讐は、もうとうの昔に終わった。
ここから先に続く道は、過去の亡霊に囚われるためのものではない。ただ愛する家族と、自分を心から信じてくれるこの国の民たちのためにあるのだ。
かつてすべてを捨て、冷たい夜の闇を歩き出した少女は、今、自らの手と愛する人の手で築き上げた黄金の王国で、永遠の幸せを手に入れた。
(完)
-———————————————————-
本編の最終話まで、この長い物語に最後までお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました!
かつてすべてを搾取され、見すてられた絶望の淵から、自らの手で未来を切り拓いたエルゼの輝かしい栄光。そして、彼女をただの「便利な道具」として扱い、最終的に自らが作り出した業火に焼かれることとなった元家族たちの惨めな末路――。
この二つの運命が交わることのない決定的な対比をもって、エルゼの波乱万丈な物語を締めくくらせていただきました。
【執筆を終えて】
どん底から這い上がり、知恵と勇気、そしてシオンという無二の理解者と共に最高の幸せを掴み取ったエルゼの華麗なる大逆転劇、皆様、ご満足いただけましたでしょうか?
執筆中、私自身もエルゼの抱える理不尽な苦しみに胸を痛め、シオンの底なしの深い愛に救われ、そして何より、あの身勝手極まりない元家族たちへの「ざまぁ」展開を書き上げる際には、皆様と同じようにスカッとした気持ちで筆(キーボード)を走らせておりました。
冷たい雪の中で命を散らした前世の記憶を乗り越え、陽だまりのような温かい国を築き上げた彼女の笑顔を、最後にしっかりと描くことができて、作者としても感無量です。
もしよろしければ、この作品をお読みいただいた熱い感想や、一番スカッとしたシーン、お気に入りのキャラクターなどをぜひお聞かせください! 皆様からの温かいお言葉が、何よりの執筆の原動力になります。
また、「次はこんな設定の物語が読みたい!」といった熱烈なリクエストも大募集しております。
例えば……
「無能と蔑まれた令嬢が、魔法学校で隠されたチート能力を開花させる痛快なざまぁ劇」
「冷徹と恐れられる氷の騎士団長が、実はヒロインにだけは重すぎるほどの過保護で甘々な溺愛を見せる物語」
「冤罪で追放された聖女が、隣国の魔王(?)に拾われて世界一の寵愛を受けるほっこり&無双ファンタジー」
などなど、皆様の読みたいシチュエーションや大好きな属性があれば、ぜひコメント等で教えてくださいね。皆様のアイデアから、また新しい世界が生まれるかもしれません。
エルゼとシオンの物語はここで一つの結末を迎えますが、また新たな主人公たちの、胸がすくような大逆転劇や、甘く尊いロマンスの世界でお会いできることを、心より楽しみにしております!
それでは、また次なる物語のページでお会いしましょう!
空はどこまでも高く澄み渡り、吹き抜ける風は祝祭の旗を誇らしげに揺らしている。石畳が敷き詰められた大通りには、溢れんばかりの人々が肩を寄せ合い、笑顔で歓声を上げていた。あちこちから焼き立てのパンや香ばしい肉の匂いが漂い、吟遊詩人たちが奏でる陽気なリュートの音色が、人々の笑い声に溶け込んでいく。
かつて「王国からの亡命者」として、傷つき、すべてを奪われただ一人この地を踏んだ少女、エルゼ・フォン・ルナリア。彼女がこの国の王妃として即位して数年の月日が流れていた。
彼女がもたらしたものは、単なる美貌や愛嬌ではない。王国で奴隷のように培わされた知識、冷徹なまでの計算能力、そして「二度と誰にも奪わせない」という強靭な意志だった。彼女が主導した新しい農地改革は枯れた大地を黄金の麦畑に変え、治水工事は毎年の水害を過去のものにした。彼女の知恵と、国王シオンの圧倒的な統率力が噛み合った結果、ルナリアは今や大陸一の強国へと押し上げられていたのである。
王宮の最上階。柔らかな陽光がたっぷりと差し込む豪奢な私室で、エルゼは磨き上げられた姿見の前に立ち、そこに映る自分自身を静かに見つめていた。
彼女が纏っているのは、隣国から巨額の富を投じて呼び寄せた数名の最高の織り手たちが、数年の歳月をかけて織り上げた黄金の絹ドレスだ。歩くたびに光を反射し、まるで彼女自身が太陽の欠片を身に纏っているかのように輝く。繊細なレースには極小の真珠が縫い込まれ、彼女の透き通るような白い肌をさらに際立たせていた。
そして胸元には、国王シオンから即位の折に贈られた、海のように深い青を湛えた「皇帝の涙」と呼ばれる大粒のサファイアが、確かな重みを持って輝いている。
「……お母様、とってもお綺麗!」
鈴を転がすような無邪気な声に、エルゼはふっと瞳を和らげた。
ドレスの裾を小さな手で掴んで見上げているのは、エルゼのプラチナブロンドの髪と面影を色濃く受け継いだ第一王女だった。彼女の瞳には、母親への無条件の賛美と憧れがキラキラと輝いている。その後ろでは、シオンにそっくりの凛々しい目元と意志の強さを感じさせる第一王子が、小さな木剣を恭しく侍従に預け、まるで一人前の騎士のように誇らしげに胸を張って立っていた。
「ありがとう。あなたたちも、今日は特別おめかしをしていて素敵よ」
エルゼがそっと微笑みかけたその時、重厚なオーク材の扉が開いた。
「エルゼ。準備はいいかい? 愛する民たちが、今か今かと君を待っている」
部屋に入ってきたのは、国王シオンだった。豪奢な王衣を纏い、王としての圧倒的な威厳に満ちている彼だが、エルゼに向ける眼差しだけは違った。出会ったあの日——エルゼがボロボロの姿で彼を見上げたあの瞬間から何一つ変わらぬ、熱く甘い、そして深い独占欲を孕んだ光がそこにはあった。
彼は子供たちの頭を優しく撫でた後、エルゼの傍らに立ち、その細い腰を力強い腕で引き寄せた。そして、彼女の耳元に唇を寄せ、低く甘い声で囁く。
「君をあの泥沼のような王国から救い出したのは、私の人生において唯一にして、最高の功績だったよ。君がいない世界など、もはや想像すらできない」
「いいえ、シオン様」
エルゼはシオンの首にそっと腕を回し、その深い琥珀色の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「私を救ったのは間違いなく貴方ですが、その手を取ると決め、貴方を選んだのは私自身ですわ。私たちは、互いが互いを救ったのです」
二人は微笑み合い、しっかりと手を取り合って、陽光が降り注ぐ広大なバルコニーへと歩み出た。
彼らが姿を見せた瞬間、眼下に広がる広場を埋め尽くした数万の民衆から、地響きのような大歓声が沸き起こった。「エルゼ様!」「我らが光!」——彼女を慈母と仰ぐ人々の声が、ルナリアの青空へと吸い込まれていく。
◆
一方、その華やかな歓声さえ絶対に届かぬほど遠く、荒れ果てた王国の場末。
かつて「公爵」と呼ばれ、富と権力の頂点に立っていた男は、腐臭を放つゴミの山に背を預け、ガタガタと震える手で地面に出来た泥水の溜まった水たまりを掬っていた。
「……寒い……。……お腹が、空いた……」
ひび割れた唇から漏れる声は、もはや人間のそれではなく、死にかけの獣のようだった。
彼の指先は、長年の過酷な強制労働と不衛生な環境により凍傷と壊死を繰り返し、既に半分近くが欠け落ちていた。泥水を掬っても、指の隙間からポロポロとこぼれ落ちてしまう。
彼がかつて溺愛していた家族は、もう誰もいない。
長男のディートリヒは、国家機密漏洩という大罪のスケープゴートにされ、最悪の環境と呼ばれる北部の鉱山へと送られた。そこで過労で倒れ、最後は落盤事故に巻き込まれて、満足な埋葬すらされずに土に還った。
妻のマリアは、その美貌だけを頼りに生き延びようと、場末の街娼にまで身を落とした。しかし、過酷な生活と劣悪な客たちに虐げられるうちに精神を病み、最後は梅毒に侵され、全身に膿を浮かべながらどこかの路地裏で孤独に息絶えたという噂を、風の便りに聞いた。
公爵家としての絶対的な誇り。毎日テーブルに並んでいた、食べきれないほどの贅を尽くした食事。そして、何を言っても逆らわずに黙々と従い続けていた、あの「便利な」娘。
そのすべてが、今となっては遠い前世の夢のように思える。
「……エルゼ……。……ああ、エルゼ……」
濁った父の脳裏に、あの日、最後に見たエルゼの姿が鮮明に浮かび上がった。
自分たちを「赤の他人」として切り捨て、一切の感情を排した、あの冷たく、けれどあまりにも美しく気高かった瞳。
(……もし。もしあの日、あの子をただの『道具』だと思わず、一人の娘として扱っていれば。……あの子が深夜まで冷たい部屋で公爵家の帳簿をつけていた時、せめて一杯の暖かいお茶でも差し出していれば。……あの子の誕生日に、一つでも、道端に咲く花一つでも贈っていれば……!)
どろどろに溶けた心に押し寄せてくるのは、鋭いナイフで心臓を微塵に刻まれるような、耐え難い後悔の念だった。
彼らが何の罪悪感もなく踏みにじり、笑いながら才能を搾取し続けていたのは、単なる「便利な娘」ではなかったのだ。自分たちを没落から救い、黄金の未来へと導いてくれるはずだった、たった一つの、そして絶対的な希望だったのだ。
自分たちが長年かけてエルゼに与え続けた「孤独」と「絶望」。
それは今、何万倍、何億倍もの重い呪いとなって返ってきて、自分たちの悲惨な余生を容赦なく押し潰している。
「……すま、なかった……。……エルゼ、私を、許して……くれ……」
父は、最期の力を振り絞り、かつての娘がいるであろう隣国の空へと、欠け落ちた指を伸ばした。
だが、その指が掴んだのは、容赦なく吹き付ける冷たい冬の風だけだった。看取る者など誰もいない。看取られる価値さえないまま、かつての栄華を極めた公爵は、薄汚れた泥濘の中で静かに、そして惨めにその生涯を閉じた。
彼の死を悲しむ者は、この広い世界のどこにも、一人として存在しなかった。
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再び、ルナリアの夜。
建国祭のフィナーレを飾る大輪の花火が、夜空を眩しいほどに彩っていた。赤、青、黄金の光が空に弾けるたび、人々の歓声が遠く聞こえてくる。
王宮のバルコニーで、エルゼはシオンの広くて温かい胸にそっと寄り添い、静かに目を閉じた。
かつて自分を虐げた王国の滅亡や、元家族たちが辿った悲惨な末路。
諜報部隊から上がってくるそんなニュースは、もはや彼女の耳に届いたとしても、彼女の心の水面をほんの僅かに揺らすことさえない。
彼女にとって、彼らは既に何年も前に「死んだ」存在であり、記憶のゴミ箱の奥底に捨てられた、ただの無価値な残骸に過ぎないからだ。
「エルゼ。明日は、新しく作った北の開拓村の視察に行こう。君が孤児院から助け出したあの子供たちが、今では立派にクワを持ち、畑を耕しているそうだ」
シオンの優しく力強い声が、エルゼの意識を心地よい現実へと引き戻す。
「ええ、喜んで。シオン様。きっと素晴らしい麦が育っているはずですわ」
エルゼは、シオンの大きな手に自分の手を重ねた。
前世で、無実の罪を着せられ断頭台に散ったあの時、頬に落ちた冷たい雪の感触。
そして今世で、数々の絶望を乗り越えた末に手に入れた、この陽だまりのような暖かさと確かな愛。
復讐は、もうとうの昔に終わった。
ここから先に続く道は、過去の亡霊に囚われるためのものではない。ただ愛する家族と、自分を心から信じてくれるこの国の民たちのためにあるのだ。
かつてすべてを捨て、冷たい夜の闇を歩き出した少女は、今、自らの手と愛する人の手で築き上げた黄金の王国で、永遠の幸せを手に入れた。
(完)
-———————————————————-
本編の最終話まで、この長い物語に最後までお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました!
かつてすべてを搾取され、見すてられた絶望の淵から、自らの手で未来を切り拓いたエルゼの輝かしい栄光。そして、彼女をただの「便利な道具」として扱い、最終的に自らが作り出した業火に焼かれることとなった元家族たちの惨めな末路――。
この二つの運命が交わることのない決定的な対比をもって、エルゼの波乱万丈な物語を締めくくらせていただきました。
【執筆を終えて】
どん底から這い上がり、知恵と勇気、そしてシオンという無二の理解者と共に最高の幸せを掴み取ったエルゼの華麗なる大逆転劇、皆様、ご満足いただけましたでしょうか?
執筆中、私自身もエルゼの抱える理不尽な苦しみに胸を痛め、シオンの底なしの深い愛に救われ、そして何より、あの身勝手極まりない元家族たちへの「ざまぁ」展開を書き上げる際には、皆様と同じようにスカッとした気持ちで筆(キーボード)を走らせておりました。
冷たい雪の中で命を散らした前世の記憶を乗り越え、陽だまりのような温かい国を築き上げた彼女の笑顔を、最後にしっかりと描くことができて、作者としても感無量です。
もしよろしければ、この作品をお読みいただいた熱い感想や、一番スカッとしたシーン、お気に入りのキャラクターなどをぜひお聞かせください! 皆様からの温かいお言葉が、何よりの執筆の原動力になります。
また、「次はこんな設定の物語が読みたい!」といった熱烈なリクエストも大募集しております。
例えば……
「無能と蔑まれた令嬢が、魔法学校で隠されたチート能力を開花させる痛快なざまぁ劇」
「冷徹と恐れられる氷の騎士団長が、実はヒロインにだけは重すぎるほどの過保護で甘々な溺愛を見せる物語」
「冤罪で追放された聖女が、隣国の魔王(?)に拾われて世界一の寵愛を受けるほっこり&無双ファンタジー」
などなど、皆様の読みたいシチュエーションや大好きな属性があれば、ぜひコメント等で教えてくださいね。皆様のアイデアから、また新しい世界が生まれるかもしれません。
エルゼとシオンの物語はここで一つの結末を迎えますが、また新たな主人公たちの、胸がすくような大逆転劇や、甘く尊いロマンスの世界でお会いできることを、心より楽しみにしております!
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