死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜

しょくぱん

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番外編:第四話

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 ルナリア聖教国の王都・聖ミカエル。その中心部に位置する商業区画で、今最も予約が取れないと噂される高級レストラン『黄金の天秤・別館』。
 厨房では、活気に満ちた声と、極上の香りが立ち込めていた。

「おい、そのソースの火加減に気をつけろ! エルゼ様が構築された流通網で届いたばかりの、北方海域の幻の魚だ。一秒の狂いも許されないぞ!」

 厨房を取り仕切っているのは、初老の料理長・ハンスである。
 かつてアデナウアー公爵家で、借金のカタに引き抜かれ、予算も食材も与えられない中で「飯炊き人形」として酷使されていた彼の面影は、もうどこにもない 。糊の効いた純白のコックコートを身に纏い、その瞳には料理人としての強烈な誇りと生気が宿っていた。

「ハンスのおやじさん、相変わらずいい声出してるね」

 厨房の勝手口から顔を出したのは、上質な仕立ての外套を羽織った青年、トニだった。
 彼もまた、公爵家で理不尽な暴力に晒されていたしがない御者だった男だ 。だが今は、エルゼが立ち上げた『ルナリア中央商会』の物流部門を統括する若き重役として、数百台の馬車と商船を動かす立場にある。

「おお、トニか。今日は商会の監査日だったな。エルゼ様の具合はどうだ?」
「最高だよ。皇太子妃としての公務もこなしながら、俺たちの商会の決算書まで目を通してくださっている。シオン殿下が『また働きすぎだ』って甘い溜息をついて、無理やり執務室から連れ出していたけどね」

 トニの言葉に、ハンスは豪快に笑い、鍋を振りながら目を細めた。

「違いない。あのお方は、我々が止める間もなくすべてを一人で背負い込もうとなさる。……だが、今はシオン殿下という最高のストッパーがいらっしゃるからな」
「ああ。俺たちも、エルゼ様にこれ以上苦労をかけないように、完璧に商会を回さないとな」

 ハンスは火を止め、トニに試作用のスープを小皿に注いで渡した。
 濃厚な海鮮の出汁と、ルナリア特有の香草が絶妙に絡み合う、至高の一品だ。公爵家が信用を失い、焦げたパンと具のない塩辛いスープしか出せなくなったあの末期の日々とは、まさに天と地ほどの差だった 。

「……美味い。涙が出るほど美味いよ、ハンス」
「フン、当たり前だ。俺はもともと王宮の料理人だったんだからな。……公爵家では、あの無能な当主どもが『味が薄い』だの『もっと脂っこい肉を出せ』だのと、料理のイロハも知らんくせに文句ばかり言いやがって」

 ハンスの目に、一瞬だけ過去の忌まわしい記憶が過った。
 予算が削られ、業者からも見放される中、エルゼだけが自らの身銭を切って厨房の維持費を捻出してくれていた 。彼女がいなければ、ハンスはとっくに料理人としての腕を腐らせ、絶望の中で死んでいただろう。

「……あいつら、今頃どうしているんだろうな」
「トニ、聞きたいか? 俺の耳には、王国の商人脈から面白い話が入ってきているぞ」

 ハンスは意地悪く口角を上げた。

「ディートリヒの坊ちゃんは鉱山で石のようになって死に、マリア嬢は裏路地で野垂れ死んだ。そしてあの傲慢だった公爵は、今や王都の地下牢で、俺が公爵家で捨てていた野菜のクズ以下の残飯を啜って生き延びているそうだ」
「……そうか。自業自得、という言葉すら生温いな」
「全くだ。エルゼ様という、世界で最も気高く、そして有能な『心臓』を自らの手で抉り出したのだ。その代償は、血の最後の一滴まで払わせなければ割に合わん」

 二人は、グラスに注がれた安酒(仕事中のため、厨房の隅にあった調理用のワイン)で、静かに乾杯した。
 それは、かつて同じ地獄を味わい、そして同じ女神に救われた者同士の、魂の誓いだった。

「トニ。俺たちは、エルゼ様が作り上げたこの黄金の国で、最高の仕事をしよう。あのお方がふと後ろを振り返った時、絶対に安心できるような、盤石の土台であり続けるんだ」
「当然だ。俺の命も、うちの母親の命も、エルゼ様に拾われたものだ。……王国の連中がもし、あのお方の幸せを少しでも脅かそうとするなら、俺の率いる物流網で、王国の経済ごと首を絞め落としてやる」

 優しかった御者の青年の目には、商会の重鎮としての冷徹な光が宿っていた。
 エルゼが救い出したのは、単なる使用人ではない。彼女に対する絶対の忠誠を誓い、彼女のためなら他国をも滅ぼしかねない、最強の「手足」たちだったのだ。

 厨房の外からは、レストランを訪れたルナリアの貴族たちの、歓喜に満ちた笑い声が聞こえてくる。
 かつての泥水のような過去を完全に断ち切り、彼らは今、光り輝く未来のど真ん中を生きていた。
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