家族に売られてたどり着いた先は、王女様の侍女でした。 ――掃除だけは誰にも負けません。

月城 蓮桜音

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第1話 私の仕事

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 夜が明ける前、私はもう雑巾を絞っていた。まだ、皆が寝静まっている時間。薄暗い中、音を立てないように慎重に動く。ああ、今日もいつもと同じ一日が始まる。

 私の名前はリーナ=アルヴェル。先月十五歳になったが、婚約者はまだいない。そんな男爵令嬢である私の仕事は――掃除だった。この屋敷に住む家族の中で、それを「仕事」と呼んでいいのは、私だけだった。

 アルヴェル家にはお金がない。没落したと言われても仕方のないほど、貴族としての体裁を保てていなかった。私の実母が亡くなった翌年、喪が明けてすぐに父親が継母と義妹を連れてきたことが原因だと思っている。彼女たちは贅沢を好み、私と弟の居場所は奪われた。そして、あっという間にアルヴェル家は傾いたのだった。
 
 お金はないけれど、古い屋敷はとても広かった。掃除を始めて、すでに二時間が経っていた。屋敷の廊下を拭き終えた頃、可愛らしい制服姿の義妹が、ちょうど学園へ向かう馬車に乗り込むところだった。私は、その背中を窓越しに見送り、もう一度、雑巾を水に浸した。荒れた指先に水が染みたが、気にせずに床を拭いていく。

 雑巾を絞り直し、今度は階段に取りかかる。角に溜まった埃は、放っておくとすぐに目立つ。一段ずつ、順番に。力を入れすぎないように。二時間も雑巾を握り続けていると、指の感覚が少しずつ鈍くなる。それでも止めない。止めたところで、誰も代わってはくれないから。そして、ここで手を抜くと、あとで必ず叱られるから。
 
 さすがにこんなにも広い屋敷を、一人で掃除するには時間が足りない。だから私は、誰にも見られない場所で、そっと風を起こした。母から内緒にするように言われた魔法。私は仕方なく、掃除に活かしている。風魔法で埃を外に出したり、バケツに魔法で水を出したりして、時間を節約していたのだ。

 床を拭き終えた瞬間、ほんの一瞬だけ、雑巾の先が淡くきらめいた気がした。水が朝日に反射した……? まあ、気のせいだろう。そう思っても、床に残った空気だけは、いつもより少しだけ澄んでいる気がした。

「ちょっと!」

 鋭い声に、私はびくっと肩を震わせた。この声は継母だと分かっている。機嫌を損ねないように、そっと振り返り、頭を下げた。魔法を使ったことがバレていないかも窺いながら、静かに継母の言葉を待つ。

「わたくしの部屋を早く掃除なさい!」

 汚いものを見るかのような目で、私を睨みながら命令をする。継母にとって義妹以外は、自分の子どもだと思っていないことがよく分かる。もうすでに親からの愛情なんて、諦めているが。

「はい。かしこまりました」

 起きるのが遅い継母は、自分の支度を済ませてすぐに掃除をさせたがる。下の食堂で朝食を摂っている間に終わらせてほしいようだが、以前はそうはっきりと言ってくれなかったので、理解するまでに時間がかかり、何度も打たれる羽目になったのだった。

「急がなきゃ」

 私はパタパタと小走りで継母の部屋に向かう。義母の部屋の前で、私は一度だけ深呼吸をした。扉の向こうは、いつも空気が重い。それでも、遅れればもっと酷いことになる。「ふう――」と深く息を吐いて、部屋の扉を開けた。扉の先では、義母の侍女が私を待っていた。

「相変わらずグズなのね。早く終わらせなさい! 私の休憩時間が減っちゃうじゃないの」

 そう言った侍女は私を後ろから蹴飛ばした。バケツで手が塞がっている私は、そのまま床に倒れ込む。

「うっ……」

「ふんっ! とろいから怪我なんてするのよ!」

 倒れ込んだ私は柱に額をぶつけてしまった。ぶつけた場所を手で触れると、指先が濡れた。赤く染まった手を見て、「ああ、切れちゃったのね」と冷静に受け止める。ハンカチを額に当てると、じわりと温かさが伝わってきた。しばらく押さえていると、血は少しずつ止まっていく。床に落ちた赤い雫を、私は無意識に雑巾で拭き取った。

 慌てて逃げるように去った侍女の振る舞いに、「はあ……」とため息を吐く。

 ――ここは私の家なのに、私の居場所はないのだと、改めて唇を噛みしめるのだった。
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