家族に売られてたどり着いた先は、王女様の侍女でした。 ――掃除だけは誰にも負けません。

月城 蓮桜音

文字の大きさ
4 / 10

第4話 母の言葉

しおりを挟む
 いつものようにひっそりと、指先に魔力を集めようとした、その瞬間だった。
 
 ――だめ。

 また頭の奥に、静かな声が落ちてくる。もう何年も前に失ったはずの声なのに、不思議と色褪せない。私は手を止めた。あの人は、いつもこうだった。声を荒らげることも、感情をぶつけることもない。ただ、落ち着いた調子で、当たり前のことのように話す。
 
 母、エリシア。私が覚えている母は、いつも穏やかで、少しだけ距離のある人だった。抱きしめてくれないわけじゃない。でも、必要以上に触れない。子どもだからといって、言葉を選びすぎることもなかった。
 
 ――あなたは、分かるでしょう?
 
 そう言われている気がして、私はいつも背筋を伸ばした。あの日のことを、よく覚えている。窓から差し込む光の中で、私は無邪気に魔法を使った。床に落ちた埃を風で集めて、水で浮かせる。今思えば、掃除の延長みたいなものだった。
 
 母は、それを見ていた。驚いた様子はなかった。声色も、変わらない。ただ、私の手をそっと止めて、静かに言った。
 
「母さまと一緒にいる時だけって、約束してくれる?」
 
 理由は言わなかった。危ないとも、悪いとも。私は、少し迷ってから頷いた。その時、母は困ったように笑った。決して私を叱るためじゃない。怖がらせるためでもない。ただ、何かを避けるためにそう言っているのだと――今なら分かる。母は、私の髪を撫でて、「ありがとう」とだけ言った。それで、その話は終わった。
 
 約束は、いつの間にか私の中で重くなった。破ってはいけないもの。理由は分からなくても、守るべきもの。母は、父と並んで立っていても、どこか周りとは違って見えた。夫婦なのに、距離がある。会話は必要なことだけ。感情をぶつけ合うことはなかった。

 それでも、母は不満を口にしなかった。決められた役割を、淡々とこなしていた。奥方として、この家の一員として。そして、私の母として。母が魔法について語ることはなかった。けれど、私が使えることを前提にしているような言い方をする時があった。特別視もしない。ただ、「そういうもの」として扱っていた。それが、ずっと不思議だった。

 ある夜、寝る前のことだ。灯りを落とした部屋で、母は私の髪をとかしながら、いつものように静かな声で言った。
 
「リーナ、いい子ね。愛してるわ」
 
 それは、何でもない言葉のようでいて、なぜか胸に残った。その後、母は亡くなった。理由を知る前に。約束の意味を聞く前に。それでも、母の言葉だけは残った。魔法を使おうとするたびに、思い出す。叱らない声。理由を言わない約束。
 
 ――あの人は、何を知っていたのだろう。そして、私に何を隠そうとしていたのだろう。
 
 私は手を下ろし、雑巾を握り直した。母はいない。でも、あの言葉は、今も私を止めている。守っているのか、縛っているのかは分からないまま。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました

四折 柊
恋愛
 子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)

国外追放だ!と言われたので従ってみた

れぷ
ファンタジー
 良いの?君達死ぬよ?

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

遊び人の侯爵嫡男がお茶会で婚約者に言われた意外なひと言

夢見楽土
恋愛
侯爵嫡男のエドワードは、何かと悪ぶる遊び人。勢いで、今後も女遊びをする旨を婚約者に言ってしまいます。それに対する婚約者の反応は意外なもので…… 短く拙いお話ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。 このお話は小説家になろう様にも掲載しています。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...