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【 後編 】
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港から歩いて十分弱。森の中にある小さな小屋に入り、部屋の中央にあるテーブルに向かい合って座った。テーブルも椅子も、もちろん木でできている。
テーブルの上には、これまた木で作られたコップが二つ置かれていた。この島で採れるフルーツを搾ったドリンクらしい。
女性は、ドリンクを一口飲んだ。「では、面接を始めますね」
笑みを絶やさぬ姿に、胸の奥がほわっとした。なんて心地の良い女の子だろう。
「はい、お願いします」
俺も、ドリンクを口にした。
美味い。搾りたてのフルーツ独特のジューシーさに、ちょこちょこ入っている果肉がたまらない。
思わず、もう一口流し込んだ。
女性は、そんな俺の姿を微笑ましそうに見ながら、自己紹介を始めた。
「私の名前は『ソニア』と言います。二十一歳です」
「ソニア? 日本人じゃないんですか」
「純粋な日本人ですよ。ここでは、好きな名前を名乗ることができるんです」
そういうシステムなのか。すぐにでも取材ノートにメモしたかったが、ソニアの前でそんなことをやるわけにはいかないので、忘れないよう脳内に刻み込んだ。
「あなたのお名前は?」
「あ、俺は川嶋駿っていいます。二十二歳です。仕事は……コンビニでアルバイトしてます」記者だと名乗るわけにはいかない。
「なぜ、冀望島に来ようと思ったのですか」
「人間関係がうまくいかなくて。もう、普通に生活するのが嫌になったんです」
船の上で考えておいた設定を淡々と述べた。
「そうですか。わかりました。――それでは、最後の質問です」
「最後? もう最後ですか?」
「ええ。最後にして、最も重要な質問です。この質問には、特に慎重に、正確に答えてください。絶対にです」珍しくソニアの顔が厳めしくなった。
「は、はい」
「この島へ来ることは、誰かに話しましたか」
「え?」
聞き返したが、ソニアは反応せず、睨みつけるような顔をしたままだった。
「あの……家族には、言いました」
「家族だけですか? 職場の人とか、友達とかには?」
「家族以外には誰にも言ってません」
これについては事実なだけに、力強く言い放った。
友達に言ったところで、「ネット上の怪しい噂を信じて取材にいくとか、バカじゃねぇの」と言われるだけだ。
職場の人間に言おうものなら、「お前には十年早い! そんなことよりさっさと仕事を覚えろ」と怒鳴られるに決まっている。
ソニアは、真実を語っているのか確かめるように、俺の顔を穴が開くほど覗き込んでいる。
しばらくして、ソニアがふっと顔の強張りを解き、相好を崩した。
「そうですか。よかったです。しつこく聞いてしまって済みません」ペコリと頭を下げた。
「いえ」
「この質問だけ、こんなに厳しく、そしてしつこく問い質したのには理由があるのです」
話の続きを促すように、俺は小刻みに何度か頷いた。
ソニアが話を継ぐ。
「もし川嶋さんがこの冀望島へ来ることをいろいろな人に言っていたとしたら、川嶋さんを探しに大勢この島にやってきてしまうかもしれませんよね。そうなっては困るんです。それだけは絶対に避けたいんです。この島は、本土で生きづらい人たちが、静かに楽しく暮らしていくための最後の場所なんですから」
伏し目がちに、悲しそうな声を出しながら言った。
ソニアの言うことはもっともだ。本土での生活に馴染めず、どうしようもなくなって、最後の逃避場所だと思って冀望島に逃げ込んできた人たちが、本土の人間にわらわらとやって来られることを歓迎するはずがない。
「おっしゃる通りです。でも安心してください。俺は本当に、家族にしか言っていませんので」
「よかったです」
とびきりの笑顔をくれた。
しかし、みるみるうちにその笑顔はしぼみ、再び憂いを顔に貼りつけた。「でも、ご家族は探しに来てしまう可能性がありますよね」
「え……? うーん、どうだろう」
「この島へ来ることを、どのように伝えたのですか」
「香川の方に冀望島っていう変わった島があるから行ってくる、とだけ」
ソニアは嘆息した。「その言い方ですと、長期間家に帰らないとここまで探しに来てしまうかもしれませんね。香川、そして冀望島という名前も出していますし」
「確かに……そうですね」
「この島へ来る人は、もう本土ヘは帰らないつもりの人がほとんどですから、事前に行き先を言う人は少ないんですよ」
ソニアの目が鋭さを帯びた。
まずい、疑われているのかもしれない。このままでは、島に入れてもらえないかもしれない。
「待ってください! ……わかりました。今から親に電話して、冀望島に行くのはやめた、と伝えます。その上で、九州に行こうと思うからしばらく家には帰れない、とでも言い添えます。これならいかがでしょう」
「なるほど、それは名案ですね」両手をパンと打ち、満面の笑みを浮かべた。「九州でしたら、冀望島とは何の縁もゆかりもないので、島に見知らぬ人が大挙して押し寄せるなんてことにはならないでしょうし。完璧です、川嶋さん」
無事に入島できそうなことと同じくらい、ソニアの愛くるしいはしゃぎっぷりを見ていられるのが嬉しかった。
冀望島潜入の第一義はもちろん取材だが、叶うなら、ソニアとの仲も深めることはできないだろうか。
「それでは川嶋さん、一度本土へ戻りましょう。ここは携帯電話の電波が入らないので、電話をするには本土に戻らないといけないのです」
「わかりました」
「では、船がある場所まで案内します」
***
冀望島にあった船は、初老に乗せてもらった船と似たようなボロさだった。あの漁村から買っているのかもしれない。
その船でソニアと二人、つい先ほどまでいた寂れた漁村に戻ってきた。
「それでは電話をお願いします。私も会話を聞き取れるように、スピーカーにしてください」
「スピーカーに、ですか」
「はい。しつこいようですが、入島目的以外の方が冀望島に来ないようにすることが絶対条件なんです。そのために、どのような会話がなされたのかを知っておきたいのです」
「わかりました。そういうことでしたら」
言われた通り、スピーカーにした状態で自宅に電話をかけた。
「もしもし」
母さんが電話に出た。
「あ、俺、駿だけど」
「ああ、どうしたの」
「母さんさ、今日、俺がどこに行ってるのかは知ってるんだっけ」
「ああ、四国のなんとか島に行くとか言ってたねぇ」
ちらりとソニアへ目をやる。口に人差し指を当てていた。せっかく冀望島というワードを覚えていないのだから、余計なことは言うな、ということだろうか。
「そうそう。四国の方に行こうと思ってたんだけど、移動中にいろいろ調べててさ、やっぱり九州の方に行きたいなって思ったんだ」
「九州? ふーん」
オカルト嫌いの母さんは、俺の仕事にあまり関心がない。どちらかというと嫌悪感すら抱いているように思う。
なので今回の遠出も、仕事なのか遊びなのかすらわかっていないし、俺もいちいち言わないようにしている。
「でさぁ、ちょっとゆっくりしてこようと思うから、しばらく家に帰れないかも」
「はいよー。了解。じゃあねー」
そこで電話が切れた。あっさりしたものだ。
まあ、二十歳を超えた息子が、しばらく家に帰ってこないことなどよくある話なので、なんとも思っていないのだろう。
なんとなくソニアに目を向けると、彼女は小首をかしげながらニコリと微笑んだ。
「確認させていただきました。これで、冀望島が踏み荒らされるような心配はなくなりました」
可愛い仕草と笑顔に、再び胸の奥がほわっとする。
「それでは、冀望島へ戻りましょう。歓迎します」
***
「さっきの小屋じゃないんですね」
冀望島入島に際しての心構えやルールについてレクチャーすると言われ、先ほどとは違う、やや大きめな小屋へ案内された。
「ええ。こちらは、入島を認められた人向けの小屋なんです」
そう言いながらソニアは、二人分のドリンクをテーブルの上に置いた。
暑い中、島を一旦出てから戻ってくるまで何も飲んでいなかったので喉が渇いていた。
早速ゴクゴクと体内へ流し込む。どうやら、ドリンクは先ほどと同じもののようだ。
「この島には、本当に何でもある」不意に、ソニアが宙を見ながら問わず語りを始めた。「自然の恵みが豊かで、私たちは食に困ることなく、楽しくゆったりと、落ち着いた気持ちで暮らせているの。――でもね、ただ一つ悔やまれるのが、お肉がないこと。やっぱり魚だけじゃ物足りないのよ。お肉じゃないと」
「そういえば、肉だけは本土から調達する、とおっしゃってましたね」
ここでソニアは、今までとは似ても似つかない低い声で「そうなの」とつぶやいた。
ソニアの表情が、みるみる変わっていく。
目を見開き、口角がおそろしい角度で上がっている。まるで別人のような猟奇的な笑みを浮かべていた。
「本土からの肉の調達は、今回も無事成功。ありがとね、川嶋君」
一瞬事態が呑み込めず、体が硬直する。
ソニアは一体何を……?
肉の調達って……?
もしかして……もしかして……。
時間にすると数秒だっただろう。俺は、すぐにソニアの言葉の意味を悟った。
俺という人肉を調達できたという意味なのだ、と。
そう理解した瞬間、固まっている場合ではないと悟り、体を無理やり動かして椅子から立ち上がって後ろへ飛びのいた。
出入り口が見える。このまま二メートルほど進めばドアに辿り着ける。
「逃げようとしても無駄」俺の思考を掬い取ったかのような言葉が飛んできた。「この小屋は、刃物を持った男たちに囲まれてるの。川嶋君を食べやすく解体するための刃物を持った、三十人の男にね」
「か、解体……?」
「言ったよね。この島にはお肉がないのよ。だから、こうやって調達するの。もう気付いてるんでしょ」
「う、嘘だろ……。本当に……人肉を……食べるつもりか……?」
「そうよ」
ソニアの無機質な肯定の言葉が、脳に刺さる。
遠のいていきそうな意識を呼び戻すように、俺は両の拳を強く強く握った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
腹の底から、振り絞るように声を出した。
小屋の外で待機しているであろう男たちにも聞こえるように。
「肉を調達するために人を殺すなんて、どうかしてる! 肉が欲しいなら、普通に牛肉とか豚肉とか買って来ればいいじゃないですか。本土へは自由に行き来できるんだから」
「それじゃ駄目なのよ」
「だ、駄目って……」
「ここには、男女合わせて約五十人の仲間が住んでる。この人数が満足できる肉を毎日買いに行くお金なんてないのよ。でもね、あなたたちみたいな野次馬なら無料だし、その上現金まで手に入るの」
ソニアは喋りながら俺に近付き、ジーンズの右後ろにあるポケットから、俺の財布を抜き取った。
「ほら、五万七千円も入ってる。取材だったり旅行気分で来る人間は、そこそこのお金を持ってるのよね。――現金なんか不要だろ、なんて思ってる? そうでもないのよ。船の修理費が必要だし、あとは……漁村の人たちにも協力費を渡さないといけないしね」
そういうことだったのか。あの初老が、地獄への橋渡し役だったとは。
ソニアたちの用意周到さに恐れ戦きつつも、なんとかこの状況から脱しようと必死で言葉を紡ぐ。
「お、俺は野次馬なんかじゃないっ……。本当に、この島で暮らしたいと思ってっ……」
「仮にそうだったとしても、同じことだわ」
「同じこと……?」
「食料になるだけ、ってこと。もうこの島は飽和状態だからね。これ以上人口が増えるのは困るのよ」
「そ、そんな……」
「十年前からネットで情報を流して罠を張るようになったんだけど、それから程なくしてあなたたちみたいなのがちょいちょい釣れるようになったわ。今では、週に二人か三人くらいは釣れる。本当、便利な世の中になったわよね」
ソニアは再び目を見開き、舌なめずりをした。その顔は、もはや同じ人間という種だとは思えないほど狂気に満ち溢れていた。
度を超えた恐怖心が段々と俺から意識を奪い、足元がふらついてきた。
さっきまで普通に聞こえていた音が、遥か遠くの方から聞こえるようだ。
声を出そうとしてみたが、発声方法を忘れてしまったかのように、息を漏らすことしかできなかった。
気付くと、いつの間にか小屋の中に入ってきた男たちによって、仰向けに寝かされていた。着ていたポロシャツはすでにビリビリに破かれ、上半身がほぼ完全に露出している。
ソニアと目が合った。口許を手で拭いている。よだれ、か……。
脳内がもやに包まれ、思考力があちこちへ霧消していくような感覚に陥った。
もはや、まともに何かを考えることはできない。ただ一つだけ、もう間もなく俺の解体が始まるであろうことだけは確信できてしまった。
好奇心は猫を殺す。各所から襲ってくる猛烈な痛みによって薄れゆく意識の中で、その言葉が何度も頭の中でリフレインした。
【了】
テーブルの上には、これまた木で作られたコップが二つ置かれていた。この島で採れるフルーツを搾ったドリンクらしい。
女性は、ドリンクを一口飲んだ。「では、面接を始めますね」
笑みを絶やさぬ姿に、胸の奥がほわっとした。なんて心地の良い女の子だろう。
「はい、お願いします」
俺も、ドリンクを口にした。
美味い。搾りたてのフルーツ独特のジューシーさに、ちょこちょこ入っている果肉がたまらない。
思わず、もう一口流し込んだ。
女性は、そんな俺の姿を微笑ましそうに見ながら、自己紹介を始めた。
「私の名前は『ソニア』と言います。二十一歳です」
「ソニア? 日本人じゃないんですか」
「純粋な日本人ですよ。ここでは、好きな名前を名乗ることができるんです」
そういうシステムなのか。すぐにでも取材ノートにメモしたかったが、ソニアの前でそんなことをやるわけにはいかないので、忘れないよう脳内に刻み込んだ。
「あなたのお名前は?」
「あ、俺は川嶋駿っていいます。二十二歳です。仕事は……コンビニでアルバイトしてます」記者だと名乗るわけにはいかない。
「なぜ、冀望島に来ようと思ったのですか」
「人間関係がうまくいかなくて。もう、普通に生活するのが嫌になったんです」
船の上で考えておいた設定を淡々と述べた。
「そうですか。わかりました。――それでは、最後の質問です」
「最後? もう最後ですか?」
「ええ。最後にして、最も重要な質問です。この質問には、特に慎重に、正確に答えてください。絶対にです」珍しくソニアの顔が厳めしくなった。
「は、はい」
「この島へ来ることは、誰かに話しましたか」
「え?」
聞き返したが、ソニアは反応せず、睨みつけるような顔をしたままだった。
「あの……家族には、言いました」
「家族だけですか? 職場の人とか、友達とかには?」
「家族以外には誰にも言ってません」
これについては事実なだけに、力強く言い放った。
友達に言ったところで、「ネット上の怪しい噂を信じて取材にいくとか、バカじゃねぇの」と言われるだけだ。
職場の人間に言おうものなら、「お前には十年早い! そんなことよりさっさと仕事を覚えろ」と怒鳴られるに決まっている。
ソニアは、真実を語っているのか確かめるように、俺の顔を穴が開くほど覗き込んでいる。
しばらくして、ソニアがふっと顔の強張りを解き、相好を崩した。
「そうですか。よかったです。しつこく聞いてしまって済みません」ペコリと頭を下げた。
「いえ」
「この質問だけ、こんなに厳しく、そしてしつこく問い質したのには理由があるのです」
話の続きを促すように、俺は小刻みに何度か頷いた。
ソニアが話を継ぐ。
「もし川嶋さんがこの冀望島へ来ることをいろいろな人に言っていたとしたら、川嶋さんを探しに大勢この島にやってきてしまうかもしれませんよね。そうなっては困るんです。それだけは絶対に避けたいんです。この島は、本土で生きづらい人たちが、静かに楽しく暮らしていくための最後の場所なんですから」
伏し目がちに、悲しそうな声を出しながら言った。
ソニアの言うことはもっともだ。本土での生活に馴染めず、どうしようもなくなって、最後の逃避場所だと思って冀望島に逃げ込んできた人たちが、本土の人間にわらわらとやって来られることを歓迎するはずがない。
「おっしゃる通りです。でも安心してください。俺は本当に、家族にしか言っていませんので」
「よかったです」
とびきりの笑顔をくれた。
しかし、みるみるうちにその笑顔はしぼみ、再び憂いを顔に貼りつけた。「でも、ご家族は探しに来てしまう可能性がありますよね」
「え……? うーん、どうだろう」
「この島へ来ることを、どのように伝えたのですか」
「香川の方に冀望島っていう変わった島があるから行ってくる、とだけ」
ソニアは嘆息した。「その言い方ですと、長期間家に帰らないとここまで探しに来てしまうかもしれませんね。香川、そして冀望島という名前も出していますし」
「確かに……そうですね」
「この島へ来る人は、もう本土ヘは帰らないつもりの人がほとんどですから、事前に行き先を言う人は少ないんですよ」
ソニアの目が鋭さを帯びた。
まずい、疑われているのかもしれない。このままでは、島に入れてもらえないかもしれない。
「待ってください! ……わかりました。今から親に電話して、冀望島に行くのはやめた、と伝えます。その上で、九州に行こうと思うからしばらく家には帰れない、とでも言い添えます。これならいかがでしょう」
「なるほど、それは名案ですね」両手をパンと打ち、満面の笑みを浮かべた。「九州でしたら、冀望島とは何の縁もゆかりもないので、島に見知らぬ人が大挙して押し寄せるなんてことにはならないでしょうし。完璧です、川嶋さん」
無事に入島できそうなことと同じくらい、ソニアの愛くるしいはしゃぎっぷりを見ていられるのが嬉しかった。
冀望島潜入の第一義はもちろん取材だが、叶うなら、ソニアとの仲も深めることはできないだろうか。
「それでは川嶋さん、一度本土へ戻りましょう。ここは携帯電話の電波が入らないので、電話をするには本土に戻らないといけないのです」
「わかりました」
「では、船がある場所まで案内します」
***
冀望島にあった船は、初老に乗せてもらった船と似たようなボロさだった。あの漁村から買っているのかもしれない。
その船でソニアと二人、つい先ほどまでいた寂れた漁村に戻ってきた。
「それでは電話をお願いします。私も会話を聞き取れるように、スピーカーにしてください」
「スピーカーに、ですか」
「はい。しつこいようですが、入島目的以外の方が冀望島に来ないようにすることが絶対条件なんです。そのために、どのような会話がなされたのかを知っておきたいのです」
「わかりました。そういうことでしたら」
言われた通り、スピーカーにした状態で自宅に電話をかけた。
「もしもし」
母さんが電話に出た。
「あ、俺、駿だけど」
「ああ、どうしたの」
「母さんさ、今日、俺がどこに行ってるのかは知ってるんだっけ」
「ああ、四国のなんとか島に行くとか言ってたねぇ」
ちらりとソニアへ目をやる。口に人差し指を当てていた。せっかく冀望島というワードを覚えていないのだから、余計なことは言うな、ということだろうか。
「そうそう。四国の方に行こうと思ってたんだけど、移動中にいろいろ調べててさ、やっぱり九州の方に行きたいなって思ったんだ」
「九州? ふーん」
オカルト嫌いの母さんは、俺の仕事にあまり関心がない。どちらかというと嫌悪感すら抱いているように思う。
なので今回の遠出も、仕事なのか遊びなのかすらわかっていないし、俺もいちいち言わないようにしている。
「でさぁ、ちょっとゆっくりしてこようと思うから、しばらく家に帰れないかも」
「はいよー。了解。じゃあねー」
そこで電話が切れた。あっさりしたものだ。
まあ、二十歳を超えた息子が、しばらく家に帰ってこないことなどよくある話なので、なんとも思っていないのだろう。
なんとなくソニアに目を向けると、彼女は小首をかしげながらニコリと微笑んだ。
「確認させていただきました。これで、冀望島が踏み荒らされるような心配はなくなりました」
可愛い仕草と笑顔に、再び胸の奥がほわっとする。
「それでは、冀望島へ戻りましょう。歓迎します」
***
「さっきの小屋じゃないんですね」
冀望島入島に際しての心構えやルールについてレクチャーすると言われ、先ほどとは違う、やや大きめな小屋へ案内された。
「ええ。こちらは、入島を認められた人向けの小屋なんです」
そう言いながらソニアは、二人分のドリンクをテーブルの上に置いた。
暑い中、島を一旦出てから戻ってくるまで何も飲んでいなかったので喉が渇いていた。
早速ゴクゴクと体内へ流し込む。どうやら、ドリンクは先ほどと同じもののようだ。
「この島には、本当に何でもある」不意に、ソニアが宙を見ながら問わず語りを始めた。「自然の恵みが豊かで、私たちは食に困ることなく、楽しくゆったりと、落ち着いた気持ちで暮らせているの。――でもね、ただ一つ悔やまれるのが、お肉がないこと。やっぱり魚だけじゃ物足りないのよ。お肉じゃないと」
「そういえば、肉だけは本土から調達する、とおっしゃってましたね」
ここでソニアは、今までとは似ても似つかない低い声で「そうなの」とつぶやいた。
ソニアの表情が、みるみる変わっていく。
目を見開き、口角がおそろしい角度で上がっている。まるで別人のような猟奇的な笑みを浮かべていた。
「本土からの肉の調達は、今回も無事成功。ありがとね、川嶋君」
一瞬事態が呑み込めず、体が硬直する。
ソニアは一体何を……?
肉の調達って……?
もしかして……もしかして……。
時間にすると数秒だっただろう。俺は、すぐにソニアの言葉の意味を悟った。
俺という人肉を調達できたという意味なのだ、と。
そう理解した瞬間、固まっている場合ではないと悟り、体を無理やり動かして椅子から立ち上がって後ろへ飛びのいた。
出入り口が見える。このまま二メートルほど進めばドアに辿り着ける。
「逃げようとしても無駄」俺の思考を掬い取ったかのような言葉が飛んできた。「この小屋は、刃物を持った男たちに囲まれてるの。川嶋君を食べやすく解体するための刃物を持った、三十人の男にね」
「か、解体……?」
「言ったよね。この島にはお肉がないのよ。だから、こうやって調達するの。もう気付いてるんでしょ」
「う、嘘だろ……。本当に……人肉を……食べるつもりか……?」
「そうよ」
ソニアの無機質な肯定の言葉が、脳に刺さる。
遠のいていきそうな意識を呼び戻すように、俺は両の拳を強く強く握った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
腹の底から、振り絞るように声を出した。
小屋の外で待機しているであろう男たちにも聞こえるように。
「肉を調達するために人を殺すなんて、どうかしてる! 肉が欲しいなら、普通に牛肉とか豚肉とか買って来ればいいじゃないですか。本土へは自由に行き来できるんだから」
「それじゃ駄目なのよ」
「だ、駄目って……」
「ここには、男女合わせて約五十人の仲間が住んでる。この人数が満足できる肉を毎日買いに行くお金なんてないのよ。でもね、あなたたちみたいな野次馬なら無料だし、その上現金まで手に入るの」
ソニアは喋りながら俺に近付き、ジーンズの右後ろにあるポケットから、俺の財布を抜き取った。
「ほら、五万七千円も入ってる。取材だったり旅行気分で来る人間は、そこそこのお金を持ってるのよね。――現金なんか不要だろ、なんて思ってる? そうでもないのよ。船の修理費が必要だし、あとは……漁村の人たちにも協力費を渡さないといけないしね」
そういうことだったのか。あの初老が、地獄への橋渡し役だったとは。
ソニアたちの用意周到さに恐れ戦きつつも、なんとかこの状況から脱しようと必死で言葉を紡ぐ。
「お、俺は野次馬なんかじゃないっ……。本当に、この島で暮らしたいと思ってっ……」
「仮にそうだったとしても、同じことだわ」
「同じこと……?」
「食料になるだけ、ってこと。もうこの島は飽和状態だからね。これ以上人口が増えるのは困るのよ」
「そ、そんな……」
「十年前からネットで情報を流して罠を張るようになったんだけど、それから程なくしてあなたたちみたいなのがちょいちょい釣れるようになったわ。今では、週に二人か三人くらいは釣れる。本当、便利な世の中になったわよね」
ソニアは再び目を見開き、舌なめずりをした。その顔は、もはや同じ人間という種だとは思えないほど狂気に満ち溢れていた。
度を超えた恐怖心が段々と俺から意識を奪い、足元がふらついてきた。
さっきまで普通に聞こえていた音が、遥か遠くの方から聞こえるようだ。
声を出そうとしてみたが、発声方法を忘れてしまったかのように、息を漏らすことしかできなかった。
気付くと、いつの間にか小屋の中に入ってきた男たちによって、仰向けに寝かされていた。着ていたポロシャツはすでにビリビリに破かれ、上半身がほぼ完全に露出している。
ソニアと目が合った。口許を手で拭いている。よだれ、か……。
脳内がもやに包まれ、思考力があちこちへ霧消していくような感覚に陥った。
もはや、まともに何かを考えることはできない。ただ一つだけ、もう間もなく俺の解体が始まるであろうことだけは確信できてしまった。
好奇心は猫を殺す。各所から襲ってくる猛烈な痛みによって薄れゆく意識の中で、その言葉が何度も頭の中でリフレインした。
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