2 / 20
1巻
1-2
しおりを挟む
カロリーナの扱いを熟知しているジャスミンが、入学式前にカロリーナが泣き出さないようにとさっさと話題を変えた。
カロリーナは小さく肩を竦めて答える。
「仕方ないわ。生徒会のお仕事だもの。ご公務でもお忙しいライオネル様にわがままは言えないから別々の方が良かったの」
ライオネル大好きっ子のカロリーナから意外なほど物わかりの良い言葉が返ってきたことにジャスミンは訝しむ。
「……どうしたのカロリーナ……そんなカロリーナらしくない答え方をして。何かあった……?」
「え、……えっと……」
さすがは長い付き合いの親友である。たった今、これだけのやり取りでジャスミンはカロリーナの心境の変化を感じ取ったのだ。
学園でライオネルの前から姿を眩ますには、おそらくずっと行動を共にするであろうこの友人の協力は不可欠だと思い、カロリーナはジャスミンに小声で耳打ちした。
「詳しくはまたゆっくり話すけど、私……学園ではなるべくライオネル様にはノー干渉ノーコンタクトでいようと決めたの」
「……うん?」
「ライオネル様を自由にしてあげたくて」
「う、う~ん? 意味がわからないのだけれども……」
「私なんかが婚約者面してお側にい続けてはダメだと気付いたの」
「婚約者面も何も婚約者でしょう~?」
「とにかく。王族に対して礼を欠かないように一日一度の挨拶はするけれど、それ以外は極力……いえ、徹底的に姿を見せないようにするから!」
「はい~? 何がどうしてそんな考えになったの~?」
カロリーナが決死の思いを伝えるも、ジャスミンは心底理解できないという顔を隠しもせずにカロリーナを見る。
しかし今はあえて何も言うまい、とジャスミンは思った。
とにかくこういう状態のカロリーナには何を言っても無駄なのだ。
だがワトソン伯爵家の皆はもちろん、ライオネルを始め王家の面々にも甘やかされて育ち、なぁぁんにもわかってないこのぽやぽやにひと言告げておかねばとジャスミンは考えた。
「でもぉ、とりあえず今日は絶対に、早々に殿下に捕まると思うわ」
「え? どうして?」
「だって待ち構えていると思うもの~」
「まさか。執行部の役員さんは入学式で忙しいのでしょう?」
「でも今日は何がなんでもなんとかすると思うわぁ」
「???」
ジャスミンの言葉の真意がわからずに首を傾げていると、転移スポットを通過したスクール馬車がいつの間にかフィルジリア上級学園へと到着していた。
「あ、お話している間にもう学園に着いたようね」
カロリーナは馬車の窓から白亜の学び舎を覗き見る。
まだ何色にも染まらない学生の純真無垢さを表わしているという白壁の校舎。
各学年の教室や職員室がある棟と、実技などで使う部屋が並ぶ実習棟。
そして広い運動スペースを設けた鍛錬場やグラウンド、行事や式典などが執り行われる講堂が立ち並んでいる。
一番心惹かれる学生食堂はどこにあるのだろう。
カロリーナは逸る心のまま笑顔をジャスミンに向けた。
「いよいよね、ジャスミン。(主に食堂が)楽しみだわ……!」
ワクワクとドキドキで武者震いをしながら馬車を降りる順番待ちをしていると、先に降りた生徒たちの騒然とする声が聞こえてきた。
「どうしたのかしら?」
不思議に思っているカロリーナに、彼女の前に立つジャスミンがこれみよがしに笑った。
「ほらほら~やっぱりね~」
何がやっぱりなのだろうと思いつつ、ジャスミンに続いて馬車を降りる。
そして降車してすぐに、目の前に立っていた人物を見てカロリーナは息を呑んだ。
「………!」
その人物が軽やかな声でカロリーナに告げる。
「おはよう、カロ。とうとう来たね」
「ラ、ライオネル様……!」
カロリーナの婚約者にしてモルトダーン王国第二王子モルトダーン・オ・リシル・ライオネル。
王族は国名を名前の最初に冠のように戴く。
その王族であるライオネルが、婚約者を出迎えるために待ち構えていたのであった。
◆これにてドロン
手入れの行き届いたグレイアッシュの髪が朝日にキラキラと輝く。
長身痩躯で立ち姿も王子然としたライオネルが、これまた王子様スマイルをカロリーナに向けている。
彼の側にはいつもと変わらず側近であるマーティン・ドルフ侯爵令息が控えていた。
マーティンは図書館で見かけて以来である。
カロリーナは内心頭を抱えた。
なんということだ、極力接触を控えようと思っていたのに初っ端から出鼻を挫かれた感じだ。
まさかライオネルがわざわざカロリーナを出迎えるために停車場で待っているなんて思いもしなかった。
ライオネルはきっと、入学式を迎えた婚約者を出迎えるという義務を果たすためにここに来たに違いない。彼は昔から責任感が強く、誠実で真面目な性質だから。
まぁカロリーナも一日一度は王族であるライオネルに挨拶を……というノルマを自分に課していたので、今日は早くもそれを達成したと思えば良いかと思うことにした。
そんなとき、ふいにライオネルに手をすくい上げられた。
ライオネルは柔らかな笑みを浮かべ、カロリーナに祝いの言葉を告げる。
「入学おめでとう、カロリーナ。制服姿がとっても可愛いね。よく似合っているよ」
そしてカロリーナの指先に口づけを落とした。
カロリーナの親友であるジャスミンやライオネルの側近のマーティンにとってはとうに見慣れた光景だが、学園の他の生徒たちにはかなり衝撃的な光景だったようだ。
小さく息を呑む声や、「キャー」という黄色い悲鳴がカロリーナの耳に届く。
(……ああぁぁぁぁぁ~……どうしましょう……)
カロリーナは居た堪れなくなり、心の中で呻き声を上げる。
一体、周囲の人間にはこれがどう見えているのだろう。
図書館でマーティンと一緒にいた男子生徒のように、この美しく麗しい王子の横に並び立つのがこんなムチムチの標準体重崖っぷち令嬢だなんて、とても受け入れ難く、見るに耐えないと思っているに違いない。
実際、自分を頭のてっぺんから足のつま先まで食い入るように見つめている数多の視線を感じる。
カロリーナは素早くライオネルから自分の手を引き戻した。
その性急な様子にライオネルは不思議そうな瞳をカロリーナへと向けた。
「カロ?」
カロリーナは慌てて膝を軽く折るだけの略式の礼を執り、挨拶をした。
「お、おはようございますライオネル様。お祝いのお言葉をありがとうございます」
笑顔だけはいつもと変わらないようにと心掛け、そしてライオネルに尋ねた。
「だけどなぜ停車場に? お忙しいとお聞きしていましたので驚きましたわ」
カロリーナの言葉にライオネルは笑みを浮かべる。
「今日は特別な日だからな。本当は屋敷まで迎えに行きたかったんだが、それが叶わなかった。だからせめて学園に着いたカロを出迎えようと待っていたんだ」
「まぁそうでしたの。わざわざ申し訳ありません。ありがとうございます」
「カロ? 学園では確かに先輩と後輩だが、別に俺に対しては言葉遣いを改める必要はないんだぞ?」
「でも学園は小さな社交場とお聞きしていますわ」
「フィルジリア上級学園は学内では身分で分け隔てをしない自由平等を謳っているんだ。まぁ王族ともなると立場云々はあるが、カロはそんなこと気にしなくていい」
「お、おほほほ……」
目立たず影に徹しようとしているのにそれでは目立ってしまう……とは言えないので、カロリーナは笑って誤魔化しておいた。
そんなカロリーナにライオネルが続ける。
「カロ。キミが入学してくれて本当に嬉しいよ。執行部の仕事で学園ではなかなか一緒にいられないかもしれないけど、困ったことがあったら一番に頼ってほしい」
優しいその言葉を聞き、カロリーナの胸はつきんと痛んだ。
本心ではその言葉に従いたい。何か困ったことがあってもなくても頼りにして甘えたい。
だけどそんな優しいライオネルを煩わしてはいけないとも思う今、カロリーナは大袈裟なほど首を横に振って返した。
「ライオネル様のお手を煩わすなんて滅相もございませんわっ……学園では私のことは婚約者ではなくただの一生徒、いえこの学園のどこかに勝手に生息する脂肪の塊くらいのものと認識してくださって結構ですわ!」
一気に捲し立てるように告げるカロリーナに、ライオネルは胡乱げな表情を浮かべる。
「カロ……? 一体どうした? それはどういう……」
だけどその言葉を最後まで言い終わる前に、辺りがざわっ……として、すぐ騒然となった。
生徒たちが一斉にそちらを見るのに釣られて、カロリーナもその方向へ視線を巡らせる。
すると数名の男子生徒と一人の女子生徒がこちらに向かってくる姿が目に飛び込んできた。
「……」
その数名の生徒たちの中に、図書館でライオネルの理想の女性について言っていた男子生徒がいたことから、彼らが生徒会執行部の面々であるとわかった。
そしてその中の紅一点である女子生徒……
カロリーナは心の中で叫んでいた。
(長身スレンダー儚げボディ!!)
そのひとつひとつの単語に当てはまる理想的な少女がそこにいた。
おそらく身長は百七十センチ近く、いや百七十センチを超えているのではないだろうか。
すらりと伸びた背に細くしなやかな四肢。そして聞いていた通りの折れそうなほど細いウエスト。
艶々の栗毛色の髪はストレートロングで、彼女が歩く度にサラサラと揺れていた。
首も肩も手首も足首も何もかもが細く、なるほどこれは確かに儚げだ。
そして何よりその美しい顔立ち。すっきりした切れ長で奥二重の涼しげな目元とふっくらとした唇。
全てが完璧な美の女神がそこにいた。
彼女が図書館で聞いたクリステル嬢、その人に間違いないだろう。
カロリーナは思わずごっくんと生唾を呑んだ。
生徒会執行部の面々であろう数名の生徒がライオネルの元へとやって来る。
最初に声をかけたのは長身スレンダー儚げボディのクリステル嬢であった。
「殿下、こちらにいらっしゃったのですね。そろそろ講堂へ向かわなくてはいけないのに急にお姿が見えなくなって、皆で捜していたのですよ」
なんと推測クリステル嬢は声まで美しい。
その言葉を受け、ライオネルが彼女に返す。
「クリステル嬢、すまないな。皆も。しかしどうしても今日は婚約者を出迎えたかったのだ」
(やっぱりこの方がクリステル嬢!!)
カロリーナは小さく息を呑んで、ライオネルの側に来たクリステル嬢を改めて見た。
そして戦わずして自らの敗北を悟る。
(くすんですわ)
泣きそうだ。ライオネルとクリステル。二人が並び立つと対の美しい彫像のようではないか。
見目麗しいライオネルとクリステル。
あまりにも二人がお似合いすぎてもはや言葉も出ない。
周りにいる生徒たちも恍惚とした表情でライオネルとクリステルを眺めていた。
「……カロリーナ?」
カロリーナの側にいたジャスミンがじっと二人を見つめているカロリーナに気付く。
カロリーナはハッと我に返り、困ったような……そしてどこか納得したような、そんな笑顔をジャスミンに向けた。
それを見たジャスミンの眉間にシワが寄る。
そんなジャスミンと顔を見合わせるカロリーナに、ライオネルは告げた。
「カロ、紹介するよ。彼女はクリステル・ライラー嬢。同じ執行部二年で隣国イコリスの伯爵家のご令嬢だ。クリステル嬢、以前から話している私のカロリーナだ。何かと気にかけてやってくれると嬉しい」
と、カロリーナとクリステル、双方を引き合わせた。
国は違えど同じ伯爵位。
だけどこの場合、一応ライオネルの婚約者であるカロリーナの方が上の立場であり、先に声をかけるべきだろう。
「は、はじめましてライラー伯爵令嬢。カロリーナ・ワトソンです」
自分はライオネル殿下の婚約者だ、という肩書きを口にする胆力は持ち合わせてはいない。
カロリーナがそう挨拶をすると、クリステルは花の顔を綻ばせて微笑む。
「はじめまして、クリステル・ライラーです。ようやくお会いできて本当に嬉しいですわワトソン伯爵令嬢。どうか私のことはクリステルとお呼びくださいませ」
「では私のことはカロリーナと。ク、クリステル様」
「はい。カロリーナ様」
同性でも見惚れてしまうような美しい笑顔でクリステルはそう言った。
彼女の人の良さが滲み出たような、そんな好感が持てる笑顔だ。
ライオネルのことがなければ絶対にお友達になりたい! と思っただろう。
クリステルはライオネルにわざと意地悪そうな顔を向けた。
「殿下が忙しい時間を割いてでも出迎えたいお気持ちがわかりました。こんなにお可愛らしい婚約者であれば、みっともなく所有権を振りかざして他の男子生徒を牽制したくなりますよね」
「みっともなくとはなんだ。しかし悔しいがその通りだ。何事も最初が肝心だからな」
「まぁ。一国の王子ともあろうお方がマウントを取るだなんて、やっぱりみっともない」
「だからみっともないと言うな」
「ふふふ」
フランクに仲良く話す二人を見て、カロリーナは打ちのめされる。
惨敗だ……。二人はお似合いなだけでなく信頼を寄せ合う仲なのだ。
身分を超えてフランクに話し合えるなど、信頼関係が築けているからこそだ。
きっと執行部の仕事を通じて、カロリーナの知らない時間を二人で共有し、いつしか信頼し合う仲となったのだろう。
カロリーナは人知れず一歩、足を小さく後ろに引いた。
やはり自分はライオネルの側にいるべきではない。
少なくともクリステルのいる学園では。
(私は消えますね)
これにてドロン。
カロリーナはよく祖父がそう言っているのを思い出していた。
「まぁいい。カロリーナ、何か困ったことがあったら俺だけでなくクリステル嬢にも頼るといい。同性だから何かと相談しやすい……あれ? カロリーナ?」
「え? カロリーナ様?」
今まで確かに目の前にいたはずのカロリーナの姿が消えていることにライオネルは気付き、瞠目した。
マーティンもカロリーナが消えているのを知って辺りを見回している。
「ジャスミン、カロリーナは?」
ジャスミンとは幼馴染であるライオネルが彼女に尋ねた。
だけどジャスミンは困った顔をするのみである。
本当はジャスミンもカロリーナがいつ消えたのか知らない。
誰も知らないのであればカロリーナが自分から消えたということだろう。ライオネルにもそれはわかっているはずだ。
問題はなぜ何も言わずに突然消えたのか。
これは不敬であり無作法な行いだ。貴族の令嬢なら絶対にそんなことはしない。
ましてやカロリーナは妃教育で礼儀やマナーを叩き込まれている身だ。
そんなカロリーナが自らそうした行動を取ったのであれば……
だからジャスミンは親友のためにこう答えておいた。
「お花を摘みに行きたくなったので失礼しますと、殿下に伝えてほしいと言っていましたわ~。ちょっと焦っていたのでごめんあそばせ~」
「そ、そうか。大丈夫なのか?」
「さぁ~? でも式が始まる前に捕獲しておきますからご心配なく~」
ジャスミンは手をひらひらと振って、クリステルや他の執行部メンバーと先に講堂へ入っていくライオネルを見送った。
「……まったく……私の可愛いカロリーナったら何をやっているのかしら~」
ジャスミンは嘆息して、そう一人言ちた。
◆式の最中に
「……やっぱりここにいたのね~」
もうすぐ入学式が始まろうとしている時間、ジャスミンは講堂近くにある木を見上げてつぶやいた。
「ジャスミィン……うっ……ひっく……」
その木の上には枝に腰かけ、幹にしがみついて泣いているカロリーナがいた。
「あなたコアラじゃないんだから、そんな格好で泣いちゃダメよ~。それで? どうして殿下の前から逃げ出して泣いているのかしら~?」
ジャスミンがそう言った瞬間、カロリーナは体重も重力も感じさせずに木から地面へと着地してジャスミンに抱きついた。
「ジャスミン~! 私もうライオネル様の前には立てないぃ~!」
そうしてジャスミンにギュウギュウとくっ付きながらカロリーナはおんおん泣いた。
「前に立てないって……はぁ~? それはまたどぉしてそんなコトになっているの~?」
「だって……私っ、聞いてしまったのっ……うっ、ひっく……」
カロリーナは図書館でマーティンと一緒にいた男子生徒が言っていたことをジャスミンに話して聞かせた。
「う~ん? それで殿下の前にはもう立てないと思ったのぉ?」
話を聞き終えたジャスミンが呆れた顔でカロリーナを見る。
カロリーナは愛用の大判ハンカチーフで涙を拭きながら答えた。
「そりゃ……立てないわよぅ……理想のタイプと正反対の私が婚約者というだけでも申し訳ないのにっ……それでさらに今までみたいにベッタリと側にいて、ライオネル様の視界に入り続けるなんて申し訳なさすぎるものっ……」
「でもそれって、殿下の口から直接言われたわけじゃないでしょう? それに私も昔から殿下のことを見てるけど~好きなタイプは特にないと思うのよね~。強いて言えばぁ? 好きなタイプはカロリーナ、みたいな~? 痩せてようと太ってようとカロリーナが大好きなのよぅあの人は~」
「うっく……ひっく……ほんとう?」
「本当本当~。初めて会った男子生徒と私の言葉、カロリーナはどっちを信じるの~?」
「ぐすっ……そりゃ……ジャスミンだわ……」
「ならもう泣くのはやめて、入学式に出ましょうね~」
ジャスミンはそう言って、カロリーナの涙をハンカチで拭いてあげた。
「うん……ジャスミン……ありがとう……」
「ほらいらっしゃい、カロリーナ」
「うん」
そうしてカロリーナはジャスミンに連れられて講堂へ行き、なんとか入学式に遅刻をせずに済んだのであった。
◇
フィルジリア上級学園入学式は学園長のありがたいお言葉から始まり、続いて来賓各位からの祝辞、そして在校生代表の挨拶と進行していった。
その在校生代表とはもちろん全生徒の最高位、第二王子ライオネルである。
その際に生徒会執行部の面々もライオネルと共に壇上に登った。
(ライオネル様……)
カロリーナは新入生の席から、近くて遠い婚約者の姿を見つめる。
挨拶を述べるライオネルはさすがに堂々としたもので、王族としての威厳に満ち溢れていた。
(素敵……! 小さい頃からライオネル様は本当に優秀で、優秀なだけでなく努力も怠らなかったものね)
壇上から隅々の生徒にまで言葉が届くよう、広く視線を向けて語るライオネル。
時折視線がかち合うような気がしたが、彼は全生徒を満遍なく見渡しているのだ、それは当然だろう。
ぽぅ……としてライオネルに見惚れていると、あっという間に挨拶が終わって、次に生徒会執行部からの挨拶が始まった。
そんな中、後ろの席の生徒が小声で話す声が聞こえてくる。
「さっきの方が第二王子殿下? 素敵ね~……」
「なんだお前、王子に惚れたのか?」
「憧れ程度だけどね。……だって私たち平民はこんな式典でもなければ王族のお姿なんて拝見できないもの。でも何よ、私が惚れちゃ悪いっていうの?」
きっと昔からの馴染み同士なのだろう。
男女二人の生徒が親しげにヒソヒソと話している。
聞き耳を立てているわけではないが、すぐ後ろにいるのだから会話の内容が耳に入ってきてしまうのは仕方ない。
男子生徒が女子生徒に向かって言う。
「もしかして、王子と〝自由恋愛〟できるなんて思ってないよな?」
「自由恋愛? 何それ?」
「この学園だけにある伝統的な風習だよ。たとえ婚約者がいる者であっても、在学中は学園内であれば自由に相手を選んで恋愛ごっこで遊べるんだ。知らないのか? 昔からある有名なやつだぜ」
「知らないわ……でも、それなら尚さら私にも王子殿下とその自由恋愛とやらをするチャンスがあるんじゃない? 学園は自由平等を謳ってるんですもの」
(な、なんですってっ!?)
勝手に聞こえてくるその言葉に、カロリーナの目が丸くなる。
そのとき隣に座るジャスミンがカロリーナの手をぎゅっと握った。
カロリーナがジャスミンの方を見ると、彼女は首を小さく横に振っていた。
そして「部外者が勝手に言っている与太話なんて聞いてはダメよ」と諭された。
だけど真後ろで話されて勝手に耳に入ってくるのだからどうしようもない。
そんなカロリーナの困惑を察してか、ジャスミンが徐に後ろの二人に小声で注意する。
「そこのあなたたち、式の最中ですわよ。静かにしてくださらない?」
すると男子生徒の方がジャスミンに言い返してきた。
「なんだよ。あぁ、キミも王子目当てか。だからこの話が気に入らないんだろ? でも残念、生憎だな。殿下の自由恋愛の相手はもうすでに決まっていて、まさにその真っ最中らしいぜ?」
「は?」
普段おっとりとしたジャスミンのおっとりではない声が響くも、それを打ち消すように男子生徒の横の女子生徒が過剰反応気味に食いついた。
「えっ? だ、誰とっ?」
「俺のいっこ上の従兄が学園にいるんだけどさ、その従兄から聞いたんだ。ホラ、壇上にいる執行部の紅一点クリステル・ライラー嬢だよ。殿下と彼女が自由恋愛のパートナー同士らしいぞ」
男子生徒はそう言って壇上のライオネルとクリステルを仰ぎ見た。
そしてその言葉に思わずカロリーナは声を発してしまう。
「……え……?」
その様子を見たジャスミンが、握っている手の力を強めた。
「そんなの単なる憶測よ。カロリーナ、聞く耳を持っちゃダメ」
男子生徒は尚も言葉を重ねる。
「憶測じゃねぇよ。二人がいい感じなのは学内でよく見られる光景らしいぞ。自由恋愛はこの学園ならではだけど、いい伝統だよな~」
と言ってから、男子生徒はご丁寧にフィルジリア上級学園伝統の自由恋愛について説明を補足した。
カロリーナは小さく肩を竦めて答える。
「仕方ないわ。生徒会のお仕事だもの。ご公務でもお忙しいライオネル様にわがままは言えないから別々の方が良かったの」
ライオネル大好きっ子のカロリーナから意外なほど物わかりの良い言葉が返ってきたことにジャスミンは訝しむ。
「……どうしたのカロリーナ……そんなカロリーナらしくない答え方をして。何かあった……?」
「え、……えっと……」
さすがは長い付き合いの親友である。たった今、これだけのやり取りでジャスミンはカロリーナの心境の変化を感じ取ったのだ。
学園でライオネルの前から姿を眩ますには、おそらくずっと行動を共にするであろうこの友人の協力は不可欠だと思い、カロリーナはジャスミンに小声で耳打ちした。
「詳しくはまたゆっくり話すけど、私……学園ではなるべくライオネル様にはノー干渉ノーコンタクトでいようと決めたの」
「……うん?」
「ライオネル様を自由にしてあげたくて」
「う、う~ん? 意味がわからないのだけれども……」
「私なんかが婚約者面してお側にい続けてはダメだと気付いたの」
「婚約者面も何も婚約者でしょう~?」
「とにかく。王族に対して礼を欠かないように一日一度の挨拶はするけれど、それ以外は極力……いえ、徹底的に姿を見せないようにするから!」
「はい~? 何がどうしてそんな考えになったの~?」
カロリーナが決死の思いを伝えるも、ジャスミンは心底理解できないという顔を隠しもせずにカロリーナを見る。
しかし今はあえて何も言うまい、とジャスミンは思った。
とにかくこういう状態のカロリーナには何を言っても無駄なのだ。
だがワトソン伯爵家の皆はもちろん、ライオネルを始め王家の面々にも甘やかされて育ち、なぁぁんにもわかってないこのぽやぽやにひと言告げておかねばとジャスミンは考えた。
「でもぉ、とりあえず今日は絶対に、早々に殿下に捕まると思うわ」
「え? どうして?」
「だって待ち構えていると思うもの~」
「まさか。執行部の役員さんは入学式で忙しいのでしょう?」
「でも今日は何がなんでもなんとかすると思うわぁ」
「???」
ジャスミンの言葉の真意がわからずに首を傾げていると、転移スポットを通過したスクール馬車がいつの間にかフィルジリア上級学園へと到着していた。
「あ、お話している間にもう学園に着いたようね」
カロリーナは馬車の窓から白亜の学び舎を覗き見る。
まだ何色にも染まらない学生の純真無垢さを表わしているという白壁の校舎。
各学年の教室や職員室がある棟と、実技などで使う部屋が並ぶ実習棟。
そして広い運動スペースを設けた鍛錬場やグラウンド、行事や式典などが執り行われる講堂が立ち並んでいる。
一番心惹かれる学生食堂はどこにあるのだろう。
カロリーナは逸る心のまま笑顔をジャスミンに向けた。
「いよいよね、ジャスミン。(主に食堂が)楽しみだわ……!」
ワクワクとドキドキで武者震いをしながら馬車を降りる順番待ちをしていると、先に降りた生徒たちの騒然とする声が聞こえてきた。
「どうしたのかしら?」
不思議に思っているカロリーナに、彼女の前に立つジャスミンがこれみよがしに笑った。
「ほらほら~やっぱりね~」
何がやっぱりなのだろうと思いつつ、ジャスミンに続いて馬車を降りる。
そして降車してすぐに、目の前に立っていた人物を見てカロリーナは息を呑んだ。
「………!」
その人物が軽やかな声でカロリーナに告げる。
「おはよう、カロ。とうとう来たね」
「ラ、ライオネル様……!」
カロリーナの婚約者にしてモルトダーン王国第二王子モルトダーン・オ・リシル・ライオネル。
王族は国名を名前の最初に冠のように戴く。
その王族であるライオネルが、婚約者を出迎えるために待ち構えていたのであった。
◆これにてドロン
手入れの行き届いたグレイアッシュの髪が朝日にキラキラと輝く。
長身痩躯で立ち姿も王子然としたライオネルが、これまた王子様スマイルをカロリーナに向けている。
彼の側にはいつもと変わらず側近であるマーティン・ドルフ侯爵令息が控えていた。
マーティンは図書館で見かけて以来である。
カロリーナは内心頭を抱えた。
なんということだ、極力接触を控えようと思っていたのに初っ端から出鼻を挫かれた感じだ。
まさかライオネルがわざわざカロリーナを出迎えるために停車場で待っているなんて思いもしなかった。
ライオネルはきっと、入学式を迎えた婚約者を出迎えるという義務を果たすためにここに来たに違いない。彼は昔から責任感が強く、誠実で真面目な性質だから。
まぁカロリーナも一日一度は王族であるライオネルに挨拶を……というノルマを自分に課していたので、今日は早くもそれを達成したと思えば良いかと思うことにした。
そんなとき、ふいにライオネルに手をすくい上げられた。
ライオネルは柔らかな笑みを浮かべ、カロリーナに祝いの言葉を告げる。
「入学おめでとう、カロリーナ。制服姿がとっても可愛いね。よく似合っているよ」
そしてカロリーナの指先に口づけを落とした。
カロリーナの親友であるジャスミンやライオネルの側近のマーティンにとってはとうに見慣れた光景だが、学園の他の生徒たちにはかなり衝撃的な光景だったようだ。
小さく息を呑む声や、「キャー」という黄色い悲鳴がカロリーナの耳に届く。
(……ああぁぁぁぁぁ~……どうしましょう……)
カロリーナは居た堪れなくなり、心の中で呻き声を上げる。
一体、周囲の人間にはこれがどう見えているのだろう。
図書館でマーティンと一緒にいた男子生徒のように、この美しく麗しい王子の横に並び立つのがこんなムチムチの標準体重崖っぷち令嬢だなんて、とても受け入れ難く、見るに耐えないと思っているに違いない。
実際、自分を頭のてっぺんから足のつま先まで食い入るように見つめている数多の視線を感じる。
カロリーナは素早くライオネルから自分の手を引き戻した。
その性急な様子にライオネルは不思議そうな瞳をカロリーナへと向けた。
「カロ?」
カロリーナは慌てて膝を軽く折るだけの略式の礼を執り、挨拶をした。
「お、おはようございますライオネル様。お祝いのお言葉をありがとうございます」
笑顔だけはいつもと変わらないようにと心掛け、そしてライオネルに尋ねた。
「だけどなぜ停車場に? お忙しいとお聞きしていましたので驚きましたわ」
カロリーナの言葉にライオネルは笑みを浮かべる。
「今日は特別な日だからな。本当は屋敷まで迎えに行きたかったんだが、それが叶わなかった。だからせめて学園に着いたカロを出迎えようと待っていたんだ」
「まぁそうでしたの。わざわざ申し訳ありません。ありがとうございます」
「カロ? 学園では確かに先輩と後輩だが、別に俺に対しては言葉遣いを改める必要はないんだぞ?」
「でも学園は小さな社交場とお聞きしていますわ」
「フィルジリア上級学園は学内では身分で分け隔てをしない自由平等を謳っているんだ。まぁ王族ともなると立場云々はあるが、カロはそんなこと気にしなくていい」
「お、おほほほ……」
目立たず影に徹しようとしているのにそれでは目立ってしまう……とは言えないので、カロリーナは笑って誤魔化しておいた。
そんなカロリーナにライオネルが続ける。
「カロ。キミが入学してくれて本当に嬉しいよ。執行部の仕事で学園ではなかなか一緒にいられないかもしれないけど、困ったことがあったら一番に頼ってほしい」
優しいその言葉を聞き、カロリーナの胸はつきんと痛んだ。
本心ではその言葉に従いたい。何か困ったことがあってもなくても頼りにして甘えたい。
だけどそんな優しいライオネルを煩わしてはいけないとも思う今、カロリーナは大袈裟なほど首を横に振って返した。
「ライオネル様のお手を煩わすなんて滅相もございませんわっ……学園では私のことは婚約者ではなくただの一生徒、いえこの学園のどこかに勝手に生息する脂肪の塊くらいのものと認識してくださって結構ですわ!」
一気に捲し立てるように告げるカロリーナに、ライオネルは胡乱げな表情を浮かべる。
「カロ……? 一体どうした? それはどういう……」
だけどその言葉を最後まで言い終わる前に、辺りがざわっ……として、すぐ騒然となった。
生徒たちが一斉にそちらを見るのに釣られて、カロリーナもその方向へ視線を巡らせる。
すると数名の男子生徒と一人の女子生徒がこちらに向かってくる姿が目に飛び込んできた。
「……」
その数名の生徒たちの中に、図書館でライオネルの理想の女性について言っていた男子生徒がいたことから、彼らが生徒会執行部の面々であるとわかった。
そしてその中の紅一点である女子生徒……
カロリーナは心の中で叫んでいた。
(長身スレンダー儚げボディ!!)
そのひとつひとつの単語に当てはまる理想的な少女がそこにいた。
おそらく身長は百七十センチ近く、いや百七十センチを超えているのではないだろうか。
すらりと伸びた背に細くしなやかな四肢。そして聞いていた通りの折れそうなほど細いウエスト。
艶々の栗毛色の髪はストレートロングで、彼女が歩く度にサラサラと揺れていた。
首も肩も手首も足首も何もかもが細く、なるほどこれは確かに儚げだ。
そして何よりその美しい顔立ち。すっきりした切れ長で奥二重の涼しげな目元とふっくらとした唇。
全てが完璧な美の女神がそこにいた。
彼女が図書館で聞いたクリステル嬢、その人に間違いないだろう。
カロリーナは思わずごっくんと生唾を呑んだ。
生徒会執行部の面々であろう数名の生徒がライオネルの元へとやって来る。
最初に声をかけたのは長身スレンダー儚げボディのクリステル嬢であった。
「殿下、こちらにいらっしゃったのですね。そろそろ講堂へ向かわなくてはいけないのに急にお姿が見えなくなって、皆で捜していたのですよ」
なんと推測クリステル嬢は声まで美しい。
その言葉を受け、ライオネルが彼女に返す。
「クリステル嬢、すまないな。皆も。しかしどうしても今日は婚約者を出迎えたかったのだ」
(やっぱりこの方がクリステル嬢!!)
カロリーナは小さく息を呑んで、ライオネルの側に来たクリステル嬢を改めて見た。
そして戦わずして自らの敗北を悟る。
(くすんですわ)
泣きそうだ。ライオネルとクリステル。二人が並び立つと対の美しい彫像のようではないか。
見目麗しいライオネルとクリステル。
あまりにも二人がお似合いすぎてもはや言葉も出ない。
周りにいる生徒たちも恍惚とした表情でライオネルとクリステルを眺めていた。
「……カロリーナ?」
カロリーナの側にいたジャスミンがじっと二人を見つめているカロリーナに気付く。
カロリーナはハッと我に返り、困ったような……そしてどこか納得したような、そんな笑顔をジャスミンに向けた。
それを見たジャスミンの眉間にシワが寄る。
そんなジャスミンと顔を見合わせるカロリーナに、ライオネルは告げた。
「カロ、紹介するよ。彼女はクリステル・ライラー嬢。同じ執行部二年で隣国イコリスの伯爵家のご令嬢だ。クリステル嬢、以前から話している私のカロリーナだ。何かと気にかけてやってくれると嬉しい」
と、カロリーナとクリステル、双方を引き合わせた。
国は違えど同じ伯爵位。
だけどこの場合、一応ライオネルの婚約者であるカロリーナの方が上の立場であり、先に声をかけるべきだろう。
「は、はじめましてライラー伯爵令嬢。カロリーナ・ワトソンです」
自分はライオネル殿下の婚約者だ、という肩書きを口にする胆力は持ち合わせてはいない。
カロリーナがそう挨拶をすると、クリステルは花の顔を綻ばせて微笑む。
「はじめまして、クリステル・ライラーです。ようやくお会いできて本当に嬉しいですわワトソン伯爵令嬢。どうか私のことはクリステルとお呼びくださいませ」
「では私のことはカロリーナと。ク、クリステル様」
「はい。カロリーナ様」
同性でも見惚れてしまうような美しい笑顔でクリステルはそう言った。
彼女の人の良さが滲み出たような、そんな好感が持てる笑顔だ。
ライオネルのことがなければ絶対にお友達になりたい! と思っただろう。
クリステルはライオネルにわざと意地悪そうな顔を向けた。
「殿下が忙しい時間を割いてでも出迎えたいお気持ちがわかりました。こんなにお可愛らしい婚約者であれば、みっともなく所有権を振りかざして他の男子生徒を牽制したくなりますよね」
「みっともなくとはなんだ。しかし悔しいがその通りだ。何事も最初が肝心だからな」
「まぁ。一国の王子ともあろうお方がマウントを取るだなんて、やっぱりみっともない」
「だからみっともないと言うな」
「ふふふ」
フランクに仲良く話す二人を見て、カロリーナは打ちのめされる。
惨敗だ……。二人はお似合いなだけでなく信頼を寄せ合う仲なのだ。
身分を超えてフランクに話し合えるなど、信頼関係が築けているからこそだ。
きっと執行部の仕事を通じて、カロリーナの知らない時間を二人で共有し、いつしか信頼し合う仲となったのだろう。
カロリーナは人知れず一歩、足を小さく後ろに引いた。
やはり自分はライオネルの側にいるべきではない。
少なくともクリステルのいる学園では。
(私は消えますね)
これにてドロン。
カロリーナはよく祖父がそう言っているのを思い出していた。
「まぁいい。カロリーナ、何か困ったことがあったら俺だけでなくクリステル嬢にも頼るといい。同性だから何かと相談しやすい……あれ? カロリーナ?」
「え? カロリーナ様?」
今まで確かに目の前にいたはずのカロリーナの姿が消えていることにライオネルは気付き、瞠目した。
マーティンもカロリーナが消えているのを知って辺りを見回している。
「ジャスミン、カロリーナは?」
ジャスミンとは幼馴染であるライオネルが彼女に尋ねた。
だけどジャスミンは困った顔をするのみである。
本当はジャスミンもカロリーナがいつ消えたのか知らない。
誰も知らないのであればカロリーナが自分から消えたということだろう。ライオネルにもそれはわかっているはずだ。
問題はなぜ何も言わずに突然消えたのか。
これは不敬であり無作法な行いだ。貴族の令嬢なら絶対にそんなことはしない。
ましてやカロリーナは妃教育で礼儀やマナーを叩き込まれている身だ。
そんなカロリーナが自らそうした行動を取ったのであれば……
だからジャスミンは親友のためにこう答えておいた。
「お花を摘みに行きたくなったので失礼しますと、殿下に伝えてほしいと言っていましたわ~。ちょっと焦っていたのでごめんあそばせ~」
「そ、そうか。大丈夫なのか?」
「さぁ~? でも式が始まる前に捕獲しておきますからご心配なく~」
ジャスミンは手をひらひらと振って、クリステルや他の執行部メンバーと先に講堂へ入っていくライオネルを見送った。
「……まったく……私の可愛いカロリーナったら何をやっているのかしら~」
ジャスミンは嘆息して、そう一人言ちた。
◆式の最中に
「……やっぱりここにいたのね~」
もうすぐ入学式が始まろうとしている時間、ジャスミンは講堂近くにある木を見上げてつぶやいた。
「ジャスミィン……うっ……ひっく……」
その木の上には枝に腰かけ、幹にしがみついて泣いているカロリーナがいた。
「あなたコアラじゃないんだから、そんな格好で泣いちゃダメよ~。それで? どうして殿下の前から逃げ出して泣いているのかしら~?」
ジャスミンがそう言った瞬間、カロリーナは体重も重力も感じさせずに木から地面へと着地してジャスミンに抱きついた。
「ジャスミン~! 私もうライオネル様の前には立てないぃ~!」
そうしてジャスミンにギュウギュウとくっ付きながらカロリーナはおんおん泣いた。
「前に立てないって……はぁ~? それはまたどぉしてそんなコトになっているの~?」
「だって……私っ、聞いてしまったのっ……うっ、ひっく……」
カロリーナは図書館でマーティンと一緒にいた男子生徒が言っていたことをジャスミンに話して聞かせた。
「う~ん? それで殿下の前にはもう立てないと思ったのぉ?」
話を聞き終えたジャスミンが呆れた顔でカロリーナを見る。
カロリーナは愛用の大判ハンカチーフで涙を拭きながら答えた。
「そりゃ……立てないわよぅ……理想のタイプと正反対の私が婚約者というだけでも申し訳ないのにっ……それでさらに今までみたいにベッタリと側にいて、ライオネル様の視界に入り続けるなんて申し訳なさすぎるものっ……」
「でもそれって、殿下の口から直接言われたわけじゃないでしょう? それに私も昔から殿下のことを見てるけど~好きなタイプは特にないと思うのよね~。強いて言えばぁ? 好きなタイプはカロリーナ、みたいな~? 痩せてようと太ってようとカロリーナが大好きなのよぅあの人は~」
「うっく……ひっく……ほんとう?」
「本当本当~。初めて会った男子生徒と私の言葉、カロリーナはどっちを信じるの~?」
「ぐすっ……そりゃ……ジャスミンだわ……」
「ならもう泣くのはやめて、入学式に出ましょうね~」
ジャスミンはそう言って、カロリーナの涙をハンカチで拭いてあげた。
「うん……ジャスミン……ありがとう……」
「ほらいらっしゃい、カロリーナ」
「うん」
そうしてカロリーナはジャスミンに連れられて講堂へ行き、なんとか入学式に遅刻をせずに済んだのであった。
◇
フィルジリア上級学園入学式は学園長のありがたいお言葉から始まり、続いて来賓各位からの祝辞、そして在校生代表の挨拶と進行していった。
その在校生代表とはもちろん全生徒の最高位、第二王子ライオネルである。
その際に生徒会執行部の面々もライオネルと共に壇上に登った。
(ライオネル様……)
カロリーナは新入生の席から、近くて遠い婚約者の姿を見つめる。
挨拶を述べるライオネルはさすがに堂々としたもので、王族としての威厳に満ち溢れていた。
(素敵……! 小さい頃からライオネル様は本当に優秀で、優秀なだけでなく努力も怠らなかったものね)
壇上から隅々の生徒にまで言葉が届くよう、広く視線を向けて語るライオネル。
時折視線がかち合うような気がしたが、彼は全生徒を満遍なく見渡しているのだ、それは当然だろう。
ぽぅ……としてライオネルに見惚れていると、あっという間に挨拶が終わって、次に生徒会執行部からの挨拶が始まった。
そんな中、後ろの席の生徒が小声で話す声が聞こえてくる。
「さっきの方が第二王子殿下? 素敵ね~……」
「なんだお前、王子に惚れたのか?」
「憧れ程度だけどね。……だって私たち平民はこんな式典でもなければ王族のお姿なんて拝見できないもの。でも何よ、私が惚れちゃ悪いっていうの?」
きっと昔からの馴染み同士なのだろう。
男女二人の生徒が親しげにヒソヒソと話している。
聞き耳を立てているわけではないが、すぐ後ろにいるのだから会話の内容が耳に入ってきてしまうのは仕方ない。
男子生徒が女子生徒に向かって言う。
「もしかして、王子と〝自由恋愛〟できるなんて思ってないよな?」
「自由恋愛? 何それ?」
「この学園だけにある伝統的な風習だよ。たとえ婚約者がいる者であっても、在学中は学園内であれば自由に相手を選んで恋愛ごっこで遊べるんだ。知らないのか? 昔からある有名なやつだぜ」
「知らないわ……でも、それなら尚さら私にも王子殿下とその自由恋愛とやらをするチャンスがあるんじゃない? 学園は自由平等を謳ってるんですもの」
(な、なんですってっ!?)
勝手に聞こえてくるその言葉に、カロリーナの目が丸くなる。
そのとき隣に座るジャスミンがカロリーナの手をぎゅっと握った。
カロリーナがジャスミンの方を見ると、彼女は首を小さく横に振っていた。
そして「部外者が勝手に言っている与太話なんて聞いてはダメよ」と諭された。
だけど真後ろで話されて勝手に耳に入ってくるのだからどうしようもない。
そんなカロリーナの困惑を察してか、ジャスミンが徐に後ろの二人に小声で注意する。
「そこのあなたたち、式の最中ですわよ。静かにしてくださらない?」
すると男子生徒の方がジャスミンに言い返してきた。
「なんだよ。あぁ、キミも王子目当てか。だからこの話が気に入らないんだろ? でも残念、生憎だな。殿下の自由恋愛の相手はもうすでに決まっていて、まさにその真っ最中らしいぜ?」
「は?」
普段おっとりとしたジャスミンのおっとりではない声が響くも、それを打ち消すように男子生徒の横の女子生徒が過剰反応気味に食いついた。
「えっ? だ、誰とっ?」
「俺のいっこ上の従兄が学園にいるんだけどさ、その従兄から聞いたんだ。ホラ、壇上にいる執行部の紅一点クリステル・ライラー嬢だよ。殿下と彼女が自由恋愛のパートナー同士らしいぞ」
男子生徒はそう言って壇上のライオネルとクリステルを仰ぎ見た。
そしてその言葉に思わずカロリーナは声を発してしまう。
「……え……?」
その様子を見たジャスミンが、握っている手の力を強めた。
「そんなの単なる憶測よ。カロリーナ、聞く耳を持っちゃダメ」
男子生徒は尚も言葉を重ねる。
「憶測じゃねぇよ。二人がいい感じなのは学内でよく見られる光景らしいぞ。自由恋愛はこの学園ならではだけど、いい伝統だよな~」
と言ってから、男子生徒はご丁寧にフィルジリア上級学園伝統の自由恋愛について説明を補足した。
228
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
王子様への置き手紙
あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯
小説家になろうにも掲載しています。
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。
あなたへの愛を捨てた日
柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。
しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。
レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。
「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」
エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。