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国境越え(その1)

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  エリオとグレイツが戦ってから三日後。ハルカとエリオは別々に行動していた。

  その存在がまだ気付かれていないセミールパーティーに魔道具を持たせ、ライスーン兵がいないであろう『野獣の巣』という森を抜けてもらうという作戦だ。

  賢者の石を持ち歩くこと、野獣の巣に入ること。どちらも考え難い危険な行為だ。ありえないエリオの願いをセミールとふたりの仲間は引き受けてくれたのだった。

  セミールたちにはハルカが付き添い、北西の野獣の巣からハークマイン王国領土へ向かう。エリオ、ザック、マルクス、レミは囮となってそのまま北上して最短ルートで国境を目指した。

  行商や領地を巡回するライスーン兵に出くわさないように、平原の見える森の中を進むのは、あまり森の中に入ってしまうと獣たちに襲われ、負傷や体力の消耗、さらに時間を無駄にしてしまうためだ。

  遅いなりに安全策を取って先を急いでいたエリオたちは、勇者グレイツに打ち勝ったアドバンテージを使って国境手前の丘まで来ることはできた。しかし、国境越えを最大の懸念としていたイラドン大臣の兵が、すでに大勢配置されていたために足踏みすることになってしまう。

「どうするエリオ。あの丘の上が国境だが、見える範囲には兵が点在しているぞ」

  近くの森の出口の茂みの中にエリオパーティーが身をひそめて急勾配の丘を見上げていた。この森あたりまでがライスーン領土。その先から丘の上のハークマイン領土までは中立領域として細かい争いにならないようなグレーゾーンが設けられている。

「国境を越えればライスーン兵とて、おいそれと追っては来られない。丘の上をよく見て」

  エリオに言われて仲間たちは丘の上に目を凝らすと、そこには兵士が数人チラチラと頭を出してウロウロしている。

「あれってもしかして?」

  レミが言ったもしかしてとは、ハークマイン兵であるということだ。

「ライスーンとハークマインは敵対関係にないよな? 黒の荒野も近いし、魔獣や魔族に対してお互い協力関係にあるくらいだろ?」

  この状況を見たマルクスの疑問だがすぐにザックが解説した。

「だとしても、国境付近に他国の兵がこれだけ現れたんだ。警戒くらいするさ」

  その解説に納得したマルクスは、丘を一気に駆け登って助けを求めたらどうかと提案するのだが、それはすぐにザックによって却下される。

「馬鹿かお前は。そんなことしてみろ。ライスーン兵は俺たちを追いかけてくるはずだ。それを見たハークマイン兵は敵国が攻めてきたと応戦するに決まっている」

「いいじゃねぇか。奴らが戦っているあいだに俺たちは目的地に向かえるし、奴らの足止めもしてもらえて一石二鳥だろ?」

  ザックは溜息をついて肩を落とす。

「それが馬鹿だって言うんだ。奴らから見た俺たちは先陣斬って突っ込んでくる突撃兵だ。返り討ちに合うだけならまだしも、それが火種になって戦争にでもなったらどうする!」

「あんたの浅はかさが極まる考えよね」

「なんだと!」

  エリオはレミに突っかかるマルクスに「しーっ」と言って口を抑えた。

「マルクス。たとえそれが上手くいっても俺たちは本当に国の裏切者になってしまう。俺たちはただの旅の者。目的地はザックの故郷という設定だ」

「それなら夜になるまで待つのが良さそうね。暗闇に乗じないと動くに動けないし」

「それも諸刃の剣だぜ。先回りしたこいつら以外の兵は、しらみつぶしに俺たちを探して北上してくるはずだからな」
  作戦が決まったエリオ立ちは身を低くして森の奥に入り、休息を取りながら夜を待った。

  日が沈み、辺りが薄暗くなったところで再び森の出口付近の茂みに身をひそめる。

「もっと雲が出ていたらよかったんだけどな」

「月明かりが少ないだけましよ」

  ひそひそと話しをするエリオたちはそこから数分のあいだ黙り込む。しばらくすると大きくたなびく雲の端が鋭利に輝く月に差しかかった。

「次に月が隠れたら出る」

  仲間たちはエリオのその言葉に対して背中を叩くことで応え、足に力を込める。この策で重要なのは疾走力。エリオの能力はずば抜けているので問題はない。

  問題はザックだ。馬車を失い徒歩での移動となったことで、重装備の鎧を一部パージしていたザックは、少しでも軽くするために残った鎧も脱ぎ捨てていた。

  彼のアイデンティティーとも言える大型のカイトシールドも置いていくと決めたが、ザックはもともと鈍足であることが最大の懸念なのだ。

「行くよ」

  つぶやくような言葉だったがエリオの静かな闘志が仲間たちに伝わった。

  ハークマインの領土まで直線距離で二百メートル程度。しかし、そこは急勾配の丘のため、兵の目を盗んで駆け登るのもひと筋縄にはいかない。

  雲が月を隠したタイミングでエリオたちは森の草地から飛び出した。

  仲間たちに比べれば鈍足のザックだが、不安を抱えつつもためらいなく飛びだし、これまでにない高いパフォーマンスを発揮している。これはエリオが持つリーダーの資質の成せる技だ。

  そのエリオはザックに倍する速さ。それに続くレミとマルクスとてザックを大きく引き離している。ザックとてそこらの一般人に比べれば早いのだが、戦闘員として考えれば鈍足なのは否めない。

  登りきったエリオは滑るように身を屈め、丘が見下ろせるところまでい戻った。

  この時点でレミとマルクスは七割地点。ザックは五割に達しようかというところ。

  少々強めの風が、くるぶしから腰ほどまである草を揺らし、草を踏み葉を擦る音を消してくれている。

  急勾配の丘を直線的に駆け上がるのは冒険者と言えど楽ではない。それが二百メートルともなれば、後半の失速はある程度は仕方のないこと。レミとマルクスが多少へばりながらもうひと息というところまで来ていたそのとき。

「なにか登ってくるぞ!」

  闇夜の丘に声が響く。叫んだのは上から見ていたハークマイン兵だった。

  その声の直後に兵が持っている指向性の光を放つランタンが丘を照らした。闇の中に黒い影が駆け抜けるその一瞬を光が捉える。

「あそこだ!」

  さらにふたつの光が影を追って、とうとうレミとマルクスを闇の中から浮き上がらせた。
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