【R18】真昼の月〜警護SP×恋 至上最悪の出逢い〜

斎藤みはる

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18.男の崩壊する理想と現実

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女が眠った気配を感じて、男がゆっくりと目を開けた。
この胸に顔を埋めて、寝息に肩を上下させている女を男はジッと見つめた。

同情はしている。
何も知らされずに生きてきて、突然抱いてた夢も希望も奪われて好きですらない男に無理やり身体まで開かれて。
このままいけば知りもしない男の妻となり、一生をこの混沌とした人間の業渦巻く屋敷の中で費やすのだ。
絶望を感じないはずがない。
逃げ出したくもなるだろう。
でもこの女に帰る場所はない。
一人で生きていくだけの力もない。

ただ目の前の何かに縋るしか、今この女の正気を保つ方法はないのかもしれない。
たとえそれが自分を無理やり犯し続ける憎い男であっても。
その男がたとえ汚い殺し屋であったとしても、この胸が女の縋る唯一の居所になり得るのならば、ここに居る間はその役目も担ってやるべきだと思う。

それをこの任務を請け負った者の責任と位置付けるのか、ただの俺の気まぐれだと自分を納得させるのかは難しいところだ。
しかし事実、憎しみと心の拠り所その両方を与える存在になってやるのも悪くないと、初めて抱いたあの日なぜかこの女を見つめながら思ってしまったことは、今も言い訳できないでいる。

ただこの女を抱いて眠ると落ち着いてしまうのが、単なる気のせいであって欲しいと、初めて感じる漠然とした安堵感というものに、恐怖にも似た感情を抱いているのは間違いない。

人並みに俺も他人の温もりを欲しているのかもしれないと思うと、心底戸惑いを隠せないでいる。



「…あっ…んっ…イイっ…あぁッ…」

久々に会ったその女が身体を揺する度、硬いはずの高級ホテルに置かれたベッドがギシギシと軋む。
この身の上にまたがり、喘ぐ女の顔をジッと見た。
栗色に染めたショートカットの髪が、汗で頬に張り付いている。
キリッと吊り目がちな瞳が、勝ち気なその性格を物語る。
普段は男など軽くあしらうようなクールなその顔が快楽に歪み、惜しげもなく口から漏れる喘ぎには羞恥の欠片もない。
ロシアから日本に呼び戻されて数年、幾度となく関係を続けているのだ。
今更、セックスの最中に恥じらいなど感じるはずもない。
それは当然のことだろう。

だが、別に付き合っているわけではない。

五条院家を贔屓にしている大企業の社長秘書の女。
スレンダーな身体のラインの割に胸は豊満。
正に俺好みの身体付きである。

女の腰をおもむろに両手で掴んでから、グっと更に落とし込めるとアッと女が身体を震わせた。

互いに何か特別な感情があるわけではない。
都合のいい時に、こうやって欲求やストレスを晴らすためだけに身体を重ねる。
それは向こうも同じこと。
それが一番心地良い男女関係だ。
煩わしい恋愛などに興味はない。

そもそも女は好きじゃない。
だが彼女と関係を続けていられるのは、普段の彼女の男性的なまでのサバサバとした物言いと、絶妙な距離感。
それに何より俺の立場や置かれている環境を、彼女が十二分に理解しているからに他ならない。
“こういう生き方”をしている以上、やはり安易に誰彼構わず関係を持っていいというわけにはいかない。
素性を明かさないで済む行きずりの女か、ある程度信用をおける特定の相手かに限られる。
彼女はこの後者に当たるわけだが、この場合それなりの利害が一致しない限り、到底成し得ない間柄だ。
それはすなわち、結婚や相手に縛られる関係を一切望まない主義の彼女にとっても、俺が当たり障りなく関係を築ける、絶好の相手だということだ。

ただはっきりと言えるのは、そこに恋愛感情があるのかと問われれば間違いなく互いに「NO」と答えるということだ。

「随分と久し振りね。ここ最近なかなか連絡もしてこないんだもの」

シャワールームから出てベッドの脇に腰掛けると、彼女がベッドボードにもたれて爪を整えながら呟いた。
濡れた髪をタオルで拭きながら「ああ」とだけ素っ気ない返事を返すと、彼女が急に声を荒げた。

「あぁっ、もう!!これ見て、ラインストーンが欠けてる。さっき仕事帰りにネイルサロン寄ったばっかりよ?いつもの担当が休みで新人さんにしてもらったら雑だし、イメージとも違って最悪!明日からまたしばらく行く暇ないのに」

素知らぬ顔をして、ベッド横のサイドテーブルに置いていたライターと煙草を手に取った。
ライターの炎がボッと音を出して灯ると、そのまま咥えた煙草に火を点けた。
一度深く蒸かしてから、フゥと煙草の煙を吐く。

「重役の秘書は着飾るのも仕事か」

「そうよ?服もアクセサリーも靴に至るまで抜かりはない。それが働く女のステータスで娯楽よ」

「ストレスの間違いだろ」

鼻で笑ってやると、彼女が一瞬不服そうな顔をしてからまた口を開いた。

「久々に会って寝たばかりの女に嫌味吐くなんて、相変わらずいい度胸ね。で?話戻すけど、最近どうしてたの?」

サテンのカバーが掛かった布団から這い出て、彼女が俺の座る真横に頭を寄せて転がった。

「通常の警護以外に一つ厄介な仕事が増えて、あまり迂闊に屋敷を離れられなくなった」

もう一度口から煙を吐き出す。

「厄介な仕事って?」

彼女は徐ろに起き上がると、背後からへばり付くようにするりと胸板に手を這わせて、耳元で吐息混じりに聞いた。

「ガキのお守りだよ」

そう答えると、彼女の声色が少し弾んだように感じた。

「あら、子供なの?男の子?それとも可愛い女の子?」

「これ以上話すのは守秘義務に反する」

そうきっぱりと言い放つと、彼女が口を尖らせた。

「相変わらず、つまんない」

口に咥えていた煙草を彼女が取り上げて、一度だけ吸ってからまた俺の口に戻す。

「あら、また普通の煙草」

「…当たり前だ、クスリもハッパもヤらない。いろいろと腕が鈍る」

「悪いことは大概やってそうなのに、やっぱりつまらない」

彼女がベッドの上に落ちていたショーツを取って、スルスルと脚を通す。

「汗かいたし、私もシャワー浴びてこようかな。あ、そういえば最近社長からのお誘いがやけに多くて困っててね」

「誘い?」

「セックスよ」

「好きだろ?」

鼻で嗤って言うと、彼女は激しく顔をしかめて見せた。

「やめてよ!あんなハゲのおっさんとなんて、いくら大企業の社長でも願い下げよ」

その発言にふんと笑って、脱ぎ捨てていたカッターシャツを拾って羽織った。

「え?もう帰るの?いつもはもう一回ぐらいしてくのに」

「言ったろ?今、長くは部屋を留守にできない」

シャツのボタンを留め終え、ネクタイを締めながら答えた。

「部屋って、まさかあなたの部屋で一緒に生活して子供を警護してるわけ?」

彼女が目を丸くして振り返った。

「そういう契約だ」

「驚いた!人を殺す機械マシンのようなあなたが、子供の面倒を見れる人間だったなんて」

感嘆にも似た彼女の驚愕の声に、すかさず釘を刺す。

「おい」

「ごめんなさい、ちょっと口が過ぎた」

申し訳なさそうに口を噤んだ彼女を尻目に黒のジャケットを羽織って、財布から一万円札を無造作に掴むと少し厚みがある程の枚数にして差し出した。

「何?」

「ホテル代。泊まるんだろ?」

「そんなのいらない。自分の宿泊代ぐらい自分で出すから」

差し出された札束を彼女がドンと突き返す。

「今日は“一回”しか付き合えなかった代わりだ」

そう冗談混じりの笑みを向けると、彼女も観念したのかクスリと笑い返した。

「そ?そういうことなら遠慮なく」

いつもは彼女の意向で、大体折半ということにしてある。
しかし今回に限りその約束を破ったのは、もちろん彼女に対する償いでも何でもなく、そこに何かしらの制約めいた正当な理由が欲しかったからのような気がする。
俺はやはり金で簡単にケリの付くような関係にしか興味はないのだと、改めて認識したかったのかもしれない。

決して他人の温もり欲しさなどという、馬鹿げた感情が自分の中にも存在するのだという疑いを一刻も早く拭い去り、否定したかった。
だから忙しい合間を縫って、無理にでも彼女との時間を設けたのだ。

「また気が向いたら連絡する」

そう言ってホテルの部屋を後にした。

やっぱりこういう関係の方が性に合っている。

その時は確かにそう改めて確信したはずであった。
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