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名もなき子・霞 3
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「霞はこのノンカフェインコーヒーだったら飲めるかな?」
再び霞の容態が悪化したことも露知らず、翔太は売店で、霞の飲み物を選んでいた。
一方、霞の病室のある階に到着したエレベーターからは、大きな鞄を肩に掛け、光輝を抱っこしている霞の母親・美枝子(みえこ)が降り、電話で聞いていた番号の病室を探してキョロキョロしていた。
案内板を見つけ、病室の位置がわかった美枝子は、早足で向かった。その途中、看護師と医師が取り囲む一台のストレッチャーとすれ違った。
「ダァダァ…アッ!ダダァダ!」
「光輝、ちょっとどうしたの!?」
抱き上げていた光輝が何かを指差し興奮し出したので、美枝子は困惑した。3歳ではあるが、まだ満足な言葉を発しない光輝の言葉を美枝子は理解出来なかったが、光輝が指差している方に振り返ると、その理由が判明した。
すれ違って段々と離れていくストレッチャーに乗っている患者が霞だったことに気が付いた。
美枝子は慌ててストレッチャーを追い掛け、大きな声で呼び掛けた。
「すみません!ちょっと!その患者、私の娘です!」
その声にストレッチャーを押していた看護師の一人が立ち止まり、美枝子の元に駆け寄ると霞の現状を説明した。美枝子は衝撃で看護師の言葉の殆どが横流し状態だったが、母体が危険ということと、これから緊急分娩に移るという言葉が頭に残った。
「か、霞は、霞は大丈夫なんですか!?」
「ですから、これから母体を守るためにも緊急分娩に移ります。お腹の子も、すぐに保育器に入れて万全の体制で行いますから。」
興奮状態の美枝子を看護師が宥めるように言った。
「あれ?お義母さん?光輝も!」
売店から戻って来た翔太が美枝子たちに気が付いた。振り返った美枝子の表情が、翔太を一気に不安にさせた。
「翔太さん。霞が…霞が危ないって!今から赤ちゃん産むって…今連れてかれたわ!」
翔太は衝撃で手に持っていたビニール袋を床に落とした。
「ダァダァ、ダダァ!」
光輝が床に落ちたビニール袋を指差しながら何かを言った。
「看護師さん、霞はどこに?」
「この先を曲がったところにある分娩室です。」
翔太は美枝子から光輝を受け取り、走って分娩室へと向かった。美枝子も鞄を看護師に無理矢理渡して翔太を追い掛けた。
分娩室内では、苦悶の表情を浮かべた霞が分娩台に移されていた。
ビシャァァァ。
「鵺野先生!破水です!」
看護師の一言で、分娩室内のスタッフに一気に緊張が走った。
「うっ…うわぁぁぁああああ!…あぁあああぁぁああ!!」
声に鳴らない悲鳴を上げる霞。
「少し頭が見えてるぞ!遠藤さん、頑張って!」
「うわぁぁぁああああっ!うぅっ…。」
我慢できない痛さで汗だくになりながらも、霞は力むことに集中した。
『使用中』という真っ赤なランプが灯っている分娩室の扉の前では、光輝を抱いた翔太と美枝子が手を合わせて、霞と胎児の無事を祈っていた。時折聞こえてくる霞の悲鳴に、翔太は光輝を強く抱き寄せ、光輝の耳元で「ママ頑張ってるからね!光輝も応援してあげて!」と涙を浮かべながら囁いた。
「先生!頭が出ました!」
「よし!遠藤さん、順調ですよ。もう一息です!」
鵺野医師は、霞を励ましながら、近くにいた看護師を呼び寄せ小さな声で囁いた。
「予想より小さい。すぐに措置できるようにな。何とか泣いてくれるといいんだが…。」
その言葉は、当然霞には聞こえていなかった。
「よし!遠藤さん、もう一息!!」
「…くっ、あ、う…うわぁぁぁああああ!」
また激しく上げた悲鳴は、分娩室の前で待つ三人にも聞こえ、美枝子はツラそうな悲鳴に目を背けた。
「ダダ!ダァダ!」
光輝も母親の声だと理解したようで、分娩室の扉を指差しながら、ママと呼んでいるように翔太は感じた。
「…やった!出たぞ、急いで処置しろ!」
鵺野医師の呼び掛けで、看護師が産まれた赤子を手にとるが、中々泣かないことに、緊張が走った。
すると、看護師は赤子を逆さに持ち、お尻や背中を叩き、肺の中の羊水を吐き出させる処置を行った。
霞は、精魂尽き果ててぼーっとする中、逆さにされている我が子を見て、何とも言えない不安が襲ってきた。
泣かないの?…お願い、泣いて。
霞は声には出せなかったが、我が子を見つめながら必死で祈った。
すると、コプッという小さなゲップのような音がした。とりあえずは、肺の中の羊水は吐き出せたようだ。
分娩室のざわめきは、外にいた二人にも聞こえてきた。
「…今、産まれた…のかな?」
翔太の言葉に、美枝子も耳を済ませた。
「確かに産まれたって、声は聞こえるわ。」
しかし、泣き声が聞こえなかったことに、美枝子は不安そうな表情を浮かべた。
「や、やったぁ!!光輝!赤ちゃん産まれたぞ!お前もお兄ちゃんだ!」
翔太は光輝を高く上げて喜んだ。光輝も高く上げられたのが嬉しかったのか、満面の笑みで喜んだ。
「霞は大丈夫かしら?」
喜ぶ翔太の横で、美枝子は心配そうに呟いた。その言葉に、翔太にも再び緊張が走り、二人で分娩室の扉を見つめた。
そうしてる間に、分娩室の扉が開き、保育器に入れられた赤子が看護師に運ばれて出てきた。
翔太と美枝子は、とっさに進路を開けた。
「遠藤さんのご家族ですか?」
看護師の問い掛けに二人は頷いた。保育器の中には、光輝の時よりもずっと小さい赤ちゃんがいた。翔太と美枝子は無言で赤ちゃんを見つめていた。
「男の子ですよ、おめでとうございます。ですが、早産によりかなり低体重のため、暫くは保育器の中で様子を見ることになろうと思います。まだ処置がありますので、また後ほどご案内します。」
「あ、あの母親は?」
心配そうな表情で翔太が聞くと、看護師はニコリと微笑んだ。
「健康ですよ。頑張ったので、後で褒めてあげてくださいね。今、出産後の処置をしてます。もうじき出てこられて、病室に移ると思いますので。」
看護師はそう言うと、保育器をガラガラ押しながら廊下の角を曲がって行った。
翔太は緊張が解けて、近くの長椅子に腰かけた。美枝子も翔太の肩を叩き、良かったと頷いた。
暫くすると、分娩室から、車椅子に乗った霞が看護師に押されて出てきた。
霞の姿を見た光輝は、興奮した様子で翔太の腕の中から抜け出し、ヨチヨチ歩いて霞の元に歩み寄った。
「ダァダ!ダダ!」
「光輝。待っててくれてありがとうね。」
霞は光輝を抱き寄せて、優しく頭を撫でた。
「ありがとう。頑張ったな、霞。ごめんな、タイミング悪くて…。」
「うぅん、無事に産まれたか…。」
「遠藤さん!」
霞の言葉に被るように、廊下の曲がり角の先から、名前を叫ぶ声が聞こえた。バタバタと走る足音も近付いてきた。
何事かと三人は廊下の曲がり角に視線を向けると、看護師が姿を現した。
「遠藤さん!すぐに来てください!赤ちゃんが…。」
「…え?」
慌てた看護師の様子に、三人にまた緊張が走った。
再び霞の容態が悪化したことも露知らず、翔太は売店で、霞の飲み物を選んでいた。
一方、霞の病室のある階に到着したエレベーターからは、大きな鞄を肩に掛け、光輝を抱っこしている霞の母親・美枝子(みえこ)が降り、電話で聞いていた番号の病室を探してキョロキョロしていた。
案内板を見つけ、病室の位置がわかった美枝子は、早足で向かった。その途中、看護師と医師が取り囲む一台のストレッチャーとすれ違った。
「ダァダァ…アッ!ダダァダ!」
「光輝、ちょっとどうしたの!?」
抱き上げていた光輝が何かを指差し興奮し出したので、美枝子は困惑した。3歳ではあるが、まだ満足な言葉を発しない光輝の言葉を美枝子は理解出来なかったが、光輝が指差している方に振り返ると、その理由が判明した。
すれ違って段々と離れていくストレッチャーに乗っている患者が霞だったことに気が付いた。
美枝子は慌ててストレッチャーを追い掛け、大きな声で呼び掛けた。
「すみません!ちょっと!その患者、私の娘です!」
その声にストレッチャーを押していた看護師の一人が立ち止まり、美枝子の元に駆け寄ると霞の現状を説明した。美枝子は衝撃で看護師の言葉の殆どが横流し状態だったが、母体が危険ということと、これから緊急分娩に移るという言葉が頭に残った。
「か、霞は、霞は大丈夫なんですか!?」
「ですから、これから母体を守るためにも緊急分娩に移ります。お腹の子も、すぐに保育器に入れて万全の体制で行いますから。」
興奮状態の美枝子を看護師が宥めるように言った。
「あれ?お義母さん?光輝も!」
売店から戻って来た翔太が美枝子たちに気が付いた。振り返った美枝子の表情が、翔太を一気に不安にさせた。
「翔太さん。霞が…霞が危ないって!今から赤ちゃん産むって…今連れてかれたわ!」
翔太は衝撃で手に持っていたビニール袋を床に落とした。
「ダァダァ、ダダァ!」
光輝が床に落ちたビニール袋を指差しながら何かを言った。
「看護師さん、霞はどこに?」
「この先を曲がったところにある分娩室です。」
翔太は美枝子から光輝を受け取り、走って分娩室へと向かった。美枝子も鞄を看護師に無理矢理渡して翔太を追い掛けた。
分娩室内では、苦悶の表情を浮かべた霞が分娩台に移されていた。
ビシャァァァ。
「鵺野先生!破水です!」
看護師の一言で、分娩室内のスタッフに一気に緊張が走った。
「うっ…うわぁぁぁああああ!…あぁあああぁぁああ!!」
声に鳴らない悲鳴を上げる霞。
「少し頭が見えてるぞ!遠藤さん、頑張って!」
「うわぁぁぁああああっ!うぅっ…。」
我慢できない痛さで汗だくになりながらも、霞は力むことに集中した。
『使用中』という真っ赤なランプが灯っている分娩室の扉の前では、光輝を抱いた翔太と美枝子が手を合わせて、霞と胎児の無事を祈っていた。時折聞こえてくる霞の悲鳴に、翔太は光輝を強く抱き寄せ、光輝の耳元で「ママ頑張ってるからね!光輝も応援してあげて!」と涙を浮かべながら囁いた。
「先生!頭が出ました!」
「よし!遠藤さん、順調ですよ。もう一息です!」
鵺野医師は、霞を励ましながら、近くにいた看護師を呼び寄せ小さな声で囁いた。
「予想より小さい。すぐに措置できるようにな。何とか泣いてくれるといいんだが…。」
その言葉は、当然霞には聞こえていなかった。
「よし!遠藤さん、もう一息!!」
「…くっ、あ、う…うわぁぁぁああああ!」
また激しく上げた悲鳴は、分娩室の前で待つ三人にも聞こえ、美枝子はツラそうな悲鳴に目を背けた。
「ダダ!ダァダ!」
光輝も母親の声だと理解したようで、分娩室の扉を指差しながら、ママと呼んでいるように翔太は感じた。
「…やった!出たぞ、急いで処置しろ!」
鵺野医師の呼び掛けで、看護師が産まれた赤子を手にとるが、中々泣かないことに、緊張が走った。
すると、看護師は赤子を逆さに持ち、お尻や背中を叩き、肺の中の羊水を吐き出させる処置を行った。
霞は、精魂尽き果ててぼーっとする中、逆さにされている我が子を見て、何とも言えない不安が襲ってきた。
泣かないの?…お願い、泣いて。
霞は声には出せなかったが、我が子を見つめながら必死で祈った。
すると、コプッという小さなゲップのような音がした。とりあえずは、肺の中の羊水は吐き出せたようだ。
分娩室のざわめきは、外にいた二人にも聞こえてきた。
「…今、産まれた…のかな?」
翔太の言葉に、美枝子も耳を済ませた。
「確かに産まれたって、声は聞こえるわ。」
しかし、泣き声が聞こえなかったことに、美枝子は不安そうな表情を浮かべた。
「や、やったぁ!!光輝!赤ちゃん産まれたぞ!お前もお兄ちゃんだ!」
翔太は光輝を高く上げて喜んだ。光輝も高く上げられたのが嬉しかったのか、満面の笑みで喜んだ。
「霞は大丈夫かしら?」
喜ぶ翔太の横で、美枝子は心配そうに呟いた。その言葉に、翔太にも再び緊張が走り、二人で分娩室の扉を見つめた。
そうしてる間に、分娩室の扉が開き、保育器に入れられた赤子が看護師に運ばれて出てきた。
翔太と美枝子は、とっさに進路を開けた。
「遠藤さんのご家族ですか?」
看護師の問い掛けに二人は頷いた。保育器の中には、光輝の時よりもずっと小さい赤ちゃんがいた。翔太と美枝子は無言で赤ちゃんを見つめていた。
「男の子ですよ、おめでとうございます。ですが、早産によりかなり低体重のため、暫くは保育器の中で様子を見ることになろうと思います。まだ処置がありますので、また後ほどご案内します。」
「あ、あの母親は?」
心配そうな表情で翔太が聞くと、看護師はニコリと微笑んだ。
「健康ですよ。頑張ったので、後で褒めてあげてくださいね。今、出産後の処置をしてます。もうじき出てこられて、病室に移ると思いますので。」
看護師はそう言うと、保育器をガラガラ押しながら廊下の角を曲がって行った。
翔太は緊張が解けて、近くの長椅子に腰かけた。美枝子も翔太の肩を叩き、良かったと頷いた。
暫くすると、分娩室から、車椅子に乗った霞が看護師に押されて出てきた。
霞の姿を見た光輝は、興奮した様子で翔太の腕の中から抜け出し、ヨチヨチ歩いて霞の元に歩み寄った。
「ダァダ!ダダ!」
「光輝。待っててくれてありがとうね。」
霞は光輝を抱き寄せて、優しく頭を撫でた。
「ありがとう。頑張ったな、霞。ごめんな、タイミング悪くて…。」
「うぅん、無事に産まれたか…。」
「遠藤さん!」
霞の言葉に被るように、廊下の曲がり角の先から、名前を叫ぶ声が聞こえた。バタバタと走る足音も近付いてきた。
何事かと三人は廊下の曲がり角に視線を向けると、看護師が姿を現した。
「遠藤さん!すぐに来てください!赤ちゃんが…。」
「…え?」
慌てた看護師の様子に、三人にまた緊張が走った。
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