最期の時間(とき)

雨木良

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名もなき子・霞 4

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「翔太…どういうこと?」

既に涙を浮かべている霞。翔太と美枝子も不安なまま、看護師に連れられ、集中治療室に案内された。

そこには、小さな身体にいくつもの細い管が通され、いくつもの機械に囲まれている我が子がいた。

霞はショックで口を抑え、何も言えなかった。

「ダァダ!ダダ!」

一人状況が分かっていない光輝は、翔太の腕の中で、下りたそうに身体を暴れさせるが、翔太がギュッと抱き締めた。

「光輝…ちょっとだけ待って…な。」

いつもと違う父親の様子に、光輝は動きを止めて、真ん丸の瞳で翔太の顔を見つめた。

すると、鵺野医師が赤ちゃんの側に霞たちを呼んだ。霞が乗っている車椅子を押している美枝子は、ゆっくりと赤ちゃんに近付き、それに続いて光輝を抱いている翔太も恐る恐る近付いた。

近くで見ると、本当に小さく胸が膨らみ辛うじて呼吸しているように感じた。

悲痛な目で我が子を見つめる霞たちに鵺野医師は説明を始めた。

「…この子は、このままですと1日も持たないかもしれません。」

予想だにしなかった医師の言葉に、霞は嗚咽するように泣き出し、美枝子が慌てて霞を抱き締めた。翔太は、あまりの衝撃に頭が真っ白になってしまった。

「…せ、先生。今なんて?」

鵺野医師は、霞たちを直視できず、赤ちゃんに視線を移して説明を続けた。

「この子は早産による低体重児です。そういう子には、産まれつき、様々な病気のリスクを背負っています。特にこの子は症状を二つ併発していることが分かりました。重度の壊死性腸炎と重度の頭蓋内出血です。」

聞いたことのない病名に三人とも無言で、赤ちゃんを見つめた。

「壊死性腸炎とは、簡単に言いますとまだ未熟な腸のため、何かしらの阻害が起きており、細菌に感染した腸壁が壊死してしまい、穴が空いてしまう病気です。緊急オペが必要な状況です。それから、頭蓋内出血はその名のとおり、頭蓋内で出血が起きるものの総称なんですが、この子の場合が出血が多く、今こうして輸血を行って凌いでいます。精密検査が必要ですが、血腫を取り除く手術が必要になろうかと思います。」

「ちょっと待ってください。この子、今産まれたばかりで、二つも手術しないといけない状況ってことですか?」

美枝子が鵺野医師の目を見つめて聞いた。鵺野医師が頷くと、霞は車椅子から崩れ落ちるように力を失い、美枝子と翔太が慌てて支えた。

「緊急オペが必要です。しかし、手術には親御さんの同意が必要でして…よろしいですか?」

「そりゃもちろ…。」
「待ってください。」

翔太の答えを霞が遮った。

「霞…?」

霞は、ゆっくり車椅子に体制を戻し、涙を拭うと鵺野医師の目を見て聞いた。

「先生。手術したら助かるんですか?あと、後遺症が出る場合もあるんでしょうか?」

鵺野医師は、丸椅子に腰掛け、霞の目線と同じ高さで、目を見ながら答えた。

「正直、この小さな身体で手術を二つ耐えきれるかどうかは、私も確証はできません。加えて、頭蓋内出血は、どの部位でどこまでの範囲で出血が起きてるかは、精密検査をしてみないと確証は言えません。ですので、後遺症が出る場合もあり得ます。」

霞は、翔太に抱かれている光輝を見つめた。霞に見つめられて光輝は恥ずかしいのか、笑顔で顔を隠した。

「…霞。どうしたんだ?手術しないとか言わないよな?」

翔太が驚いた表情で霞の顔を見た。霞は、保育器の中の赤ちゃんに近付き、顔を見ながら答えた。

「…この子、こんなに華奢でこんなに弱々しいのに、手術に耐えられると思う?手術の時にそのまま、何てことになるくらいなら、このまま見守っていたいよ。」

「霞。でも、助かる可能性だってあるんだから。」

美枝子は、霞の肩に優しく手を添えながら言った。美枝子も翔太と同じ意見だった。

「…助かっても後遺症があることだってあるんでしょ。先生、後遺症って動けなくなるようなこともあり得るんですか?」

「…えぇ、可能性は様々です。壊死性腸炎も状態を確認しないと確証は出来ませんが、消化器系統にも後遺症が残る可能性があります。」 

鵺野医師の話を、霞はピクピクと弱々しく動く赤ちゃんを見ながら聞いていた。

「…ねぇ、翔太。私たち、光輝もいて…もう一人障害児がいたら、ちゃんと育てられる?」

霞からの予想だにしない問い掛けに翔太は一瞬固まった。

「…そ、それは自分の子どもなんだから当たり前じゃな…。」
「キレイ事じゃなくて!!」

大きな声で霞は翔太の答えを遮った。

「…霞…。」

「私…自信ないよ。光輝に加えて寝たきりの子どもとか、毎日のように通院しなきゃならない子どもが増えたら…もう希望がないじゃない。…それに、この子にも申し訳ない。満足な人生を用意出来ないなら、このまま自然に命を終える選択だって…この子のためでもあるんじゃないかしら?ねぇ…先生?」

霞は鵺野医師の顔を伺った。

「…おっしゃる通り選択は自由です。我々が何と言おうと、この先重い障害が残ったとしても、育てていくのは遠藤さんたちですから。お母さんの言う通り、ただ目の前の命を少しでも繋ぎ止めたいというのは、キレイ事と言われればそうかもしれません。その後の負担は本人やご家族に掛かるものですから。」

美枝子は涙を流しながら鵺野医師の話を聞いていた。翔太は納得できない様子で、光輝を抱いたまま、集中治療室を出ていった。

「翔太さん!」
「待って、母さん!」

翔太を追いかけようとした美枝子を霞が止めた。

「翔太、一人になって考えたいのよ。光輝も一緒にいるから大丈夫。…母さん、私だってツラいのよ…別に冷たくしてるわけでも、開き直ってるわけでもない。…光輝がダウン症だって分かった時、どんだけ自分を責めたか。…ダウン症は誰のせいでもないって病院の人にも色々励ましてもらったけど、中々そうは思えなかった。」

「…霞。」

「ダウン症は個性だと思うことを勧められたわ。でもね、やっぱり他の子より遥かに遅い成長と、いつ合併症を引き起こすかっていう不安…光輝のことは大好きだし、愛してるわ。…でもね、時々憎くなるの。この子が健常者だったら、全く違った家庭になってたんだって。二歳過ぎから会話が成り立ってきて、公園に出掛けたら父親とサッカーして、旅行も行きたいとこにも行って…そういう些細な理想も全てが理想通りにならない。…これ以上何かを抱えるのは私には無理よ。…普通の幸せを求めてただけなのに…。」

手術に同意を示してくれるはずだと安易に考えていた鵺野医師は、二人の会話をただ見守ることしか出来なかった。
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