最期の時間(とき)

雨木良

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神谷 あずさ 4

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退院したあずさは、それから二日間自分の部屋からほぼ出ることはなく、母親が心配して声を掛けても、「大丈夫。」と返すだけだった。

あずさの家は母子家庭であり、母親は昼間は仕事があるため、祖母と二人きりとなる。しかし、足腰の悪い祖母は階段を上ることがツラく、中々二階のあずさの部屋を訪ねることが出来なかった。

仕事から帰ってきた母親は、祖母から今日もあずさの姿を見ていないと言われ、再びあずさの部屋の扉の前にいた。

コンコン。

「…なに?」

母親のノックに対し、素っ気ない返事で答えるあずさ。

「…いい加減、顔見せなさい。昨日も私達が眠ってる夜中にお風呂に入ったんでしょ?おばあちゃんも心配してるのよ。」

「大丈夫だから。」

「大丈夫大丈夫って、だいたい…。」
「大丈夫だから!!」

母親の言葉を打ち消すように大声を上げたあずさに母親は少し戦いた。階段の下では、祖母が心配そうに二階を見上げていた。

「…あずさ、何が不安なの?」

「…別に…。」

「じゃあ、そこから出てきてよ。」

「…大丈夫…だから。」

「あずさぁぁぁ!」

母親は、ドアノブを捻ったが、中から鍵が掛かっており開けることが出来なかった。母親はどうにも出来ない自分が情けなく感じ、悲しくなり、扉の前で崩れるよいに座り込んだ。

一方、部屋の中では、扉の向こうで母親のすすり泣く声が聞こえていた。

あずさは本当はすぐに部屋を出て、母親に抱きつきたかった。しかし、その勇気が無かったのだ。

その理由は、あずさが握りしめているアルモノだった。あずさはそれを握りしめ、ベッドの上で壁を背に、くるまるように座っていた。

ブーッ、ブーッ。

すぐ脇に置いてあるスマホのバイブが鳴った。ふと目線を向けると着信が来ており、画面に表示されている名前を見て、あずさはすぐにスマホを手に取り、電話に出た。

「…あ、あずさ…?」

「…うん。…わたし…だよ。」

「良かった、電話に出てくれて。…体調…どうなんだ?何か…元気無さそうな声だけど。何かさ、一か月前くらいから、ずっと調子悪そうだから…大丈夫か?」

「うん、ただの…風邪が長引いてる感じかな。…そっちはどう?」

「うん、俺は大丈夫だよ。でも、まだこっちの生活には慣れなくてな。…早くあずさに会いたいよ。もう一か月半以上会ってないだろ?」

「…しょうがないよ、拓海(たくみ)くんが転勤になっちゃったんだから。…落ち着くまで待ってるから。」

「あぁ、ありがとう。…浮気すんなよぉ。」

「プッ、ばか。…そっちもね。」

「おっと、行かないと。じゃあまた連絡入れるね、じゃね。…あ、風邪早く治せよ、お大事に。」

「…うん、ありがと。またね…。」

あずさは通話が切れると、ポンッとスマホをベッドに投げ置いた。

「…ごめん、まだあなたに真実を言う勇気が無い…。」

あずさはスマホを眺めながら呟いた。



「由美子(ゆみこ)やぁ、大丈夫かい?」

母親の由美子の声が聞こえなくなり、心配になった祖母が階段下から問い掛けた。

由美子は、祖母を心配させないために、スッと立ち上がり、涙を拭って階段を下りていった。

「…大丈夫よ、あずさは元気そう。」

「姿は見たのかい?」

由美子は首を横に振った。

「でも、あの子は大丈夫。今、病気と闘っているのよ。私達がしっかりと支えてあげないと。」

由美子はそう言って、台所へと向かった。祖母は、静かに二階を見上げた。



あずさはスマホを手に取り、メッセージアプリを開き、拓海にメッセージを送ろうとゆっくりと文字を打った。

『さっきはありがとう。わたし、拓海くんに話さないといけないことが2つあるの。ちゃんと話さないといけないことなの。時間があるときに電話をください。』

あずさは打ち終わった画面を見つめ、送って良いかどうか、葛藤と闘っていた。これを送ることで、真実を拓海に話さなければいけなくなり、その真実を拓海が受け入れられなければ、二人の関係は終わりを告げることになる。

あずさは、拓海を愛していた。歳の差のカップルであり、世の中的には受け入れて貰えない形の関係であることは理解した上でも、拓海の存在があずさにとって、とても大きなものだった。

だから、あずさは一度自ら命を絶つ決意もした。リストカットをしたことは拓海にはまだ知らせていない。

ALSという病気であると告白したら拓海が自分の前から消えてしまう、そう考えている内に、そんなツラい思いをするくらいならと、自ら命を絶つことを選んでいた。

由美子や片野医師、日比野医師らの優しさによって、少しは心が和らぎ、退院してからは、拓海に告白しなければという思いをずっと抱いていた。

思い立っては、メッセージを打ち、送信ボタンを押せずに消去、また思い立っては、メッセージを打ち、送信ボタンを押せずに消去、それをこの二日間繰り返していた。

何度めとなるか、あずさ自身も分かっていないが、再びメッセージを打ち終わり、送信ボタンのアイコン上の宙に指を止めた。

あずさは、由美子が涙を流してまで今の自分を心配してくれていることに申し訳なく感じていた。もうこれ以上考え続けていても、母をはじめとする周りを困らせるだけだと気が付いたのだ。

「ふぅーっ。」

あずさは、大きな深呼吸をすると、目をギュッと瞑り、送信ボタンを押した。
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