最期の時間(とき)

雨木良

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神谷 あずさ 5

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メッセージを送ってからというもの、あずさは、数秒ごとに拓海がメッセージを既読しているかを確認していた。

確か、さっきの電話ではまだ仕事中のようだったので、メッセージを読むのはまだ時間がかかるかもしれない。

あずさは、そわそわしている自分が嫌になり、そう考えてスマホを裏返しにして机の上に置いた。そして、手に握りしめていたアルモノもスマホの隣に置いた。

何か身軽になった気がしたあずさは、ふぅーとため息を付き、ガチャっと扉の鍵を開けて扉を開いた。

「ん?あずさ?」

台所にいた由美子は、二階から聞こえたガチャっという僅かな金属音を聞き逃さなかった。由美子は、慌ててコンロの火を止め、階段に駆け足で向かった。

すると、ゆっくりと階段を下りてきたあずさと目が合った。

「…あずさ…。」

「お母さん、心配掛けてごめんなさい。」

由美子は、顔を伏すあずさに近づき、優しく抱き締めた。

「いいのよ…いいの。…ありがとう。」

由美子は優しく背中を擦った。

あずさは、ゆっくりと顔を上げて、由美子の目を見ながら言った。

「…私、お母さんに話さないといけないことがあるの…。」

あずさは、由美子の手を握り、二階の自分の部屋へと戻った。

部屋に着くと、あずさは由美子を自分の机の前まで連れていき、机の上を指差した。

何事か全く検討のつかない由美子は、言われるがまま、あずさが指差したものを凝視した。

そして、その意味が分かると両手で口を押さえて絶句した。

「…お母さん…?」

「あ、あずさ、これって妊娠検査薬よね?…陽性って…これはあなたのなの?」

あずさは真っ直ぐ由美子の目を見ながら、コクンと頷いた。由美子は、目の前の現実を受け入れることができず、フラフラとした足取りでベッドに移動に、ゆっくりと腰を下ろした。

あずさは、机の前から動くことなく、由美子を見つめていた。

「…お母さん…?」

「…いつ?これが分かったのは。」

「一昨日。」

「相手は知ってるの?」

「これから言う。」

「…相手は、あなたの病気のこと理解してくれているの?」

「……まだ…これから言う。」

「…そう。あなた、まだ16よ。それに…病気のこともある。…まさか、産む気じゃないわよね?」

「……………………。」

「やめてよ、あずさ!」

由美子は立ち上がり、あずさに抱き付いた。

「悪いことは言わないから、堕ろしなさい。」

「……………やっぱり、そうだよね……。」

あずさはそう呟くと、由美子を引き離し、机の上のスマホと財布、そして椅子に掛けてあったコートを手に取って部屋から出ていった。

由美子は、あずさを追い掛ける気力が生まれなかった。何故、こんなに困難な課題ばかりが生まれてしまうんだろうか、由美子はあずさが出ていった部屋の入口を眺めながら考えていた。

あずさが一階に着くと、廊下で祖母がニコニコしながら立っていた。

「おばあちゃん。」

「あずさや。その様子だと、また母さんと何かあったか?」

「……何でそう思うの?」

「人生長く生きとりゃ、それだけ人を読む能力には長けるものよ。…あずさ、お前の病気のことは由美子から聞いとるよ。聞いたが、詳しいことはわからんな。だがな、あずさは昔から本当にいい子だった、ばあちゃんの自慢の孫だわ。…よいか、ばあちゃんは何があってもお前の味方だ、お前のしたいようにやりんしゃい。」

こっちまで笑みになるような、仏のような笑みを溢しながら話す祖母に、あずさはゆっくりと頷いた。知らぬ間に涙が頬を伝っていた。

「…ありがとう、おばあちゃん。」

「気ぃ付けてなぁ。」

あずさは、祖母に優しく見送られ、家を出た。

しかし、あの場に居たくないという理由だけで飛び出してきたあずさに行く宛てなど無く、とりあえず家を出て数百メートル歩いた所にある公園に着き、ベンチに座ることしか思い付かなかった。

ベンチに腰掛けたあずさは、ぼーっと空を眺めた。日は落ち、辺りは大分薄暗くなってきていた。

「…どうしようかな…。」

あずさはコートのポケットからスマホを取り出し、拓海からの着信が無いかを確認したが、まだメッセージも未読のままだった。

あずさは、スマホを握りしめたまま動かなかった。さっきの祖母の言葉が頭の中に響いていた。

『自慢の孫…何があってもお前の味方…。』

今の自分の状況を知っても、祖母は本当にそう思ってくれるのだろうか。

そして、お腹の子どもは堕ろす以外の選択肢は無いのだろうか。

まだ病気のことすらも知らない拓海は、真実を知っても自分と一緒に居てくれるのだろうか。

…不安なこと、マイナスなことしか考えられないあずさは、またリストカットを決断したときと同じような精神に状態になってきていた。

ただ、あの時と大きなな違いは、今は自分一人の身体では無いということだ。あずさは、お腹を擦りながら、自分に落ち着くようにと促していた。

「姉ちゃん、一人か?」

ハッと我に帰り、目を開けると見知らぬ20代くらいの男性が目の前に立っていた。

「もう暗くなるよ。こんなとこで可愛い子が一人で何してんのかなぁって。」

「…何でもないです、大丈夫ですから。」

あずさは、目を合わせずにそっけなく返した。

「冷たいなぁ、俺は姉ちゃんを心配してんだからさぁ。こんなとこいないでさ、一緒にどっか行こうよ。」

「結構です。」

「そんなこと言わないでさぁ。」

男は無理矢理あずさの手を掴み立たせようとした。

「やめてください!大声出しますよ!」

「ふんっ、随分強気だな。嫌いじゃない。」

男は力を緩めることなく、あずさの手を引き、力に敵わないあずさは無理矢理立たされ、そのまま引っ張られるように歩かされた。

「やめてよ!」

「いいじゃんかよ、楽しいことしようぜ!」

あずさは、必死に手を振り払おうとしたが、男はニヤニヤしながら手を離すことは無かった。

「何なのよ、私ばっかりこんな!!」

色んなことが、溜まりに溜まったあずさの渾身の言葉だった。男は意味が分からずにキョトンとした表情を浮かべた。

「お兄さん、やめてあげなよ。嫌がってるよ、彼女。」

男の背後から声が聞こえ、二人が振り向くと一人の男性が立っていた。

「何だおめぇ、失せろよ。今すぐ消え失せろ!」

「…言葉も汚いが、その汚い手も離してあげな。」

「な、何だと!?ぶっ殺すぞ!」

「…性格ってのは顔に出るね。野蛮な顔をしている。まるで、獲物を狙うイノシシのようだ。」

「んだとぉ!?」

遠回しに不細工と言われてることに気が付いた男は血が上り、あずさを突き飛ばすように離して、男性に殴りかかった。

「…ふん、遅いね。」

男性はニヤリと笑みを浮かべた。
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