Rem-リム- 呪いと再生

雨木良

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第4節 池畑 一輝

(8)

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2月10日

ー 解剖医学センター ー

8時00分

池畑と溝口は、昨日急遽依頼し、通常時間よりも早く開所してもらった解剖医学センターの第1解剖室にいた。

菅野茜の遺体は、遺族の許可を貰い、早朝に自宅に伺い、5分前に届いた所だ。池畑と溝口は菅野の遺体が横たわる解放台の横で静かに解剖医の到着を待っていた。

溝口は、解剖室の臭いが気になるのか、終始鼻を擦りながら、解剖室内の物品を見回していた。

すると間もなく、解剖室のドアが開き、解剖医2名が入ってきた。勝俣(かつまた)と書かれた名札を付けている医師は長身のモデルのような女性で、勝俣の後から入ってきた歳上の男性の医師は高橋(たかはし)の名札を付けている。どちらも池畑たちとは面識がある解剖医だ。

「おはようございます、勝俣先生、すみませんね早朝から。」

池畑は申し訳なさそうに挨拶をした。

「いえ、今回の事情は科学研究所の佐倉先生から、詳しく聞いています。私自身非常に興味があります。仏さんは今日の夜には通夜、明日には荼毘に伏されますので、真実を究明し、成仏できるようにしてあげたいですしね。じゃあ始めます。高橋先生よろしくお願いいたします。」

勝俣、高橋の二人が手際よく解剖を進めていく。死因は予想通りに腹部に包丁を刺したことによる失血死であることが確定された。

そして、いよいよ頭部にメスが入った。ここも手際よく作業を進める二人だが、一瞬勝俣の手が止まった。

「池畑さん、ちょっと。」

勝俣に呼ばれ、菅野の頭部に目をやる。溝口はハンカチで口元を押さえながら恐る恐る覗いた。パッカリと頭部が割れ、脳が露出がしている姿はインパクトがあったが、溝口も恐怖心を拭い、勝俣が指差す部分に目を凝らした。

「ここ、熱か何かにやられてるのか、脳に焦げが見られるわ。驚きなのが、脳の外側にある組織、つまり髪の毛や皮膚、中の頭蓋骨は全く異常なし。脳だけに熱が与えられたとしか思えない。こんなこと初めて見るわ。高橋先生はどう考えます?」

当然、高橋も初めて見る症状のため、首を傾げた。

「いやぁ、さっぱり。ただ佐倉先生のおっしゃった通りだなと。焦げがある範囲は非常に狭いので、恐らく脳のこの部分に焦点を合わせて、一点狙いで熱エネルギーを照射したような感じですね。」

「正直、この脳の症状がどうやってできたのかは今すぐは説明できないわ。色々撮影して、佐倉先生の研究チームにも見ていただいて。ただ、死因は間違いなく失血死で、凶器や傷口の状態から判断して、自分で刺したことには間違いないわ。」

「…ありがとうございました。」

池畑は、本当に佐倉の言う通りになっている現実にただただ驚き、終始眺めることしかできなかった。

これが佐倉の言っていた意味の症状なら、菅野茜は桐生の呪いで殺されたことになる。

いよいよ、世界が響動めく、世紀の事件化が確定したことになる。

恐らく同じことを考えているのだろう、隣でメモを取っていた溝口は震えてるように感じた。

ー 署へ戻る車中 ー 

溝口の運転で署に戻っていた。

交差点に差し掛かる手前、目の前の信号が黄色を経て赤く変わったが、速度を落とさない溝口に池畑は叫んだ。

「溝口!!信号赤だぞ!」

キキーッと急ブレーキをかけ、何とか停止線ギリギリで停まった。池畑は説教しようと溝口の方を冷静に見ると、溝口は汗だくで震えているように見えた。

「溝…口?」

「い、池畑さん、自分たちは桐生に殺されませんかね?」

冗談で言ってるような顔ではないことがわかった。

「…なんで俺たちが。バカな妄想はやめとけ。」

と言いつつ、実は池畑も全く同じことを考えていた。ただ今は溝口を落ち着かせるような言葉が必要だと考えた。

「呪いっつったって、誰それ構わずホイホイ掛けられるもんじゃないだろ。ほら、佐倉の実験の時は対象物の写真が必要そうだったじゃねぇか。桐生は俺たちの写真なんて持ってないだろ?

あ、そうだ!このまま研究所に寄って、佐倉にそこんとこ聞いていくか。その方がお前も安心すんだろ。ついでに解剖の結果も報告しないといけないしな。」

何にも根拠がないことをペラペラしゃべる自分に感心してしまった池畑だが、効果があったのか、溝口が落ち着きをとり戻してきた。

「佐倉さんに大丈夫と言われれば確かに。…取り乱してすみませんでした。」

よく考えたら、溝口だけじゃなく課長や千代田も危険な目に合わせる状況を作り上げてしまってるかもしれない。何より佐倉は自分が桐生のペーパーを持ち込んだことで、どっぷりと巻き込んでしまっている。池畑は、自分のことではなく、周りの人たちに桐生の災いが届かないことを切に願った。

ー 科学研究所 ー

池畑は、佐倉の研究室の扉を開けた。

「佐倉ー、邪魔するよー。」

部屋には助手の女性が一人居ただけだった。

「あ、こんにちは、先日の刑事さんですね。」

「あ、先日はどうも。確か…。」

「瀬古です。一応佐倉先生の一番助手やってます。」

見た感じ佐倉より若干歳上に見えたが容姿は美しい女性だと思った。

池畑は佐倉を探すため研究室内をぐるりと見渡したが、姿が見えないため瀬古に質問した。

「今日、佐倉先生は?」

「…それが、昨日の夕方から私は見てなくて。…携帯も席に置きっぱなしなんで連絡が取れなくて困ってるんです。」

不安そうに話す瀬古。それで昨日の夜の電話に出なかったのかと合致した池畑だったが、佐倉が行方不明と聞いて寒気が走った。

「瀬古さん以外の人も佐倉のことはわからない感じですか?」

「…多分。昨日、工藤所長のとこに行ってくる、っていうのが最後でした。今朝、たまたま所長に会ったんで実験のお礼がてら、佐倉先生のこと聞いたら、昨日の夕方は会ってないって言うんですよ。北野副所長と一緒に居られたそうで、北野副所長も佐倉先生は来ていないと。」

瀬古の言葉に、池畑はますます悪い予感がした。

「…え?つまり行方不明ってこと…?」

「…今のところ。」

池畑の横に無言で立つ溝口の表情は徐々に曇り始めていた。溝口が咄嗟に質問した。

「こんなことって、よくあるんですか?」

「いえ、初めてです。時間には厳しい人で、何処に行くときも行き先と帰りの予定時間を残してく人だったんで。」

池畑も佐倉の性格は理解しており、正に瀬古が言う通りだと思った。

「池畑さん、これ、やばくないっすか。」

焦りを見せ始めた溝口に池畑はポジティブな言葉で返すことしか思い付かなかった。

「…大丈夫。すぐに見つかるよ。きっと実験の緊張が解けて、どっかでぐっすり眠りこけてるとかさ。」

絶対有り得ないと自分でもわかってるような話で誤魔化した。

池畑たちは、慌てて研究室を飛び出し、佐倉が居そうな場所を考え、探すことにした。

……だが、一ヶ月経っても佐倉の姿が見つかることはなかった。
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