桜はもう枯れた。

ミックスサンド

文字の大きさ
上 下
5 / 7

山下鷹華⑤

しおりを挟む


「今日もいい天気だなぁ。」

朝、鷹華は自室の窓を開け、そう言ってぐいっと背伸びをした。
そして腰まである長い黒髪を結び、坊っちゃんを起こしに部屋に向かった。


驚く事に、坊っちゃんの部屋の前には七屋さんと奥様がいた。
(こんな朝早くに、坊っちゃんに用でもあるのかな?)
鷹華は二人にかけよった。

「七屋さん!奥様!おは…」

言葉は、そこで途切れた。
奥様が両手で顔を覆い、泣いていた。
その背中を七屋さんが慰めるようにさすっている。

「あ、鷹華ちゃん。おはよう。」

鷹華に気付いた七屋がバツが悪そうに此方を向いた。

「坊っちゃんはもう起きて、旦那様と話してらっしゃるから。
鷹華ちゃんは今日は部屋で休んでて。」


「えっ…」

「いいから!」

「は、はい!わかりました!!!鷹華、しっかりと休みます!!!」


珍しい強い口調に流さた鷹華はその場を離れた。




さめざめと泣いてる奥様。
俯き苦い表情の七屋。
襖の向こうから聞こえるぼそぼそとした話し声。


離れるべきでは 無かったのかもしれない。

先程までは鷹華の気分を明るくさせてくれた青空は、いつの間にか灰色の雲に覆われて、見えなくなっていた。
ーーーーー



夜、今日の屋敷の様子が気になって眠れなくなった鷹華は、寝間着の上にやぼったいカーディガンを羽織って廊下に出た。

坊っちゃんの部屋の襖の間から僅かな光が廊下に伸びていた。
なんとなく、屋敷に来た初日、此処で土下座をして謝った事を思い出した。

「失礼します…鷹華です。坊っちゃん、少しよろしいですか」

あの時とは違い、立ちながらそう言うと、襖の向こうから低い声が返った。

「…入ってこい。」

「し、失礼します。」

部屋には、寝間着の着物姿の坊っちゃんがいた。

「どうした。眠れないなら絵本でもよんでやろうか。」

「ば、馬鹿にしないで下さい!!」


「……………そうだよな。お前は『ばか』じゃない。」

「え?」

「御免、鷹華。
俺、お前に謝らなきゃいけない事がある。」

           ✴





「……どうしたんですか?改まっちゃって!」

鷹華はふにゃりと笑った。笑い返されは、しなかった。
部屋には暗い緊張感の様なものが漂った。
坊っちゃんがゆっくり口を開いた。

「俺は、
この家の血はひいてない。

引き取られたんだ。10年前。
それまで孤児院で暮らしていた。

親の顔すら覚えてない。でも、院には、俺みたいな小さい子供達を母親のように世話をしてくれる姉さんがいた。
その人は、みんなに………… ばか って言われてた。」

「ばか」それは鷹華の孤児院時代のあだ名だった。
幾度となく呼ばれたあだ名。
鷹華は目の前の青年の顔をじっくりとみた。

「…蒼太郎くん?」

青年は、力無く笑った。

「……うん。鷹華ねえさん。」

頭を横殴られた衝撃が走った。
どうして気づかなかったのだろう。口横のホクロも、黒く凛とした目も、なんら変わっていなかったというのに。

「孤児院に入った当時、凄く不安だった。
院の子らは皆自分の事で精一杯で、小さい子の世話にかまけたりしなかったから。これからは独りで生きなきゃいけない、そう思ったよ。でも、ねえさんは違った。小さい俺等の世話をして、親の様に愛情を注いでくれた。
なのに皆、自分で歩けるようになったらねえさんを馬鹿にし始めた。
「ばか」なんて笑って。
俺はそれを只見てるだけだった。

……ごめん。」

青年は、蒼太郎は唇を噛んだ。血が滲んでいた。


(…私は、
山下鷹華は、ずっと人に迷惑しかかけない存在だと思ってた。
でも、違ったんだ。誰かの、不安を拭えてた。)

鷹華は坊っちゃんに近づき、震える手を白い手で握った。

「坊っちゃん…いいえ蒼太郎君。
ありがとう。その言葉をもらえただけで、私、生きてるのが嬉しいと思えた。」

泣いた。
坊っちゃんが。
「そこで泣くのは私では!?」とツッコミたかったが、それは心に留めた。



泣き止んだ坊っちゃんは、自分の鞄から藍色の長方形の箱を取り出した。中には、高級そうな桜の髪飾りが鎮座している。

「つけていいぞ。」

「えっ!!!こんな高そうなの貰えません!
ちょこれーと何個分だと思ってるんですか!」

「いいから持っとけ!もう買ったんだ!」

「は、はいいっ!」

意地でも下がらない気迫を見せる坊っちゃんの態度に押され、鷹華は渋々髪飾りを受け取った。

「………じゃあ、また明日、な。」

「はい!明日はちゃんと起こしに来ますね」

「…………………ああ。」




ーーー


次の日の朝、自室の窓を開けると、青空が視界いっぱいに広がった。
鷹華は外の空気を肺いっぱいにすいこんだ。

そして腰まである黒髪を櫛で丁寧にといてゆき、机の上に大切に置いていた髪飾りを、どきどきしながら髪につけた。

そして鷹華は、私は、坊っちゃんの部屋に向かいました。
この髪飾りをつけた私を見て、なんと言葉をかけてくれるでしょうか。
坊っちゃんの事ですから、「豚に真珠だな」だなんて言って笑うかもしれません。
でも、もしかしたら、似合うと言ってくれるかもしれません。

私は、笑顔で坊っちゃんの部屋の襖を勢いよく開けました。
そこには、荷物も、坊っちゃんも、何もありませんでした。











そして、坊っちゃんは行方知らずになりました。













しおりを挟む

処理中です...