【完結】疎遠だった幼馴染に突然キスをされた男の子の話

白井ゆき

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終※

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 身体の震えが止まり、目を開けた。荒い呼吸を繰り返す蕩けた瞳と目が合う。りん、と名前を呼ばれ、返事をするようにゆっくり瞬きをすると軽い口づけが落とされた。

 中に入っていたものが、ずるりと引き抜かれる。

「んぁっ」

 思わず漏れ出た声に口を押えた。その様子をクスクスと笑いながら見下ろしていた千明が隣に寝転んだ。1人用のベッドは2人で寝るには狭く、自然と体が密着する。

「凛」
「なに、」
「もう1回、名前呼んで」
「……ちあき」

 引き寄せられるままに、鍛えられた胸板に頭を摺り寄せた。

「もう1回」
「ちあき」
「もっかい」
「……しつこい」

 頭をゆっくりと撫でられる。その優しい手つきが心地よい。

「だって、凛に名前呼んでもらえるの、久しぶりだから」

 距離を置くようになってから口にしていなかった名前は、自分でも驚くほどしっくりきて、口に馴染んでいた。10年以上呼び続けたのだから当たり前と言われればそうであるが、違和感なく口にでき、また受け入れてもらえたことに、何よりも安堵した。

 千明の胸から聞こえる規則正しい鼓動が心地いい。

「凛」
「ん……」
「好きだよ」
「おれも、」

 疲労か、それとも気が緩んだのか。少しずつ瞼が重くなってくる。

 ここで寝たら、迷惑が掛かるかもしれない。……かもしれないではなくて、確実にかかる。閉じようとする瞼に抗った。

「凛、眠い?」
「んー……」
「疲れたもんね。寝ていいよ」
「……いい」
「大丈夫だよ、おやすみ」

 千明の心地の良い低音が耳朶をくすぐる。一定のリズムで優しく頭を撫でられていたこともあって、本能に抗うことなどできず、そのまま瞼を閉じ、眠りについた。


 



 次に目を開けると、薄暗い部屋の中だった。2、3度瞬かせ、暗闇に目が慣れてきた頃、自分が寝落ちしてしまったことを思い出した。保安球の明かりを頼りに手探りで部屋の電気をつける。

 入ったときと変わらない整頓された部屋に、あれは夢かと考えたけれど、千明の服を身に着けていることや腰のあたりに鈍く残る痛みに、現実のことであったと確信する。

 耳を澄ますと、階下から談笑の声が聞こえた。

 これ、部屋を出ていいのだろうか……。

 部屋の時計は8時過ぎを指している。おそらくリビングで繰り広げられているであろう、仕事から帰ってきた家族との団欒を邪魔するのは忍びないし、何より、息子の部屋に息子の服を着た男が寝ているところを目撃する2人が気の毒で仕方がない。
 千明が着せてくれている服は、一見、誰でも持っていそうな無地のスウェットではあるけれど、よく見れば袖や裾が余っていて、自分の服ではないことは誰の目から見ても明らかだ。親の目を誤魔化すのは到底無理だろう。

 どうしたものかとドアノブを握っては離し、握っては離しを数度繰り返し、スマホを手に取った。

 降りていい?、とメッセージを送ってしばらくすると、階段を駆け上がる音が聞こえた。ドアを開け部屋に入った千明は、テーブルの側でスマホを片手にしゃがみ込みむ俺のお腹に後ろから手を回し、優しく引き寄せた。浮かせていた腰が尻餅をつき、千明の両足の間へと収まる。

「凛、身体大丈夫?」
「うん」

 頭に顎を載せられる。

「寝てごめん」
「気にしないで。おばさんにも連絡してあるし、お母さんたちも泊まっていけって」

 腕が回された腰を中心に甘い疼きが広がり、縦に振ろうとした首を止めた。

「いや、帰る」
「帰るの?」
「うん。明日の準備もあるし」
「準備って?」

 間に合わせの発言を追及され、言葉を詰まらせた。一瞬、逡巡した後、口を開く。

「弁当、とか」
「俺がつくるよ」
「いい」

 俺が作るならまだしも、泊めてもらった上に弁当まで作ってもらうだなんて、図々しいにもほどがある。ただでさえ迷惑をかけているというのに、これ以上手間をかけさせるのは忍びない。

「晩御飯も、もう作ってるし」
「食べたら戻ってくればいいじゃん」
「いや、変だろ」
「じゃあ、凛の家に泊まる」
「それも変だろ」
「変じゃないよ」

 どう考えたって不自然だろ。駄々をこねる塚本の腕を外し、立ち上がろうと足に力を込める。しかし、再び腰に回された腕に妨げられた。

「どこ行くの」

 拗ねたような声を出す、塚本に首だけで振り返る。

「挨拶すんの」
「いいよ、別に」
「よくないだろ」
「大丈夫だよ。寝てると思ってるし」
「そういう問題じゃない」

 いくら家族ぐるみの仲とはいえ、こんな遅い時間まで居座っていたというのに、挨拶をしないというわけにはいかない。例え、挨拶をしないとしても、帰るのだから、結局は下に降りなければならない。
 それでも離そうとしない千明に、「明日も会えるだろ」、と伝えた。

「……だって帰っちゃうじゃん」

 返ってきた寂しげな声に、口を噤んだ。

「凛は俺と一緒にいるの嫌?」
「そういうわけじゃ……」

 一緒にいたくないわけではない。ただ、こうして触れ合っているだけで、どうしても高鳴ってしまう胸が煩わしいだけで。2人きりならまだしも、下には千明の親もいる環境で、その状態が続くのが辛いだけだ。

「俺は少しでも長く凛と一緒にいたいと思ってるよ」
「俺、も、そう思って、るけど」

 しどろもどろに答えると、体を反転させられた。膝の上で向かい合うような体勢に顔がカッと熱くなる。

「ちょ、下に親居んだろ……!」
「じゃあ、泊まろ?」

 近距離で顔を覗き、ね?と何度も問いかけられ、目を泳がせた。断ろうと思っているのに、眉を下げ切なそうな表情を見せられると意思が揺らぐ。

「いや、でも」
「お願い」
「……」
「だめ?」
「……分かった」

 途端に顔をほころばせる。ご機嫌な表情が照れくさい。

「そんなに嬉しいの」
「うん、嬉しい」

 嬉しいんだ。千明にとって、俺と一緒にいる時間が増えることは、こんなにわかりやすく表情を変えてしまうくらいに、ちゃんと嬉しいことなんだ。
 心に温かいものが広がっていく。
 頬を包んだ両の親指で頬を撫でる千明を見上げた。

「俺も、」
「ん?」

 嬉しい、と言いかけた口を止める。

 言われたから言い返したような言葉ではなくて、もっと何か別の言葉を返したい。俺が言われて嬉しかったように、千明が喜びそうな言葉を。貰うばかりではなくて、俺からも何かをあげたい。千明の気持ちが一方的なものではないと伝わるような言葉を。

「凛?」

 頭に1つの言葉が浮かぶ。この言葉で千明は喜ぶだろうか。相手を喜ばせるために考えた言葉にしては、自意識過剰ではないか。そもそも、今言うのはタイミングがおかしくはないか。
 いろいろな疑問が頭を駆け巡る。しかし、一度浮かんだ言葉はなかなか消えず、それ以外の考えが抜け落ちていく。

 もう1度名前を呼ばれる。かすかに首を傾ける千明と1度目を合わせ、瞼を伏せた。

「俺も、……すき」

 頬を撫でていた指が止まる。
 何も返ってこず、上目で窺うとぱちぱちと目を瞬かせていた。その驚きを孕んだ目が、少しずつ輝いていくのを見て、懐かしい気持ちがよみがえる。

 あの顔だ。あの日公園で見た、もう二度と見ることができないと思っていたあの顔。子供の頃から俺だけに向けられていた、1番好きな顔。

「凛、いま、」

 頬に添えられていた手に力が込められた。強制的に上を向かされる。あのキラキラした瞳に近距離で見つめられる。

「凛、もう1回」
「え、ぁ、なんで」
「だって、初めて言われたから」
「そっちじゃなくて、」

 何でその顔……。

 その顔は、俺が千明に何かを教えた時にだけ向けられる特別なもので。別に今は、今の俺には、憧れの詰まったその瞳に見つめられるようなことなんてないし、何もしてあげられていないのに。なのに、どうして。

「ね、お願い」
「ぇ、あ、すき」
「俺も」

 触れるだけの短いキスを何度も落とされる。

「え、……ん、ちょっとまって、なんで」
「だって、凛が可愛いから」
「そうじゃなくて」

 何と伝えればいいんだろう。キラキラした瞳、だなんて直接いうのは恥ずかしい。かと言って、そんな顔はあまりにも抽象的過ぎる。そう考えている間にも、顔のいたるところに口づけをされる。それを顎を引き避けると、クスクスと喉を鳴らし始めた。

「んー?どうしたの?」
「……今、何考えてんの」

 何って、と一度言葉を区切り微笑む千明を上目で見上げる。

「凛の中に、ちゃんと俺がいるんだって分かって嬉しい」
「へ、」
「凛が俺だけを見てくれてるって実感できて嬉しい」

 思考が固まる。

「凛が俺だけ見てくれればいいのに、ってずっと思ってた」
「何、それ」
「いつも人に囲まれてた凛が、どうしたら俺だけを見てくれるんだろう、ってずっと考えてた。どうしたら独り占めできるんだろう、って」

 だから嬉しい、と額にキスを落とす。

 じゃあ、小さい頃から向けられていたあの視線は、人見知りの激しい千明が唯一俺にだけ見せてくれていたあの視線は、ずっと俺に対する独占欲だったということだろうか。そして、その視線を見ることができなくなって悲しかったのは、他の誰にも見られたくないと思っていたのは、俺の独占欲で……。

 どうして気づかなかったんだろう。ずっと、お互い同じことを考えていたというのに。

「いつから」
「初めて公園で遊んだ日から」

 俺も初めて遊んだあの日から、ずっと千明のあの表情を引き出すためだけに頑張ってきた。勉強も習い事も、なんだって頑張ってきた。もう見ることは叶わないと思っていた。例え見ることができたとしても、それが向けられるのは自分ではないと思っていた。あれは自分だけのものだと勘違いしてはならない、と。そう思っていたあの瞳は、千明が俺のことをだけを考えていた瞳だという事実がひどく嬉しくて、頬が緩む。

 幼馴染だからじゃなかった。初めて会ったあの日から、千明は俺のことを、小倉凛として見てくれていたんだ。ずっと。ただ俺が気づいていなかっただけで。

「聞いたことなかった」
「言ってないもん」
「全然気づかなかった」
「ばれたら嫌われると思ったから隠してた」

 嫌いに何てならないのに。今の俺も、あの頃の俺も。あの可愛い幼馴染にそんなことを言われたところで嫌いに何てならないし、寧ろ愛おしさがこみ上げるだけだ。

「……そんくらいで嫌いにならない」
「うん」

 目じりが下がり、端正な顔に優しさが滲んでいく。

 あぁ、好きだな。あの瞳も、この優しい表情も、全部。引っ込み思案な千明が唯一、俺にだけ心を開いてくれて、だからこそ見ることのできるこの千明が、1番好き。

「凛、顔真っ赤。照れてるの?」
「うるさい」

 やけに機嫌のいい千明を手で押しのけ、立ち上がる。「どこ行くの?」と後ろを付いてくる千明に「挨拶」とだけ返した。

「気にしなくていいのに」
「泊まるんだからしないとだめだろ」

 一度目を見開き、「そうだね」と嬉しそうに笑う千明に背を向けた。火照る顔に風を送りながら、ドアノブに手をかける。

「千明」
「ん?」

 振り返り、斜め上を見上げる。

「好きだよ、千明」

 弧を描く切れ長の目に釣られて、目を細める。

 これからは、ちゃんと伝えていこう。少しずつ、自分のペースで。もう2度とすれ違うことがないように。

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