【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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マーガレット

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 話を戻そう。
 記憶のなかにある花にまつわるエピソードはこれくらいのものだ。探そうと思えばまだあるのかもしれないが、すぐに思い出せと言われても難しい。その程度のものだ。唯一と思われるこの記憶もメインは朝顔ではなく、幼馴染だ。一般的な男子高生が持つ花の思い出なんてこんなものだろう。とにかく、花に対する興味はこの程度なのだ。

 しかし、教室に落ちていたその花には心が惹きつけられた。気が付けば、ひっそりと落ちていた花を手中に収めていた程度には惹かれていた。色鮮やかな黄色の花芯やそれを囲う白い花弁が妙に輝きを放っているように感じたのだ。
 それは、教室に花が落ちているという違和感からくるものかもしれないし、色褪せたフローリングを彩っていたからかもしれない。理由なんて分からない。あえて理由を付けるとすれば、そういう気分なのだろう。かつて環が草を抜きたい衝動に駆られたように、今日は可憐な花を愛でたい気分だったのだ。そういうことにしておこう。

「ごめぇん、遅くなった」

 そう言いつつも、悪びれた様子を見せず教室に入ってくる友人にばれることがないよう、そっと手を握った。誰にも言いたくなかった。言ってはいけない気がした。この今にも潰れてしまいそうな可憐な花を愛でるのは自分一人でいい。例えそれが、自分の中にある、唯一の花にまつわる追憶の主役を飾っていた環であっても、大切に仕舞っておきたかった。

「焼きそばパン1つな」
「心せまー」

 花が潰れてしまわないよう、ゆとりを持って握った手をポケットに忍ばせたことには気づいていないようで、環は机の横に下がっている鞄を乱雑に肩に乗せた。
 
 雑草に塗れた朝顔を2人で囲み、親交の握手を交わしたあの日から、俺と環は着実に友情を築いていった。約束通り、翌日には環の教室で昼休みだけに留まらず、各授業の間に設けられた、たった10分の休み時間も2人で話をした。図書室でもの探しの絵本を囲むこともあれば、渡り廊下と校舎をつなぐ3段ぽっちの階段で鬼ごっこをする日もあった。そういった遊びは俺から誘うことが多かったが、環から提案されることも少なくなかった。そういう気分になった環の行動力には目を見張るものがある。
 10年の歳月の間に訪れた唐突の環の好奇心は多岐にわたる。ある時は、かき氷を全部混ぜてみたいと、100円ショップで買った大きなボウルの中に屋台で買った全てのフレーバーのかき氷を混ぜ入れ、泥水のような色になったよく分からない味の液体を啜った。またある時は、学校をさぼってみたいと電車で隣町まで遊びに行き、凍えるような寒さの中海岸を走り回った。
 その気まぐれは、数時間で満たされることもあれば、数か月続くこともある。突然始まり、突然終わる。そんな環に振り回されることは多かったが、どれもこれも楽しいものばかりで、環が興味を失った後、俺だけはそのブームから抜け出せずにいることもしばしばあった。

 「委員会があるから放課後待ってて」という環の頼みの見返りとして求めた焼きそばパンがその1つだ。ようやく高校生活に慣れた頃、「購買部の焼きそばパンが食べたい」という環に連れられ食べた焼きそばパン。環の中では3日で終わったブームから、かれこれ3カ月が経とうとしているが、俺はまだ抜け出すことができず、定期的に食べたくなり週に3回は食べている。絶品と言うほどではないが、安くてボリュームのあるそれは、男子生徒からは一定の人気を誇っている。お腹と同時にミーハー心も満たされるため、ついつい手を伸ばしてしまうのだ。

 そんな沼へと俺を引きずりこんだ張本人と言えば、「気が向いたらな」と適当なことを言い、隣を怠そうに歩いている。

「おら、やる気が足りねぇぞ。実行委員」
「やめて、聞きたくないぃ」
「自分がやりたいって言いだしたんだろ」

 ここ数日環の悩みの種となっている委員会と言うのは体育際実行委員の話合いだ。「なんかかっこよくね?」というなんとも環らしい衝動的な立候補だったが、実行委員かっこいいという短絡的ともいえる考えは、肝心の体育祭が始まる季節期は消え去っており、やりたくもない委員会の仕事に辟易としていると愚痴を漏らしていた。あと2週間の辛抱ではあるとは言え、1か月にもわたり昼休みと放課後に拘束されたことが堪えているらしい。

「そもそも実行委員を4月に決めるのがおかしくない? 直前に決めよーよ」
「なんでもかんでも衝動的に決めすぎなんだよ」
「だってさぁ」

 昇降口の靴箱に頭を預け、「あの時はやりたかったんだよ」とぼやく環の襟首をつかみ、引きずるように校舎をでた。校庭には部活動励むサッカー部や野球部に紛れて、種目の選手だろうか、バトンパスの練習をしている。

「あざみも実行委員だったらよかったのにさぁ。なんでやんなかったんだよ」
「男女1人ずつって決まってただろ」
「性転換してきて。まだ間に合う」
「やぁだよ! お前がしろ!」

 自ら歩く気がなく、襟首を掴む手に全体重を預けた環の体を俺は迷うことなく投げ飛ばした。ブンと風を切る音が聞こえそうな遠慮のない横投げだったが、慣れた様子で環は着地をする。

「っぶねー」

 わざとらしい仕草で額に浮かぶない汗を拭う、ようやく自立する気になった環の背中を軽く叩いた。

「ほら、さっさと帰るぞ」
「腹減った。今日はマック行こ、マック」
「おーいいじゃん。そう言えば先週から限定の――」

 すっかり元気を取り戻した環の誘いに、いつもの如く応えようとしたところで同意の言葉を止めた。いつ頃か思い出すことはできないが、気が付けば両の手の定位置となったスラックスのポケットに入れたことで、大事に仕舞った花の存在を思い出したからだ。

 花に興味などない。環のような唐突な衝動に駆られ、昨日まで興味の欠片のないことに対して熱を上げる程の衝動性もない。しかし、親友を待っている間に見つけたこの花だけは、どうしようもなく気になった。男子高生の反抗期に臆することのない肝の座った母から早く帰ってくるよう言われたわけでもなく、欠かさず読んでいる週刊漫画誌の発売日でもない。先約があっても、先約よりも環を優先してしまうような俺が、何を思ったのか、慣れ親しんだ環の誘いを断ったのだった。

「やっぱなし。また今度な」
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