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砂詠 飛来

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第三章 髪切り

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    六、

 お沙の絵入れがまもなく終了するという頃、夫婦の長屋を訪ねてくる者があった。

 昼前のことである。

「こんにちは」

 高くよく通る声の少年であった。歳の頃は、十歳ほどだろうか。

 少年は、名を太助たすけといい、飴を売って歩いていた。

 長屋の戸口をとんとん叩くので、お沙が出迎えた。

「どちらさま?」

 大きな黒眼でお沙を見あげ、太助は言った。

「おいらね、最近この辺歩くようになったんだけど、道に迷っちゃって」

「そう。飴を売ってるのね」

 太助の荷を見てお沙は言う。

 太助は、棒手振ぼてふりの天秤棒を担いでいる。棒の両端にぶら下げた籠に飴が刺さっている。

 棒と籠は、子ども用に小さくつくられている。

 飴は、動物や鳥の形につくられた飴細工であった。色とりどり、きらきら光っている。

 小筆ほどの大きさの棒の先に、うさぎや小鳥の飴がつくられている。

「歩きまわって疲れちゃったし、さっきから同じところをぐるぐる回ってるみたいで困ってるんだ」

「そっか。この辺は似たような長屋ばかりだものね」

「この通りの家に片っ端から声をかけてるんだけど、誰も出てこないんだ」

 不思議そうに言う少年を見て、

「それはそうよ。いまは昼間だから、みんな、あなたのように売りに歩いているのよ」

 お沙は、ふふ、と笑んだ。

「なぁんだ。そっか」

「ここらに住む人は大体が商人でね。職人はうちくらいよ」

「職人さん? なにをつくってるの?」

 太助はお沙の言葉に興味を持ったようだ。

「筆よ。見たい?」

「うん!」

「じゃあ、荷を降ろして、うちへあがりなさい。歩き疲れたのだったらすこし休まなくてはね」

 お沙は、太助の頭を撫でた。

 太助は、くすぐったそうに眼を閉じる。

「あなた、やわらかい髪をしているのね」

「そう?」

「あなた、名前は?」

「おいらは太助。すぐそこの橋を渡ってきたんだ」

 純粋な、穢れのない笑み。

「太助ちゃんね。じゃあ、うちへあがりなさい」

 お沙は、この十歳の少年を家の中へ招き入れた。

「お沙!」

 声をかけたのは与四郎である。

 作業の休憩にと居間にきて、お沙にお茶を淹れてもらおうと思っていたところだった。

 そこへ、お沙が子どもを連れて現れたので驚いたのである。

「その子は?」

「太助ちゃん。飴を売って歩いているのよ」

「ここらを? どうして大通りへゆかないんだ」

「道に迷ったんですって」

「そうか‥‥」

 言って、与四郎は、しゃがんで太助に目線を合わせる。

「小僧、なにかを売って歩くには、こんな路地ばっかりのところじゃなくて、人の通りの多い、橋のほうとか大通りへゆくもんだ」

「そうなの?」

「そうだ。活気があっていいぞ」

「うん、判った!」

 与四郎は太助の頭を、わしゃわしゃと無造作に撫でる。

「歩き疲れたって言うから、すこし休ませてあげようかと思って」

 お沙が言う。

「あと、筆も見たい!」

 太助が付け足す。

「筆?」

「うん! おじちゃんが筆をつくってるの?」

「ああ、そうだ。おれのつくった筆が見たいか?」

「うん!」

「よし、判った。それならつくってるところを見せてやろう」

「わぁ、ほんとう?」

 太助は無邪気に喜んでみせる。

「じゃあ、ついてこい」

 与四郎は上機嫌で太助を連れてゆく。

「なら、わたしはお茶を淹れますね」

 お沙も楽しげに言った。

 作業場にずっと籠りきりだった与四郎を心配していた。

 一本、完成したら、すぐにまた籠ってしまった。

 連日、作業場に籠ることはあっても、こんなに籠っていることはなかった。

 なにかにとり憑かれてしまったようであったが、久々に元気な与四郎の姿を見て、お沙はほっとしていた。



    七、

「良い子だったな、太助は」

 枕元に行燈をひとつ置いて、布団を二組敷いている。

 与四郎は布団の上に胡坐をかいている。

 お沙は部屋の隅にある鏡の前で、髪を梳いている。

「あんなに小さいのに、物を売って歩くなんて偉いですね」

「そうだなぁ、きっと、家が大変なんだろう」

 ――すこしの沈黙

「じゃあ、寝ますか。灯りを消しますよ」

「もうすこし、もうすこし点けておいてくれないか」

「え?」

「もうすこしだけ。考えごとをしたいんだ」

「――判りました」

 与四郎は布団にもぐりこむ。

 お沙も、髪をまとめて布団に入る。

 行燈の薄明かり。

 すきま風で、炎がちらちらと揺れる。

 部屋の陰が揺らぐ。

 ふたりで薄暗い天井を見つめる。

「筆づくりは順調ですか」

 お沙が訊いた。

「あぁ。もうすぐで完成するよ。――お沙はどうだ?」

「わたしももうすぐで終わりますよ。良いものが出来そうです」

「そうか。じゃあ、お沙にはまだ無理をさせてしまうな」

「いいえ、構いませんよ。わたしも楽しいです、絵を入れるの」

「そう言ってもらって嬉しいよ」

 与四郎は身体を横にして、お沙を見て言った。

「髪でつくる筆も、申し分ないのだが、また困ったことがあってな」

「なんでしょう」

 お沙も与四郎を見る。

「――髪が足りない」

「――え」

「髪が足りなくなったんだ。吉原でもらってきた分は、いまつくっているので終わってしまう――」

「では、どうなさるのですか。次は品川にでもゆくおつもりですか」

「さすがにそれは無理だ。――もう遊女はこりごりだよ」

 与四郎は再び天井に眼をやる。

 お沙は、その横顔を見つめる。

「品川にはゆかぬが、どう調達したものかと思ってな」

「良吉さんは、お京ちゃんが亡くなって、いま大変でしょう‥‥」

「町を歩いている娘に、髪を売ってくれと頼むか――」

 とんでもないことを言った。

「与四郎さん、なにを――」

「なぁ、お沙。どうしたら髪が手に入るかな」

 与四郎は真剣である。

「どうしてそこまで髪にこだわるのですか。髪以外でつくろうとは考えないのですか」

「髪が思っていたよりも良い出来となったのだ」

「――遊女の髪ですか。でも、その遊女はあの火事で亡くなったのでしょう? お銭あしはどこから戴くのですか。それとも、もう戴いたのですか」

 お沙の声に棘を感じる。

「お銭は戴いてないよ」

 与四郎は素直に言った。

「では――」

「おれも橋のほうへ出て、髪をくれる娘を捜そうかな」

「与四郎さん‥‥」

 お沙は身を起こした。

 与四郎は独り言をぶつぶつ言い始めた。

「髪は良い、髪は良い――どこへゆけば髪が手に入るかな――」

 低くなにかを言い続ける与四郎に、

「与四郎さん!」

 たまらなくなって、お沙は夫の肩を揺らす。

 与四郎はぶつぶつ言うのをやめた。

「――殺したんだよ、おれが」

 低く、ぼそりと呟いた。

「え‥‥ころした――」

「お京ちゃんを殺したのはおれなんだ」

 天井を見つめたまま続ける。

「お京ちゃんは辻斬りなんかに殺られたんじゃない、おれが殺したんだ」

「―――」

「吉原が燃えたあの日、おれはお京を殺した、殺したんだよ――」

 それだけ言って、与四郎は布団を頭までかぶった。

「―――」

 お沙は、なにも言えずに、そのまま呆然としていた。
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