ソルシエール

砂詠 飛来

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魔女たちのハロウィン

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「ありがとう、また来てね」

 この店の名前はソルシエール。都心の繁華街、ひっそりとした裏路地にあるちいさなバーだ。女店主のパメラは長い髪も夜会のようなドレスもネイルまでもが漆黒に染まった、若く美しい魔女。街中ですれ違えば誰しもが息を飲み振り返るであろう豊満でしなやかな身体からは、えも言われぬ妖艶なオーラが放たれている。

 現在のトウキョウには、その正体を隠しながら生活している魔女や魔法使いが幾人かおり、どこから聞いてきたのか風の噂か、いつしかこのソルシエールに人ならざる肩身の狭い思いをしている者たちが集まるようになっていた。

 最後の客を見送ったパメラは、カウンター席に腰掛け、氷だけになったグラスに伝う滴を指先で撫でる。客が出てゆくのにほんの数秒開閉した扉からは、街ゆく人々の雑踏がかすかに漏れ聞こえてきた。

「今年も来たのね、この季節が」

 パメラはちらりとカウンターの奥を見やる。

「現代の人間たちは魔法なんて信じていないのかもしれないわね」

 パメラの視線の先には、彼女とよく似た顔の女がグラスを拭いていた。顔も体型もよく似ているが、違うのはその装いだった。間接照明をも強く反射させるゆったりと長いブロンドと、天使かと見間違えるほどの純白のドレスで身を包んでいる。彼女の名前はディア。パメラの双子の姉だ。漆黒の妹とは正反対の穏やかで柔和な雰囲気を持つ魔女だ。

「生きづらくなったものね。ねえディア、アタシたちがここへ辿り着いて何年かしら」

「そうねぇ、パメラ。人間と私たちでは時間の流れが違うものねぇ」

 柱にかかっている大きな時計が刻を告げる鐘を鳴らす。パメラはそれを見あげ、大きなカラスの飾りに微笑んで声をかけた。

「もう降りてきていいわよ、グィー」

 黒い魔女の声にグィーと呼ばれた飾りのカラスは瞳に光を宿し、ひとつ大きく羽を動かしてふわりとパメラのもとまで舞い降りてきた。彼ーーグィーはパメラの使い魔である。

「あなたの使い魔は大変ね。このトウキョウという土地では厄介者扱いされているものね」

 ディアはふんわりとしたブロンドを片方の耳にかけた。すると首の後ろあたりからディアのドレスと同じくらいの真っ白なヘビがするりと現れ、主である白い魔女の頬をチロリと舐めた。

「ふふ、くすぐったいわよ、ウーイル」

「アンタの使い魔は良いわね。そうやって自分の身体に隠せるんだから」

「今夜くらいはカラスが肩に乗っていたって、首にヘビが巻きついていたって誰も不思議に思わないわ。だってハロウィンですもの」

「‥‥ただの仮装大会になってるのがアタシはイヤなのよ」

 今夜のトウキョウはハロウィン。街には仮装した若者たちが溢れ、本来の意味を失ったジャック・オ・ランタンがそこかしこに飾られている。パメラは昨今のハロウィン事情を憂いているのだった。

「大体、ハロウィンってのはねーー」

 パメラがカウンターを叩くと、グラスが割れて残っていた氷がカランと飛び出した。それと同時に店の扉が開き、頭に斧が刺さった若い男女が顔を覗かせた。

「あのー、やってますか?」

 カラスのグィーがバサバサと大きく羽を揺らす。パメラはそれを宥めるように黒く艶のある毛並みを撫でた。そして斧カップルを一瞥し声を鋭くした。

「悪いけど、仮装してるお客はお断りなの」

「えっ」

「仮装してたら割引、なんてもってのほかよ。古代ケルトに失礼だわ」

 斧カップルはなにを言われているのか判らず、困惑した表情でカウンター内の白い女に助けてくれと視線を送る。

「ごめんなさいね、なんでもない日になんでもない格好でまた来てくれるかしら。今日はもう店じまいなの」

 パメラは、すっと立ちあがり扉ーー斧カップルに人差し指を掲げた。

「そういうことだから、またお越しくださいませ」

 掲げた指をひとつちいさく振ると、斧カップルを押し返すように扉が音を立てて閉まった。それを見届けるとパメラは再び腰掛け、割れたグラスにも人差し指を向ける。同じように指を振ると、真っ二つに割れていたグラスが元通りにくっついた。氷はそのままカウンターの上で溶け始めていた。

「パメラったら、もうすこし柔らかい言い方はできないの?」

「いいの。仮装大会で頭のなかお花畑の連中に優しい言葉なんて要らないのよ」

「さっきの2人、きっともう来ないわよ」

「あんなお客なら来なくて結構ね」

「それとね、パメラ。魔法でどうにでもできるからって物を壊すクセ直しなさいね。それに、人間の前で簡単に魔法を使っちゃダメよ」

「たった数分、アタシより先に生まれたからって説教は御免よ」

 主たちの言い争いを不安そうに見つめるヘビのウーイルと、我関せずと毛づくろいなどをしているグィー。そこへ、コンコンと扉をノックする音が聞こえてきた。

「また頭の悪い客?」

 パメラがあからさまに嫌そうな顔をしたのを見たディアは、足早に扉まで向かった。

「仮装してる人はお断りすればいいのね?」

 ディアはパメラに訊くと、妹魔女は、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。すると再び扉を叩く音がした。

「どなた?」

 ディアが扉を開けると、毛羽立った箒を片手に、さながら絵本に描かれているような魔女の格好をした少女が立っていた。黒いとんがり帽子を目深に被り、俯いている。少女の傍らには燕尾服を来た背の高い青年が寄り添っている。色の白い目の大きい男前だ。

「ごめんなさい、仮装してる方は今日はちょっと‥‥」

「なによ、今日くらい好きな格好したっていいでしょ」

 少女が顔をあげた。頬がほんのりと桃色をしたまつ毛の長い娘だった。

「あら、貴女」

 言いかけたディアの肩越しにパメラが顔を出した。

「シャルじゃないの。‥‥なあに、このイケメンは」

 シャルーーシャルロットは照れを隠すように帽子のつばを摘んだ。

「あたしの使い魔よ」

「へえ。良い男じゃない」

「ところで、仮装してる客は門前払いしてるの?」

「そうね。でも貴女は本物の魔女だから例外よ。さ、いらっしゃい」

 パメラは小柄な魔女とその従者を招き入れた。

*****

「まったく困っちゃうわよ」

「現代の人間はハロウィンを履き違えてる!」

 パメラとシャルロットはカウンター席で赤ワインを煽っている。燕尾服の男は立ったままシャルロットの傍を離れない。それを見たディアは2つ持ったワイングラスの1つを男に差し出した。

「ねえ、貴方も掛けたらどう?」

「ダメよ、ディア」

 シャルロットが桃色の頬を赤く染めて言った。

「ハインリヒは私の言うことしか聞かないの」

「あら。じゃあ座るように言ったら?」

「うーん」

 シャルロットは従者を見あげる。ハインリヒも目を合わせる。

「お構いなく、シャルロット様」

「ですって」

 シャルロットは再び飲み始めた。

「あらアンタ良い声ね」

 今度はパメラがハインリヒに声をかけた。

「ふふ、そうでしょう?」

 得意げなシャルロットは口笛をひとつ鳴らした。ぶわっ、と煙があがったかと思うと瞬く間にハインリヒの姿が消えてしまった。双子が驚いていると、シャルロットの腕にぬらぬらと光る人の頭ほどある大きなカエルが抱かれているのに気がついた。

「まさか、ハインリヒって」

 双子が声を揃えると、シャルロットはカエルを愛おしそうに撫でながら言う。

「そうよ、この可愛いカエルが私の使い魔のハインリヒよ」

 ふうん、とパメラは口直しするようにワインを飲む。ディアはというと、物珍しそうにカエルを眺めている。

「可愛いわねぇカエルも」

「そうでしょ? ディアのウーイルも白くて素敵よ」

 この会話を聞いていたパメラはふん、と鼻を鳴らして笑った。

「似た者同士ね。趣味悪いわよアンタら2人」

「趣味悪いと言えば、あたしと入れ違いになった頭の悪そうなカップルがいたわね」

 頭に斧が刺さったーーように見えるカチューシャを着けた2人の男女のことだ。

「ああ、アタシが仮装はお断りって追い返した連中ね。ハロウィンだからって浮かれてる可哀想な人間よ」

「そうよね、現代の人間は本当のハロウィンを知らないんだわ。哀れね」

 パメラとシャルロットは2本目のワインを空けようとしていた。

「この国の仮装なんて文化、いつからなのよ」

「私たちの年齢からしたら大したことないわ。悪霊たちから身を守るための装いだと、どれほどの人間が知っているかしら」

「本来は、秋の収穫を祝い、先祖の霊を迎え、さまよえる悪霊を追い払うお祭りなのよ、それがいまやアニメのキャラクターだのちゃちな着ぐるみだの風情がないわ」

「あんなものをハロウィンの仮装だと思ってるなんて、悪霊にさらわれても文句ないわね」

 2人の魔女は堰を切ったように文句を言い合う。ディアはそれを聞いているのかいないのか、自らもワインを飲みながらヘビのウーイルを細い指先で撫でている。

「それにあの阿呆面のカボチャはなに? ジャック・オ・ランタンのつもりなら反吐が出るわ」

「ジャックも悪霊を払うためのものなのに、ただ人間がかぼちゃを食べたいだけのお飾りになってるのよ」

 2人の悪態に、ディアがふふっと笑った。

「なによ、可笑しい?」

「可笑しいわ。だってジャック・オ・ランタンは飾りだもの。お飾りなら意味は合ってるじゃないの」

「それは、そうだけど‥‥」

 パメラが言い淀んだとき、出入口の扉の隙間からぼんやりと青白く光を放つものが、すうっと入ってきた。ぱたぱたと羽ばたいてドアノブにちょんととまった。

 3人はすぐにハッとなり扉を凝視する。カチャリとドアノブが勝手にまわり、外気を巻き込みゆっくりと開かれる。

 そこには誰もいないーー否、足元に黒猫が1匹いた。黄色い眼を光らせて魔女たちを見ている。

「あの黒猫、アダム‥‥よね?」

 パメラが言う。

「そうね、アダムだわ。ということは」

 ディアが続く。

「お邪魔するよ」

 アダムと呼ばれた黒猫が喋った。低いが、男とも女ともつかない不思議な声だった。にゃあ、と鳴いたように口を開いただけだったが、確実に人の言葉を発していた。

 黒猫はゆったりとした動作で入店する。続いて、シャルロットよりもすこし幼い少女が入ってきた。気がつけば、少女の肩にさきほどの蝶がとまっている。薄い紫色のワンピースに身を包んだ彼女は、パメラたちの顔をひとりずつ見つめながらカウンターまで歩みを進めた。バタンと音をたてて扉が閉まる。

 黒猫アダムは少女の胸めがけて飛びあがり、少女もそれを受け止めた。すると見るまに黒猫はぐったりとしたぬいぐるみに姿を変えた。

「‥‥アリス」

 パメラが少女の名を呼んだ。アリスは幼い脚でカウンターの椅子によじ登り、改めて魔女たちを見た。そしてシャルロットが抱いているカエルを見、幼い手でぬらりと光る緑色の額を撫でた。

「良い趣味ね、シャルロット」

「あ、ありがとう。アリスーー」

「それで、貴女たちなんの話をしていたの?」

「昨今のハロウィンについて憂いていたところよ」

 パメラが答える。

「ディア、私にもなにか飲ませてくれる?」

 アリスはパメラの返事に、そう、と頷いてディアに話しかけた。ディアはにっこりとして静かにグラスとシャンパンを用意した。アリスはシャンパンを1杯一気に飲み干すと、再びパメラとシャルロットに向き直る。

「ハロウィンについては私も思うところあるわね」

「そうでしょ?」

「着飾って騒ぎたいだけに見えるのも事実。そして暴れてゴミを散らかしたままでいるのも事実。嘆かわしい」

「アリスの言う通りね!」

「人様に迷惑をかけてるのが問題なのよ。誰にも迷惑をかけずに、なおかつハロウィンの起源についてすこしでも認識してもらえたら仮装しようがカボチャを食べようが好きにしたらいいと思っているのよ、私は」

「どうにかならないのかしら、アリス」

「そうね‥‥」

 アリスはグラスを見つめながらすこし考え、パチン、と指を鳴らした。

「私たちも街に出てみましょう! 目に余る行いをしている人間を見つけたら、魔法でいたずらしてみるのよ。だって今日はハロウィンですもの、お菓子をくれなきゃいたずらしていい日なのよ」

「それは良い考えね」

「ここで嘆いていたって、なにも変わらないものね」

「そうね、みんなで出かけてみないと!」

 口々に賛同し、魔女たちは立ちあがる。

 アリスが鳴らした指ーー手には綺麗に毛先が整った箒が握られていた。

「ディア、このお酒は帰ってきてからまたいただくわね」

「判ったわ」

 ディアは頷くと、パン、と手をちいさく叩いた。見るまにワインやシャンパンのボトル、グラスたちが消えた。代わりにディアの手には真っ白い箒が現れた。

 パメラは指先を振り、シャルロットは口笛を吹く。魔女たちは、どこからともなく現れた各々の箒を手にする。

 カラスを肩に、ヘビを首に、カエルを胸に、猫を腕に抱え、魔女たちは箒にまたがる。

「それでは皆さん、行きますわ」

 アリスが声をかけると、魔女たちの姿はいっせいに消えた。魔法の余韻がかすかにその場に残り香のように漂っているだけだった。

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