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魔女たちのクールブリゼ *パメラ編*
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「それでね、聞いてよ。その男ったらね‥‥」
ワインをしこたま摂取したその若い女は、すっかりできあがっていた。
双子の魔女、ディアとパメラの経営するバー・ソルシエールにはその晩、不思議なことに恋に破れた女性たちで溢れかえっていた。
トウキョウの街は初夏を迎えたものの、夜になると風はまだ肌寒く、空に浮かぶ月から降ってくる明りが一層冷たさを感じさせる。
黒いドレスを纏ったパメラは、ゆったりとうねる自らの艶のある黒髪をネイルを施した指先に巻きつけ、酔っぱらった女性客をカウンター越しにじっと見ていた。
「馬鹿ね、アンタも。そんな男のなんて引きちぎっちゃいなさい」
「‥‥え、引きちぎる?」
パメラの発言に、女性の酔いも多少醒めたらしい。グラスに残った赤ワインを飲み干そうとしていたが、その手をとめてパメラを見て固まってしまった。
「当然よ、使い物にならなくしちゃいなさいよ」
女性客が唖然としていると、カウンターの奥から白いドレスを着たディアが現れた。
「怖いこと言わないの、パメラ。困ってるじゃないの」
ディアは言いながら女性の手からワイングラスを奪うように取りあげた。
「あなたすこし飲み過ぎ。愚かな男のためにあなたの臓器を痛めつける必要はないわ。お冷を飲んだら帰りなさいね」
ディアの登場ですこしは穏やかな表情になった女性だったが、再びその顔は引きつってしまった。
さらに夜が更け、閉店したソルシエールでディアとパメラの姉妹はいつもの晩のようにカウンターで飲んでいた。
「なんだか今日は失恋した女たちが多かったわね」
パメラ――黒い妹魔女は黒く塗られたネイルを一本一本眺めながら、頬杖をついて目をトロンとさせて言った。運ばれてきたばかりのグラスをひとくちも飲まずにこぼしてしまった女性客や、たったいま男に別れを告げられてただ呆然と座る女性、店内にいる男性客に片っ端から声をかけて玉砕する酔っぱらった女性客――さっきまでいた哀れな人間の姿を思い出しているのだった。
「人間の女の子って大変ね。短い生涯のなかで想ったり想われたりするんだもの」
白い姉の魔女の肩にわずかにかかる髪の毛なかから白い蛇がするすると出てきて、主の左腕にくるくると巻きついた。
ディアはその蛇――ウーイルを細い指先で優しく撫でた。それを見ていたパメラは柱にかかっている大きな時計を見あげ、カラスの飾りに向かって声をかけた。
「降りていらっしゃい、グィー」
それまで彫刻のように硬く冷たく翼を大きく広げていたカラスの飾りは、青い瞳に光を宿し、なめらかな動きでパメラの肩まで滑空してきた。
「グィーはあなたの声がかからないと動かないなんて、忠実な使い魔ね。ふふ、主に似てないわね」
ウーイルがちろちろと出す舌にくすぐったそうな声を出してディアが言った。
「‥‥そうね。この子にはアタシしか居ないから」
「―――」
パメラの髪や爪と同じくらい黒く艶のある翼のグィーは、撫でてほしそうに嘴を主人の指を甘噛みする。
「言っておくけどね、私にもあなたとウーイルしか居ないんだから」
パメラは反射的に姉の顔を見た。ディアは一瞬だけ妹を見たが、すぐに白蛇を愛撫することに集中したようだった。
「もう何年前かしら、この子に出逢ったのは」
パメラは使い魔の望み通りに嘴を人差し指で優しく撫でてやった。
「それを言うなら何十年前‥‥何百年前、でしょう」
「そうだったわね――」
パメラがグィーを使い魔としたのは、人間の時間ではおよそ計り切れないほど昔のことだった。
*****
その村の魔女は、120歳――人間の年齢で言う12歳になると、6年‥‥人間の時間で60年ものあいだ旅に出て魔術の腕を磨き、使い魔を得て独り立ちするという決まりがあった。
村と言っても魔女のみが暮らす村ではなく、普通の人間も暮らしている村で、魔女と知られないように生活していた。人間も魔族も畑を耕し衣服を繕い、町へ出て売り歩く。それを生業にしている村である。そんな木々や水辺が豊かに広がるちいさな村に、ディアとパメラは生まれたのだった。彼女たちの母も、魔法を使いながら衣服を仕立てる仕事をしていた。
人間に魔女だと知られないように紛れて生きるのも、魔術の一部であると言われ、魔女たちは自らの魔法を極めながらも人間たちに馴染まなければならなかった。
ディアとパメラの双子は120歳になり、先に120歳を迎えた魔女たちの旅立ちを見送りながら、アッシュの髪を持つ母から「お前たちも、もうすぐ旅に出るのですよ」と教えられた。
120歳と言っても、見た目や思考は人間の12歳と変わらず、村の人間の子どもたちとも仲良くやっていた。
なかでも、クリスという少年とは幼馴染で、彼の祖父母が生まれたときから知っていた。
クリスは透き通るような金髪と、澄んだ青い眼をしていた。クリスは不思議な双子のことが大好きだったし、双子もクリスのことを可愛がっていた。だがこの頃はまだ、人間の歳の取り方を判ってはいなかった。クリスの家は裕福とは程遠かったが、父と子のふたりで慎ましく暮らしていた。艶のある黒髪に漆黒のワンピースを着たパメラと、光を反射するブロンドに眩しさを放つ白いワンピースを着たディアの双子は、綺麗だ妖精のようだと村人に持て囃されたが、同じく見目麗しいクリスと三人が揃うとそれはもう絵に描いたようだと言われた。
とりわけパメラがクリスを気に入っていて、一緒に川へ入って水遊びしたり、木に登って遊んでいた。ほんのすこしだけ水中で息が出来る時間を長くしたり、木から落ちそうになると衝撃が軽くなるようにわずかに魔法を使っていた。クリスも、パメラと泥だらけになるほど遊んでも怪我をしないということに無意識に気がついており、好んでパメラと一緒にいる時間が増えたのだった。そんなふたりをディアは遠くから穏やかに見守っており、三人の関係は良好と言えた。
三人がいつも集まるのは、廃れた古い小屋だった。いまは誰も使っておらず、以前は年老いた魔女が住んでいた。双子の母の、さらにその親たちよりも古い魔女だという。屋根や床はあちらこちら穴が開いているが、不思議と雨漏りはしないし虫や害獣が住み着いているわけでもなかった。これは双子の魔力ではなく、住んでいた魔女の力が強く、いまだに効力があるからでは、と双子の母は言っていた。あまりの荒れぶりに誰も近寄ろうとはせず、子どもたちの秘密基地としては最高の条件だった。
「パメラと一緒に居ると嫌なことを忘れられるんだ。大変なこともあるけど、ディアやパメラと一緒だと僕は楽しい」
クリスはパメラの艶のある黒髪を見て言った。登り慣れた木の二股になった枝にふたり並んで腰かけている。ディアは大きな根元に座って本を読んでいる。
「ふふ、そりゃそうよ、アタシですもの。アタシと一緒に居れば怖いものなんてないのよ」
「心強いや、パメラ」
そのとき、強く風が吹いた。ごう、と枝が大きく揺れ葉がざわざわと騒いだ。驚いたクリスはバランスを崩して落ちそうになったが、パメラが咄嗟にクリスの細い腕を掴み、引き寄せた。
「危ないわね、ホントに。アタシが傍に居ないとダメね‥‥」
クリスの青い眼が黒い魔女を見つめる。
「ずっと傍に居てくれる?」
「そうね‥‥当たり前じゃない」
パメラは、自分たちが一人前になるための旅に出なければならないことを判ってはいたが、嘘をついた。それでも、旅から戻ればずっと傍に居るつもりなのは本心だった。
「ねえ、大丈夫?」
下からディアがこちらを心配そうに見あげていた。突風でボサボサになった髪を手櫛で整えながらディアは続けた。
「雨が降りそうだから帰りましょう。これからしばらく降り続くわね、これ」
「ディアの天気予報はよく当たるんだよな」
言いながらクリスは木を降りてディアの隣に立った。すぐさま、まだ木の上にいるディアを見あげて、手を差し出した。
「降りておいで、パメラ」
「馬鹿ね。これくらいならひとりでも降りられるわよ」
照れながらパメラはクリス目がけて飛び降りた。
三人の関係性が崩れたのは、ディアが予報した雨が降り続く重たく薄暗い日だった。
いつものように遊びに出ようとしたパメラは、ディアの傘が無いことに気がついた。普段ならふたり一緒に出かけるのに、このときは先に家を出てしまっていたのだ。大人しく物判りの良いディアに、母がおつかいを頼んだのだろうと思ったパメラは、慣れた足取りで廃れた小屋へ向かう。
小屋に到着すると、戸口にディアの傘と、穴の開いたボロボロの見慣れた傘が立てかけてあった。――ふたりはすでに小屋に居るらしい。パメラも傘を閉じると、スカートについた雨粒を払った。小屋のなかから話し声が聴こえた。普通の会話というより、誰かに聴かれてはまずそうな、内緒話のように聴こえた。パメラは手を止め、ふたりがなにを話しているのか聴き耳をたてた。かすかに扉を開け、隙間からようすを窺った。
「――僕は判ってしまったんだ」
クリスの声がする。
「あら、なにを?」
ディアの声もする。
「僕の家は貧乏だけど、君たちと一緒に居ると不思議とお腹も心も満たされて、ひもじくないんだ」
「ふふ、お腹が満たされるのは私たちがクッキーを焼いて持ってきたりするからだし、パメラとたくさん駆けまわってるから心が満たされるのよ」
ふたりだけでアタシの話をしている、とパメラは心臓が大きく鳴るのを感じた。
「そうか、パメラ‥‥あの子、やっぱり変なんだよ。変っていうか、不思議というか‥‥一緒に居るとなんか、心のこのあたりがざわざわするんだ。それに、ディアだっていつも天気を言い当てるだろう?」
クリスは言いながら、自らの心臓あたりを弱々しくさすった。
「ざわざわ?」
それを見たディアは、自分について言われたことをあからさまに無視し、クリスのちいさな手の上に自分の手を重ね、同じように彼の胸をさすってみた。
「!」
心配そうに覗き込むディアを押し退けるようにクリスの肩がびくんと跳ねた。
「変ねえ、どこも悪そうじゃないけれど‥‥」
ディアのゆったりとしたブロンドが揺れ、再びクリスの顔を覗き込んだ。
「うん、痛いとかじゃなくて‥‥パメラを見てると、声をるとさ聴いて‥‥なんか」
「あらまあ、それはね、クリス‥‥」
ディアはいたずらっぽく笑い、クリスに耳打ちをした。なにを言われたのか、クリスは真っ赤になって顔を覆ってしまった。ディアは一層にっこりしてクリスの頭を優しく撫でた。その光景が、パメラには受け入れられなかった。ふたりが自分の居ないところでなにやら急接近している。自分の話をして笑っている。クリスはいつも自分と一緒に遊んでいるくせに、知らないところではこうしてふたりだけで笑いあっているのだ、居ないアタシの話をしながら‥‥。言葉も出ないまま隙間をぼんやりと見ていると、ふとディアと目があった、気がした。
普段のパメラなら、聴いていないふりをしてふたりの前へ飛び出してゆくのだろうが、このときばかりはそんな気分になれず、閉じたばかりの傘を開きもせず、頭上から降ってくる重たい雨を身体に受けながら自宅へ走った。
そんなずぶ濡れで、と母に怒られたので毛布にくるまり暖炉の前で呆然と座り込んだ。濡れた服を乾かす魔法を使ったらいいのに、という母のお小言を聞き流し、ゆらゆらと揺れる炎をぼんやりと眺める。ほどなくしてディアが帰ってきた。常にふたり一緒に出かけてふたり一緒に帰ってくるのがあたりまえだった双子が、今日はばらばらに行動していたので、母は訝しんだ。台所で食器を洗っていたが、桶に水を目一杯張って、長い指先で水面になにやら書いた。
ディアは背伸びをして母の肩越しにそれを覗いたが、なにを書いているかまでは判らないようだった。
「いつまでものんびりしていられないわね」
ぽつりと呟いた双子の母は、娘たちに声をかけた。
「あなたたち、明日すぐに村を発ちなさい」
「え?」
パメラもディアも同時に声を出す。
「120歳にはなったわけだし、早く一人前にならなきゃダメです」
「急にどうしたの?」
ディアは母がいじっていた水桶を見た。不可思議な文字が水面に浮いて揺れていた。
「なんて書いてあるの?」
「読めるようになりたかったら、すぐに旅に出て修行することね」
言いながら母は桶の水をすべてこぼしてしまった。
「パメラ、判ったかい?」
まだしっとりとする娘の黒い肩に手を乗せる。
「――判ったわ。ここに居たってなんにもならないものね」
パメラは毛布を脱ぎ捨てて自室へ行ってしまった。
翌朝、陽が昇り切る前に村に居る魔女たちを招集し、双子の旅立ちをひっそりとお祝いした。村の人間の誰にも会うことは許されず、誰にも知られずに村を出ていかなければならなかった。ディアもパメラもクリスにひと目会いたいと思ったが、パメラとしては昨日の今日で気まずく、ディアも掟に従い会うことを断念した。
村を出て森を過ぎるまで、ふたりはずっと無言だった。仲の良い双子の、はじめての喧嘩と言ってもよかった。最初の町の入口まで来たとき、ようやくパメラが口を開いた。
「愛しのクリスにお別れを言えなくて残念だったわね、ディア」
「‥‥それはあなたもでしょう、パメラ。私よりもあなたのほうがクリスのことを好きだったんでしょう」
「バカ言わないで。アタシ知ってるんだから。アンタだってアタシのこと見たじゃない」
「――なにも判ってないのね、パメラ。哀れな子。それでも私の愛する妹よ」
「ふざけたこと言わないで」
「私からはなにも言えないわ。クリスがどう思ってるかなんて」
「そうでしょうね。アタシに内緒でふたり仲良くしてることなんて、アタシに話す必要ないものね」
「パメラったら‥‥。まあいいわ。私はこのふたつ先の山を越えた町に行くから、パメラはこの町にしなさい」
ディアはスカートの裾をひらりと払うと、どこからともなく真っ白い箒を取り出してまたがろうとした。パメラはその手を止め、箒を奪い取った。
「アタシがふたつ先の町にする。アンタがここにしなさいよ。クリスが会いに来てくれるかもしれないしね」
「私の箒どうするの」
ディアが訊くと、パメラも同じように自らのスカートの裾を払い、真っ黒い箒を取り出した。そしてそれを姉に突き出した。
「交換しましょ。互いに形見のつもりで」
「あなたねえ‥‥」
ふう、と溜息をついて、ディアは妹の手から真っ黒い箒を受け取った。
「使い魔を得るまで故郷に戻らないのがあの村の魔女の掟よ、ディア。いいわね」
「‥‥ええ」
ディアはまだなにか言いたそうだったが、ひとつ息を吸って頷いた。
双子が村から居なくなったことは、人間たちには気づかれていなかった。双子の母が最初から居なかったかのように魔法をかけたからだった。もちろんクリスもその魔法にかかり、生まれたときから一緒だったふたりのことはすっかり記憶から消えてしまったが、心にぽっかり穴が開いたような感覚になってしまった。しかしクリスにはこの魔法が完全に効いていなかったと、のちになってクリス自身が気がつくのだった。
60年はあっという間に過ぎた。180歳――人間の18歳――になったパメラはクリスのことは気にしないようにしようと一心に修行に励んだ。なんなら、村へ戻ったら一発くらいは頬を殴ってやる、くらいの気持ちだった。それでも、ディアよりも先に村へ戻ってクリスに会いたいという気持ちも本物だった。その邪念を払うために、パメラは自分の魔術力を高めるためにつとめた。村の診療所で働くことにしたパメラは、気づかれないように魔法で傷の治癒を試み、ディアが得意だった天気を読む能力を培うために山に籠ったりひたすら空を眺めた。人に見られないところで箒にまたがり飛行訓練をした。身体つきはすっかり大人になったし、背もすらりと伸びて自分でも美しくなったとは思った。だが、パメラはまだ使い魔を得ていなかった。これでは一人前とは言えないが、あるとき、すっかり垢抜けたディアが訪ねてきた。何年も離れていたのに、成長した姿はパメラと瓜二つだった。
「久しぶり、パメラ」
ディアはロープのように細い白蛇を自分の華奢な腕に絡ませていた。
「それがアンタの使い魔?」
「そうよ。蛇のウーイルよ」
「へえ、いいじゃない。でもディア、普通の人は蛇を腕に巻きつけたまま歩いたりしないから、首にでも巻いてそのブロンドで隠すのね」
「そう」
ディアは素直に頷いて、白蛇の額をくすぐった。蛇――ウーイルもちいさく頷いてするするとディアの首元に這って行ってくるりと巻きついた。見る間にもぞもぞとゆったりとカールするブロンドのなかに潜り込んだ。
「いいこと聞いたわ。ありがとうパメラ」
「そうでしょう」
「ねえパメラ。この村は安全だった?」
「安全‥‥? どういうことよ」
「私は何度か裁判にかけられたの」
恐ろしいことを60年前と変わらない穏やかな姉の表情で言った。パメラは驚いて目を見開いた。
「裁判って‥‥魔女裁判があなたの居た村で? 正体が知られてしまったの?」
「知られたら私はいまここには居ないでしょ」
ふっくらとした桃色の唇が笑った。その笑みにパメラはゾッとした。60年前、無理矢理に箒を交換していま居るこの村を選んでいなかったら、自分が裁判にかけられていたかもしれない。
「――そう、ね。アタシは平気だったわ。裁判だとか、疑われたりだとかなかったもの」
「ならよかった。あんな思い、パメラにしてほしくないもの。でも最初は困惑したのよ、あなたが箒と一緒に修練する村まで取り替えちゃったんだもの」
「どういう意味よ」
「裁判のことを知ってて私にあの村を押しつけたのかと思ったのよ」
「まさか!」
姉が自分を疑っているのが信じられなく、思わず大きな声が出るパメラ。
「最初は、って言ったでしょ。あなたがそんな器用なことできる子だって思わないから、そんな疑いはすぐに晴れたの」
「それって喜んでいいのかしら」
「いいのよ。あなたが無事なら。苦しい目に遭っていないのならね」
ここでやっとディアの表情が曇った。それを見たパメラは、取り繕うように会話を続けた。
「それで、ディアは故郷の村へ戻るのね?」
「ええ。あなたも良い時期かと思って立ち寄ったの。どう? 使い魔は?」
ディアはきょろきょろと妹のまわりを見まわし、不思議そうに首を傾げた。
「アタシはまだなの。空模様を見ることも多少の怪我を治すこともできるようにはなったけど、まだ使い魔には出会えてないの」
「そう‥‥。別にこの村で見つけることもないかもしれないわよ。ゆっくり帰りながら出会いを待ちましょうよ」
「ディアひとりで帰ったらいいじゃない。アタシはまだここに残るわ」
「いつまでもこの村に居られると思う? いつ正体が知られてもおかしくないのよ。あなたってば気づいてないの? 私たちと人間とでは過ぎてゆく時間の速さが違うのよ」
「‥‥恥ずかしながら、この村で過ごすようになってからそれに気づいたわ」
パメラは、フン、と鼻を鳴らして言った。
「だったら‥‥」
「クリスがどうなってるかなんて、想像つくってもんよ。あのときのアタシは幼かったから、なんにも知らなかったんだわ」
「なら、なおさら帰りましょうよ。クリスだけじゃなくて、母さんにだって会いたいじゃない。確かめましょう、クリスがどうなったのか」
ディアは妹魔女の手を優しく握った。パメラはそれを一瞬振り払おうと力を入れたが、姉の言うことに賛同したのか、無言のまま反対の手で姉の手を握り返した。
「決まりね」
それからパメラは、お世話になった人々に別れの挨拶をし、惜しみながらも彼らの記憶から自分の存在を消した。人間の時間で60年も見た目の変わらない女がいたなんてことを覚えていられたら、魔女という立場が危うくなってしまうからだった。
「虚しいものね」
住み慣れた村を離れ、大きな森の上空を箒にまたがって飛びながらパメラが言った。
「記憶を消すこと?」
「そう。アタシたちが生まれ育った村から出るときは母さんがあの魔法を使ったけれど、こんな虚しく寂しい気持ちになるなんて想像もしなかったわ」
「でもあなたは律儀よね。どうせ記憶を消してしまうのに、ちゃんと御礼を言ってまわるなんて」
「あの人たちが覚えているかどうかじゃなくて、アタシが御礼を言ったかどうかを覚えておきたいのよ」
「ふうん。立派になったわね」
手が届く距離なら、ディアはきっとパメラの頭を撫でていたのだろうが、わずかにパメラの箒に近寄っただけだった。
「故郷に着いたらその箒返してよね」
「アタシの箒も返してよ。持ち主に似て融通がきかないところがあって飛びにくいったらないわ」
「ふふ。その言葉そっくりそのままお返しするわね」
しばらく飛ぶと、懐かしい風とともに懐かしい景色が眼下に現れた。双子の魔女が生まれ育った村に到着したのだ。ふたりはしばらく上空を旋回して村を眺めていたが、建っている家々は新しくなったり古く朽ちていたりしたが、雰囲気は村を出た60年前と変わらないようすだった。ふたりは生まれた家を見つけ、子どものころに遊んだ大きな木を見つけ、クリスと三人で集まった古い小屋を見つけた。住んでいた魔女の魔力が弱まってきているのか小屋は前よりもボロボロになっていたが、綺麗に手入れされているようだった。
なにも言わずにふたりはそのまま小屋の前に降り立ち、しばらく黙って小屋をじっと見つめていた。ぽつり、と雨粒が箒の柄に落ちてきた。そのまま言葉を発さずふたりは慣れた手つきで小屋の扉を開け、なかに入った。すると驚いたことに、60年前と変わらない姿の少年――クリスがあちこち破れたソファで眠っていた。透き通る金髪が、いまにも消えそうなランタンの灯りに揺れて光っている。
「クリス‥‥待っててくれたの?」
パメラが訊いた。ありえない、60年も経っているのに、あの少年のままの姿でいるなんておかしい。クリスも魔族なのか、と言葉が出そうになったとき、眠っている少年が目を覚ました。
「‥‥ディアとパメラ?」
少年はかすれた声を出した。よく見ると顔は青白くやや窶れている。金髪は光ってはいるものの近くで見るとくすんでいるようだった。手足もやけに細く、まともに食べているのか不安になるほどだ。
「本当に、クリスなの?」
双子の声が揃う。少年は、大きく伸びをしてソファに座りなおした。
「ごめんね、僕は父さんじゃないんだ」
「父さん‥‥?」
少年は、うん、と頷いて続けた。そこでふたりはハッとなった。少年に見えていた彼は、人間の歳では20歳をすこし過ぎたくらいの大人の男性だった。クリスを想うあまりにふたりは、この青年に幻を見ていたのだった。
「僕はオリバー。クリスは父さんの名前なんだ。父さんは僕に、ふたりの親友がいつ帰ってきてもいいようにこの小屋を守るように言ったんだ。でも変だよね。父さんの親友なら父さんと同じくらいの歳のはずなのに、一目見たら判るって言うんだ。でも父さんの言う通りだった。ひとりは黒い髪が綺麗だし、ひとりはブロンドが綺麗だし、なによりも同じ顔をしてる双子だって」
オリバーはちょっと咳き込んでさらに続けた。
「でも父さんは、その双子のことは大人たちには話しちゃダメだって言うんだ。不思議だよね。この小屋を守りたいならいろんな人に助けてもらえばいいのにさ。こんなボロボロな小屋を僕にお願いするなんて」
パメラはオリバーの隣に腰かけた。ディアも同じように、青年の反対側に座り、訊いた。
「あなたのお父さんは、誰かと結婚したのね」
「うん。でも母さんは僕を産んですぐに流行り病で死んでしまったんだ。もともと身体が弱かったらしい」
「それで、クーーお父さんは?」
「父さんももう死んでしまった。もう5年くらい前かな。ずーっと病気だったけど、ここを僕と一緒に守ってたんだ。古いから取り壊そうって言う人たちからね」
それを聞いたパメラはひゅっと息を飲んだ。険しい顔をして床の木目を見つめている。
「父さんはずっとあなたたちのことを言っていたよ。不思議な女の子たちだったって。一度はすっかり忘れてしまったけど、ここに来たら思い出せるんだって」
オリバーはふっとパメラを見つめた。反射的にパメラも青年を見つめ返した。クリスが大人になったらきっとこんな風に育ったのだろう、と思えるほどクリスの面影がオリバーにはある。
「とくにね、黒い‥‥あなたのことを心配してたんだ。言いたいことがあったのにって」
「アタシに‥‥?」
「ホントはね、結婚もしないであなたのことを待っていたんだ。でも、ずっと一緒に居ることはできないのは判ってて、だからこの小屋だけは守らなきゃ、って。すぐそこに建ってる大きな木も、嵐が来たときに倒れそうになって、伐ろうってことになったんだけど、父さんが大人たちに頼んで残してもらったんだ。あなたとの思い出だからって」
パメラの黒い瞳からひとすじ涙が流れた。
「自分がもう長く生きられないことを判ってて、小屋と木を守るために僕を産んだんだって。母さんにもこのことは内緒だったのも、お葬式の日に謝ったって言っていた」
「――なんて身勝手な男なのかしら。馬鹿ね」
パメラはこぼれ落ちてくる涙を拭おうともせず、オリバーの肩をぐっと抱き寄せてくすんだ金髪を優しく撫でた。オリバーは頬を赤らめて身体を硬くしたが、すぐにパメラに身を預けるように力を抜いた。
「勘違いしてたのよ、パメラ。クリスは最初からあなたのことを想ってたのよ。あなたが好きだったの」
「じゃあ、あのとき‥‥?」
あの雨の日。この小屋でディアとクリスが仲睦まじく耳打ちをしていたのは、クリスがパメラへの想いを相談していたのだった。
「このアタシが勘違い‥‥? 馬鹿なのはアタシもだったの」
「だから言ったでしょう」
「素直に教えてくれたよかったのに、ディア」
「私の口から聞いても意味ないでしょう」
それもそうね、とパメラは深く頷いた。
「アタシたちとの思い出のために誰かと結婚して子どもまで残すなんて、そんな愚かな男だとは思ってもみなかったわ」
「僕の父さんはそんなに悪い人?」
「いいえ。とっても良い人だったわ。ただ優しすぎたのね。アタシがクリスの病を知っていたら、治してあげられたのかしら」
「お姉さん、病気が治せるの?」
そう言った瞬間、オリバーが血を吐いた。木目の浮いた床に鮮血が飛び散る。激しく咳き込むオリバーはやせ細った身体を縮め、苦しそうに床に倒れこんだ。
「どうしたの!」
双子がすぐさま抱き起し、ボロボロのソファに痩せた身体を寝かせた。あまりの軽さにふたりは驚いたが、ディアは手を握って治癒魔法を始めた。パメラは青年の額に手を当て、同じく魔法で治療を始めた。
「すごいや、お姉さんたち。でもね、僕も父さんや母さんみたいに病気なんだ。‥‥一回なっちゃうと、ずっとこうなんだ。‥‥でも父さんやお姉さんたちのためにここを掃除したり綺麗に守ってきたんだ。‥‥お姉さんたちがこうして来てくれたから、役目は終わりだって父さんたちが迎えにきたのかも」
「息子を迎えに来るなら、アタシにいちばんに会いに来なさいよ。なに馬鹿なことしてんのよ、って一発くらい頬を殴らせなさいよ」
「はは、お姉さんの一発はかなり痛そうだね‥‥」
ふたりの治癒魔法のおかげかオリバーの容態は落ち着いたようだったが、小屋のなかを見まわすと、血を拭いたあとがあちこちにあった。この青年も長いこと病に苦しんできたことが判る。
「ねえ、パメラ‥‥」
ディアがオリバーの聞こえないところまでパメラを引っ張ってゆき、さらに声を潜めたが、泣きそうになりながらやっと声を出している。
「あの子、もう」
「判ってるわよ。全身に病がまわってしまってることくらいアタシにだって判るわ」
そう言ってパメラはオリバーのもとへ戻る。その背中を見つめ、ディアはポツリと呟いた。
「また私は救えないのね....」
姉の声にわずかに振り向いたパメラだったが、オリバーに向きなおり再び額に手を当てた。
「オリバー。クリスのお墓参りがしたいから、あとで案内してちょうだいね」
「うん‥‥父さんも会いたがってるよ、ふたりに。とくにパメラ、あなたにね」
クリスと同じ青く澄んだ瞳でパメラを見あげる。そのまま視線をずらし、涙をこらえて立っているディアを見やる。
「ディア、あなたもこっちに来て‥‥僕が眠るまで傍に居てほしいんだ‥‥僕が目覚めたら、一緒に父さんのお墓に行こう‥‥」
ディアが幾度も頷いてオリバーに身体をくっつけるように座った。双子が寄り添ってくれていることを確認したオリバーは、大きく深呼吸をして静かに目蓋を閉じ穏やかに寝息を立てはじめた。そして、そのまま目覚めることはなかった。強くなった雨が、古いガラスに打ちつける音にまじって、ふたりの女のすすり泣く声だけが響いていた。
雨がやむまでふたりはオリバーの傍を離れなかった。空が明るくなり太陽の光が差し込んできたのでふたりは外に出てみた。クリスが眠る墓地はすぐに見つかった。三人が遊んでいた、そして最期までクリスとオリバーが守ってくれていた大きなあの木の根元に、簡素な墓石がたてられていた。クリスの名の隣には、さらに昔に彫られた女性の名前が刻まれていた。おそらくクリスの妻のものだろう。ディアとパメラはそこにオリバーの亡骸を埋葬することにした。木と墓に守りの魔法をかけようとすると、頭上からカアカアとカラスの鳴き声が降ってきた。大きなカラスだった。ディアははたと見あげ、
「あら。降りていらっしゃいよ」
とそのカラスに声をかけた。
「決めたわ、ディア。アタシあの子を使い魔にするわ」
「え?」
ディアも頭上を見あげ、カラスを見た。
「いいじゃない。真っ黒であなたらしいわね」
「そうでしょ」
それを聞いて人の言葉を理解したのかいないのか、カラスはふわーっとクリスたちの墓石の上に舞い降りてきた。黒い羽をばさばさと揺らし、同じく黒い瞳で双子の魔女を見ている。パメラは横たえたオリバーの痩せた胸に手を当て、口のなかでひとつふたつ呪文を唱えた。すると胸元から青く丸い光がふわりと浮かびあがり、パメラの手のひらの上を漂っている。パメラはその光を大切そうに両の手のひらに包み、そのままカラスの目の前に持ってきた。
「いくわ」
そして両の手を大きくひとつパン、と叩いた。光が飛び散ったように見えたが、するするとカラスの瞳に吸収され、それまで漆黒だったカラスの瞳は深い青色になった。陽の光に当たると透き通った青に見える。
「あなたの名前はグィーよ。アイルランドのゲール語で風という意味よ」
グィーと名づけられたカラスは嬉しそうに大きな翼を揺らし、パメラの肩にとまった。
それからふたりは、オリバーを丁重に弔い、クリスたちが守ってくれていた木と小屋に改めて守りの魔法を施した。
「アタシはもうこの村には居られないわね。母さんに挨拶したら、すぐにここを発つわ。海を越えた向こうの国に面白いところがあるって聞いたから、そこへ行くつもり」
パメラは肩に乗せたグィーを撫でながら言った。それを聞いたディアも、マフラーのように首まわりをするすると這う自身の使い魔である白蛇をくすぐりながら言う。
「じゃあ私も一緒に行くわ。双子ですもの。ふたりでひとりよ。私もそこへ行ってみたいしね。ほかの魔女にも会ってみたいもの」
ふたりは箒にまたがり、まだ見ぬ新たな土地を想い飛び立ったのだった。
*****
「ねえ、パメラ。あなたたまにあの村に帰っているんでしょう」
ソルシエールのカウンター、ディアは白蛇のウーイルを撫でながら言った。
「知ってたの?」
「知ってたわよ。たまに帰ってはあの場所を見に行ってるんでしょう? 魔力が切れないように。言っておくけどね、私も一緒に守りの魔法をかけたんだから、あなたひとりじゃ力は半分なのよ」
「‥‥そう、なの?」
パメラはぎょっとしてディアを見た。
「だから、わたしもこっそり帰って守りを強くしてたのよ。知らなかったでしょ」
「え!?」
「言ったでしょう、私たちは双子だもの。ふたりでひとりなのよ」
「アタシね、母さんが追い出すようにアタシたちを旅に出させた意味がやっと判ったのよ」
「ええ」
「アタシたちはふたりでひとりよ。でもずっとふたり一緒にいても一人前にはなれない‥‥一度は必ず離れ離れにならないといけないことを知っていたのね」
「母さんがあの水桶に書いた文字、いまなら読めるわよね」
「母さんも意地悪よね」
「ふふ、そうね」
ディアがいたずらっぽく笑うと、蛇はくすぐったそうに舌を出した。
了
ワインをしこたま摂取したその若い女は、すっかりできあがっていた。
双子の魔女、ディアとパメラの経営するバー・ソルシエールにはその晩、不思議なことに恋に破れた女性たちで溢れかえっていた。
トウキョウの街は初夏を迎えたものの、夜になると風はまだ肌寒く、空に浮かぶ月から降ってくる明りが一層冷たさを感じさせる。
黒いドレスを纏ったパメラは、ゆったりとうねる自らの艶のある黒髪をネイルを施した指先に巻きつけ、酔っぱらった女性客をカウンター越しにじっと見ていた。
「馬鹿ね、アンタも。そんな男のなんて引きちぎっちゃいなさい」
「‥‥え、引きちぎる?」
パメラの発言に、女性の酔いも多少醒めたらしい。グラスに残った赤ワインを飲み干そうとしていたが、その手をとめてパメラを見て固まってしまった。
「当然よ、使い物にならなくしちゃいなさいよ」
女性客が唖然としていると、カウンターの奥から白いドレスを着たディアが現れた。
「怖いこと言わないの、パメラ。困ってるじゃないの」
ディアは言いながら女性の手からワイングラスを奪うように取りあげた。
「あなたすこし飲み過ぎ。愚かな男のためにあなたの臓器を痛めつける必要はないわ。お冷を飲んだら帰りなさいね」
ディアの登場ですこしは穏やかな表情になった女性だったが、再びその顔は引きつってしまった。
さらに夜が更け、閉店したソルシエールでディアとパメラの姉妹はいつもの晩のようにカウンターで飲んでいた。
「なんだか今日は失恋した女たちが多かったわね」
パメラ――黒い妹魔女は黒く塗られたネイルを一本一本眺めながら、頬杖をついて目をトロンとさせて言った。運ばれてきたばかりのグラスをひとくちも飲まずにこぼしてしまった女性客や、たったいま男に別れを告げられてただ呆然と座る女性、店内にいる男性客に片っ端から声をかけて玉砕する酔っぱらった女性客――さっきまでいた哀れな人間の姿を思い出しているのだった。
「人間の女の子って大変ね。短い生涯のなかで想ったり想われたりするんだもの」
白い姉の魔女の肩にわずかにかかる髪の毛なかから白い蛇がするすると出てきて、主の左腕にくるくると巻きついた。
ディアはその蛇――ウーイルを細い指先で優しく撫でた。それを見ていたパメラは柱にかかっている大きな時計を見あげ、カラスの飾りに向かって声をかけた。
「降りていらっしゃい、グィー」
それまで彫刻のように硬く冷たく翼を大きく広げていたカラスの飾りは、青い瞳に光を宿し、なめらかな動きでパメラの肩まで滑空してきた。
「グィーはあなたの声がかからないと動かないなんて、忠実な使い魔ね。ふふ、主に似てないわね」
ウーイルがちろちろと出す舌にくすぐったそうな声を出してディアが言った。
「‥‥そうね。この子にはアタシしか居ないから」
「―――」
パメラの髪や爪と同じくらい黒く艶のある翼のグィーは、撫でてほしそうに嘴を主人の指を甘噛みする。
「言っておくけどね、私にもあなたとウーイルしか居ないんだから」
パメラは反射的に姉の顔を見た。ディアは一瞬だけ妹を見たが、すぐに白蛇を愛撫することに集中したようだった。
「もう何年前かしら、この子に出逢ったのは」
パメラは使い魔の望み通りに嘴を人差し指で優しく撫でてやった。
「それを言うなら何十年前‥‥何百年前、でしょう」
「そうだったわね――」
パメラがグィーを使い魔としたのは、人間の時間ではおよそ計り切れないほど昔のことだった。
*****
その村の魔女は、120歳――人間の年齢で言う12歳になると、6年‥‥人間の時間で60年ものあいだ旅に出て魔術の腕を磨き、使い魔を得て独り立ちするという決まりがあった。
村と言っても魔女のみが暮らす村ではなく、普通の人間も暮らしている村で、魔女と知られないように生活していた。人間も魔族も畑を耕し衣服を繕い、町へ出て売り歩く。それを生業にしている村である。そんな木々や水辺が豊かに広がるちいさな村に、ディアとパメラは生まれたのだった。彼女たちの母も、魔法を使いながら衣服を仕立てる仕事をしていた。
人間に魔女だと知られないように紛れて生きるのも、魔術の一部であると言われ、魔女たちは自らの魔法を極めながらも人間たちに馴染まなければならなかった。
ディアとパメラの双子は120歳になり、先に120歳を迎えた魔女たちの旅立ちを見送りながら、アッシュの髪を持つ母から「お前たちも、もうすぐ旅に出るのですよ」と教えられた。
120歳と言っても、見た目や思考は人間の12歳と変わらず、村の人間の子どもたちとも仲良くやっていた。
なかでも、クリスという少年とは幼馴染で、彼の祖父母が生まれたときから知っていた。
クリスは透き通るような金髪と、澄んだ青い眼をしていた。クリスは不思議な双子のことが大好きだったし、双子もクリスのことを可愛がっていた。だがこの頃はまだ、人間の歳の取り方を判ってはいなかった。クリスの家は裕福とは程遠かったが、父と子のふたりで慎ましく暮らしていた。艶のある黒髪に漆黒のワンピースを着たパメラと、光を反射するブロンドに眩しさを放つ白いワンピースを着たディアの双子は、綺麗だ妖精のようだと村人に持て囃されたが、同じく見目麗しいクリスと三人が揃うとそれはもう絵に描いたようだと言われた。
とりわけパメラがクリスを気に入っていて、一緒に川へ入って水遊びしたり、木に登って遊んでいた。ほんのすこしだけ水中で息が出来る時間を長くしたり、木から落ちそうになると衝撃が軽くなるようにわずかに魔法を使っていた。クリスも、パメラと泥だらけになるほど遊んでも怪我をしないということに無意識に気がついており、好んでパメラと一緒にいる時間が増えたのだった。そんなふたりをディアは遠くから穏やかに見守っており、三人の関係は良好と言えた。
三人がいつも集まるのは、廃れた古い小屋だった。いまは誰も使っておらず、以前は年老いた魔女が住んでいた。双子の母の、さらにその親たちよりも古い魔女だという。屋根や床はあちらこちら穴が開いているが、不思議と雨漏りはしないし虫や害獣が住み着いているわけでもなかった。これは双子の魔力ではなく、住んでいた魔女の力が強く、いまだに効力があるからでは、と双子の母は言っていた。あまりの荒れぶりに誰も近寄ろうとはせず、子どもたちの秘密基地としては最高の条件だった。
「パメラと一緒に居ると嫌なことを忘れられるんだ。大変なこともあるけど、ディアやパメラと一緒だと僕は楽しい」
クリスはパメラの艶のある黒髪を見て言った。登り慣れた木の二股になった枝にふたり並んで腰かけている。ディアは大きな根元に座って本を読んでいる。
「ふふ、そりゃそうよ、アタシですもの。アタシと一緒に居れば怖いものなんてないのよ」
「心強いや、パメラ」
そのとき、強く風が吹いた。ごう、と枝が大きく揺れ葉がざわざわと騒いだ。驚いたクリスはバランスを崩して落ちそうになったが、パメラが咄嗟にクリスの細い腕を掴み、引き寄せた。
「危ないわね、ホントに。アタシが傍に居ないとダメね‥‥」
クリスの青い眼が黒い魔女を見つめる。
「ずっと傍に居てくれる?」
「そうね‥‥当たり前じゃない」
パメラは、自分たちが一人前になるための旅に出なければならないことを判ってはいたが、嘘をついた。それでも、旅から戻ればずっと傍に居るつもりなのは本心だった。
「ねえ、大丈夫?」
下からディアがこちらを心配そうに見あげていた。突風でボサボサになった髪を手櫛で整えながらディアは続けた。
「雨が降りそうだから帰りましょう。これからしばらく降り続くわね、これ」
「ディアの天気予報はよく当たるんだよな」
言いながらクリスは木を降りてディアの隣に立った。すぐさま、まだ木の上にいるディアを見あげて、手を差し出した。
「降りておいで、パメラ」
「馬鹿ね。これくらいならひとりでも降りられるわよ」
照れながらパメラはクリス目がけて飛び降りた。
三人の関係性が崩れたのは、ディアが予報した雨が降り続く重たく薄暗い日だった。
いつものように遊びに出ようとしたパメラは、ディアの傘が無いことに気がついた。普段ならふたり一緒に出かけるのに、このときは先に家を出てしまっていたのだ。大人しく物判りの良いディアに、母がおつかいを頼んだのだろうと思ったパメラは、慣れた足取りで廃れた小屋へ向かう。
小屋に到着すると、戸口にディアの傘と、穴の開いたボロボロの見慣れた傘が立てかけてあった。――ふたりはすでに小屋に居るらしい。パメラも傘を閉じると、スカートについた雨粒を払った。小屋のなかから話し声が聴こえた。普通の会話というより、誰かに聴かれてはまずそうな、内緒話のように聴こえた。パメラは手を止め、ふたりがなにを話しているのか聴き耳をたてた。かすかに扉を開け、隙間からようすを窺った。
「――僕は判ってしまったんだ」
クリスの声がする。
「あら、なにを?」
ディアの声もする。
「僕の家は貧乏だけど、君たちと一緒に居ると不思議とお腹も心も満たされて、ひもじくないんだ」
「ふふ、お腹が満たされるのは私たちがクッキーを焼いて持ってきたりするからだし、パメラとたくさん駆けまわってるから心が満たされるのよ」
ふたりだけでアタシの話をしている、とパメラは心臓が大きく鳴るのを感じた。
「そうか、パメラ‥‥あの子、やっぱり変なんだよ。変っていうか、不思議というか‥‥一緒に居るとなんか、心のこのあたりがざわざわするんだ。それに、ディアだっていつも天気を言い当てるだろう?」
クリスは言いながら、自らの心臓あたりを弱々しくさすった。
「ざわざわ?」
それを見たディアは、自分について言われたことをあからさまに無視し、クリスのちいさな手の上に自分の手を重ね、同じように彼の胸をさすってみた。
「!」
心配そうに覗き込むディアを押し退けるようにクリスの肩がびくんと跳ねた。
「変ねえ、どこも悪そうじゃないけれど‥‥」
ディアのゆったりとしたブロンドが揺れ、再びクリスの顔を覗き込んだ。
「うん、痛いとかじゃなくて‥‥パメラを見てると、声をるとさ聴いて‥‥なんか」
「あらまあ、それはね、クリス‥‥」
ディアはいたずらっぽく笑い、クリスに耳打ちをした。なにを言われたのか、クリスは真っ赤になって顔を覆ってしまった。ディアは一層にっこりしてクリスの頭を優しく撫でた。その光景が、パメラには受け入れられなかった。ふたりが自分の居ないところでなにやら急接近している。自分の話をして笑っている。クリスはいつも自分と一緒に遊んでいるくせに、知らないところではこうしてふたりだけで笑いあっているのだ、居ないアタシの話をしながら‥‥。言葉も出ないまま隙間をぼんやりと見ていると、ふとディアと目があった、気がした。
普段のパメラなら、聴いていないふりをしてふたりの前へ飛び出してゆくのだろうが、このときばかりはそんな気分になれず、閉じたばかりの傘を開きもせず、頭上から降ってくる重たい雨を身体に受けながら自宅へ走った。
そんなずぶ濡れで、と母に怒られたので毛布にくるまり暖炉の前で呆然と座り込んだ。濡れた服を乾かす魔法を使ったらいいのに、という母のお小言を聞き流し、ゆらゆらと揺れる炎をぼんやりと眺める。ほどなくしてディアが帰ってきた。常にふたり一緒に出かけてふたり一緒に帰ってくるのがあたりまえだった双子が、今日はばらばらに行動していたので、母は訝しんだ。台所で食器を洗っていたが、桶に水を目一杯張って、長い指先で水面になにやら書いた。
ディアは背伸びをして母の肩越しにそれを覗いたが、なにを書いているかまでは判らないようだった。
「いつまでものんびりしていられないわね」
ぽつりと呟いた双子の母は、娘たちに声をかけた。
「あなたたち、明日すぐに村を発ちなさい」
「え?」
パメラもディアも同時に声を出す。
「120歳にはなったわけだし、早く一人前にならなきゃダメです」
「急にどうしたの?」
ディアは母がいじっていた水桶を見た。不可思議な文字が水面に浮いて揺れていた。
「なんて書いてあるの?」
「読めるようになりたかったら、すぐに旅に出て修行することね」
言いながら母は桶の水をすべてこぼしてしまった。
「パメラ、判ったかい?」
まだしっとりとする娘の黒い肩に手を乗せる。
「――判ったわ。ここに居たってなんにもならないものね」
パメラは毛布を脱ぎ捨てて自室へ行ってしまった。
翌朝、陽が昇り切る前に村に居る魔女たちを招集し、双子の旅立ちをひっそりとお祝いした。村の人間の誰にも会うことは許されず、誰にも知られずに村を出ていかなければならなかった。ディアもパメラもクリスにひと目会いたいと思ったが、パメラとしては昨日の今日で気まずく、ディアも掟に従い会うことを断念した。
村を出て森を過ぎるまで、ふたりはずっと無言だった。仲の良い双子の、はじめての喧嘩と言ってもよかった。最初の町の入口まで来たとき、ようやくパメラが口を開いた。
「愛しのクリスにお別れを言えなくて残念だったわね、ディア」
「‥‥それはあなたもでしょう、パメラ。私よりもあなたのほうがクリスのことを好きだったんでしょう」
「バカ言わないで。アタシ知ってるんだから。アンタだってアタシのこと見たじゃない」
「――なにも判ってないのね、パメラ。哀れな子。それでも私の愛する妹よ」
「ふざけたこと言わないで」
「私からはなにも言えないわ。クリスがどう思ってるかなんて」
「そうでしょうね。アタシに内緒でふたり仲良くしてることなんて、アタシに話す必要ないものね」
「パメラったら‥‥。まあいいわ。私はこのふたつ先の山を越えた町に行くから、パメラはこの町にしなさい」
ディアはスカートの裾をひらりと払うと、どこからともなく真っ白い箒を取り出してまたがろうとした。パメラはその手を止め、箒を奪い取った。
「アタシがふたつ先の町にする。アンタがここにしなさいよ。クリスが会いに来てくれるかもしれないしね」
「私の箒どうするの」
ディアが訊くと、パメラも同じように自らのスカートの裾を払い、真っ黒い箒を取り出した。そしてそれを姉に突き出した。
「交換しましょ。互いに形見のつもりで」
「あなたねえ‥‥」
ふう、と溜息をついて、ディアは妹の手から真っ黒い箒を受け取った。
「使い魔を得るまで故郷に戻らないのがあの村の魔女の掟よ、ディア。いいわね」
「‥‥ええ」
ディアはまだなにか言いたそうだったが、ひとつ息を吸って頷いた。
双子が村から居なくなったことは、人間たちには気づかれていなかった。双子の母が最初から居なかったかのように魔法をかけたからだった。もちろんクリスもその魔法にかかり、生まれたときから一緒だったふたりのことはすっかり記憶から消えてしまったが、心にぽっかり穴が開いたような感覚になってしまった。しかしクリスにはこの魔法が完全に効いていなかったと、のちになってクリス自身が気がつくのだった。
60年はあっという間に過ぎた。180歳――人間の18歳――になったパメラはクリスのことは気にしないようにしようと一心に修行に励んだ。なんなら、村へ戻ったら一発くらいは頬を殴ってやる、くらいの気持ちだった。それでも、ディアよりも先に村へ戻ってクリスに会いたいという気持ちも本物だった。その邪念を払うために、パメラは自分の魔術力を高めるためにつとめた。村の診療所で働くことにしたパメラは、気づかれないように魔法で傷の治癒を試み、ディアが得意だった天気を読む能力を培うために山に籠ったりひたすら空を眺めた。人に見られないところで箒にまたがり飛行訓練をした。身体つきはすっかり大人になったし、背もすらりと伸びて自分でも美しくなったとは思った。だが、パメラはまだ使い魔を得ていなかった。これでは一人前とは言えないが、あるとき、すっかり垢抜けたディアが訪ねてきた。何年も離れていたのに、成長した姿はパメラと瓜二つだった。
「久しぶり、パメラ」
ディアはロープのように細い白蛇を自分の華奢な腕に絡ませていた。
「それがアンタの使い魔?」
「そうよ。蛇のウーイルよ」
「へえ、いいじゃない。でもディア、普通の人は蛇を腕に巻きつけたまま歩いたりしないから、首にでも巻いてそのブロンドで隠すのね」
「そう」
ディアは素直に頷いて、白蛇の額をくすぐった。蛇――ウーイルもちいさく頷いてするするとディアの首元に這って行ってくるりと巻きついた。見る間にもぞもぞとゆったりとカールするブロンドのなかに潜り込んだ。
「いいこと聞いたわ。ありがとうパメラ」
「そうでしょう」
「ねえパメラ。この村は安全だった?」
「安全‥‥? どういうことよ」
「私は何度か裁判にかけられたの」
恐ろしいことを60年前と変わらない穏やかな姉の表情で言った。パメラは驚いて目を見開いた。
「裁判って‥‥魔女裁判があなたの居た村で? 正体が知られてしまったの?」
「知られたら私はいまここには居ないでしょ」
ふっくらとした桃色の唇が笑った。その笑みにパメラはゾッとした。60年前、無理矢理に箒を交換していま居るこの村を選んでいなかったら、自分が裁判にかけられていたかもしれない。
「――そう、ね。アタシは平気だったわ。裁判だとか、疑われたりだとかなかったもの」
「ならよかった。あんな思い、パメラにしてほしくないもの。でも最初は困惑したのよ、あなたが箒と一緒に修練する村まで取り替えちゃったんだもの」
「どういう意味よ」
「裁判のことを知ってて私にあの村を押しつけたのかと思ったのよ」
「まさか!」
姉が自分を疑っているのが信じられなく、思わず大きな声が出るパメラ。
「最初は、って言ったでしょ。あなたがそんな器用なことできる子だって思わないから、そんな疑いはすぐに晴れたの」
「それって喜んでいいのかしら」
「いいのよ。あなたが無事なら。苦しい目に遭っていないのならね」
ここでやっとディアの表情が曇った。それを見たパメラは、取り繕うように会話を続けた。
「それで、ディアは故郷の村へ戻るのね?」
「ええ。あなたも良い時期かと思って立ち寄ったの。どう? 使い魔は?」
ディアはきょろきょろと妹のまわりを見まわし、不思議そうに首を傾げた。
「アタシはまだなの。空模様を見ることも多少の怪我を治すこともできるようにはなったけど、まだ使い魔には出会えてないの」
「そう‥‥。別にこの村で見つけることもないかもしれないわよ。ゆっくり帰りながら出会いを待ちましょうよ」
「ディアひとりで帰ったらいいじゃない。アタシはまだここに残るわ」
「いつまでもこの村に居られると思う? いつ正体が知られてもおかしくないのよ。あなたってば気づいてないの? 私たちと人間とでは過ぎてゆく時間の速さが違うのよ」
「‥‥恥ずかしながら、この村で過ごすようになってからそれに気づいたわ」
パメラは、フン、と鼻を鳴らして言った。
「だったら‥‥」
「クリスがどうなってるかなんて、想像つくってもんよ。あのときのアタシは幼かったから、なんにも知らなかったんだわ」
「なら、なおさら帰りましょうよ。クリスだけじゃなくて、母さんにだって会いたいじゃない。確かめましょう、クリスがどうなったのか」
ディアは妹魔女の手を優しく握った。パメラはそれを一瞬振り払おうと力を入れたが、姉の言うことに賛同したのか、無言のまま反対の手で姉の手を握り返した。
「決まりね」
それからパメラは、お世話になった人々に別れの挨拶をし、惜しみながらも彼らの記憶から自分の存在を消した。人間の時間で60年も見た目の変わらない女がいたなんてことを覚えていられたら、魔女という立場が危うくなってしまうからだった。
「虚しいものね」
住み慣れた村を離れ、大きな森の上空を箒にまたがって飛びながらパメラが言った。
「記憶を消すこと?」
「そう。アタシたちが生まれ育った村から出るときは母さんがあの魔法を使ったけれど、こんな虚しく寂しい気持ちになるなんて想像もしなかったわ」
「でもあなたは律儀よね。どうせ記憶を消してしまうのに、ちゃんと御礼を言ってまわるなんて」
「あの人たちが覚えているかどうかじゃなくて、アタシが御礼を言ったかどうかを覚えておきたいのよ」
「ふうん。立派になったわね」
手が届く距離なら、ディアはきっとパメラの頭を撫でていたのだろうが、わずかにパメラの箒に近寄っただけだった。
「故郷に着いたらその箒返してよね」
「アタシの箒も返してよ。持ち主に似て融通がきかないところがあって飛びにくいったらないわ」
「ふふ。その言葉そっくりそのままお返しするわね」
しばらく飛ぶと、懐かしい風とともに懐かしい景色が眼下に現れた。双子の魔女が生まれ育った村に到着したのだ。ふたりはしばらく上空を旋回して村を眺めていたが、建っている家々は新しくなったり古く朽ちていたりしたが、雰囲気は村を出た60年前と変わらないようすだった。ふたりは生まれた家を見つけ、子どものころに遊んだ大きな木を見つけ、クリスと三人で集まった古い小屋を見つけた。住んでいた魔女の魔力が弱まってきているのか小屋は前よりもボロボロになっていたが、綺麗に手入れされているようだった。
なにも言わずにふたりはそのまま小屋の前に降り立ち、しばらく黙って小屋をじっと見つめていた。ぽつり、と雨粒が箒の柄に落ちてきた。そのまま言葉を発さずふたりは慣れた手つきで小屋の扉を開け、なかに入った。すると驚いたことに、60年前と変わらない姿の少年――クリスがあちこち破れたソファで眠っていた。透き通る金髪が、いまにも消えそうなランタンの灯りに揺れて光っている。
「クリス‥‥待っててくれたの?」
パメラが訊いた。ありえない、60年も経っているのに、あの少年のままの姿でいるなんておかしい。クリスも魔族なのか、と言葉が出そうになったとき、眠っている少年が目を覚ました。
「‥‥ディアとパメラ?」
少年はかすれた声を出した。よく見ると顔は青白くやや窶れている。金髪は光ってはいるものの近くで見るとくすんでいるようだった。手足もやけに細く、まともに食べているのか不安になるほどだ。
「本当に、クリスなの?」
双子の声が揃う。少年は、大きく伸びをしてソファに座りなおした。
「ごめんね、僕は父さんじゃないんだ」
「父さん‥‥?」
少年は、うん、と頷いて続けた。そこでふたりはハッとなった。少年に見えていた彼は、人間の歳では20歳をすこし過ぎたくらいの大人の男性だった。クリスを想うあまりにふたりは、この青年に幻を見ていたのだった。
「僕はオリバー。クリスは父さんの名前なんだ。父さんは僕に、ふたりの親友がいつ帰ってきてもいいようにこの小屋を守るように言ったんだ。でも変だよね。父さんの親友なら父さんと同じくらいの歳のはずなのに、一目見たら判るって言うんだ。でも父さんの言う通りだった。ひとりは黒い髪が綺麗だし、ひとりはブロンドが綺麗だし、なによりも同じ顔をしてる双子だって」
オリバーはちょっと咳き込んでさらに続けた。
「でも父さんは、その双子のことは大人たちには話しちゃダメだって言うんだ。不思議だよね。この小屋を守りたいならいろんな人に助けてもらえばいいのにさ。こんなボロボロな小屋を僕にお願いするなんて」
パメラはオリバーの隣に腰かけた。ディアも同じように、青年の反対側に座り、訊いた。
「あなたのお父さんは、誰かと結婚したのね」
「うん。でも母さんは僕を産んですぐに流行り病で死んでしまったんだ。もともと身体が弱かったらしい」
「それで、クーーお父さんは?」
「父さんももう死んでしまった。もう5年くらい前かな。ずーっと病気だったけど、ここを僕と一緒に守ってたんだ。古いから取り壊そうって言う人たちからね」
それを聞いたパメラはひゅっと息を飲んだ。険しい顔をして床の木目を見つめている。
「父さんはずっとあなたたちのことを言っていたよ。不思議な女の子たちだったって。一度はすっかり忘れてしまったけど、ここに来たら思い出せるんだって」
オリバーはふっとパメラを見つめた。反射的にパメラも青年を見つめ返した。クリスが大人になったらきっとこんな風に育ったのだろう、と思えるほどクリスの面影がオリバーにはある。
「とくにね、黒い‥‥あなたのことを心配してたんだ。言いたいことがあったのにって」
「アタシに‥‥?」
「ホントはね、結婚もしないであなたのことを待っていたんだ。でも、ずっと一緒に居ることはできないのは判ってて、だからこの小屋だけは守らなきゃ、って。すぐそこに建ってる大きな木も、嵐が来たときに倒れそうになって、伐ろうってことになったんだけど、父さんが大人たちに頼んで残してもらったんだ。あなたとの思い出だからって」
パメラの黒い瞳からひとすじ涙が流れた。
「自分がもう長く生きられないことを判ってて、小屋と木を守るために僕を産んだんだって。母さんにもこのことは内緒だったのも、お葬式の日に謝ったって言っていた」
「――なんて身勝手な男なのかしら。馬鹿ね」
パメラはこぼれ落ちてくる涙を拭おうともせず、オリバーの肩をぐっと抱き寄せてくすんだ金髪を優しく撫でた。オリバーは頬を赤らめて身体を硬くしたが、すぐにパメラに身を預けるように力を抜いた。
「勘違いしてたのよ、パメラ。クリスは最初からあなたのことを想ってたのよ。あなたが好きだったの」
「じゃあ、あのとき‥‥?」
あの雨の日。この小屋でディアとクリスが仲睦まじく耳打ちをしていたのは、クリスがパメラへの想いを相談していたのだった。
「このアタシが勘違い‥‥? 馬鹿なのはアタシもだったの」
「だから言ったでしょう」
「素直に教えてくれたよかったのに、ディア」
「私の口から聞いても意味ないでしょう」
それもそうね、とパメラは深く頷いた。
「アタシたちとの思い出のために誰かと結婚して子どもまで残すなんて、そんな愚かな男だとは思ってもみなかったわ」
「僕の父さんはそんなに悪い人?」
「いいえ。とっても良い人だったわ。ただ優しすぎたのね。アタシがクリスの病を知っていたら、治してあげられたのかしら」
「お姉さん、病気が治せるの?」
そう言った瞬間、オリバーが血を吐いた。木目の浮いた床に鮮血が飛び散る。激しく咳き込むオリバーはやせ細った身体を縮め、苦しそうに床に倒れこんだ。
「どうしたの!」
双子がすぐさま抱き起し、ボロボロのソファに痩せた身体を寝かせた。あまりの軽さにふたりは驚いたが、ディアは手を握って治癒魔法を始めた。パメラは青年の額に手を当て、同じく魔法で治療を始めた。
「すごいや、お姉さんたち。でもね、僕も父さんや母さんみたいに病気なんだ。‥‥一回なっちゃうと、ずっとこうなんだ。‥‥でも父さんやお姉さんたちのためにここを掃除したり綺麗に守ってきたんだ。‥‥お姉さんたちがこうして来てくれたから、役目は終わりだって父さんたちが迎えにきたのかも」
「息子を迎えに来るなら、アタシにいちばんに会いに来なさいよ。なに馬鹿なことしてんのよ、って一発くらい頬を殴らせなさいよ」
「はは、お姉さんの一発はかなり痛そうだね‥‥」
ふたりの治癒魔法のおかげかオリバーの容態は落ち着いたようだったが、小屋のなかを見まわすと、血を拭いたあとがあちこちにあった。この青年も長いこと病に苦しんできたことが判る。
「ねえ、パメラ‥‥」
ディアがオリバーの聞こえないところまでパメラを引っ張ってゆき、さらに声を潜めたが、泣きそうになりながらやっと声を出している。
「あの子、もう」
「判ってるわよ。全身に病がまわってしまってることくらいアタシにだって判るわ」
そう言ってパメラはオリバーのもとへ戻る。その背中を見つめ、ディアはポツリと呟いた。
「また私は救えないのね....」
姉の声にわずかに振り向いたパメラだったが、オリバーに向きなおり再び額に手を当てた。
「オリバー。クリスのお墓参りがしたいから、あとで案内してちょうだいね」
「うん‥‥父さんも会いたがってるよ、ふたりに。とくにパメラ、あなたにね」
クリスと同じ青く澄んだ瞳でパメラを見あげる。そのまま視線をずらし、涙をこらえて立っているディアを見やる。
「ディア、あなたもこっちに来て‥‥僕が眠るまで傍に居てほしいんだ‥‥僕が目覚めたら、一緒に父さんのお墓に行こう‥‥」
ディアが幾度も頷いてオリバーに身体をくっつけるように座った。双子が寄り添ってくれていることを確認したオリバーは、大きく深呼吸をして静かに目蓋を閉じ穏やかに寝息を立てはじめた。そして、そのまま目覚めることはなかった。強くなった雨が、古いガラスに打ちつける音にまじって、ふたりの女のすすり泣く声だけが響いていた。
雨がやむまでふたりはオリバーの傍を離れなかった。空が明るくなり太陽の光が差し込んできたのでふたりは外に出てみた。クリスが眠る墓地はすぐに見つかった。三人が遊んでいた、そして最期までクリスとオリバーが守ってくれていた大きなあの木の根元に、簡素な墓石がたてられていた。クリスの名の隣には、さらに昔に彫られた女性の名前が刻まれていた。おそらくクリスの妻のものだろう。ディアとパメラはそこにオリバーの亡骸を埋葬することにした。木と墓に守りの魔法をかけようとすると、頭上からカアカアとカラスの鳴き声が降ってきた。大きなカラスだった。ディアははたと見あげ、
「あら。降りていらっしゃいよ」
とそのカラスに声をかけた。
「決めたわ、ディア。アタシあの子を使い魔にするわ」
「え?」
ディアも頭上を見あげ、カラスを見た。
「いいじゃない。真っ黒であなたらしいわね」
「そうでしょ」
それを聞いて人の言葉を理解したのかいないのか、カラスはふわーっとクリスたちの墓石の上に舞い降りてきた。黒い羽をばさばさと揺らし、同じく黒い瞳で双子の魔女を見ている。パメラは横たえたオリバーの痩せた胸に手を当て、口のなかでひとつふたつ呪文を唱えた。すると胸元から青く丸い光がふわりと浮かびあがり、パメラの手のひらの上を漂っている。パメラはその光を大切そうに両の手のひらに包み、そのままカラスの目の前に持ってきた。
「いくわ」
そして両の手を大きくひとつパン、と叩いた。光が飛び散ったように見えたが、するするとカラスの瞳に吸収され、それまで漆黒だったカラスの瞳は深い青色になった。陽の光に当たると透き通った青に見える。
「あなたの名前はグィーよ。アイルランドのゲール語で風という意味よ」
グィーと名づけられたカラスは嬉しそうに大きな翼を揺らし、パメラの肩にとまった。
それからふたりは、オリバーを丁重に弔い、クリスたちが守ってくれていた木と小屋に改めて守りの魔法を施した。
「アタシはもうこの村には居られないわね。母さんに挨拶したら、すぐにここを発つわ。海を越えた向こうの国に面白いところがあるって聞いたから、そこへ行くつもり」
パメラは肩に乗せたグィーを撫でながら言った。それを聞いたディアも、マフラーのように首まわりをするすると這う自身の使い魔である白蛇をくすぐりながら言う。
「じゃあ私も一緒に行くわ。双子ですもの。ふたりでひとりよ。私もそこへ行ってみたいしね。ほかの魔女にも会ってみたいもの」
ふたりは箒にまたがり、まだ見ぬ新たな土地を想い飛び立ったのだった。
*****
「ねえ、パメラ。あなたたまにあの村に帰っているんでしょう」
ソルシエールのカウンター、ディアは白蛇のウーイルを撫でながら言った。
「知ってたの?」
「知ってたわよ。たまに帰ってはあの場所を見に行ってるんでしょう? 魔力が切れないように。言っておくけどね、私も一緒に守りの魔法をかけたんだから、あなたひとりじゃ力は半分なのよ」
「‥‥そう、なの?」
パメラはぎょっとしてディアを見た。
「だから、わたしもこっそり帰って守りを強くしてたのよ。知らなかったでしょ」
「え!?」
「言ったでしょう、私たちは双子だもの。ふたりでひとりなのよ」
「アタシね、母さんが追い出すようにアタシたちを旅に出させた意味がやっと判ったのよ」
「ええ」
「アタシたちはふたりでひとりよ。でもずっとふたり一緒にいても一人前にはなれない‥‥一度は必ず離れ離れにならないといけないことを知っていたのね」
「母さんがあの水桶に書いた文字、いまなら読めるわよね」
「母さんも意地悪よね」
「ふふ、そうね」
ディアがいたずらっぽく笑うと、蛇はくすぐったそうに舌を出した。
了
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