紺青の鬼

砂詠 飛来

文字の大きさ
1 / 21
無量億劫

『宇治拾遺物語』巻十一(一三四)   日蔵上人、吉野山にて鬼にあふ事

しおりを挟む
   一、

 これはね、ちょっと前に夢で見たことなんですけど‥‥つまらないぼくの話、ちょっとだけ聴いてもらえますか?

 えぇ、構いませんか?

 えへへ、ありがとうございます。

 それでね、夢の話なんですけれど。

 ぼくね、最近‥‥‥妙に怖い夢を見るんです。

 えぇ。

 え?

 いやいや、そういう怖いんじゃなくて、そう、こっち‥‥出るほうです。

 そう、お化けの類い。

 まぁ、お化けといってもね、ぼくの夢に出てくるのは鬼なんですけどね。

 鬼。

 角?

 ありませんよ。

 昔話なんかに出てくるああいう鬼じゃなくて‥‥金棒は持ってませんよ。

 まぁまぁ、いいじゃないですか。

 とりあえずは、ぼくの話を聴いてくださいよ。

 ──で、鬼ね。

 その鬼、七尺──二メートルくらいあるんですよ。

 ぼくの身長よりもうんと高い。

 そうですねぇ‥‥ちょっと昔の言葉を借りるなら‥‥


  身の色は紺青こんじょうの色にて、髪は火のごとくに赤く、くび細く、胸骨は、ことにさしいでて、いらめき、腹ふくれて、脛は細く有けるが‥‥


 といったところですかねぇ。

 とにかく大きくて、ぼくは腰を抜かしちゃって。

 その場に座り込んじゃったんです。

 その場、というのも、とてもジメジメした厭な感じのところ。

 どうやら、そこは山のなかのようなんです。

 夜半の、山の中腹、くらいでしょうか。

 ふいにね、その山が吉野山だということが、ぼくには判ったんです。

 脳内に、ふっと入ってきたんです。



   二、

 でも、なにがなにやらぼくには理解できない。

 そのうちに、例の鬼がね、こちらに向かって歩いてくる。

 なにやら泣いている。

 眼から血の涙を流して、どしんどしん、と地を踏んで歩いてくる。

 怖い、ですよねぇ‥‥。

 でも、ぼくは逃げない。

 逃げられない。

 その場から動けないんです。

 あまつさえ、僕はその鬼のほうへ歩いているようなんです。

 ああもう怖い。

 怖いけど、鬼のほうへ近づいている。

 夜ですから、あたりは真っ暗。

 でも、鬼の姿だけ、ぼうっと青い炎にまとわれて光ってる。

 ついに──

 鬼はぼくの足もとにうずくまり、よりいっそう大きい声で泣きはじめたのです。

「これ、なにをするのですか」

 ぼくは、つい鬼に言っていましたよ。

 自分でもこんなことを言うなんて、思ってもいなかったんですけどね。

 そして、鬼はこう言うのです、むせび泣いて。

「おれは四、五百年より前の、昔のひとだったが、とある奴のために恨みを残して、いまのこの鬼の姿になったのだ──」

 と、つらつらと語り始めたんです。

 これにぼくはびっくり。でも、静かに聴くしかありませんよ。

「鬼の姿となったおれは、願いのとおり仇敵を憑り殺し、子はもちろん、孫、曾孫、玄孫に至るまで残らず殺し尽くした──」

 なんと怖ろしい話でしょう。鬼の話は続きます。

「いまは、殺すべき者も居ない‥‥このうえは、奴らの生まれ変わった先までも調べて、憑り殺してやろうかと思ったが──次々と生まれ変わる場所は露ほども判らなんだ。ゆえに、殺すことも叶わぬ」

 ぼくは、だんだん、鬼に同情を覚えてきました。

瞋恚しんいの、この怒りの炎はいまもなお昔のように燃えても、怨敵の子孫は絶え果てて、然るに我ひとり、尽きもせぬ瞋恚の炎に身を焦がされ、やる方のない苦痛を受け続けておるのだ‥‥」

 そう泣いたときの鬼の眼には、血涙と、瞳の奥には、ちらりと人間の灯りが見えたのです。

 ──あぁ、この鬼には、まだひとの心があるのだ。だから、こうして恨む相手の居ないこの世を彷徨い、自分自身を恨んでいるのだ。

 ぼくはそう思いました。

「五百年余りを恨み生きたため、その恨みを溜めて、いまではこのような身となり、無量億劫むりょうおくごうの苦痛を受け続けることを、どうしようもなく哀しく思うのだ‥‥あの者のために恨みを残したのは、なんと言っても自分自身のためだったのだ」

 あの者──もしや、この鬼がひとであった時代の、想いびとでありましょうか。

「しかし、敵の子孫が絶え果てた後も、我が命は尽きることがない。もし、かねてこうなることを知っていたのなら‥‥よもや、このような恨みを残すことはなかったはずだ。こうなれば、この身が朽ちるまで、何年と何百年とかかろうと──生まれ変わりを見つけて憑り殺してくれようぞ」

 鬼をまとう青い炎が揺らぎます。血の涙も紺青の頬を伝います。

 鬼はそのように語り、涙を流して限りなく泣きつづけました。

 哀しげで痛々しいその慟哭は、夜の山、更ける星空まで届いたことでしょう。

 次第に、鬼の頭から炎が燃えだしてゆくのでした。

 鬼の慟哭、燃え上がる炎、伝う血涙、青い鬼火──

 ぼくは、その哀れな鬼の姿を見守るしかありませんでした。

 やがて、鬼は吉野の山奥へ静かに歩み入ったのです。



  三、

 いかがでしたか、ぼくのこの怖い夢は。

 怖いと言っても、怖いのはほんの序盤だけ。

 あとは、あの鬼が哀れでなりませんでしょう。

 暗い山の奥へ入ってゆく鬼の背中は、ぼくもとてもつらかったのです。

 でも、ぼくには、話を聴いてあげることしかできなかった‥‥。

 だから、ぼくだけでもあの鬼の罪滅ぼしをしてやろうと思うのです。

 あの紺青の鬼の恨みが、ついえることがなくとも、ぼくだけは、ぼくだけは──

 このぼくの決意を聴いてもらうために、ぼくが見た夢の話をあなたにお話ししたのです。

 ぼくの気持ち、判ってくれましたか?

 そうですか、それならありがたい。

 それでね、ぼくは手始めに‥‥って、あれ、どうしたのですか?

 どうしてぼくから逃げるのですか。

 どうしてそんな怯えた表情をするのですか。

 どうして──

 おや、なんですか、この、どしんどしんという地を踏む音は。

 なんですか、この青い火は。

「ようやく見つけた。これで最後の生まれ変わりだ」



 了


 引用:『宇治拾遺物語』巻十一(一三四) 
    日蔵上人、吉野山にて鬼にあふ事
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...