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其のいち・青鬼の井戸、生き肝の眼薬
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五、
「ただいま戻りました」
屋敷の奥へ声をかけながら、竹七は家のなかへあがる。
辰五郎の履き物は無い。まだ帰っていないようだ。
「おや、竹七かい。ずいぶんと早かったじゃないか」
勝手からおしづが顔を出した。
「はい。奉納祭の話し合いで、思ったよりも話がうまくまとまったので」
「そうかい」
竹七が、ふとおしづの手を見る。
すこし皺の浮いた手が濡れて、雫が滴っている。
「奥さま! 食器の片づけなら、この竹七が──」
「お前の帰りが遅いもんだから、わたしがやってしまったよ。まったく、使えない奴だねぇ」
おしづは前掛けで手を拭き、勝手からあがる。
「はぁ、申し訳ありません──」
小さく言い、竹七はおしづと入れ替わるように勝手へおりる。
着物の袖をまくって、食器を洗う。
軽く跳ねる水の音を聞きながら、おしづの言葉を頭のなかでくり返していた。
〝ずいぶんと早かったじゃないか〟
〝お前の帰りが遅いもんだから〟
「──どっちなんだろう」
ぽつりと呟いた。
六、
しばらくして、村で秋の奉納祭が行われた。同時に、辰五郎がお松と夫婦になった。
辰五郎の屋敷にお松が嫁ぎ、四人で暮らすことになった。
おしづは、お松にもなにもさせなかった。
お松は、村のなかでも器量良しの娘で、家のなかの仕事はなんでもこなせたが、
「この家の仕事は、すべて竹七がやるからよい」
と、おしづが許さなかった。
辰五郎は懸念して、
「もし、竹七が居なくなるようなことがあったら、誰もなにもできなくなってしまうじゃないか」
「なにを言うの。お前の父のように、爺さまのように、病で逝かれちまったら、この母はどうしたらよい」
「──それじゃあ、まるで」
辰五郎がここまで言ったとき、隣りに座るお松が止めた。
「お義母さまのおっしゃることに従いましょう」
「──」
このとき、竹七は庭で枯葉の掃除をしていた。
屋敷のなかでの交わされた会話は聴こえてない。
竹七は、おしづが自分の仕事の出来を見込んでくれて、それで大量の仕事を任せてくれている、と自らに言い聞かせている。
おしづが、自分の父と夫を亡くした経験から、同じように息子を失いたくない気持ちは判る。
しかし──
働きづめの竹七が病で倒れるのを懸念しないのか。
辰五郎にやらせないで、竹七にやらせるということは、竹七なら病になってもよいというのか。
辰五郎も竹七も、心の奥で同じことを思っている。お松も察したが、おしづの眼の前で言ってしまうのを憚って、辰五郎を止めたのである。
だが、竹七は別の想いも、心に秘めていた。
七、
やがて、辰五郎とお松は双子を授かる。
男児と女児の双子である。男の子は庄吉、女の子はお梅と名付けられた。
しかし、この双子がまだ歩き出すようになる前、事件が発生する。
男の赤ん坊とともに、竹七が行方をくらましたのである。
おしづは村の衆を総動員して捜させた。
青鬼の井戸に落ちてしまったのではないかと、井戸の底まで捜したが見つからなかった。
おしづも辰五郎もお松も、竹七が庄吉を連れ去ったのだと思った。
村の衆も、それを信じて疑わなかった。
「神隠しに遭ったんじゃねぇか」
「青鬼さまに連れてゆかれたんだ」
との声もあがったが、竹七と庄吉の消息は不明のままであった。
辰五郎とお松は捜し疲れ、我が子の行方を嘆いた。
だが、それ以上におしづの嘆きぶりは異様であった。
可愛い孫よりも、竹七の名をずっと叫び、泣いていた。
阿鼻叫喚──
「竹七ぃ‥‥竹七ぃ‥‥」
日毎夜毎、泣き続けた。
叫び続けた。
辰五郎や村の衆は、竹七が孫を連れ去ってしまったという怨みで名を呼んでいるのだと思った。
また別の者は、この家のなかで唯一の働き者を失ってしまった哀しみで泣いているのだとも思った。
村の衆がいくら捜そうとも、おしづが叫喚しようとも、竹七と庄吉の行方は判らなかったのである。
八、
お梅は十歳になっていた。
腰が曲がり、一日を縁側で座って過ごすことが多くなったおしづに、
「ばあさま、ばあさま」
と、よく懐いた。
おしづも、お梅をよく可愛がった。
おしづの眼は、ほとんど物を視ることができなくなっていた。
竹七と庄吉が行方不明になってから、ずっと泣き続け、眼を腫らしてしまった。そして、視えなくなってしまったのである。
髪は真っ白になり、皮膚は皺でたるみ、腰も曲がり、若い頃の美しさは消えてしまっていた。
辰五郎もお松も、それなりに歳をとった。
竹七が居なくなってから、辰五郎が仕事をするようになった。
それまでずっと竹七がやってきたことを、辰五郎がいきなりやるのである、苦労をした。
お松は要領が良いから、それほど苦ではなかった。
お梅も、辰五郎やお松の仕事をよく手伝った。
とくに病気も怪我もせず、お梅は元気に育ったが、兄──庄吉の存在は一切覚えていないのだった。
一生懸命、仕事に励む傍ら、おしづの眼を治してくれる医者を捜していた。
あっちの医者、こっちの医者、と診てもらうが、おしづの視力は回復しない。
こうなると、藁にもすがる思いで青鬼の井戸、祠に通っておしづの眼が善くなるようにとお参りをした。
それでも、一向に善くなる気配はなかった。
「可愛い孫の声が聴けるなら、わたしはそれで満足だよ」
おしづはそう言うものの、閉じられた目蓋は寂しそうである。
屋敷の縁側に居座り、庭に身体を向けている。
朝、陽が昇ってから、夜、月が昇るまで。おしづはそこで過ごすのであった。
「ただいま戻りました」
屋敷の奥へ声をかけながら、竹七は家のなかへあがる。
辰五郎の履き物は無い。まだ帰っていないようだ。
「おや、竹七かい。ずいぶんと早かったじゃないか」
勝手からおしづが顔を出した。
「はい。奉納祭の話し合いで、思ったよりも話がうまくまとまったので」
「そうかい」
竹七が、ふとおしづの手を見る。
すこし皺の浮いた手が濡れて、雫が滴っている。
「奥さま! 食器の片づけなら、この竹七が──」
「お前の帰りが遅いもんだから、わたしがやってしまったよ。まったく、使えない奴だねぇ」
おしづは前掛けで手を拭き、勝手からあがる。
「はぁ、申し訳ありません──」
小さく言い、竹七はおしづと入れ替わるように勝手へおりる。
着物の袖をまくって、食器を洗う。
軽く跳ねる水の音を聞きながら、おしづの言葉を頭のなかでくり返していた。
〝ずいぶんと早かったじゃないか〟
〝お前の帰りが遅いもんだから〟
「──どっちなんだろう」
ぽつりと呟いた。
六、
しばらくして、村で秋の奉納祭が行われた。同時に、辰五郎がお松と夫婦になった。
辰五郎の屋敷にお松が嫁ぎ、四人で暮らすことになった。
おしづは、お松にもなにもさせなかった。
お松は、村のなかでも器量良しの娘で、家のなかの仕事はなんでもこなせたが、
「この家の仕事は、すべて竹七がやるからよい」
と、おしづが許さなかった。
辰五郎は懸念して、
「もし、竹七が居なくなるようなことがあったら、誰もなにもできなくなってしまうじゃないか」
「なにを言うの。お前の父のように、爺さまのように、病で逝かれちまったら、この母はどうしたらよい」
「──それじゃあ、まるで」
辰五郎がここまで言ったとき、隣りに座るお松が止めた。
「お義母さまのおっしゃることに従いましょう」
「──」
このとき、竹七は庭で枯葉の掃除をしていた。
屋敷のなかでの交わされた会話は聴こえてない。
竹七は、おしづが自分の仕事の出来を見込んでくれて、それで大量の仕事を任せてくれている、と自らに言い聞かせている。
おしづが、自分の父と夫を亡くした経験から、同じように息子を失いたくない気持ちは判る。
しかし──
働きづめの竹七が病で倒れるのを懸念しないのか。
辰五郎にやらせないで、竹七にやらせるということは、竹七なら病になってもよいというのか。
辰五郎も竹七も、心の奥で同じことを思っている。お松も察したが、おしづの眼の前で言ってしまうのを憚って、辰五郎を止めたのである。
だが、竹七は別の想いも、心に秘めていた。
七、
やがて、辰五郎とお松は双子を授かる。
男児と女児の双子である。男の子は庄吉、女の子はお梅と名付けられた。
しかし、この双子がまだ歩き出すようになる前、事件が発生する。
男の赤ん坊とともに、竹七が行方をくらましたのである。
おしづは村の衆を総動員して捜させた。
青鬼の井戸に落ちてしまったのではないかと、井戸の底まで捜したが見つからなかった。
おしづも辰五郎もお松も、竹七が庄吉を連れ去ったのだと思った。
村の衆も、それを信じて疑わなかった。
「神隠しに遭ったんじゃねぇか」
「青鬼さまに連れてゆかれたんだ」
との声もあがったが、竹七と庄吉の消息は不明のままであった。
辰五郎とお松は捜し疲れ、我が子の行方を嘆いた。
だが、それ以上におしづの嘆きぶりは異様であった。
可愛い孫よりも、竹七の名をずっと叫び、泣いていた。
阿鼻叫喚──
「竹七ぃ‥‥竹七ぃ‥‥」
日毎夜毎、泣き続けた。
叫び続けた。
辰五郎や村の衆は、竹七が孫を連れ去ってしまったという怨みで名を呼んでいるのだと思った。
また別の者は、この家のなかで唯一の働き者を失ってしまった哀しみで泣いているのだとも思った。
村の衆がいくら捜そうとも、おしづが叫喚しようとも、竹七と庄吉の行方は判らなかったのである。
八、
お梅は十歳になっていた。
腰が曲がり、一日を縁側で座って過ごすことが多くなったおしづに、
「ばあさま、ばあさま」
と、よく懐いた。
おしづも、お梅をよく可愛がった。
おしづの眼は、ほとんど物を視ることができなくなっていた。
竹七と庄吉が行方不明になってから、ずっと泣き続け、眼を腫らしてしまった。そして、視えなくなってしまったのである。
髪は真っ白になり、皮膚は皺でたるみ、腰も曲がり、若い頃の美しさは消えてしまっていた。
辰五郎もお松も、それなりに歳をとった。
竹七が居なくなってから、辰五郎が仕事をするようになった。
それまでずっと竹七がやってきたことを、辰五郎がいきなりやるのである、苦労をした。
お松は要領が良いから、それほど苦ではなかった。
お梅も、辰五郎やお松の仕事をよく手伝った。
とくに病気も怪我もせず、お梅は元気に育ったが、兄──庄吉の存在は一切覚えていないのだった。
一生懸命、仕事に励む傍ら、おしづの眼を治してくれる医者を捜していた。
あっちの医者、こっちの医者、と診てもらうが、おしづの視力は回復しない。
こうなると、藁にもすがる思いで青鬼の井戸、祠に通っておしづの眼が善くなるようにとお参りをした。
それでも、一向に善くなる気配はなかった。
「可愛い孫の声が聴けるなら、わたしはそれで満足だよ」
おしづはそう言うものの、閉じられた目蓋は寂しそうである。
屋敷の縁側に居座り、庭に身体を向けている。
朝、陽が昇ってから、夜、月が昇るまで。おしづはそこで過ごすのであった。
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